shin-1さんの日記

○落伍家「夕日亭大根心」移動寄席

 今日は地域づくり人養成講座の発表会並びに閉講式が松山市民会館であり、出席しました。午前10時半からの開会だったのですが、どうしても急いで片付けなければ」ならない仕事が急に入り、多少遅れて塾生の発表の最初を聞き損じてしまいました。遅れることの嫌いな私としては、自分の出番で穴を空けることはなかったのですが、とんだ失態でお詫びのしようもないのです。それでも皆さんのレポート集を基にした発表は中々のもので、いい勉強になりました。

 この日の私の仕事は閉講式など全ての日程が終わってから、特別講義として落伍及び落伍ライブを1時間半の予定でやるのです。昨日まで広島へ出張していた関係もあって今日は朝から人間牧場へめくりを取りに行ったり、準備のためにあれやこれやの大騒動でした。落伍をやるのには自分の高座に上がる服装から考えなければなりません。センターの清水さんから「カジュアルな服装で」とお許しをいただいていたので、妻の言うがままの服装にしました。だいたい私は平生から服装には無頓着なため、放っておいたら平気で普段着で出かけるような人間なので、妻は自分が笑われると思いいつも気が気ではないのです。ですから私の服装はパンツからネクタイまで全て妻のコーディネートしたものを、文句を言いつつ着て出かけるのです。

 それでも落伍の高座となると妻の用意した服装に加え、羽織に見立てた裂き織のちゃんちゃんこ、出囃子用のCD、拍子木、高座本、机の上に置く木になるカバン、ハーモニカ、人間牧場の切り株の上で高座をやってる写真、めくり、小道具と、出かける時忘れてはいけないと思って車に積み込んだものの、清水さんから指定された大根一本、座布団一枚、メキシコ産の角笛などをあいにく忘れるところでした。

 今日の反省ですが、これほどの小道具が必要な訳ですから、これからは忘れるといけないので準備物一式の目録を用意して望まなければならないとしみじみ思った次第です。

 さて夕日寄席は殆ど時間通り始まりました。重さ0.1トン、大番頭松本宏さんの歯切れ良い前口上に続いて拍子木が打たれ、出囃子に乗って清水三の案内で高座に上がりました。高座といっても机を三つ並べただけの仮の舞台です。そこで「えーご紹介をいただきました夕日亭大根心でございますが、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席・・・・」と気がつけば1時間ほどやっていました。持参した大根は八幡浜の女性に差し上げたりしながら少しずつ笑いの中に引きこんで行くのです。その後は即興で落伍ライブです。参加した人に手を挙げてもらい私が面白おかしくお返しをするのです。いきなり三瓶の人から手が挙がり「まんぼうを使ってまちおこしをしているが中々上手く行かない、師匠にお尋ねしたいが何か妙案はないか」、私は即興で「へい、マンボ」「マンボの音楽は万国共通だからこれを使ったら歌も踊りもできます」とやったら、大爆笑となりました。落伍ライブの面白さをやっと掴んだ一瞬でした。


 落伍のあと、農協の地下室?で懇親会があり、美味しい料理やお酒を飲みながら楽しい交流会をしました。この日は昨年、一昨年この研修を受講した先輩達も駆けつけて後輩たちを激励していました。中にはこの講習受講後に町会議員になった優秀な女性もいて、裾野の広がりを感じさせてくれました。

 今日は粉浮舞うあいにく寒い一日でしたが、心がポカポカするようないい研修会でした。

  「俺だって 昔はこんな 時あった 発表緊張 する人を見て」

  「かまぼこの ようだと批評 板につく 笑い飛ばして 今日も元気だ」

  「わが話し 白色レグホン トンチンカン 尾も白いとは 年配の人」

  「大根を 洗って持参 ネタにする 妻の白肌 褒めて腐して」 


 追伸

    今治の村上太さんから、メールで落伍への感想文が寄せられました。写真を添付してくれました。さすがカメラマンだけあって、現場の雰囲気がリアルに表現されていて、いい写真ですので公開します。

  

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shin-1さんの日記

○満月の朝

昨晩広島県福山市から帰ってゆっくりのんびりしたため、今朝はゆっくり起きようと心に決めて寝たものの、やはり習慣とは恐ろしいもので、やはり今朝も4時過ぎに目が覚めました。昨夜強風注意報が県下全域に発令され、窓の外では風の音がピューとうなりを上げています。書斎に行きパソコンを開きながら、「そうだ今日は落伍ライブを頼まれていた」と思い、急な思いつきで人間牧場の水平線の家へ落伍の「めくり」と台本を取りに行く事にしました。町のミュージックサイレンが鳴り出し外が薄明るくなった6時を見計ってトラックを運転して人間牧場へ向いました。海岸国道378号に出ると西の空には綺麗な満月の月明かりが冬の海を煌々と照らし、トラック運転席のの寒さをより寒く感じさせました。そんな光景を見ながらふと過ぎし日の思い出が二つ頭を過ぎりました。

 その一つはシーサイド公園を通った時です。このシーサイド公園が出来ても14年になりますが。私は12年間も毎朝4時に起きてこのシーサイド公園の砂浜に立ち、来る日も来る日も毎日毎日砂浜の掃除を続けたのです。冬になると今日のような寒さや風はザラで、寒さの中で海岸のゴミを行ったり来たりしながら掃除したものです。最初は奇人変人のような目で見られたり、そんなええ格好もそのうち辞めるだろうと人々は冷ややかに見ていましたが、12年間の続けたボランティア善行は多くの人の共感を呼び、掃除の行き届いたシーサイドとして内外に広く知られることとなりました。私を信用してもらったこの行動が観光カリスマ百選にも選ばれる一因ともなったのです。反対を押しての夕日やシーサイド公園建設だったため、それなりの覚悟はしていましたが、掃除という思わぬ出来事で信用を得るとは夢にも思いませんでした。結果的には無理がたたって胆のうを患い入院したり酒が飲めなくなりましたが、それでもいい思い出なのです。

 もう一つは下灘の豊田漁港を通った時です。今朝は海が荒れていて漁港には黄色い漁船がまるで羽根を休める鳥のように行儀よく並んで港に係留されていました。私は18歳から役場職員になるまでの7年間家業である漁師をしながら青年団活動をしました。漁船漁業の朝は早く午前1時から2時頃にはこの港を出港しエンジン全速で漁場である佐田岬半島へ向うのです。海は春夏秋冬それぞれの季節風が吹き、それぞれの季節に合った魚を求めて漁をするのですが、特に冬海の早朝は寒くて手が凍えるほどでした。それでも午後3時の帰港時には船倉いっぱいに魚を入れて意気揚々と帰ったものです。今朝の海は大寒ということもあって月明かりの海はそんなここを思い出させてくれました。もう40年も前の出来事なのについ昨日のように蘇えってきました。

 まだ薄暗い人間牧場から見る夜明け前の瀬戸内海は海からの冷たい風が吹きつけるものの、凛として気持ちがいいものです。トラックの灯りで水平線の家の戸を開け中に入って電気をつけ、押入れから高座本とめくりを取り出し、永井は無用とばかり再びもと来た道をわが家へと引き返しました。時計を見ると6時40分です。片道20分、往復40分でしたが過去を思い出すちょっとした感傷的な時間となりました。

 今日はこのめくりと台本を基に「地域づくり人養成講座」に出席し、松山市民会館で落伍ライブをやる予定です。早朝のこの二つの思い出も大切な私のネタ話しとして披露しようと思いました。

 「そうだ、主催者であるえひえめ地域政策研究センターの清水さんから芸名由来の大根も持参するよう言われていた」ことを思い出し、これから自宅横の家庭菜園に行って大根を引き抜き洗わなければなりません。寒そうです。

  「月明かり 見ては感傷 思い出す 掃除や漁業 明け暮れ日々を」

  「もし俺が 掃除をせずば 誰がした 公園見る度 汚れ気になる」

  「寒空を 照らし続ける 灯台の 鈍い光は 今も変わらず」

  「人は皆 こんな思い出 持ちながら やがて朽ちるか 俺もそのうち」 

 














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