○夢工房の仲間たち
私は若い頃から色々なグループに所属しています。それは学びの心を持っている証でもあるのだと自分をある意味納得させながら今日まで複数のグループ活動を平行してやって来ました。そのお陰で自分の小さな殻を破るに必要な異文化ギャップを味わうことができ、それなりの成長を遂げてきました。
そんなグループの一つに夢工房という20人ほどの集団があります。中国では集団と集体を使い分け、集団は一味、徒党と約されるそうですが、悪巧みはしないものの、むしろ一味、徒党の方に近い集まりなのです。元々は県庁に勤めている高岡さんと私が研修所で知り合い、飲みながらみんなを巻き込んで勉強会をしようと発案したのが始まりで、次第にその数を増して今では20人ほどになっています。県庁職員と市町村の職員が殆どですが中には団体職員や民間の方もいて、昨日のようにゲストが参加することも度々です。
始めた頃はどちらかというと酒飲みの集団でした。若さにものをいわせて深夜まで飲んだことも度々でしたが、そのうち勉強会に発展し飲み会の前にゲストの卓話を1時間も聞くほど熱心な集団に変身していました。若かったメンバーもそれ相応の歳になり、それ相応の役職につき、それ相応にリタイアをし始めています。そんな年齢構成ですから先行きが危ぶまれていますが、それどころか昨日も16人が集まるなど意気盛んなところを見せているようで、私もできる限り参加したいものだとこのグループの存在を力強く思っています。しかしこのグループは知能においても思考においても優秀な人たちばかりなので、私もうかうか加齢のせいにして怠けている訳にはゆかないのです。
昨日は夢工房の仲間だ人間牧場へやって来ました。前回の例会で本当は金曜日の夜からやる旨決めていましたが、どうしても皆さんの日程調整がつかず、大型連初日である日帰り一日の予定となりました。例によって料理を担当してくれるわが妻は昨晩から仕込みをして当日は仕事を休む周到さです。いつもながら妻の協力に感謝しつつも、御託を並べて門具を言っているのは私なのです。
12時30分、ふたみシーサイド公園に集合し、車を連ねて人間牧場を目指しました。人間牧場へ来たのは初めての人が多く途中はぐれて探したり、予定の時間に遅れてきた仲間がいたりと多少のハプニングはあったものの、何とか開始予定時間である午後1時過ぎには全員がそろいました。車を運転している人や飲めない人もいることから、多少盛り上がりに欠けるのではと思っていましたが、どうしてどうして、食べるほどに、飲むほどに、そして酔うほどに大いに盛り上がり、室内25畳、ウッドデッキ25畳、合計50畳の室内外は、時には大きく、時には小さく人の輪が出来、南西の風が途中北西の風に変わって少し肌寒く感じましたが、日没間近な午後6時まで延々と集会は続きました。
この日は西予市の三好誠子さんもゲストで参加してもらいました。彼女はえひめ地域政策研究センターに投じの三瓶町から出向してまちづくりを担当した頃の顔見知りで、私の「ミレニアム2000年その日私は」という本の校正をやってもらった間柄なのです。この日は私の妻と二人だけしか女性はいないので、妻にとってもいい話し相手になったと喜んでいました。私はこの日の朝風呂を沸かしておきましたので、何人かが組になって足湯を楽しんだようです。三好さんと妻は仲良く足湯を楽しんでいました。わが奥さんもここでの足湯は初めてだと喜んでいました。
残った料理は皆さんにそれぞれ持ち帰ってもらい、妻と二人で後片付けをしました。そのうち風呂のお湯を抜いてボイラーの電源を切り、西の空を見ると綺麗な夕日がポッカリ浮かんでいました。妻に大声でその事を伝え、二人で風呂場の近くから日本一と自認する夕日を拝観させてもらいましたがその美しかったことは格別でした。夢工房のメンバーにもこの夕日を見て帰って欲しかったと思ったものです。
囲炉裏の灯が消えたか確認して電気を落とし、入口のカギを掛けて人間牧場を後にしました。この日は酒盛りの途中でしたが、私の落伍を皆さんに聞いてもらったり、高座本まで買っていただきました。
「工房です 夢もつくれる この会は 私の夢も 幾つかここで」
「もう歳と 口が裂けても いえません この会望み もっとでっかく」
「急ぎ足 帰る人たち この夕日 見ずに残念 残り福あり」
「足湯する 女の白肌 艶かし 写真にとって いいのだろうか」