shin-1さんの日記

○権兵衛が種まきゃ山鳩ほじくる

 今朝早く親父が私の書斎の戸を外から叩きました。普通の日は私が親父の隠居へ様子を見に伺うのですが、今朝は散歩の帰りに立ち寄ったらしく反対です。大きくて広い窓を開けて親父の言い分を聞きました。「明日はまた雨のようなので、ツルありインゲン豆の種をまきたいので手伝ってくれないか」というのです。「今日はそのうち出かける予定なのでこれから種をまこう」と、お互い朝食も食べていないのに準備に取り掛かりました。準備とっても昨日の夕方既に種をまく畝は出来ていて、そこへ種を置いてゆくだけなのです。加齢とともに耳が遠くなり、目も見えにくくなった親父にすれば種を二粒づつ穴に落としてゆく作業は面倒臭いと思ったのでしょう。

 几帳面な親父は例によって糸を引っ張り、真っ直ぐ植えれるよう工夫しているのですが、驚いた事に豆の間隔を測って植える定規まで用意しているのです。早速親父は定規で測りスコップで少し長めの穴を掘って行きます。そこへ私が袋から取り出したインゲンの種を落として行きました。親父は一袋の予定でしたが、せっかくだからと予備に用意していたもう一袋をまく畝を切り、同じような作業をしました。

(種をまき終わった一つ目の畝)
(種と種の間間隔はこうして自分で作った定規できちんと測って種をまくのです)
(もう一袋のた隣にもうひと畝作りました)

 種を落とした穴に土を被せてその作業は僅か30分ほどで終了しましたが、今度はその種を山鳩に食べられないよう網を張らなければなりません。私は所用で出かけなければならないため、私の作業らしい作業はここで中断し菜園から離れましたが、親父は一人で種をまいた畝に網を張っていました。

 この種は蔓があるため竹で豆蔓が登るよう垣を作らなければなりません。まだ当分先のことですが、垣用の竹を妹の嫁いでいる家の竹薮へいずれ切りに行かなければなりません。そんな作業のために田舎のオープンカーを購入しているので、今年は存分にいい竹枝を確保したいものだと思っています。去年使った垣用の竹も親父は大切にしまっていて、そのうち暇を見つけて垣を作ることでしょうが、これまた芸術品思われるような垣を作ります。

 今晩テレビを見ながらその話しを妻にしました。「私は親父が畑仕事をしなくなったら、あんな几帳面な野良仕事はとてもやれない」というと、「大丈夫よ、お父さんだって若い頃畑仕事は大嫌いで、殆どお母さんや私に任せていたもの。あなたなら出来る」と訳の分らぬ太鼓判を押されてしまいました。

 妻の不満は、親父の作業が余りにも几帳面過ぎて、草を生やさないことだけに集中し、作った野菜を大切に食べきることが出来ないようです。例えば大根ですが、何本か残すことができないのです。耕耘機をかけるのに邪魔だとさっさと抜き去ってしまうのです。キャベツも間もなくそういう運命にあるようで、その都度親父と妻の角質が始まるのです。野菜を使って料理する妻の意見など、昔から耳を貸さずわが道を行くタイプですから、いくら言っても言う事を聞くような親父ではありません。

 野菜は安心と安全が第一、そして主婦にとっては家計の足しになる大切な食べ物です。キャベツや大根だけでどれだけ料理のレパートリーが広がることか、そしてリタイアし年金に頼る収入では、野菜は大助かりなのです。加えて健康にいいものですからこれからも沢山作って行きたいものです。当分は妻と親父のせめぎ合いの間に入って右往左往する気の弱い長男なのです。

  「度の過ぎた 几帳面には 参ります インゲン蒔くのに 定規測って」

  「九十の 親父が使う 六十三 いつまで経っても 俺は子どもだ」

  「春が来て 今年も親父 元気です ひょっとしたなら 俺より長生き」

  「豆植える 親父の背中 少しだけ 小さくなったと 瞬間思う」

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shin-1さんの日記

○夕日のまちづくりの経験から

 「若松さん、あなたがこれまで取り組んで来られた夕日のまちづくりの経験を春の学集会で話してくれませんか」と、コープ住まいるの田中社長さんからお話がありました。集まる人は建材屋さんから工務店、設計士、設備会社、住器メーカー、インテリア、電気屋、サッシガラス屋まで、種々雑多な業態なので、まちづくりなど話しても果たしてどうなのだろうと、心に多少不安を抱えながらも会場となる交際ホテルへ出かけて行きました。昨日は車のカーナビ修理のため、車をドック入りさせているので代車での移動です。

 会場にはコープ住まいる協力会のメンバーが70人も集まって会議が行われていました。約20分ロビーで担当の伊藤さんとお茶を飲みながら雑談にふけり、いよいよ出番です。長年の経験とは不思議なもので、紹介されて演壇に立つと、これまでの不安などどこ吹く風、何のレジメの用意もしないのに、まるで早打ち鉄砲のように次々と話が進むのです。会場には司会者の井上さんを含め、生協の松本専務さんなどの顔なじみも顔を見せていました。

 今日の話は「一周遅れのトップランナー」の話と昨日ブログに書いた「365分の1から365分の365=1へ」の話をしました。

 世の中にはいち早く始めた会社もあれば、松山市のようにとてつもなく大きな地方都市もあります。そんな社会の中では自ずから序列のようなものが暗黙の中で決まっていて、最近始めた会社や観光などで売り出そうとする市町村は後発となって中々相手にされないのです。ましてや金のない、そして薄利が社会の常識となってきた現代では、下請け孫請けともなると赤字覚悟で上位のいう事をきかなければはじき出されてしまうのです。でも私の経験からいうとすき間はどこかに必ずあって、やる気になってやれば新しい個体が生まれるのです。私が若い頃「おはなはん」という人気朝ドラがありました。ご存知大洲が舞台です。大洲の人はそれが誇りで何処へ行っても「おあはなはんで有名な大洲から来ました」と自慢していました。その当時は隣の内子などまだ知名度は殆どありませんでした。ですから内子の人は「おはなはんで有名な大洲の隣の内子から来ました」と言っていました。ところが親友岡田さんの働きに負うところ大きい努力によって町並み保存は一躍有名になり、今では大江健三郎さんがノーベル文学賞をいただいた追い風もあり、今では三ツ星級の知名度になりました。今では大洲の人さえ「町並み保存で有名な内子の隣の大洲」と言わしめる逆転現象が起こっているのです。

 今の世の中は初物好きな日本人の心理がそうするのか、何でも早いものを求めたがります。鈍行列車よりは新幹線、新幹線よりは飛行機、普通より早生、早生よりは極早生、アナログよりはデジタル、田舎よりは都会、桜だって遅咲きより早咲きと、まるで遠近や季節を感じさせない時代です。しかしその結果、ニュータウンといわれた地域が高齢化に悩み、都会の人が田舎暮らしに憧れています。

 遅れていたはずの私たちの地域は今、スロ-ライフのトップランナーとなりつつあるのです。一周365日のトラックをみんな一生懸命走っています。人生も時代も永遠に続くのですから先行逃げ切りなんてゴールは何処にもないのです。早く走り始めた人たちはみんなそろそろ疲れ始めています。さあビッグチャンスです。元気を温存してきた私たちの出番です。あせらずいい足取りで抜き去りましょう。そのためには「何のために走るのか」という目的と物語をイメージしながら走ることです。

 私たちには不可能と思えたオバマさえクリントンを抜きされるのですから、コープ住まいるだって可能性は十分あると思うのです。

  「住まいるは スマイル似たり スマイルで 笑顔絶やさず オバマあやかれ」

  「何話す? 出かける度に 問い直す 妻の質問 今日も同じだ」

  「皆同じ 一年三百 六十五 トラック走る 無理せず走る」

  「懇親の 宴席断って 車屋へ カーナビ治る 愛車取り行く」  

 

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