shin-1さんの日記

○教えられたこと「掃除とお化粧」

 今朝早く、宇和島の友人藤田さんがわが家に見えられました。国の重要歴史的景観に剪定された遊子水荷浦の段々畑で栽培収穫された早堀りジャガイモを毎年届けてくれるのです。彼と知り合ったのはもう20年以上も前のことです。当時彼は遊子で漁業を営み、愛媛県の漁業後継者協議会の会長をしていて、その研修会に招かれて講演したのが出会いの始まりでした。その後彼の暮しは漁業の低迷によって大きく変化をしたのです。それでも彼はふるさと宇和島をこよなく愛しふるさとを離れようとしないところに彼の魅力があるのです。彼は勉強熱心で知識が豊富です。また娘さんが東京の大学に進学する時も、卒業して地元の新聞記者になる時も何かと相談にきて律儀な姿は今も昔のままなのです。その彼も私と同じように年齢を加え、50前後となって将来の事を考えてのことでしょうが、転職をしたようです。先日娘さんに出会って話を聞き薄々は感じていたのですが、どうも清掃の仕事を起すようなのです。既にその研修を都会に出て終えたようで、決断した将来が上手く行くように祈っています。

 「まあお茶でも」と玄関に座り、束の間の話しをしました。どの世界でも生きて行くための仕事はきついようで、第一次産業が厳しいというが都会の雑踏で生きてる人の殆どはもっと厳しいと、肌で触れた研修期間の事を話してくれました。その話の中で特に印象に残ったのは、掃除とお化粧の話です。

 掃除・炊事・洗濯・裁縫・子育ては昔から女性の仕事と位置づけられてきました。結婚が決まると母親は嫁ぐ娘に花嫁修行としてそれらを教え、時には花嫁学校に通わせてそれなりの娘にして嫁がせたものです。ところが最近はそんな修行をさせたくても、親が全ての修行が出来ていないものですから、結局は何の修行も出来ぬまま出来ちゃった結婚で嫁いでしまうのです。

 それでも女性の「美しくありたいという」願望だけは独り歩きして、お化粧だけはし過ぎるほどにするのです。しかし自分のお化粧はするが暮しの中心である自分の家の掃除は殆どせず、ベットになったこともあって万年床で、毎日の掃除さえもままならず、埃の中で暮らしているようなものなのです。掃除の仕方も昔のように新聞紙を濡らしてちぎり、ばら撒くようなことは殆どなくなりましたが、都会では掃除やさんなる仕事がお目見えして、家庭の掃除すら害虫に出す家が多くなったというのです。私たちのような田舎に住んでいる人間には考えられないようなことですが、都会ではもうそれが常識になっているようです。でも私が古い人間なのかも知れませんが、お顔のお化粧も大事かもしれませんが、家の掃除くらいはできる女性を、子どもの嫁には迎えたいと思うのです。

 母から子へ、子から孫へ家庭は女性の力によって伝承されて行くことが殆どですが、そういえば掃除の仕方など妻が娘に教えたかどうか気がかりになりました。妻にその事を聞けば、「娘には教えるというよりは、している姿を見せる教育」とズバリ言われました。その通りだと思います。掃除も、炊事も、洗濯も、裁縫も、子育ても出来ぬ母親からは出来る子どもは育たないのだとしみじみです。

 藤田さんの話しによると、掃除を通して家庭が見えてくるそうです。人の家の事を言える柄ではありませんが、やはりもう一度「家とは何か」、「掃除とは何か」、単純そうで難しいことを考え直してみたいと思いました。

 今晩は藤田さんからいただいた早堀りのジャガイモを食べたいと、頭にジャガイモ料理をイメージしながら、松山へ出かけます。今晩は夕食が楽しみです。

  「掃除さえ できぬ娘が 化粧する 教えるはずの 母さえできぬ」

  「教育は やっているとこ 見せるだけ ただそれだけで 充分ですよ」

  「早掘りの ジャガイモ届き 夕食が 楽しみですね 早く帰ろう」

  「何気ない 会話の中で 考える 今の日本は これで良いのか」

 

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shin-1さんの日記

○知名度アップ

 田舎の町の元役場職員なんて日本全国どこにでもありふれた人間なのでしょうが、私はどういう訳か役場を辞めてから以前にも増して忙しくなったようだと妻がいいます。当の本人はそんなに感じないものの、商工会から毎年いただいて使っているWritingCalendarをめくると、予定がかなり込んで書かれていて、昨日などは午前・午後・夜と予定があって一枡で書けないため、矢印で別欄に書き加えれれているのです。「お父さん、若くはないのだから余り無理をせず程ほどに」と唯一気遣ってくれる妻の言葉を聞きながら、私のカレンダーは埋まって行くのです。

 最近様々なイベントや会合の実行委員会のメンバーになることが多く、旧友や世話になっている人から頼まれると嫌ともいえず、ついついメンバーの末席に名を連ねてしまうのです。そして運がいいのか悪いのか、それらの会議に出れば実行委員長などという思い責任の荷物を、有無を言わさず背中に背負わされ難儀をするのです。

 私はリタイアして4年目を迎えています。年金暮らしも板について、「暇」あり「金」ありと周りから見れば思われるのでしょうが、残念な事に「暇」も「金」も「最後の「知恵」もなく、「気力」「体力」くらいしか役に立てないのです。



 数日前、愛媛大学を体感して放送大学の仕事をしている讃岐先生から電話が入り、今年の秋に「地域教育実践交流集会」をやるので、その世話人になってくれないかと依頼がありました。先生には随分昔から社会教育、とりわけ公民館活動でお世話になっているので、電話一本で中身も分らぬまま引き受けてしまいました。やがて発起人会をするからと言われるその日は私の予定が入っていて欠席すると言ったのですが、恐縮ながら予定が変更されて出席の運びとなりました。

 第一回の発起人会は松山市内の飲み屋さんで夕方6時半から手弁当の会らしく会費制です。行って驚いたのですが、数多くの著名人がいるのにいつの間にか私は5人の世話人の一人に名前が載って、その席に座らされてしまいました。ここで文句を言うと混乱するので飲み込みましたが、一事が万事こんなかかわりが多くなってきました。どこかで身を引かねばと三年前に殆どの公職から身を引いていたのに、いつの間にか十二単の衣を纏ったような心境なのです。

 この歳になると知名度など何の役にもたたず、むしろ煩わしいだけなのですが、私の知名度は勝手に乱高下しながらもまるで株価や為替相場のように確実にアップしているようです。

 マスコミに登場することももう無いだろうと思っていたのに、人間牧場というネーミングが良かったのか悪かったのか、再び地獄の底から這い上がって新聞や雑誌、テレビやラジオに度々登場するようになりました。一日三枚のハガキと年間7200枚の名刺以外情報発信の道具を持たなかった私にインターネットという強い武器が与えられ、俄然情報発信をし始めたのも一因かも知れないと、とりあえず始めたブログの在り方を思案している所です。知名度アップはとんでもない方向に向い、講演依頼も全国に及んでいます。「そろそろ年具の納め時」だとおもうのですが、さてさて何か悪いことでもしない限り、私の円高傾向はもうしばらく続きそうな雲行きです。

  「この顔で? 鏡に映る 顔を見て 知名度アップ 世の中分らん」

  「辞めてから 本領発揮 君らしい 褒められ山椒 木にも登りて」

  「また受けた 妻の皮肉が 聞こえそう 仕方がないと 言い訳探す」

  「知名度は 人が勝手に 決めるもの アップアップの 人生楽し」

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