shin-1さんの日記

○ハマチが獲れた 
 今朝起きると自治会の有線放送で「ハマチが獲れました。欲しい方はお分けしますので漁協市場へお越し下さい」と放送がありました。こんな放送があると魚好きなわが家では早速出かけて買い求めるのです。市価の半値とあって、こんな放送が流れると長い行列が出来るほど人が集まってきますが、時にはその数が少なく行っても買えなかったりするものですから、みんな急いで行きます。今朝は正月料理にヘキヘキしている時期でもあるので、人の数もまばらでした。 双海町上灘は昔からサワラ流し網が盛んで、秋から冬にかけてはサワラの他にハマチなども網にかかりますが、この時期は正月の売り場時期も終わって、だぶつき気味なのでこうして漁師さん自身による大安売りがたまにあるのです。
 私は三本一組の袋を三つ買い求めました。友人に差し上げるためです。年末の沢山の方々からみかんや柿やキウイ、野菜などをいただいているので、魚好きの人を見込んで配るのです。私たちにとっては珍しくない魚でも、山間地域に住む人にとっては、新鮮なので喜んで食べてもらえるのです。本当はその役割も妻が請け負っているのですが、妻はあいにく仕事なので私が4軒に配りました。
 さて残った2本はこれまた妻が仕事なので私が粗ごしらえをしました。妻のエプロンを借り受けて、外に設えた流し台で料理しました。出刃包丁を研ぎ、長くて広いまな板の上で手際よくさばいてゆきます。わが家は元漁師なので刺身包丁と出刃包丁は特別製の立派なものがありますし、寿司屋さんが使うような立派なイチョウの木のまな板も用意されています。しかし今日のハマチはそれ程大きくはないので年末に買った少し小ぶりの出刃包丁とまな板を使うことにしました。自分で言うのもおこがましいのですが、私は魚の捌き方は上手い方です。まず頭を落とし腹を開けて内臓を取り出し、エラも取り出して尻尾と共にゴミ袋に入れます。残ったものを水洗いして三枚に下すのです。魚は迅速が勝負です。今朝は時計を見ながらやったのですが、ハマチが少し小ぶりなこともあって僅か20分で作業を終えました。粗ごしらえした魚はパレットに入れてサランラップをかけ、冷蔵庫のチルドへ収納しました。
 さて妻が腕を振るう今晩の料理を想像してみました。ハマチのアラは大根と一緒に炊いてブリ大根と行きましょうか。畑の大根も今年は不作で小ぶりながら今が旬とばかりに主張をしているようです。落伍家「夕日亭大根心」の芸名を持つ私としては、大根の美味しさをピーアールしたいものです。次の一品は何といっても刺身です。私も親父も刺身が好きなので、この分だと2日くらいは刺身を食べれるようです。幸いなことに、東京都奥多摩町を訪れた時立派なワサビをいただいていて、正月にも刺身に添えて食べましたが、まだ少し残っているはずなので大根のケンを添えて食べたいものです。さてもう一品、それは私の地方ではヒハラと呼ぶスナズリ部分です。大きければブリのトロとして刺身にするのですが、今回は小さいので粗塩を振って塩焼きにします。レモンをかけて焼きたての熱々食べると最高でしょう。 さてこれまではもっぱら妻におんぶに抱っこだった料理だったのですが、今年は料理にも挑戦しようかと、殊勝にも思っているこの頃です。

  「朝早く ハマチ取れたと 有線で 早速買って 三枚おろし」
  「あれこれと ハマチ使った 料理など 頭に浮かべ ブログ書きつつ」
  「包丁を 研いでまな板 ハマチ乗せ 手際上手に どんどん捌く」
  「田舎ゆえ こんなご馳走 ありつける 幸せ感じ 裾分け友に」 

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○帽子の行方 
 私は若い頃から帽子が大好きです。帽子といっても人様のように値段が高くてお洒落な帽子ではなく、普通のありきたりの帽子なのですが、プライベートで外出する時は殆ど帽子を被って出かけるのです。そのため家には10個も帽子があって、廊下の隅に設えた帽子掛けの帽子を見て、どれを被ろうかと迷うのですが、お気に入りの帽子は二つか三つで、それ以外は殆ど被らずほこりを被っているようです。 そんなこともあって、デパートなどに行くと帽子売り場についつい足が向いて、買うでもないのに手にとって見たりしています。最近は帽子も随分安くなって千円前後で買えるものまであるようですが、帽子もそんなに必要でないためここ2~3年は買ったことがないようです。
 酒を飲む頃はついつい忘れて、朝になって気付いても時既に遅しで、どれ程の帽子をなくしたことか分りません。そのため妻は帽子を買うとそのひさしにマジックで名前を書いてくれるのです。格好悪いから止めろと言っても止めるどころかこれみよがしに大きく書かれるため、何となく帽子を脱ぐのがおっくうになるのです。
 年末、妻と二人で買い物に出かけたついでのレストランで食事が終り、帰ってから帽子を忘れた事に気がつきました。一日中あちらこちらに立ち寄ったため、何処に置き忘れたのかさえ思い出せない有様で、立ち寄り先を順番に思い出しながら記憶を辿りやっとレストランに行き着きました。たかが安い帽子ですから、そのレストランへ取りに行くのもバツが悪いと思いつつ、支払いの時にいただいたレシートの電話番号に電話をかけてみたのです。電話口に出た女性は丁寧に対応して、帽子の裏に「若松」と名前を書いているのを確認し、「預かっているので都合の良い時に」と約束してくれました。明くる日松山に所用で行くついでに立ち寄りましたが、先日とはまったく身なりの変わった背広にネクタイの出で立ちに目を細めつつ店員さんに帽子を貰いました。もし帽子に名前が書かれていなかったらこうはすんなりゆかなかっただろうと、妻の配慮に感謝したのです。
 帽子は様々な特典を持っています。人間を格好よく見せるのも帽子です。頭が薄くなったり白髪になったりしても隠して若く見せますし、夏の暑い日などは炎天の直射日光を遮るばかりでなく、日焼けを防止します。また冬などは帽子を被ると暖かく、2~3度は保温をしてくれるようです。
 私は人間牧場ができて以来野外での農作業をする機会が多くなりました。帽子を被るとヘルメットほどではないにしてもちょっとした怪我から頭を守ってくれるのです。梅林で作業する時も、草刈りする時も小さなすり傷や引っかき傷の絶え間がないのですが、帽子のお陰で題字に至らなかったことは四六時中です。これからも愛用の防止を被ってダンディに、それでいてしっかりと防備防寒、日除けをしたいと思っています。
  「名前書く 妻のお陰で 失くしたる 帽子見つかり 受け取りに行く」
  「ひい・ふう・みい 数えてみれば 数々の 帽子廊下に ひっそり吊られ」
  「公園で 拾った帽子 洗濯し 未だに使う したたか帽子」
  「気に入った 帽子を被り 七三に 構えてみたが 余り変わらず」

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○2008年版予定表手張 
 私の愛用している予定表手帳は、手帳というよりノートに近いかなり大きめなものを使っています。かつては日銀の貯蓄推進員(現在は金融広報アドバイザー)をしていることもあって貯蓄推進委委員会が発酵するものを20年余りにわたって使っていいましたが、財政難の折から廃刊となったため、数年前から愛媛県商工会連合会刊行しているものを商工会で分けてもらい使っているのです。 使えば愛着が湧いて、今ではこの予定表手帳がなければ私のスケジュールは分らないくらい、貴重なものになっているのです。今年は年末に何かと忙しく商工会へ貰いに行く間もなく年が暮れてしまいました。一昨日は官公庁の仕事始めなので商工会も開いていると思い、新年の挨拶もかねて貰いに行きました。商工会の女性職員は毎年いただくこともあって予定していたらしく手渡ししてくれました。 早速帰ってから真新しいい予定表に黒いボールペンで書き込みましたが、今年は9日までゆっくりと骨休めをしようと決め込んで、あるまちから成人式の講演依頼があったのですが、体調回復を最優先して丁重にお断りさせていただきました。今にして思えば年末年始のぎっくり腰に悩まされたことを思うと、よくぞお断りしていたと、予感的中の急病に一人ニンマリするのです。 私の今年の予定は10日からいよいよ始動です。10日には木下さんの紹介で高知県馬路村へ出かける予定ですが、それまでには腰の具合も良くなっているだろうと念じています。  私の予定表手帳には自由人らしく早くも県外から7月や8月の講演依頼が舞い込んでいて、今年も多忙な一年になりそうですが、これまでのように余り無理をせずゆっくりマイペースで仕事をしたいものです。 余談ですが、私の書斎の引き出しにはこの30年間の予定表が捨てられることもなく保管されています。その中には警察から証拠書類として差し押さえられ、一年後に返却された珍しいものも3冊含まれています。双海町が場外舟券問題で警察の家宅捜索を受け、町会議員の逮捕にまで発展した事件は、もう記憶の片隅に追いやられていますが、その折企画調整室でまちづくりを担当していて、家宅捜索の役場責任者だったし、その後も参考人として3日間警察の事情聴取を受けたのでした。手帳を見る度にいまわしい思い出が蘇えってくるのです。 この手帳は私の人生そのものです。昨年もその手帳に一冊加わりましたが、記憶を辿る時は必ずこの手帳を紐解くのです。今年の手帳にも余りよからぬ出来事が書き込まれないような一年であって欲しいと願っています。
 退職した数年前から妻は、私の手帳に書いた予定表を書き写すようになりました。というのも、役所を辞めて自由人になったのを機に、私のスケジュール管理を幾分手助けするようになったのです。年中全国を飛び回っている私ですから、私がいなくても一応は電話対応できるようにと思っているのでしょうが、秘書になるのにはもう少し修行が必要かもしれませんね。年齢的にも上りきっていないのに下り坂ですから・・・・・。
  「予定表 すでに八月 までも書く 今年も忙し 予感ありあり」 
  「引き出しに ぎっちり詰まる 予定表 わが人生を 語るが如く」
  「三冊の 警察倉庫に 眠ってた 思えば色々 書き込んでます」
  「今年こそ 暗い出来事 ないように パラパラめくる 新し手帳」   

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○静寂の夕食
 今日の昼過ぎまで子供たちとその家族が年末年始を挟んでやって来て、かなり賑やかなわが家でしたが、まるで潮が引いたように帰って行って、今宵は久しぶりに妻と二人だけで静かな夕食を食べました。一昨日までは魚派、昨日からは肉派と分かれていたため、魚派の私にとっては有り難い年末年始の食卓でしたが、昨日からは肉料理でへきへきしていただけに、今晩は正月料理の残り物を、まるで厨房のまかない料理のような形で食べました。しかし毎日肉や魚を食べていたせいかシンプルで美味しく感じるのですから不思議なものです。
 今晩の食卓は昼で帰る娘たち家族のために水炊きでした。夜はそのたんと出汁の出たスープで雑炊を作り食べましたがこれがまた絶品で、妻の作った手づくりの餃子と共に、今までにないご馳走でした。
 妻も少々お疲れモードです。寝食を共にするということは布団の用意、掃除、食事の用意などなど、全て妻の背中に思い負担となるのですから大変なことだとしみじみ思いました。



 二人で食事をしながら長男夫婦との同居のことが話題になりました。長男夫婦はいずれ我が家で同居する事を原に決めているようで、今年の正月休みには、二世代住宅としてどう何処を改造するか二人で話し合いました。長男の嫁もその気でいるらしくいよいよ時間の問題のようです。ただ同居となると妻の負担はそれ以上に大きく、手放しで喜べない部分もあるのです。祖母・母・父とこれまでも今も3人の老後を支えてきた妻に、これ以上の気苦労はさせたくないし、また長男の嫁にも気苦労はさせたくないのです。
 孫を巻き込んでどうわが家の経営委譲するか、ここが思案のしどころです。幸い息子嫁も気立ての良い子で安心はしているのですが、毎日の暮しとなるとまt波風も立つものです。「親子はスープの冷めない距離」がいいと言われてきましたが、さてさて新たな出来事だけに、お互いが納得行く形で決着させたいものです。

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○池の拡張工事
年末年始にかけてわが家には親類縁者が沢山来ましたが、その人たちは口々に、「池があったはずなのにいつの間にか池がなくなっている?。あの立派な自慢の恋は鯉は何処へ行ったの?」と不思議がって聞くのです。その都度何度も同じような返答をしているのですが、親父にとってはその言葉が辛いようでした。
 ところが天候が回復した昨日から庭の隅で、まるでモグラが土を掘るように真新しい穴が掘られ始めたのです。よく見ると小さな池で細々と飼っていた昔の何十万円もする鯉とは比べものにならない安物の、10匹程の鯉はどこかに引越して池の隅は割られ、どうやら池の拡張工事が始まったようなのです。近所の金物屋さんがセメントと砂や割り石を運んできました。私に相談もなくやるものですから、人に聞かれてもチンプンカンプンです。昔は親父とこんなささいなことで口喧嘩をしたものですが、90歳になる親父の戯言と聞き流して見て見ぬ振りをしていました。親父もそれを察してか私の腰の具合が悪いことも承知で、正月休みで帰省中の長男にやれ「石を動かしてくれ」とか、盛んに呼びにきては手助けをさせていました。
 今朝は気温は下がっているものの穏やかで風もなく、毎朝の日課である親父の腰にサロンパスを張りに隠居に行くと、昨晩帰った長男に手助けさせるわけにも行かず、「少しの間セメントを練り込んで欲しい」と私に頼むのです。「腰の具合が悪いので無理はできない」と前置きし、食事が終わった9時頃、親父と二人で練り込み開始です。親父愛用の大きいパレットに砂、バラス、セメント、水を入れてこねるのです。やがて練られたコンクリートはスコップで池の底に流し込んで行くのです。これが結構きつい作業で、短い時間ながら汗をかいてしまいました。腰にも負担のかかる作業でしたがどうにか終えることができました。



 親父はこの周りに鉄筋を入れてブロックを積み、上塗りをして仕上げるのですが、生半可な左官さんより起用で、いつもながら親父の器用さには脱帽です。私も親父のこんな器用さを受け継げばよかったのですが、世の中は上手く行かないもので、親父からも不器用の烙印を押され、自分自身も不器用を自認しているのです。
 親父は90歳ですが今も元気です。若くしてガンを患い、生きるか死ぬかの死線をさまよったのにこんなに長生きして、今もわが家の重要なコツコツ労働を陰ながら支えてくれています。若いと思っていた私も63歳の初老に達してきましたが、老いを親父のように生き生きと生きてみたいと思っています。若い頃は反感・反目した親父ですが今では私の理想を生きているような気がします。
 やがて一週間もすれば手づくりの池は完成するでしょうが、捨てるのも可哀想と値打ちのない貰った鯉を手づくり池で買い始めて3年目、その鯉が大きくなって窮屈そうだと池を拡張する優しくも前向きな生き方に、鯉も満足して泳ぐことでしょう。
  「庭の隅 まるでモグラか よく見ると 親父穴掘る 新春仕事」
  「鯉太る 窮屈だろう 池広く ことなげ造る 親父は偉い」
  「卒寿越え なおかくしゃくと やることを 見つけ今年も 懸命生きる」
  「庭の隅 親父工房 次々と 出てくる道具 左官より上」
 

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○今日はブラックデーでした
 年末から帰省していた長男の家族が今日で床上げして帰る予定ですが、変わって娘婿の実家大阪に帰省していた家族が夕方やって来るというので、わが家は何かと大忙しです。妻は今日から仕事で一日中いないため、自由に過ごそうと思いきや、「お父さん、天気が良いので布団を干しておいて下さい。年末にお餅をついたモロブタも洗って干してあるので納屋にしまっておいて下さい。それから大根2本とカリフラワー1個、それにブロッコリーも忘れないように畑から取ってきておいて下さい」とまるで聖徳太子のように矢継ぎ早に用事を頼み妻は仕事に出かけてのです。リタイアした自由人の悲劇か、わがままを言うことも出来ずシブシブボチボチ頼まれた用事をするのです。
 日本中で仕事が動き始めたのか、電話やファックス、メールが入り始め、日程調整したりメモしたりとその対応も忙しい一日でした。私にとってはブログも故障でまるでブラックデーのような一日でした。
 私はその気分を紛らわそうと年末年始腰の具合が悪くて洗車していなかったトラックを洗いました。昨日息子と落ち葉拾いをした後遺症か車はかなり汚れていて中々落ちないのです。それでも約1時間をかけて丹念に洗車し、荷台に念願のシートを被せました。荷台が汚れるのを防いだり濡れてはいけない荷物を積むための防水シートで僅か畳2枚くらいなものなのに5千円もする立派なものす。ゴムで装着するようになっていますが、これで田舎のオープンカーもかなりグレードアップしました。
 早速その車に倉庫に置いていた工具を積み込み、加えて米糠と油粕を購入して人間牧場へ向いました。昨日息子と拾い集め囲いの中に入れて踏み固めた落ち葉の上に満遍なくふりました。これで冬の寒い間に発酵してくれるはずです。後は大洲の亀本さんに頼んでおいた牛糞が届けばそれをふりまき上にナイロンのシートを掛ければ計算上は上手く行く予定です。
 しかしここでもブラックデーの後遺症、重い電動研磨機を棚に上げるべく脚立に上がって棚に収納しようとした瞬間、腰に力を入れることが出来なかっため、あえなく地上へ落下させてしまいました。足の上に落ちず怪我をしなかったのが不幸中の幸いでした。

 加えて夕方からは息子の子ども、娘の子ども2人、つまり孫が3人勢揃いし、蜂の巣を突付いたような大合唱です。さすがに腰の痛みを考えて7ヶ月になる孫尚樹は抱き上げませんでしたが、孫希心は抱いて子守りです。5歳になる孫朋樹は活発で、この2年間は私の相棒と呼ぶに相応しくよく行動を共にしてきました。この日も風呂に一緒に入り、私たち夫婦の布団に潜り込んで寝てくれました。夜中の12時に小便をひらせるために起しましたが、腰の悪い事も忘れて抱きかかえて行きました。少し腰の調子が悪くなぅた感じがしましたが、多分朝になれば大丈夫だと思うのです。救いは孫たちと娘婿、それに長男が私のブラックデーを帳消しにしてくれた一日でした。
  「気が滅入り 今日は私の ブラックデー それでも孫が 幸せ運ぶ」
  「研磨機が 地上に落下 腰砕け 怪我なしホッと 一息入れる」
  「短めの 冬の日向に 布団干す フカフカ潜り 孫にお話」
  「蜂の巣を つついたような 大合唱 これも幸せ 思えば楽し」 

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○ブログ故障中につき発信不能
 正月休みに色々な記事をブログに書こうと思っていたのに、1月2日の午後から、ブログのページに不具合が生じ、この3日間紋々の日々を過ごしました。幾らいじってもビクともせず、仕方がないと諦めていたのですが諦めきれず、何度かアタックするも跳ね返され続けてきました。
 正月休みで帰省した長男の助けを借りて復旧を試みましたが、その望みも断たれ、今日娘婿が大阪の実家から帰省するのを一日千秋の思いで待ち続けました。1月5日の夜娘婿がやって来たのをいい事に復旧を頼みましたが、複雑な故障で中々復旧しませんでした。今日も駄目かと思い電源を切ろうとした11時30分、臨時工事ながら見事に復旧したのです。「やったー」と心の底で叫びたいような雰囲気でした。早速この文集を入力しているのですが、あくまでも臨時の画面なのでこれまでのようなスピードが出せず、加えて色文字も画像も、ましてや記事の編集へのアクセスも皆無でした。それでもブログへの書き込みが可能となっただけでも幸せと思い、本格的な復旧は明日ということで、娘婿は居間に移り、自分の携帯用パソコンで不具合の原因調べをこっそるやってくれていました。
 日頃は何気なく使っているパソコンですが、長年使っているとかなりの情報が入力したままで、ゴミ箱の廃棄も入力情報の掃除もその仕方さえ分らず、「容量の残量が少なくなっています」と警告を知らせるメッセージが画面に表示されているにもかかわらず、使い続けた報いだったと深く反省をするのです。
 息子は早速電気屋さんに行ってハードディスクを買い求め、とりあえずこの2年余りデジカメで撮影した写真を9枚のCDに移す作業をしてくれました。
 私のようなド素人にはやはりパソコンは重荷で中々自分のいう事を聞いてくれないし、故障しても直すすべさえ分らないのです。
 今度のパソコンハプニングで息子と娘婿には益々頭が上がらなくなりましたが、これも親孝行だと諦めて欲しいと手前味噌な考えになるあたり、喉元過ぎれば暑さ忘れるのたとえ通りでしょうか。
 私の日課は朝4時に起床してパソコンの電源を入れ、立ち上がるまでにその日の予定の確認やハガキ書きで始まります。ところが二日の午後からのパソコンの不具合でその日課がメチャメチャになってしまいました。この2年半も続けている日課が狂うと、頭の中は焦燥感にかられ、それが体の異変へとつながるのです。
 それでもメールの返信や原稿書きはできるものですから連載の原稿を書いたり、夕やけ徒然草の草稿を練ったりして時を過ごしましたが、やっぱり生活のリズムがどこか違うのです。今回のハプニングは正月という適機にも恵まれました。息子や娘婿が相次いで家に来て、それなりの対応をしてくれるものとの安心感がありました。
 デジタルの苦手なアナログ人間の私ですが、これからもデジタルのトラブルがあるものと予測し、それに変わる何かを見つけておかなければと、危機管理能力を改めて見つめ直しました。
  「ブログ書く 日々の暮しが 出来ずして 悶々三日 当りちらして」
  「パソコンを 直す操作の すぐ側で チンプンカンプン 何が何だか」
  「娘婿 お願いブログ 直してよ 参拝四拝 拝み倒して」
  「三日間 ブログ書けない 日を過ごす お陰で別の 仕事はかどる」 

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shin-1さんの日記

○何となく生きている人が多いようです

 私は最近落語ならぬ落伍に凝るようになりました。人の前で話すのが仕事のような私ですが、このままだとこれ以上話が上手くならないのではないかと考えるようになり、思い切って話芸に挑戦する事にしました。「どんな話も聞く人を眠らせたらお終い」と思い、いつも笑いを誘うような話をしている私ですから、これ以上更に上を目指す必要はないと思うのですが、それでも思いをこめて始めました。

 まず話芸のコツを学ぶため、本物の落語や漫才を聞いて、笑いや間の取り方を学ばなければなりません。偶然にも落語がテーマの朝のテレビ小説「ちりとてちん」が始まりましたが、残念ながらその時間にテレビを見ることができず、たまに目にする程度です。それでも落語に興味があると、テレビやラジオではしょっちゅうやっていて、その気になれば見聞きすることができるのです。聞きながらその奥の深さや芸の広さにただただ驚くばかりで、それで飯を食っている人の側には近寄れぬ事を悟りました。でもこれからも勉強のつもりでしっかりと見聞きしたいと思っています。

 次にやろうとしたことは、喋りの訓練です。ブログで何度か書いたように高知県馬路村産魚梁瀬杉の切り株の上で高座を開く事を決意し、座布団を敷いて始めたのです。とりあえず30話をつくり、そのネタ本を500円で販売する事にしました。「それくらいの話に何で500円もの木戸銭を取るのか」と言われそうですが、高座本と話しをコラボレーションさせることでまちづくり寄席としての値打ちを引き出させたのです。お金をいただくと真剣にならざるを得ません。タダだと話す方も聞く方もいい加減な感じになってしまうのです。

 さて、これまで3回高座をやりましたが、話した自分としては今一です。幸いな事に最初の高座となったホームグラウンド人間牧場における観光カリスマ塾での模様は、えひめ地域政策研究センターの清水さんがカメラに納め一枚のDVDにしてプレゼントしてくれました。これを何度も繰り返し見る事によって、話芸の修正ができるのです。話芸が一人前でないので今のところは小道具を使っています。竹で作った赤トンボやハーモニカを木になるカバンにしのばせて持ち歩き、観客を巻き込んだ芸当を披露しています。これは怪我の功名で最初は余り考えていなかったのですが、予想以上に反響が良いので話芸に自信が持てるようになるまで、トンボにもハーモニカにもお手伝いいただきたいと思っています。

 前回の高座で「四つの願望」という小話の希望がありました。私の落伍は創作落伍で面白い笑いだけでは上手く行きません。人間社会のペーソスや都会では知られていない田舎の話題をテーマにしています。「四つの願望」も田舎人の井戸端会議で聞いた話を話題にしています。

 人間には①幸せになりたい、②お金持ちになりたい、③健康で長生きがしたい、④成功したいという四つの願望があるようです。高座から参加した人に聞いてみると人それぞれですが、①②③の願望は強いものの、幸せとは何か、幾ら欲しいのか、何歳まで生きたいのかなどとなるとぼんやりしているようです。そして④については殆ど手が上がらないのです。つまり目標を持たず何となく生きているという感じが強いのです。何らかの目標を持っても必ず成功するとは思いません。しかし何か目標を持って夢中になることこそが生きがいだと思うのです。

 「どうせ」俺の人生しれたものと思う人生より、「もしかして」俺の人生はと思う方がずっと楽しく生きれるのです。

現代人は今の世の中をさげすんで生きているような気がします。俺が出世しないのは学歴のせい、人のせい、社会のせいだと自分の努力のなさを棚に上げて、人や社会のせいにして生きている人が余りにも多いようです。

「どうせ」ではなく、「もしかして」に考えを変えるだけでどんなに楽しい人生になることでしょう。

 「どうせより もしかしてだと 目の前が 明るくなって 人生楽しい」

  「もう少し レベルを上げて 生き生きと 話芸極めて 楽し人生」

  「幸せも お金も欲しい 長生きも 他力本願 成就できぬわ」

  「目標を 持たず生きるは クリープを 入れないコーヒー 同じようです」


 

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shin-1

○こいつぁー春から縁起がいいわい

 何年か前、あるタウン情報の取材があり、「あなたは宝くじで一億円当ったら何に使いますか?」という質問に、「買わないので当らない」と答えてしまいました。そうです。私はこれまで「宝くじ」というものは生まれてから一度も買った経験がないのです。「ほうー、珍しい人がいるものよ」と世の宝くじファンに笑われそうですが、正真正銘買ったことがなにのです。

 ところが世の中はよくしたもので、私の妻は宝くじを良く買うのです。自称セレブでもなく貧乏人の部類なので、宝くじを買うといってもたかだか連番10枚を3組ほど買うだけの投資なのですが、私流に計算すると一枚300円の宝くじを30枚買うと9千円になります。サマージャンボと年末と年2回買うと1万8千円の、仮に10年だと18万円になるのです。

 宝くじを買う妻の言い分は、「たったこれくらいの投資で、年2回も一億円以上の夢を見れるのだから、こんな幸せなことはない」と胸を張ります。そして極めつけのセリフは「買わない宝くじは当たらない」と豪語するのです。

 今年も昨日年末ジャンボ宝くじの抽選会があり、テレビで発表されていましたが、わが家では元旦の新聞の来るのを待って、妻と息子の二人が買い求めた宝くじを机の前に広げ、熱心に番号を付け合せていました。

 「やったー、当った」と息子が言うものですから、居間にいた家族は一瞬息子の顔に集中しました。息子の宝くじは、郵便局に定期貯金をした記念品に貰った40枚の連番宝くじです。残念ながら一億でもなく一千万でも百万でも十万でもなく、3千円でしたがこれが4本、300円が4本、つまり40枚で8枚も当り、〆て13,200円の当りとなりました。息子の嫁は子どものおむつ代の足しになると喜んでいましたが、まあこれくらいの当りと、これくらいの金額で庶民レベルには丁度良いと思いました。問題はここからです。小さな儲けは大きな損失につながります。小さな当りに気をよくして、次の大当たりを目指すためにやたらと投資すれば、今回当った13,200円は何の役にもたたない事を肝に銘じておくべきでしょう。

(ささやかながら、3千年と300円がそれぞれ4枚ずつ当った宝くじ)

 人間にとって「夢」を見たり「夢」を持つことはとても大事です。そのことが生きがいにつながればこれ以上のことはありません。しかし宝くじを買うという行為は自分で選べても、宝くじに当るという結果はあくまでも他力本願なのです。私がよく使う「夢はドリームではなくターゲットである」という言葉は、宝くじを買って当るのを待つための意味ではなく、勝ち得る自分の努力をいっているのです。私が宝くじを買わない理由を、妻や長男に幾らいっても、「これくらいいいじゃない。私のささやかな夢だもの」と取り合いません。人それぞれ、人生いろいろですね。

 「当ったと 大声上げる 長男に 向う視線の 何と早きか」

  「三千円 当らないより まだましと 納得しつつ も一度確かめ」

  「宝くじ 買ったと思い 貯える それでも十年 少しは貯まる」

  「夢だけで 生きては行けぬ ソロバンも 二つ噛み合う 俺の人生」


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