shin-1さんの日記

○舞たうん100号記念号届く

 私は得意というほどではありませんが、機関紙や雑誌にエッセーなどを依頼されると浅学を顧みず好んで書くことにしています。このため最近はエッセーストと見まがうほど様々な分野に登場して、自分の文字での主張を述べています。大体人間は喋れる人は書けないとか、書く人は喋りが苦手の人が多いのですが、私は書けて喋れて、実践する三位一体の人間になることを理想としているため、訓練のつもりで書いているのです。お陰で書くスピードが昔に比べればダントツに早くなったし、話題へのアプローチも幾分飲み込めてきました。

若松進一ブログ

 2~3日前、えひめ地域政策研修センターから舞たうん100号が送られてきました。この記念号を担当した清水研究員は既に出向元へ帰っていますが、彼が満身の力を込めて作り上げた力作だけに、手に取った重さはページ数はいつもの機関紙と変わりはないのに、随分重く感じました。

 私と舞たうんとの出会いは創刊1号からですからもう23年も前になります。以来今回の100号まで、時には執筆者として、時には読者として様々な深くも浅い付き合いをしてきました。当時はインターネットなどなかった活字が唯一の情報手段でしたから、随分舞たうんから全国の先進事例や人間の生き方・考え方を学ばせてもらいました。いわば舞たうんはまちづくりを志した私にとって恩人ともいえる貴重なものなのです。

 私ははからずも今回の100号記念号で巻頭言ともいえるプロローグに、「舞たうん百号とともに生きた日々」と題して、えひめ地域づくり研究会議代表運営委員の肩書で寄稿しました。先月のえひめ地域づくり研究会議運営委員会で長年務めた代表運営委員を辞しましたので、私にとってはこれが辞任の挨拶文のようになってしまいました。でも書いた温故や知新の数々は紙面校正の都合で次々にカットして舌足らずになったことは否めませんが、それでもいい記念になりました。表紙を入らけると翠小学校の校舎をバックに少しすまし顔の私の写真が、「大役を降りてホッとしたよ」と言いたげに載っているのです。

若松進一ブログ

 今回の100号記念誌の企画が担当の清水さんから持ち込まれたとき、愛媛県内で活躍する達人たちに登場してもらうと人選に耳を貸しました。また私たちが憧れて止まない宮本常一研究の第一人者である作家佐野眞一さんに特別寄稿をお願いする夢も聞きました。紆余曲折の苦労を経て佐野眞一さんから寄稿のOKを貰ったと、嬉し第一報を遥か沖合いに浮かぶ周防大島に出かけていた清水さんから届いた時は、わがことのように喜んだものです。佐野眞一さんの原稿はゲラの段階で読ませていただいていましたが、改めて読み返してみると作家の視点の鋭さに驚き、かけがいのない100号になったと喜んでいます。

 「旅する巨人」で大宅荘一ノンフィクション賞を受賞している佐野眞一さんとは、一度だけ周防大島で講演を聞いただけのご縁ですが、この特別寄稿がご縁で、今年の11月には人間牧場で開いている年輪塾の公開セミナーに招きたいと今から気の早い話に花を咲かせているのです。

 佐野眞一さんは「宮本常一から学ぶもの」という寄稿の中で宮本常一という人間を通して私たちに熱いメッセージを送っています。

 「樹をみろ、いかに大きな幹であっても、枝葉がそれを支えている。その枝葉を忘れて、幹を論じてはいけない。その枝葉に大切なものがる。学問や研究はあくまでも民衆や庶民の生活を土台に築きあげるものだ」

 昨日その言葉をかみしめながら人間牧場に置かれた樹齢150年の高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株の上に座りました。既に枝葉も根も切り落とされていますが、自分が目には見えない枝葉や根にならねばならないと、決意を新たにしたのです。

 編集に携わった清水さんが編集後記に「散る桜 残る桜も散る桜 答えは常に風の中にある」と書き残しています。枝葉を揺らす風の存在、根から吸い上げる水や養分の大地の恵み、さらには燦々と降り注ぐ太陽などなど五輪の書に表すべき自然とのネットワークも大切だと痛感しました。いい100号を届けて下さってありがとう。

  「百号は 終わりではない 始まりと 思えば意味の 深さ更増し」

  「いい記事を 読みほぐしたる 度量なば 何の意味あろ 百号いえども」

  「短か文 長い文章 ちりばめて 想い心に ビンビン響く」

  「カーラジオ 風に吹かれて ボブディラン 形ないもの 大事と歌う」    

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shin-1さんの日記

○人は人によりて人となる

 周りに見える山々の色が日増しに燃えるような若草色に替わり、春まっ盛りを実感するようになってきました。わが家の前にそびえる本尊山はまさに借景と呼ぶにふさわしく、山桜などの雑木遠望が見事で、下手糞だったウグイスも随分練習を積んで「ホーホケキョ」を連発、「ケキョケキョケキョ」と谷渡まで挑戦しているのです。

 それと同じように人間牧場からの眺望も見事で、野村町山奥組の井上登さん方から興し入れしてきたミツバチたちも活発にそこら辺を飛び回り、蜜を運んでいるようです。分封の兆しなのでしょうか空家状態のもう一つの巣箱に、よく見ると何やら虫が飛びこんだような感じもして、じっと観察したりしてみましたが、ミツバチなのかどうかは確認ができませんでした。

若松進一ブログ(右端新山所長さん、その隣國府次長さん以下職員とともに)

 昨日は国立大洲青少年交流の家の新任職員さんが10人余りやって来て、人間牧場で新任職員研修会を開きました。お約束の時間はマイクロバスが道に迷い多少遅れましたが、新山所長や國府次長以下新しい顔ぶれの人が集まって私の話を聞いていただきました。

 私に依頼された講話の演題は「地域における青少年教育の在り方について」でしたが、それなりの知識を習得されている青少年教育のスペシャリストばかりなので、思いつくままに1時間余りお喋りをさせてもらい、その後は皆さんと和気あいあいの座談の会となりました。驚いたことに私の話を10年も前に聞いたという女性もいて、木になるカバンのことを覚えていたようで、はてさて私の話の進化具合はいかがだったのか、少々赤面してしまいました。

 全国各地から青少年たちが集まる施設の職員の心構えの第一は、はやはり心に希望と夢を持つことが大切です。夢や希望、それにやる気を持っていれば、相手を感化感動させることができるのです。今の時代は不況感や悩みが多く混沌としていますが、だからこそ青少年に勇気を与えて自覚を促さなければならないのです。

 結局は自分が「どう生きるか」ということに尽きるのです。これまではどちらかというと、施設職員として必要なテクニックを磨いてこられたようですが、これからは「自分らしく生きる」ことが求められるのです。施設職員として手つなぎの連帯も必要ですが、それぞれが自立した集団、つまり「手放しの連帯」こそ重要と考えます。その点人間牧場でやっている年輪塾やかつて10年間で40回のフロンティア塾を開催したような「自分づくり」は参考になるのかも知れません。

 昨日は全国各地が晴れ渡り、25度の夏日を超えた所もあるほどの陽気でした。研修が終わり交流会が始まる頃には西の空がサーモンピンクに染まり、その色が海に映えて素晴らしいシチュエーションを見せていました。用意していただいたお弁当を広げて舌づつみを打ちながら交流を深めました。久しぶりに水平線の家に灯りをともし、短い時間ながら夜の部を終えて帰る頃には陽もとっぷり暮れていました。

 都合で先に帰られた國府次長以下女性3人には、不思議で可愛い窪田赤トンボ先生が作ってくれた荷物にならない赤トンボを手土産に渡しましたが、いい思い出になったでしょうか。

 これまで30年以上にわたって長くかかわってきた国立青少年交流の家の真摯な職員の姿に感動しながら、一人山を降りました。新山所長以下皆さんの今後の活躍に期待しています。

若松進一ブログ(美女に囲まれご満悦、赤トンボも私も興奮して真っ赤でした)

  「どう生きる? いきなり言われ 戸惑いも それが大事と 熱弁ふるう」

  「鏡です あなたの写る 姿見て 人を感動 させればいいな」

  「人により 人は人なる 故に人 大事とばかり 人に力説」

  「いつの間に サーモンピンク 染まる空 心も染めて 欲しいと願い」

 

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shin-1さんの日記

○今日から大学の授業が始まりました

 今日は愛媛大学法文学部総合政策学科の今年度授業の始まりで、2時限目(10時30分~12時)にガイダンスがありました。2回生100人余りを集めて5人の担当教員がそれぞれの授業内容について約10分間ずつレクチャーをしました。この仕事も6年が終わりそろそろ潮時と思っていましたが、担当の先生に懇願されてまた一年やることになりました。昨年度まで担当していた丹下先生も加わるもののチーフ役は木村先生だそうですが、打ち合わせ会やガイダンスの調整が遅れてヤキモキしたもののこれで何とか軌道に乗って行けそうでホッとしています。

 今日のガイダンスに当たってシラバス概要を一枚用意し今日の会に臨みました。その内容は次のとおりです。

 ①担当教員    私の自己紹介です。

 ②授業テーマ  地域振興・まちづくりー地域活性化論です。

 ③サブテーマ  住みたいまちの条件・尋ねたいまちの条件

 ④主な授業   ・講義(地域振興・地域づくり概論・全国実態・県内実態・人づくり・若者の意識と行動

            ・フィールドワーク現地調査(都市近郊・山間地域・南予地域・漁村地域)

            ・住みたいまちの条件・尋ねたいまちの条件ワークショップ

            ・モデル事例発表会

            ・報告書提出

 ⑤時間配分   講義30時間・現地調査30時間=合計60時間(4単位)


若松進一ブログ

 毎年春先のガイダンスでは一抹の不安と期待が交錯します。ガイダンスはいわば教員の腕比べです。専任教員2人と非常勤講師3名がそれぞれ違ったテーマに沿って話すので比べようがないのですが、聞いて自分の好きな教員の講義を第一から第4まで希望を書くのです。つまり人気投票ですから、第一希望が多いとフィーリングが合って一年間の授業が上手くいくのです。私は他の4人に比べ決して引けを取らないと思っても、選ぶ相手は学生なので自分の意志は通らないのです。さてどれだけの学生が私を選んでくれるかは定かではありません。でも来週には担当の先生によってクラス編成され、掲示板に張り出されるのです。

 私の授業は日程の都合もあって4月30日からスタートすることを伝えました。つまり私の404教室に4月30日に集まってくる予定の20人ほどと一年間授業をすることになるのです。

 こうした不安のほかに期待もあります。限られた60時間で、若者たちがまちづくりに目ざめてくれればこんな嬉しいことはないのです。過去6年間の授業で学生たちの心の変容が見られました。また今日学内で偶然にも出会った昨年度の学生たちと懐かしく楽しいおしゃべりをしました。学生たちは私と過ごした60時間が懐かしくて様々な思い出話をしてくれました。

 訪ねてみたいまちも、住みたいまちも結局は、自分が積極的にまちづくりにかかわらなければ実現しないことをしっかりと教えて行きたいと決意を新たにしました。

 毎年今年が最後と思って一生懸命かかわってきた法文学部総合政策学科の授業も7年目、今年こそは最後になるかも知れないと腹をくくって頑張りたいと思います。


  「今年こそ 最後と思い 七年目 大学講師 すっかり板に」

  「ガイダンス 自分の実力 試される 学生希望 果たして来るか?」

  「何処となく 余裕出てきた 講師業 週に一度は 教壇立って」

  「大学は 奥が深くて 分からない 分け入り進む それしかないな」

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shin-1さんの日記

○せっかく撮った写真なのにドジだねえ私は

 ブログに写真を取り込むようになって三年余りが経ちました。そのため私は最近出歩くたびにカメラを持って外出します。昨日は少し時間的に余裕が出来たので、人間牧場や潮風ふれあい公園の桜の写真を撮りに出かけました。また昨夕は仲間との楽しい飲み会(残念ながら酒の飲めない私はお茶で濁しましたが)があり、その酔うほどに元気になる仲間の姿もバッチリ撮りました。

 今朝起きてカメラに内蔵しているチップを取り出し、パソコンにそれらの写真を取り込もうとしましたが、カメラの中には消し忘れた世界遺産を巡る旅の写真ばかりで、昨日撮った写真は一枚も記憶されていないのです。「しまった」と思いましたが後の祭りです。よく見ればパソコンの本体にそのチップははめ込まれたままで、カメラはフィルムのないカメラと同じ状態になっていました。

 残念としかいいようがありませんが、昨日という日のカメラの記憶は完全に私の手元には残らなかったのです。はてさて困りました。もう一度同じ場所で同じ写真を撮ることもできず、歴史の生き証人たるカメラの重要性と、私の不注意を改めて悔んだ次第です。

 それにしても私のパソコンには膨大な資料が記憶されていることに驚きを禁じ得ません。この3年半書き綴ったブログの記事は全て記憶されていて、呼び出せば直ぐに活字になるのです。しかもそれは私のパソコンだけでなくみようと思えば誰でも閲覧できるように公開されているのです。またそれ以外にも私がこれまで書いた殆どの原稿や、私が撮影した写真なども記憶されていて、探すのに暇はかかりますが、探そうと思えば瞬時に出てくるのです。

 息子の話だとそれらを整理しないとだんだん重たくなるので気をつけるようにと注意を受けていますが、そんな暇もなく毎日データーは蓄積されているのです。先日三月末までセンターにいた谷本さんが私の殆どのブログ記事をPDFに記憶させて送ってくれているのですが、それさえもまだCDに移し替えて保存することすらやっていないのです。まあいいかと思いつつ貯め込んだパソコンの情報を近いうちしっかりと整理したいと思っています。


 CDやDVDなど、いわゆるデジタル情報を記憶させているものも増えてきました。私の書斎の書棚の一角にはワープロ時代からの古いフロッピーや最近のCDまで乱雑に置かれています。ワープロ時代の記録はもう使うこともないだろうと思っていますが、それでも捨てきれず、ワープロ本体も机の隅に埃をかぶって残されています。

 またビデオテープやラジカセ用テープも沢山あって、これらの処分もいつかしなければならないようです。息子に相談したところ、ビデオテープはDVDに再生可能ということなので、少しお金がいっても記録として残したいものだと思っています。私はこれまでテレビやラジオに滅茶苦茶出ています。人間マップなどは30分も私が全国放送されていますし、ラジオ深夜便心の時代は、2時間も出演しているのです。まあそのうち暇になるでしょうから、じっくり楽しみたいと思っています。

  「フイルムを 入れぬカメラで 撮影し 開けて驚く 後の祭りか」

  「あらためて 注意怠る 自分恥じ こんな失敗 心に誓う」

  「はいポーズ 言った自分が 情けない 今頃彼ら どんな顔して」

  「パソコンは どんな頭を してるのか 記憶正確 私はとても」

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shin-1さんの日記

○何でこんなに忙しいのだろう

 妻いわく、「退職してやっと自由になったから、家にいるだろうと思っていたのに退職して4年間、前にもまして忙しく動き回って、家には殆どいない」と・・・・。そうです。自分でも不思議なくらいあれやこれやと藪用があって、毎日家を留守にしているのです。最近は妻も予定表に私の予定を書き込み、私も台所のカレンダーに一ヵ月分の予定を書くようにしているのです。そうすることで妻は安心するのですが、今朝もその予定表で今日一日の予定を説明してやりました。ちなみに最近は年度始めとあって新任の人たちが、新任あいさつに沢山見えられるのです。その殆どはアポを取って来るのですが、昨日などは何と7組も次々にあいさつに見えられ、本人も余りの多さにびっくりした次第です。

 今日は天気も良いし、明日の午後人間牧場で研修会がもたれれる予定なので、掃除がてら出かけました。「そうだ、今日は草を刈ろう」と急な思いつきで草刈りを始めました。先週水平線の家の周辺は草刈りを終えましたが、人間牧場への入口付近の道沿いが大草で見苦しいので、そこら辺を重点的に草刈りしました。マメ科の植物やハコベが春の暖かい日差しを浴びて勢いよく伸びていて、草刈り機のエンジンが鈍い音を立てて草を刈りながら進んで行くのです。

 草刈りは2時間ほどで終わりましたが、サツマイモの種を伏せているミニ温室のビニール越しに中を見ると、しばらく見ない間に雑草が芽の出た部分を隠すほど生えていました。倉庫から金づちとバールを持ち出して温室のビニール被覆を取り、畳2畳分のサツマイモの種を隠すほどに伸びている雑草を丁寧に引き抜きました。有に30分はかかったでしょうか、すっかりきれいになり、サツマイモの芽もこれで順調に伸びてくれるものと思われます温かくなって春が来たと言いながら朝晩は冷えるため、再びビニールで被覆し横の部分を少し開いて温度が高くならないよう窓をあけました。

 再び草刈りを続け、その後2時になったので食用にフキを採りました。今年もフキは豊作のようで、わが家の分と朝約束をしていた妹に渡す分をかなり多めに採りました。今年初のフキ採りです。茹でて皮を剥き、佃煮にするとこれがとびきり美味く、毎年お茶づけのお供にするのです。このフキは植えた訳でもないのにどんどん広がって、昨年はシーサイドのじゃこ天のおばさんたちや姉や妹におすそ分けして喜んでもらいました。今年もそうしたいと思っています。野も山も春まっ盛りとなりました。今が旬の山菜もその気になって見れば沢山あるのです。

 今日は夕方舞たうん100号の出版を祝う飲み会に誘われ、大いに気を吐きました。実は出版を祝うというのはカモフラージュで、むしろこれからの活動の在り方や自分自身の生き方を考える会でした。年輪塾と宮本常一を考える会の今後の在り方について真剣に話し、いい方向性が出せたように思うのです。浜田・豊田・清水・若松と、最後に小番頭の松本が加わり、焼鳥屋の夜はふけて行きました。


  「忙しい 言いつつ過密 スケジュール 慌てふためき 一日暮れる」

  「忙しい 人ほど暇を 作るもの 俺より上手 周りにいない」

  「理由つけ 結局最後 飲み会に 見え見えだけど 断りきれず」

  「草刈り機 間もなくダウン 寸前に 更なる出費 これはたまらん」

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shin-1さんの日記

○何処へ行っても桜・桜・桜で~す

 この一週間中国地方を旅して来ましたが、何処へ行っても桜の花が満開で、今年くらい桜を見たことはないくらい桜の花を堪能しました。春先から季節外れの寒緋桜やさくらんぼ桜、彼岸桜を見て、吉野桜へと移り、最近は山桜が目につくようになり、昨日は近所で桜餅と桜茶までご馳走になって、もう桜三昧の日々です。

 私の町は私が役場企画調整室でまちづくりを担当していた頃、まちづくり青年会議という組織を発足させました。その時私の発想で海岸国道に桜の木を千本植える花いっぱい運動を提唱して植えました。国道沿いやJR予讃線沿いの空き地に勝手に植えました。というのも「菜の花を植えるので植えさせてほしい」とJRに言ったら、駄目だというので勝手に植えました。大目玉を食らいましたが、種をポケットから落とす妙案で乗り切りました。そのことがあってしばらくしての桜の苗木植えなのでこれまたJRからきついお叱りを受けたのです。でも諦めることなく植えた桜の木がもう20年も経って、今ではすっかり一人前の木になって立派な花の帯を作っているのです。

 ところが桜の寿命は60年とも70年とも言われているのに何本かは枯れたり、急峻な裏山からカズラが伸びてからみつき、木を覆って枯らされたりするものも出始めてきました。役所の関係者にその話をしますが一向乗ってこず、このままだと桜の帯を16キロの海岸線に作る夢は潰えてしまうのです。昨晩その話を妻にすると、「お父さん、いつまでもそんな心配をしないで」と言われましたが、やはり誰かが花守となって守らねば花は咲かないのです。

若松進一ブログ(三島神社楼門の夜桜)
若松進一ブログ

 そんなこんなで桜を見たからでしょうか、昨夜桜の夢を見ました。夢なので余り覚えてはいませんが、海岸線16キロに桜を植える運動をやった私が、得意げになって季節限定のトロッコ桜列車の中で桜の自慢話をしていました。乗り込んできたアナウンサーが「若松さん、16キロの桜の帯は見事ですね。ひょっとしたら日本一かも知れませんね」とインタビューされました。「どうです見事でしょう。これぞオンリーワンの日本一です。桜と夕日は似合いますね」などと自慢していました。ふと夢から覚めて、自分の枕元に置いているメモ用紙に、無意識のうちに「桜を植えたい」と書いていました。私はこれまでにも夢に出てきたことや布団の中で考えふぁ浮かんだことをメモして実行してきました。そうだ「平成の花咲か爺になろう」と決意をしましたが、やはりこの運動は同士を募らなければできないようです。

 昨日わが家へ新任職員とともに訪ねて来たえひめ地域政策研究センターの松本さんが、「若松さん海岸線の桜が見事でした」と褒めてくれました。そうだ松もさんがいる。そして今年から観光の担当になった河本さんと商工会で会ったため、河本さんも米井さんも赤尾さんもいる。久保さんもいると指折り数えて可能な人に声をかけようと思いました。お金は宝くじでも使おうかと勝手に思っているのです。

 今年はもう間に合わないので来年の2月頃植えなければならないので、もう作戦を開始しなければなりません。町を花で飾りたいというまちづくり草創のころの夢がまた少し頭を持ち上げてきたようです。

  「二十年 前に植えたる 桜の木 今は立派な 花を咲かせて」

  「平成の 花咲か爺に なる夢を メモしたからにゃ やらずばならぬ」

  「俺植えた 桜の帯が 今頃に なって咲くとは 息が長いね」

  「あと何回 桜を見るか 指折りて 老いが近づく 桜とともに」

 

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shin-1さんの日記

○名残の炭も使い果たしてしまいそう

 このところわが家の炭事情が怪しくなっていました。というのもわが家の敷地内に設置している私設公民館煙会所が、人間牧場の開所とともに余り使わなかったため、煙会所の囲炉裏に使う炭が余り必要でなかったのです。ところが最近になって相次いで煙会所に知人友人が訪れ、大量に炭を使ったため、急遽人間牧場用としてストックしていた炭まで使うありさまで、やばいと思い始めました。普通囲炉裏は暖をとるために火を入れるのですが、煙会所は暖をとらなくてもいい春から秋にかけてでも炭を入れなければならないために、頭を悩ませているのです。煙会所が華やかに使われていた頃は、年間10俵もの炭を使っていました。ゆえに近所で炭焼きをしているおじさんに無理を言って分けてもらっていたのですが、そのおじさんも天国へ召されたため、炭のご縁がぷっつり切れてしまったのです。

 人間牧場にストックしている炭は、国立大洲青少年交流の家の課長だった田中さんが校長になって転出する際置き土産としてくれたものと、大洲市田処の大杉塾亀本さんが年輪塾の際届けてくれたものなのです。大切に使わなければ罰が当たると思いつつ横流しして煙会所で使ってしまいました。

 文明が炭から油やガスに代わっても、時代遅れな生き方をしているのでしょうか、私の暮らしにとって炭は今も貴重なエネルギー源なのです。最近はアウトドアーな生き方が見直され炭もホームセンターなどへ行けば火付きのよい外国産の炭がバーベキュー用として安く手に入るようですが、やはり炭も地産地消というべきか、クヌギの炭などは火持ちもよく最高に贅沢なものなのです。

 私たちが子どもの頃は、暖を取るのは火鉢に炭と決まっていました。ゆえに寒さに震えた手足はアカギレで膨れていました。いつの頃からか火鉢は石油ストーブに代わり、今ではそのストーブもスイッチを押すと温風が出てくるようなストーブに改良されて、寒さを知らない暮らしができるようになったのです。今朝も少し寒かったため居間のストーブをつけ、今夕もストーブの手助けを得ることでしょう。

 つい最近炭の効能効果が見直されてきました。その秘密は炭の構造にあります。炭には肉眼では見えない小さな穴が無数に開いていて、その細孔は炭1キロ当たりテニスコート1面分にも相当するというから驚きです。この細孔が臭いの成分や水分、有害な化学物質などを吸着したり、有用な微生物の住み家になったりすることで様々な効果をもたらすのです。

 炭には白炭といって炭や木の仕上げの段階で窯の中に空気を送って一気に千度以上にした後、火を取り出して灰や土をかけて急速に冷却したもの(備長炭など)と、黒炭といって四百度~八百度で焼いたものをそのまま室内密閉して冷却したものに分かれますが、最近は竹炭も仲間に加わりました。

 わが家ではご飯を炊くとき備長炭か竹炭を入れます。これは水道水の塩素を炭が吸って炭内のミネラルが溶け出し、米のうま味を出させるのです。

 縄文時代から日本人は科学で解明できる科学を知らぬのに炭の効能をしっかり暮らしに生かしていたのです。われわれの先祖は凄いですね。


  「仲間から 貰った炭も 底をつき 炭なき囲炉裏 寂しかりけり」

  「赤々と 燃える囲炉裏に 顔を染め 夜通し話す 今は懐かし」

  「炭と聞きゃ バーベキューだと 今人は 私火鉢だ 時代遅れか」

  「炭パワー 活かして暮らす わが家庭 ご飯水など 炭で成り立つ」

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shin-1さんの日記

○縁結び出雲の神様

 足の向くまま気の向くままの気楽な世界遺産を巡る旅のフィナーレは、急な思いつきで出雲大社になりました。少し遠回りでしたが皆さんの要望が強かったようなのでお参りすることにしました。石見銀山で昼食時を逸したため、出雲大社前のお店に駐車料無料で入り込み、出雲そばを注文しました。割りこそばは3段重ねでした。私たちは普通のを注文しましたが、湯山さんは食べ放題を注文したようです。食べ放題は次々出てくるのですが、ご覧ください、この食べっぷりと思いきや、実は湯山さんは10杯目であえなく終わりましたが、皆さんが食べたセイロを記念写真にと置いただけのことなのです。そばを食べても大笑い、土産物の見本を持って来させてみんなで食べても大笑いと、団体旅行の醍醐味を堪能させてもらいました。

若松進一ブログ(本当は湯山さんは10杯しか食べていませんでした)

 遅い昼食が終わってさあ出雲大社へ参拝です。境内は老松群の松の緑と満開に咲いた桜が見事に調和して、一年で一番いい季節の参拝となりました。境内ではお花見を楽しむ人たちが幾つも囲いを作っていました。午後2時ころのお参りとあって参拝客もそんなに多くはなくゆっくりのんびりとお参りしました。

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 大社の境内には様々な神話の古里らしいオブジェがあって、天照大神などの銅像が意味深長に置かれていました。天孫降臨とでもいうべき姿に感心しつつ境内を歩きました。

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 同行者の中には4人も?独身者がいるので皆さんそれぞれ賽銭をあげ出会いや縁結びがあるようにお祈りをしていました。私も15円(十分にご縁がありますように)を賽銭箱に入れ、まだ未婚の二人の息子たちのご縁を心の底から祈りました。

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 かくして長かった一泊二日、レンタルマイクロバス走行距離約900キロの旅は、三次市、尾道市、しまなみ海道、今治市を経由して、参加者を転々と降ろし無事終わりました。前日早朝6時半に松山市駅を出発して、再び市駅に着いたのは午後9時になっていました。見送ってくれた妻に再び迎えに来てもらい、二日ぶりにわが家へ帰り手足を思い切り伸ばしました。

 今では団体旅行など殆どしませんが、団体旅行には団体旅行の楽しみがあって、バスの中で近況を聞いたり、これからの生き方を話し合ったり、はたまた馬鹿話に花を咲かせたりと楽しい二日間でした。

 帰宅してメールを開くと土日にも関わらず山のようなメールが届いていました。これも時の流れと思い、メールの処理に2時間もかかってしまいました。

 昨日はデジカメに収めた写真の数々をパソコンに取り出してブログに収めたり、結構忙し一日でした。それでも思い出のページがまたひとつ増えた感じでどことなく豊かな気持ちになりました。


  「パソコンの 画面呼び出す それぞれに 過去になりたる 思い出場面」

  「もしカメラ なくんばこうも ありありと 記憶はないと 文明感謝」

  「過去も良し 未来に生きる 杖となる 今度は何処へ 夢は広がる」

  「今の俺 一番若い 写真にて 大事にブログ 書いて残そう」

  

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shin-1さんの日記

○広島から島根へ、そしてまた品根から広島・愛媛へ

 安芸の宮島・平和公園の原爆ドームと世界遺産二つをめぐった私たちは前日の夜、広島へ一泊しました。久しぶりの出会いなので一席交流会を持とうと、広島一の繁華街流川通りへ繰り出しました。

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 夜もふけやらぬ街をみんなで散策して一軒の居酒屋を見つけて入りました。そこで飲み放題のコースを設定しましたが、13人のうち5人までがウーロン茶というお粗末ですから、お店は大分儲けた計算になります。それでもこうしてみんなが集まるのは年に一度の総会と研修旅行だけですからみんな大いに語り合いました。

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 広島の町中も少し不景気風が吹き荒れているようで、土曜日だというのに人の数はそんなに多くないと感じました。飲み会を切り上げてホテルに戻りわが部屋に集まって談笑していましたが、早立ちの旅の疲れなのか、年齢のせいなのかみんな早々に引き揚げて行きました。私は2回のロビーに降りてインターネットに接続しブログを一本書きました。旅先でもホテルによってはパソコンが使えて大助かりです。旅の思いは一瞬ですから書きとどめないと忘れたり感動が薄くなったり、臨場感がなくなってしまうのです。


 あくる朝は7時に昼食を済ませ、7時40分に出発しました。昨日の雨も上がり、天気予報だと知り上がりによくなるそうなので安心して車に乗り込みましたが、中国自動車道や浜田道はところどころ春の霧が視界を遮るほど出ていました。しかしそれも中国山地の峠を越すと晴れて絶好の行楽日和です。

 峠付近はまだ木々の芽吹きもあまり感じられませんでしたが、日本海が近付くにつれて桜の花も7分咲きに代わっていました。今回の旅ではどれほどの桜を見たのか想像もつかないほどの桜を見てきました。

 島根は全市町村を制覇している私の出番で、私がカーナビのように知り得た知識で社内説明を行いました。やがて目的地である大田市の石見銀山の入口にあたる仁摩のサンドミュージアムに到着し、日本一と言われる一年の砂時計を見学しました。普通砂時計は3分、5分ですが、このミュージアムには1年365日の砂時計があるのです。砂時計や砂に凝ったオンリーワンの展示物を皆さんは興味深く見学していました。

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 サンドミュージアムから10分程度で第三の目的地石見銀山に到着しました。私にとってここは2度目ですが、世界遺産に登録されてからは初めてです。ある主興味を持って訪問しました。世界遺産になるとどの地域もまるで大河ドラマのロケ地のように、どっと観光客が押し寄せ、その恩恵を受けるのではないかという期待感があるのです。一方観光客もそれなりの期待感を持って行くものですから期待に外れるとがっかりするのです。多分漏れ聞く石見銀山への期待はどちらも大外れのようです。地元の儲けの目論見は見事に外れました。また訪れた観光客も歩いて散策しなければならないことへのいらだちもあって大いに期待はずれだったようです。

 しかし私のような人間にしてみれば、これこそ世界遺産だと思うのです。観光客にへつらうこともなく、またどこにでもありふれた土産物を売るでもなく自然体での姿にむしろ感動すら覚えました。これはもうブームではないと思いました。これぞまさしく産業遺産なのです。

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 私たちは言われるがまま車を遠い駐車場へ止めて、遊歩道をただひたすら歩きました。途中にはこのような決して立派とは言えない苔むしたお寺や神社がやたらとあって、銀山で栄えた往時をしのばせてくれました。道端にはかつて銀鉱石を手彫りしたであろう間歩といわれる坑口の後があちらこちらにありました。それらは人間は這って歩くほどの狭さが故にその労働がしのばれました。

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 私たちが目指した龍源寺と呼ばれる大きな坑道は、歩けるようしっかりと整備されていましたが、他の地域の遺構のように蝋人形などがあるわけでもなく、余り手が入っていな印象でした。」金や銀といえば価値の目安となるほど重要な価値を持っていました。ゆえに見張りや労役も厳しかったであろうと推察したりしながら、好天に恵まれた長閑な山村の山道をゆっくり往復2時間弱歩いて散策しました。

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 道端にはアオキの真っ赤波が印象的に熟れていました。また歩き終わりの場所には真っ白い今が盛りの花がいっぱい咲いて私たちの歩き疲れを癒してくれました。

若松進一ブログ
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 昨年の熊野古道に続いて今年は欲張って瀬戸内2か所、日本海側1か所の3か所も欲張って世界遺産を見学し、2年間で合計4か所となりました。来年はさてどうするか、皆さんに図ったところ白川郷へ行くことが内定しました。こうして世界遺産を巡る旅を重ねながら歳を重ねていくことも意味があるのかも知れません。

 20年間にわたって青少年の健全というボランティア活動を行ってきましたが、人間牧場での活動を除いて、そろそろ新しい生き方を考える年代に入ってきたことを考えさせるいい旅になったと思いました。


  「四つ目の 遺産訪ねる 旅終わる 次は五つ目 白川郷へ」

  「この地では 登録浮かれる こともなく ただひたすらに 遺産守りて」

  「いい汗を かいたとみんな それぞれに 世界遺産を 感じたようだ」

  「赤い実を つけたアオキや 白い花 山里風情 心洗いて」


 

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shin-1さんの日記

○世界遺産広島原爆ドームを訪ねる

 世界遺産には自然遺産もあれば文化遺産のありますが、広島の原爆ドームはそれらとは一線を画し、人間の愚かさを人間自身に問いかける平和へのメッセージとしての価値としては世界で唯一だと思うのです。対岸のこんな身近な場所にありながら、私たちは平和の上に胡坐をかくように殆ど訪れることもなく過ごしていました。

 広島上空600メートルで原爆がさく裂した1945・8・6・午前8時15分という一瞬は、広島にとっても日本にとっても、いや世界にとっても忘れてはならない一瞬なのです。原爆資料館に展示されている投下された原爆はこんな小さな爆弾でした。しかしこんな小さな原爆が広島を、そして広島市民や国民の一部を焼き殺し、戦後60数年たった今も原爆症の後遺症に苦しむ人たちがいるのです。

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 私は原爆が投下された時、生まれて間もない10ヶ月でした。母親の手に抱かれて、熱い夏の日が始まるであろう下灘の海岸からキノコ雲を見ていたようです。残念ながら幼少ゆえその記憶はありませんが、体教とでもいうのでしょうか、どこか記憶の隅に靄がかかっているような感じがするのです。原爆ドームの上600メートルでこの展示のような火の玉がさく裂したのです。そしてその爆風は鉄やコンクリートまで一瞬にして破壊しました。

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 爆発してから3時間後に爆心地近くで撮影されたという一枚の写真は、体を焼かれた生々しいものでした。そして時間が経つにつれて太田川の近くは何千という死体が浮き、焼けただれた人々は水を求めて川沿いに集まりました。まさにこの世の地獄だったといわれています。

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 原爆は死の雨を降らせました。爆風によって空高く舞い上がった砂塵は放射能を含み、やがて灰色の雨となって地上を濡らしたのです。窓を伝う放射能の雨筋は原爆資料館に残っていました。

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 当時は、原爆投下後75年間は草木も生えないだろうと言われていたのに、そして多くの原爆に遭った人たちがその後遺症に苦しんでいるのに、あくる年の夏焼け跡にカンナの花が芽を出し花を咲かせたそうです。この館菜の花にどれほどの生命が残っていたのでしょう。人々はカンナの花に平和へのメッセージと生きる勇気を貰ったそうです。

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 その後日本は恒久平和を願い、にどとこのような痛ましい戦争を起こしてはならないと世界に向けて広島や長崎からノーモアヒロシマ・ナガサキを訴え続けていますが、ソ連とアメリカの冷戦などは次々と核実験を行い、ビキニ環礁で行われた水爆実験で第五福竜丸が被爆し久保山愛吉さんがその犠牲になった事件は強い衝撃として私の記憶に残っているのです。私は第五福竜丸がマグロはえ縄漁船であったと同じように、宇和島水産高校の実習船えひめ丸に乗ってマグロはえ縄漁に南太平洋へ船出している経験を持っているがゆえに、第五福竜丸のことは忘れられないのです。

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 長い廊下沿いに原爆投下というファインダーを通した過去・現在・未来の展示を見るにつけ深い悲しみと平和への願いが心の底から湧いてくるようでした。

 外に出て平和公園を散策しながら色々なことを話し合いました。

 偶然とでも言うのでしょうか、北朝鮮がテポドンを発射するかも知れないという話題が国内外を走り抜けました。未だに世界中では戦争や愚かな核の脅威にさらされているのです。

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 原爆ドーム対岸の平和公園の隅にチューリップが印象的に咲いていました。朝から降り続いた雨もどうやら上がり、折りヅルの飾れれた子どもの像の上に少しばかり陽が差してきました。どれが鳴らしているのか子どもの像の鐘の音が広島の空に印象的に響いていました。

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  「子どもらの 祈りを込めた 折りヅルに 平和の誓い 今日も届いて」

  「許すまじ 原爆歌う こともなく ただ安穏と 愚かに過ごす」

  「この犠牲 なくば平和は なかったと 心に刻み 生きて行かねば」

  「平和こそ われらが世界 遺産なり 訪ねる旅で 心に刻む」


 

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