shin-1さんの日記

○香川県小豆島を訪ねる

 「小豆島子育てフォーラムinとのしょう」という研修かに招かれ、久しぶりに小豆島を訪ねました。サンポート高松の敷地内にある船着場から高速船に乗ること30分で島に到着します。小豆島といえば「岬と思えば島なり、島と思えば岬なり」と紹介された壺井栄の「二十四の瞳」で有名な島ですが、最近はそんな小説も時代とともに風化しつつあるようです。それでも二十四の瞳の映画村には年間かなりのオールドファンがやって来て、右肩下がりながら観光の目玉となっているようです。天下の名勝寒霞渓を中心にした観光や手延べそうめん・醤油・オリーブが島の主産業で、どこか地中海を思わせるような雰囲気の島なのです。

(小豆島国際ホテルのレストランから瀬戸内海を眺めましたが、遠くには瀬戸大橋が見えました)

 船で島に着くと土庄町の企画課長さんが港まで出迎えに来てくれていました。途中で町長さんを乗せ、昼食会場となっている小豆島国際ホテルへ向いました。この日は昨日までの寒さとはうって変わって絶好の天候に恵まれ、レストランへ差し込む昼の日差しは暑く感じられるほどでした。ホテルのレストランから窓越しに見える瀬戸内海の島々はとても長閑で、こんなゆったりした所で暮らせる人は幸せだとも思いました。レストランでは既にフォーラムのパネラーの皆さんがお集まりで、楽しいお話をしながら美味しい昼食をいただきました。

(ギネスに乗っている世界で一番細い海峡)

 食事が終わって会場となる中央公民館に町長さんとともに公用車で移動しましたが、ギネスブックに載っている世界一狭い海峡を見せてもらいました。役場の横には「巾の広い橋」と表現たら分るような立派な橋がかかっていて、町民の憩いの場所になっているようでした。興味をそそられたため公用車の窓から写真を撮らせていただきましたが、今度来る時は必ず見学したいものと、多少後ろ髪を惹かれる思いで会場へ行きました。

(フォーラムが始まる前の会場の様子)

 町長さんは県議会議員の経験が長く議長までされた方のようで、町長選では薄氷を踏む僅差で当選され、子育て支援や合併推進を公約に掲げているようで、今回のフォーラムもその一環として行われたようで、それなりの方々が集まっていました。

 私が地域活性化伝道師として、高松で開催された研修会に出席した際、私の話しを聞いた担当者が私へアプローチをかけ、講演が実現したのです。テーマは「子育てからまちづくり」というかなり難しいテーマだったので、全国の事例などを話そうと思ったのですが、参加者は一般町民が多く、そんな話をするとブーイングや居眠りされると大変と、家庭の変化やまちづくりのさわりをそれなりに話させてもらいました。

(小豆島を後にする)

 特急のアクセスが悪く、もし遅れると1時間も待たなければならないとあって、講演が終わると直ぐに課長さんが港へ送ってくれました。お陰様でサンポート高松周辺や玉藻公園を久しぶりに散策することが出来ました。


(高松城)

(玉藻公園)

 サンポート高松の中心は何といっても高松駅ですが、駅に降り立ち一際目を引くのは全日空ホテルの高層ビルです。白亜のビルは海と空の青に程よくマッチし、まるで別世界のようです。かつては宇高連絡船の発着港として四国の玄関口だった港周辺も、瀬戸大橋の開通などもあって少しずつ変化発展しているようです。

 帰りの特急いしづちは、これまで四国では見たことも乗ったこともないようなウッド調の列車でとても美しいもので松山までの2時間30分がとても快適でした。

(素敵なウッド調の特急いしづちの客車内部)

 小豆島には合併して出来た小豆島町という町があります。土庄町は合併しなかったため名前を奪われた格好でした。高知県に四万十市、四万十町、同じように島根県に隠岐島町というのがあるようですが、どこか錯覚したりするような名前が全国には随分多くなりました。特に小豆島町とは小豆島を代表するような地名だけに、合併しなかった土庄町の困惑も垣間見た気がしました。

 でも何度来ても小豆島は又来たいと思わせる不思議な魅力を持っています。今度必ずと心に誓いました。

  「二十四か 子どもの頃に 涙して 映画見たこと 思い出しつつ」

  「ギネス載る 海峡上に 橋がある 広さ別格 これもギネスか」

  「久しぶり 列車に乗って 高松へ うどん食いたし うどんも食えず」

  「小豆島 名付けた町は 別にある どこがどこだか 一向分らず」

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shin-1さんの日記

○いやあ、驚きました

(すっかり様変わりした高松駅前のサンポート高松)

 「若松さんではありあせんか」。小豆島へ向けて出港を待つ高松市のサンポート高松での出来事でした。いきなり50歳がらみの素敵な女性が話しかけてきたのです。「はいそうですが」と怪訝そうに対応する私に、「やっぱりそうでしたか。列車の中でそうではないかと思っていたので」と話しをつなぎ、矢継ぎ早な談話が始まりました。そしてその輪は女性のご主人と連れの外国人夫妻を巻き込んで賑やかな話に広がって、船が出港してから小豆島に到着するまで延々と続いたのです。

 八幡浜で私の講演を聞いたこと、夕日によるまちづくりやシーサイド公園を造って双海町を有名にしたこと、海岸の政争を0年余りに渡ってやったこと、植えてはいけないと渋るJRに対抗してポケットから菜の花の種を落として花を咲かせたことなどなど、驚く事に、まるで今話した話を録音テープで再生したように、その女性は私の講演内容を覚えているのです。「あっ、思い出した。私も何年か前、商工会青年部の講演会であなたの話を聞きました。あの時もその木になるカバンを持っていましたよねえ」とご主人も私の思い出の糸にたどり着いたようでした。

 ご主人は青年海外協力隊のメンバーとしてシリアで2年間過ごしたらしく、堪能な語学力で連れの外国人夫妻と、私の事を盛んに紹介しているようですが、残念ながら時々単語が分る程度で理解不能でした。女性は時折電子辞書を使いながら、話の中に輪って入り盛んに私と3人の橋渡しをしてくれました。

 聞けばこの外国人は既にリタイヤしてカナダに住みながら世界中を旅してボランティア活動をしているとのこと、外国人の奥さんは話をしている間も趣味の編み物の手を休めることなく編み続けていました。聞けばご主人の靴下も編んだそうで、その素晴らしい出来に目を見張りました。

 私は通訳してくれた女性と、同行していた外国人夫妻を引き合いに出しながら様々な話をしました。日本人と外国人の生き方の比較、団塊の世代といわれる日本人のリタイア後の生き方、ボランティアに対する考え方の違い、日本の文化に対する価値観のお粗末さなど、素晴らしい考えに圧倒されながら意見を交わしましたが、その殆どは私が日頃考えている私の考えそのものであり、深い共感を得たのです。

 私は4人に似顔絵の名刺をそれぞれ渡し、船着場で手を振ってお別れしました。何でも彼女たちは外国人の要望で、小豆島の高齢者施設を見学に行く途中のようでした。帰りの船が一緒になる事を期待したものの、私の帰りの船が一便早まり出会うことはありませんでしたが、旅先で出会った女性との出会いは私の昨日の旅をとても有意義なものにしてくれました。あいにく名刺を持ち合わせていなかった相手の女性は山本さんというとても品のある、それでいてしっかりとした考えを持っている女性でした。旅先で出会ったほんの一瞬の出来事でしたが、帰る船の中や、特急いしづちの流れては消える車窓の景色の中に彼女の顔がちらつきました。松山まで迎えに来てくれた妻にその女性の話しをしましたが、「やっぱりね」と、その女性の住んでいる所が八幡浜と説明しただけで、八幡浜出身の妻は自分とダブらせて話しをしてくれました。

 小さな町の名もなきに等しい私の話しをこうも鮮明に覚えていてくれる人は少ないと思いつつ、日々の暮しの中でこれからも話しに行くであろう講演を、ただ疎かにしてはいけないと深く肝に銘じたのです。揺り篭から墓場までといつも笑って話すように、幼児教育から高齢者まで、私に与えられるお座敷は年間百回を越えるほど沢山ありますが、私の話に共鳴したり、生きる勇気を与えてくれたと述懐してくれる度に、身の引き締まる思いがするのです。今日もこれから県立中央青年の家で愛媛県青年研究大会があり、講演を依頼されていますが、しっかりと話しをしたいと思っています。

  「若松さん? 船を待つ身の 旅先で 素敵な女性 いきなり声を」

  「肩書きが 巾を利かせる 日本人 リタイアしたら 何の役にも」

  「まだまだと 修行が足りぬ 自分恥じ 心新たに 挑戦はじめ」

  「残像が 消えては浮かぶ 汽車の窓 それ程強い インパクト受け」

  

 

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