shin-1さんの日記

○話題について行けない

 昨日は生協の委員会が今治市の日本食研本社であり、生協本部から大川理事長さんの運転する車に乗せてもらって出かけました。高速道路からの眺めは冬とは思えない穏やかな日差しに恵まれ、遠くに望む石鎚の山並みも燧灘の海もどこか新春の晴れやかさを感じさせていました。

 高速道路を使うと1時間余りで日本食研に着きました。今や飛ぶ鳥を落す勢いといわれ、食文化の独創的な企業活動を展開している日本食研の大沢一彦さんは私と一緒に生協の理事に就任していますが、無位無官な私などとは月とスッポンで、一事が万事住む世界が違うのです。

 日本食研に行って一際目につくのはKO宮殿工場です。オーストリアの首都ウィーンに280年前に建設された現存するベルベデーレ宮殿を模して造った工場は、ただただ驚くばかりで、庭園も宮殿も、中の展示もその素晴らしさも、見た人に感動を与えるのです。会議が始まる前2時間をかけて会社の女性に案内してもらいましたが、2時間かけても駆け足の状態でした。

 感心覚めやらぬ中、まるで閣議でも開けるようなこれまた立派な貴賓室で大沢さんを座長に1時間ばかり会議を行い、議論を交わして終わりました。

 その後会場をレストランに移しえ夕食会が持たれました。食の会社に相応しい自慢の施設は社員レストランながら800食以上の調理可能な厨房施設や、専門シェフによるバラエティーに富むメニューはホテルのレストランにも負けない豪華さです。行き届いた清潔感やサービスはオーナーである大沢一彦さんの生き方そのもののを見る思いでした。

 出席した委員会のメンバーが松山大学学長の森本先生と愛媛法律事務所所長で弁護士の東先生だったりしたものですから、ハイクオリティなお話で、下座に暮す私などは話について行くのがやっとです。特にゴルフの話になると大沢さんの話は饒舌で、まったくゴルフをやらない私などは、ホールインやイーグルという単語くらいは分っていてもまったくチンプンカンプンなのです。大沢さんは50代後半からゴルフを始めたそうですが既に全国47都道府県のゴルフ場を回っていて、ゴルフ博物館を有するなど尋常でない生き方に一芸秀いづる物は百芸に通じる感を持ちました。

 それにしても、私は何て不器用な男なのでしょう。これまでゴルフなど、小さなミニゴルフ場に出かけ話のタネに友人の誘いで一回回っただけしか知らないのです。多分これからもゴルフをやらないでしょうから大沢さんとの話の中に入って行くことは出来ないものと思われます。まあこれも生き方が違う世界が違うと諦めれば、背伸びをして生きなくてすむだけでもオンリーワンが貫けるのです。人間全てを知ることはできませんから、「ゴルフを知らない若松」で、大沢さんからこれからもせいぜいゴルフの話しを聞きたいと思っています。

 昨日は少々お酒が出たため、帰りは生協の尾崎部長さん運転の車に乗り変わって帰りました。生協と私との窓口は尾崎部長さんが圧倒的に多いものの話す機会もそんなに多くなかったものですから、絶好の機会と思い四方山話をしながら本部まで帰りました。尾崎部長さんの人となりは日頃から感じていましたが、旧土居町の出身であったり農家の長男であったり、単身赴任であったり、孫が出来たことなどなどたくさんの話をしました。ゴルフの話に甲乙つけ難い話に少し救われるような気持ちでした。

  「こりゃ駄目だ ゴルフの話 チンプンカン それでも学ぶ ゴルフに学ぶ」

  「ゴルフとは  面白過ぎて 止められぬ それが欠点 だから止めれぬ」

  「これからも ゴルフしないが ステイタス 俺流生きる それでいいだろ」

  「世の中は 全てを知るは 出来ぬもの 人の教えを 聞けばすむこと」

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shin-1さんの日記

○病気になって見えてくるもの

 私は自称「ポジティブマン」なので、自分でいうのもおこがましいのですが、病気になったり失敗しても少々なことではへこたれない強い精神力を持っています。私を回りの人からは「何がそんなに楽しいの」とか「あなたのような生き方が羨ましい」と時々言われるのです。多分それは何度か患った病気によって学んだことも多分にあるような気がするのです。

 私はこれまでに3度大病を患いました。最初は24歳の時過労が元で意識不明になり本人は気がつかなかったのですが死線をさまよいました。当時は家業の後を継ぎ漁師をしながら青年団活動に夢中になっていました。夜更しと大酒のせいだったようですが、そのことがきっかけで漁師の道を断念し役場に転職しました。朝日新聞が「酒を飲み過ぎて公務員になった男」と私を書いた記事で紹介したのもうなずける話です。その時役場に勤める同級生が何気なく発した「お前は永久に私を越えれない」の言葉に発奮し日本一を目指して頑張ったのですからこれまた「ポジティブ」の何ものでもありません。この病気で様々な健康維持方法を学び以後は風邪一つ引かず、腹一つうずかず、35年の役場生活を終えることが出来ました。

 2回目の病気は55歳時の胆のうの摘出手術です。健康診断でひっかかり、エコーやCT検査で胆のうにポリープが見つかり摘出手術を受けました。医学の進歩は目覚しく、今は腹に4箇所穴を開け内視鏡で摘出手術するのです。手術はうまくいったのだそうですがそれから痩せ始め68キロあった体重は13キロ減の55キロまでになり、今もその体重のままです。でもこの手術以後あれほど飲んでいたお酒をきっぱり断って8年以上が経ちました。自分で自分を褒めてやりたいような心境で、今は酒なしの穏やかな暮しにギアチェンジしています。

 3回目の病気は怪我です。わが家の裏庭が台風の大雨で崩れ土砂災害に遭いました。その折裏山から倒れてきた倒木をチエンソーで切っていて運悪く向こうずねをチェンソーで切って20針も縫う大きな怪我となり20日ほど入院しました。車椅子や松葉杖などのお世話になりましたが、大事に至ったものの大事に至らず元通りの暮しが出来るようになりました。それ以来足腰の鍛錬をしていますが、ぎっくり腰程度で健康に暮らしています。

 誰でも健康が一番だと思い丈夫な体を持ちたいと願っています。でも人間は不思議なもので健康な時にはそれ程体の事をいとわないものです。ところが病気になると健康の有り難さがしみじみ分るのです。つまり「有り難さ」とは「難が有る」と漢字で書くように「難」に出会わないと分らないものなのです。私は3度の病気や怪我で様々な事を学び生き方そのものを変えて生きてきました。振り返れば病気にならなかったら見えてこないものが沢山あったようです。

 私は少々おっちょこちょいなのか4、5日前、車のドアーを閉める際、小指を挟んでしまいました。目が飛び出るほどの激痛が走り、指先は黒く変色しています。痛みも引いて今は普通に使っていますが、日常の暮しで小指の存在など何も気付かず、ましてや小指なんてただ添え物くらいんしか思っていませんでしたが、小指を怪我してみると、何と不便なことかがしみじみ分りました。小指だってちゃんと役割があるのです。

 風邪をひけば妻のいたわりに感謝し、小指を詰めれば小指の働きを思う、この失敗からの学びこそ大切な人間の生き方かも知れません。大袈裟な話ですが、直るような病気ならたまにはした方がいいのかも知れませんね。

  「自動車の ドアに挟んで 小指怪我 日頃分らぬ 役割見つけ」

  「もし病気 ならずば今も 酒を飲み 巷徘徊 体滅びて」

  「病気して 今の自分が あるのです たまには病気 してみるものよ」

  「風呂入り スネの古傷 さする度 よくぞ残った 両足立てる」

 

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