shin-1さんの日記

○私の周りには「物」が満ち溢れています

 世の中不景気だというものの、私たちの暮らしは相変わらず豊かで、家庭内には様々な「物」が満ち溢れています。例えば筆記物ですが、鉛筆,ボールペン、マジックインク、マーカーなど机の上や居間、机の引出しなどに無数あるのです。その殆どは使われることもなく、やがてインクが固まって捨てられる運命にあるのです。昨日久しぶりに机の上のペン類を片づけました。特に多いのはボールペンで、何かの会議に貰ったものが20本以上もこの一年間殆ど使わずペン立てに入れられているのです。一本一本を取り出してメモ帳に走り書きして書けるかどうか確かめてみましたが、どれもまだ健在で、捨てるのは惜しい代物です。それでも勿体ないと思って置いておくと片付かないので、思い切って3本だけを置いて後は袋に入れて処分しました。

 私のように講演や会議、時にはコーディネーターなどをする場合に重宝するのが2色、3色のボールペンが一緒に内蔵されているボールペンです。これだと例えばコーディネートをしていても、人それぞれの話が色分けできて何かと便利なのです。ところがこの便利さゆえに色使いが偏って、よく使う黒色や赤色が早くなくなって、青色や紫色などが残ってしまうのです。インクの残量まで見て使う訳にもいかないので、先日などは壇上で書いていて突然赤いインクがなくなり書けなくなってドキリとしました。これらのボールペンはそれぞれの製造会社によって規格がバラバラのため、他のボールペンに代用が効かずもったいないと思いつつ一、色使えなくなると処分せざるを得ないのです。

 最近私たちの地域では葬式に列席した折、香典のお返しにいただくものが、お茶セットに変って祝儀・不祝儀袋と筆ペンかボールペンセットをよく頂きます。最初はこりゃあ便利だと思っていましたが、これもあり過ぎると困って、筆ペンなどは10本以上もストックされ、4~5年は買わなくても済むのです。

 私は字が下手と自認していますが、自著本を販売する際、どういう訳かサインを求められることがよくあるのです。最初はとても人様に見てもらうような字ではないとコンプレックスを感じて断っていましたが、今は自信はないもののごく素直な気持ちでサインに応じているのです。その場合は筆跡が難しい筆ペンではなく油性のマジックインキを使い、自分の名前を方所に、友人から頂いたてん刻彫りの落款を押印するのです。そうすると下手糞でもかなり重厚に見えるから不思議です。でも先日は夕日徒然草に50冊、サインをして送ってほしいとご依頼があり四苦八苦しながら書いて送りました。

 お気に入りだった万年筆もいつの間にか書棚の下の引出しにしまわれ、使われることもなく忘れ去られています。パソコンが私の武器になった4年前からは確実にペン類で書く機会は大幅に減りました。毎日書く3枚のはがきは0.5の少し太字なボールペンを敵のように使います。こうしてみるとあれほど頻繁に使っていたシャープペンシルはもうこれからも使うことはないだろうと思うのです。

 こうして私の文房具類、とりわけペン類は私の仕事とともに変化して、ボールペン主体の暮らしが今後も続くのではないかと思っています。


  「何本も あるのに使う もの二~三 後は使わず ペン立て飾る」

  「重宝は ボールペンのみ シャープなど 広報書いた 昔懐かし」

  「葬式の お返し今は 文房具 世の中変わった 不祝儀袋」

  「買わずとも 貰ったボール ペン多く そこらここらに やたらと置かれ」

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shin-1さんの日記

○「だんだんつながろう会」って面白い

 昨日、「だんだんつながろう会」という珍しい名前の団体に招かれ、西予市卯之町にある中町集会所へ行きました。中町といえば旧宇和町きっての古い町並で知られていますが、不思議なことにこれほど有名な町並なのに文化庁の重伝建、つまり重要伝統的建造物群に指定されていないのです。この指定には様々な制約があるため、それぞれの思惑が絡んでいるようですが、まるで時代をタイムスリップしたような素晴らしい白壁を含めた建物軒を連ねていて、私的には大好きな歴史的空間なのです。素人の私にはよく分かりませんが文化庁の重伝建指定を受けると、それなりの箔がついて観光的条件は整います。しかし様々な制約を受けるそうで、煩わしさや土暮らしの中へ足で踏み込まれるような不安もあります。どちらを選択するかはこれまた意見の分かれるところでしょうが、どちらにせよ先人の残した立派な文化ですので大切にしなければなりません。

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(綺麗だったコデマリの花)
 去年この旧宇和町を中心にして県下各地で全国町並みゼミが開かれました。私も参加しましたが、手づくりのゼミは参加した皆さんから高い評価を受けたと伺っています。そのゼミ開催をきっかけに町内の12団体がネットワークしようと作られてのがつながろう会で、昨年NHK朝のテレビドラマ「だんだん」という島根県松江地方の方言が有名になっていて、実は愛媛県でもだんだんという言葉は使われているため、この名称の冠になったのではないかと勝手に思いました。

 昨日は威風堂々とした約100キロのえひめ地域政策研究センター研究員の松本さんのお供のような形に、見まがうほどの雰囲気で同行してもらい、松本さんの案内宜しきを得て、松本さんの車に乗せてもらい11時にわが家を出ました。

 中町へ着いたのは12時半過ぎでした。まだ準備が出来ていないので言われるまま先哲館横の池田屋という古い酒蔵を利用した喫茶店へ入りました。ご主人も奥さんも顔見知りで外は6月頃の陽気だというのに中は少しひんやりして気持ちのいい空間でした。お茶を飲みながらご夫婦や来店して食事をしていた京都・尾道からのお客さんを交えて楽しいおしゃべりをしながら頼んだ抹茶をいただきました。

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 細い路地を入ると集会所があって、既に30人ほどの人が集まっていました。参加者の中には顔見知りも多くいて雑談会話が弾みましたが、つながろう会の藤本明美さんから3度も資料を添えたお便りやハガキ、FAXをいただいていたので直ぐに打ち解け少し遅めの食事会が始まりました。弁当も美味しかったのですが、豚汁やヨモギ草餅、デザートに出されたゼリーも絶品でした。外国人と見まがう通称キャサリンの書いた絵をあしらった下敷き紙にも、机の上に飾られたコデマリの白い花にも、人を迎える優しさが感じられて、酒も飲まないのにすっかり酔いしれてしまいました。

 食事が終っていよいよ私の話が始まりました。少し短めの話をというご依頼でしたが少し短めの話を少し長く40分ばかり話させてもらいました。参加者の中には私の話をもう5回も聞いたという人もいて、汗顔の至りでした。

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 質疑ではハーモニカのアンコールまであって下手糞なハーモニカも披露しました。僅か2時間ほどの時間はあっという間に過ぎ、皆さんの温かい拍手に送られて、予定があるので3時に会場を出て家路に着きました。いやあ楽しい会でした。主催をした藤本明美さんご夫妻は元学校の先生で、ご主人は教育事務所で社会教育をしていたこともあって知っていますが、さすがと思わせる気配りは並のレベルではないようで、見習いたいと思いました。

 車での行き帰り、松本さんと様々な地域づくり談義をしましたが、岡崎事務局長との関係で昨年一年町並ゼミを手伝いに来た松本さんは、につながろう会の皆さんとの出会いで大きく成長していました。地域づくり人の成長はいかに自分の自由時間を削って学ぶかにかかっています。その点松本さんの成長はまさに土日や夜といった自由時間を使っての修業の成果だと思うのです。これまで2年間で予想以上の成長を遂げている松本さんにはこれから一年、より高い自分自身へハードルを設定して、成長してほしいと願っています。

 「来年もまた来てね」という嬉しい言葉が今も耳に残っています。早速昨晩お礼のハガキを書きました。

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(手づくりのヨモギ草餅も最高でした)

  「座るなり 机の上の コデマリの 花に心が 洗われました」

  「中町を 初夏の休日 歩きつつ 光と影の 交錯感じ」

  「手作りの 紙の袋に 草餅を そっと忍ばせ 優しいただく」

  「爆笑の 渦を作りて 話したる 落伍話に われを忘れて」  

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