shin-1さんの日記

○尋常小学國語讀本巻十一

 大阪の古本屋で「尋常小額國語讀本間十一」という本を見つけました。昭和4年11月31日文部省発行の本です。当時何年生の子どもが使ったのか知る由もありませんが、目録という目次を見て驚きました。中身は理科と社会、歴史、音楽、道徳などがランダムに収められているのです。第一課太陽、第二課孔子、第三課上海、第四課遠足、第五課のぶ子さんの家、第六課裁判、第七課賎獄の七本槍、第八課瀬戸内海、第九課植林、第十課手紙、第十一書師の苦心、第十二課ゴム、第十三課ふか、第十四課北海道、第十五課人と火、第十六課無言の行、第十七課松坂の一夜、第十八課貨幣、第十九課我は海の子、第二十課遠泳、第二十一課暦の話、第二十二課リンカーンの苦学、第二十三課南米より(父の通信)、第二十四課孔明、第二十五課自治の精神、第二十六課ウェリントンろ少年、第二十七課ガラス工場、第二十八課鉄眼の一切経とまあ多岐に渡って書かれています。

 私はこの本を千円で買い求めわが家へ持ち帰りました。何年か前大学という中国の古書を手に入れた時と同じように嬉しくなって帰りの車中で読みふけりましたが、古い漢字や仮名づかいが多くて凡人の私には中々読みづらい本でしたが、それでもこの本が文部省から出版された時代背景や富国強兵を匂わす教育の意図する意味が理解できて興味をそそりました。

 新漢字に置き換えて第二十五課の自治の精神を読んで見ました。

 我が国の地方自治団体には府県市町村の別がある。その土地に広い狭いがあり、その組織に繁簡の差があるにしても、地方自治の精神に基づいてその団体の幸福を進め、国運の発展を期することは皆同じである。

 一体自治の精神とは何であるか。地方人民が協同一致して自ら地方公共の業に当たり、誠意その団体の為に力を尽くす精神が即ちそれである。この精神は実に自治制の根幹であり、またその生命である。一般人民が府県市町村会議員を選挙するにも府県市会で参事会員を選挙するにも、市町村会で市長村長を選挙するにも、皆この精神を本としなければならない。また市町村長がその事務を処理するにも、議員が予算を議するにも、常にこの公平な精神をもってしなければならない。

 市町村長や議員を選挙するには、もっぱらその人物に重きを置いて、決して親族縁故その他私交上の関係の為に心を迷わすようなことがあってはならない。まして威力によって強制するとか、私利によって勧誘するとかいういうような手段を用いたり、又この手段に動かされたりするのは自治の精神に全く反するものである。本当に自治の精神に富んでいる者は、公平無私、地方公職の為の適任者を挙げたることだけを考えて、決して私心をもたないのである。

 公吏議員等、直接間接に公共の事務に当る者は、如何にその職務に忠実であっても、一般の人民の後援がなければ自治団体の円満な発達を望むことは出来ない。それであるから人々は常に自治制の本旨をとらえ、協同一致して団体の福利を増進することを心掛けねばならない。例えば教育衛生等の自治団体の事業は、地方人民が一般にに之を尊重し、之に協力することによって、始めてその効果を完全に挙げることが出来る。また産業組合を設けたり、慈善事業を起したり、または青年団を組織して産業の発達、風族の改善等に務めたりするのは皆公共心の発動であって、自治の精神を養成し、自治団体を助長するものであるから、地方人民は大いにこれ等の事業に力を尽くさねばならぬ。制度を運用するのは人である。自治制もこれを運用する人民に自治の精神が乏しければ、よい結果を得ることは到底望まれない。

 本文は旧仮名使いや文中の句読点などは一文字として扱っていないため、づづらべったりの感じがして読みにくくなっています。それでも前半で地方自治の本旨を説明し半ばで首長や議員の選挙を挙げ、後段でその具体的方法を挙げています。ある意味で高潔、ある意味で時代遅れな所も沢山ありますが、このような教育にもかかわらず現代の地方自治は、その本旨と程遠い迷走を続けているのもおかしな話です。

 地方自治とは何か、住民自治とは何か、平成の大合併が一応の終息を見て日本中が再編された今こそ地方自治や住民自治について考える必要があるような気がしてなりません。早い市町村では早くも合併して2回目の首長や議員の選挙が始まります。私利私欲や自分自身の名誉のためにだけ走ることなく、しっかりとした政策議論を行い住民から信頼される公平な人、高潔な人の出現を望みます。また住民もここに書かれている精神を重んじていい人を選び協働と参画をしたいものです。

  「八十年 前に読まれし 國語本 未だその道 達成されず」

  「自治は何? 大学入試 問うたなら 宝くじだと 馬鹿もいるもの」

  「首長や 議員に尋常 國語本 読ませやりたい 小学以下だ」

  「この本を まとも読めない 人たちが バッチつけてる 世の中おかし」

 

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shin-1さんの日記

○9、映画館

 私が子どもの頃の漁村の娯楽はとりたててそんなにありませんでしたが、下灘村という小さな村に東映館と双葉館という映画館が2つもありました。東映館は東映系、双葉館は松竹系の映画を配給していましたから、どちらも見たいのですが、映画館の代表者がわが家の知人だったため、わが家の家族は松竹系の双葉館をごひいきにしていました。今の若い人にいっても「それ誰」といわれそうな高田浩吉、大川橋蔵、嵐勘十郎、市川歌右衛門などが出演する主に時代劇が多かったようですが、その後小林旭や石原裕次郎、浅丘ルリ子などの青春スターなども出て、それは楽しい夢の世界でした。映画館はそれぞれウグイス嬢を構えて映画館の屋根に取り付けられたラッパ型のスピーカーで、音楽を流しながら朝から映画の宣伝をするのです。私の親父たちは定期券のようなものを買ってしょっちゅう行っていました。学校を挟んで二つの映画館が競うように放送する音は教室まで聞こえ、先生の教える声よりそちらの方が興味をそそりました。私たちは映画を通してまだ見ぬ都会とわが住む田舎の落差を知り、都会に憧れを持ったものでした。

 映画館の入口や村内の要所には映画の封切りが迫るとポスターが張り出され、映画の始まる前も終わった後も映画の話がしばらくの間は村中の話題になる長閑な時代だったのです。最初は自由に映画に行っていましたが、ある日突然学校で担任の先生が、「いつも映画を見るのは教育上好ましくない。今日の職員会で映画は許可したもの以外は見てはいけない」と一方的にお達しがあって、子どもたちをガッカリさせたものでした。それでも子どもたちの中には内緒で映画に入る者もいて、親が呼び出されて注意を受ける一幕もありました。その頃は電気休みというのがあって、その日は映画が休みでした。月に一回は電気が全てストップするのです。家に冷蔵庫があるわけでもないので別に電気休みを咎める人もいませんでしたし、これまた長閑な時代でした。

 正月やお盆になると映画館は連日満員札止めで、3本の封切りが見れるとあって、午後の部、夜の部と2回も同じ映画を見た経験もあるくらい映画は一時代の娯楽でした。

 映画といえば2つを思い出します。一つは壺井栄原作の「二十四に瞳」です。小豆島が舞台にしたこの映画は高峰秀子主演で小学校の講堂にやって来た巡回映画で見ました。みんな涙をいっぱいためて見ました。二本目は「ビルマの竪琴」という映画です。小学校5年の時担任の先生が道徳という初めて出来た授業時間に「ビルマの竪琴」という本をシリーズで毎週朗読してくれていました。みんな何気なく先生の朗読を聴いていましたが、その年この映画が双葉館で上映されるというのです。普通は許可されない映画なのに、5年生だけが特別の許可を校長先生から貰って、みんなでゾロゾロ見に行きました。水島上等兵が戦後戦死した戦友の霊を弔うためお坊さんになってビルマに残るラストシーンは、これも感涙に咽んだものです。

 昔の映画は上映中よく途中で切れました。当時の子どもたちには刺激の強かったラブシーンや主役が格好よく活躍する場面になると必ずといっていいくらいフィルムが切れるのです。つなぎ合わせて始めてもまた切れ、場内の電気が点いたり消えたりして、すっかり興ざめしたことも何度かありました。

 映画はテレビの出現によってあっという間に私たちの村から姿を消して行きました。最後は客足もまばらで、映画館はかなりの借金を背負って倒れたという話も大人たちの噂話として子どもの耳に入りました。

 テレビの出現によって映画は終りと誰もが思いましたが、世の中不思議なもので今は映画が復活し、若者の間では週末を映画館で過ごす人もかなりいるようです。「ハリーポッター」など相変わらずの人気で、私の妻も時々友人と鑑賞しているようです。

  「映画しか 娯楽のなかった 田舎町 こぞって鑑賞 回数券まで」

  「そういえば 電気休みと いわれた日 夜は点いたか 点かぬか忘れ」

  「都会には 夢の世界が あるのかと 暮しと比較 憧れました」

  「そういえば ここいら辺に 映画館 夢の泡沫 見る影もなし」  

 

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shin-1さんの日記

○オリジナルハガキ

 一日三枚のハガキを書いて20年余りが経ちました。ハガキは官製ハガキから年賀状の残ったものまで色々使っていますが、これまで出したハガキの中で圧倒的に多いのは夕日をあしらった絵葉書でした。しかし役場でPR用に作っていた夕日の絵葉書も、役場を辞めてからはそうそう使うことも出来ず、加えて合併して予算が削られ今は印刷費もないようなので、私は思いきって2年前から自分のパソコンでハガキに半分に写真を入れた写真ハガキを製作し、愛用するようになりました。人間牧場の写真、夕日の写真など季節の話題をデジカメで撮影した数々のファイルの中から取り出し、見よう見まねで作っています。台紙のハガキは東京に行った折必ずといってよい位ヨドバシカメラのパソコン材料売り場を覗いて大量にまとめ買いして帰るのです。一度に1000枚単位で買うのにもう残りが少なくなり、今日から岩手県一ノ関へ行くので、途中の帰路仕入れて帰りたいと思っています。

(ロケ風呂に入浴している次男一生と孫朋樹の写真をあしらったハガキ)
 最近よく使う写真は水平線の家での諸行事や人間牧場で子どもたちとやっているおもしろ教室の写真、それに今年の夏の暑中見舞いに採用したロケーション五右衛門風呂の入浴シーンなどですが、特に息子と孫が入浴している写真は好評で、沢山の方々から「涼しい話題だ」とか、「ロケーション風呂に入浴してみた」などと返信のお便りを頂きました。

 また双海町の海に沈む自称日本一と自慢している夕日の写真も沢山送りました。私のパソコンフォトファイルにはこの2年間で様々な写真が集められ、使われないままパソコンのお蔵の中に眠っています。「いずれ暇でも出来たら」なんて軽い考えでいたため溜りに溜っていくのです。佐賀関の渡辺又計さんのような達人まではいかなくてもせめて自分流の処理の方法を見つけて要らなくなった物は捨てる覚悟で整理したいと思っています。

(人間牧場の芋畑と子供たちの写真をあしらったハガキ)

 今月採用した私の絵葉書に載せた写真は子どもたちが5月に人間牧場の農場で芋植え作業をしたものを使っています。急峻な狭い芋畑なのに写真ではかなりいい具合に写っていますし、イノシシ対策に考案した網囲いや空き缶おどしもちゃんと表現できていいアングルです。

 一日3枚のハガキですが毎日となると馬鹿にならない情報発信能力を発揮します。私が書いたハガキが友人に届き、その友人がその友人に見せて、交流の輪へと発展していますし、芋収穫やイノシシ撃退法などののアイディアが返信で続々届いています。たかが1枚50円のハガキですがされど一枚のハガキなのです。情報発信はこのようにこまめな作業の積み重ねだと、夕日をスターダムに押し上げた陰の功労者としてハガキと名刺の話をいつもしているのです。

(まるでブロマイドのような息子の嫁のロケ風呂での写真をあしらったハガキ)

 さて明日から9月です。9月は何といっても双海町の自慢の夕日です。明日は恒例の夕焼けプラットホームコンサートが開かれます。私は岩手県へ出張する予定が一日早まったため残念ながら参加することが出来ません。自分がいないので仲間から既にブーイングが届いています。でも仕方がないこととして、担当している大谷さんの健闘を祈りたいと思っています。みなさん夕焼けプラットホームコンサートにお越しください。

  「オリジナル ハガキ作って 日々に出す お陰で楽し 楽しみ増えて」

  「息子孫 風呂に入った 写真入 暑中見舞いの 涼しさ送る」

  「五十円 切手を貼って 投函す 明日は全国 旅から旅へ」

  「何気なく 撮ったつもりが ブロマイド ランプに映えて 嫁はスターだ」 


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