shin-1さんの日記

○ロハスって何?

 最近は横文字が多くて私のような古い人間は一度聞いてもその意味すら分らず戸惑うことが多いようです。この歳になって「えっ、若松さんそれも知らないの」なんて言葉が聞かれそうなので聞くことも出来ず、メモして帰ってこっそりイミダスや広辞苑で調べるのですが、その調べた意味を忘れるなんてことはしょっちゅうなのです。

 先日まちづくり研修会に参加した帰りの車の中で「ロハス」という言葉を聞きました。聞いたことはあるし健康とか環境に関する言葉だとは分っていても、その正式な意味は分らず終いで、恥をかいてしまいました。その後調べるのを忘れていたのですが、今日偶然にもその言葉が読んでいる本の文中にあって早速読んでみました。

 ロハス(LOHAS)とは「健康と持続可能性」を大切にするアメリカ生まれのライフスタイル。ちなみに「持続可能性とは、「人間の行う様々な活動が将来にわたって健全に維持できるかどうか」という意味だそうです。最近に日本でもロハスへの関心が高まり、効率や便利さの追求よりも、健康的で地球環境に優しい「スローライフ」を重視する人が増えているそうです。時間に追われずマイペースでゆったりと自然と共生する暮しを楽しむことが出来たらこの上ない楽しみでしょう。

 ちなみにスローライフとは「伝統的な食材や食品などを守るために、1980年代にイタリアで始まったスルーフード運動がルーツで、このスローという言葉が後に「ゆったりと自然と共生する暮しという意味でも使われ始めたようです。

 私の暮しは2年前にリタイアし自由人になったのを機にスローライフになったりロハスになったような気がします。特に人間牧場の目指す精神はロハスそのものなのです。最近エコツーリズムという言葉も頻繁に耳にするようになってきました。エコツーリズムとは「旅行者が自然体験活動への参加を通じて地域の自然や文化を理解し、同時に環境保護や地域経済にも貢献するという旅行スタイルです。

 私の暮しはむしろエコツーリズムという旅行スタイルではなく暮らしそのものをロハスに近づけようとするものです。既にその拠点となる人間牧場には水平線の家やロケ風呂、ツリーハウス、農場も出来て日々の暮しに彩を添えているのです。

 団塊の世代の人がよく人間牧場にやって来ますが、その殆どの人が定年後はあなたのようなスローライフやロハスを楽しみたいと羨望の眼差しで私の話を聞いて帰って行きます。私の人生を21歳で4分割すると、21歳までは冒険の時代でした。次の21年、つまり42歳までは仕事の時代でした。そして次の21年、つまり63歳までは仕上げの時代だったように思います。さて今年63歳になる私のこれからの21年間、つまり概ね84歳まではロハスの時代と命名し迷うか。急激に変化する現代ですが、そんな時代だからこそスローな、そしてロハスな人生を楽しんで人生を終わりたいと思っています。

  「これまでは いい人生と 思います これから先は ロハスでありたい」

  「羨まし 誰もが俺に 言うセリフ 目標持った そんな生き方」

  「ナスとまと 消毒なしに 実ってる 安心安全 自分で作る」

  「健康は 日々の精進 積み重ね 金で買えない だから自分で」

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shin-1さんの日記

○カマキリとカエルの戦い

夏休みになったので孫がわが家にやって来ました。3日前に足が痛いといって病院に連れて行った時はどうなるかと思いました。明日病院へ連れて行って要観察の結果がよければよいのですが、当の本人はいたって元気でピョンピョン飛び跳ねています。

 来るなり虫かごと虫取り網を持って「おじいちゃん、虫取りに行こう」と誘うのです。午後2時頃の最も暑い頃だったので躊躇しましたが、孫は暑さもなんのその、麦藁帽子を被って庭のそこら辺を走り回って塀にしがみついているアマガエルを目敏く2匹見つけました。そして虫かごの中に入れてわが者顔で家の中へ持って入りました。

 その内私の書斎の大きな網戸にアオカマキリが飛んできて留まっているのが見つかり、私は孫にいわれてそっと手で捕まえカエルと同じ虫かごに入れたのです。するとどうでしょう。さっきまで静に虫かごに入っていたカエルが急にバタバタと動き始めたではありませんか。孫も虫かごの外から異様な雰囲気を察してか、「おじいちゃん、カエルとカマキリの戦いが始まる」と少し興奮気味に話すのです。

 カマキリは背中から尻尾に至る胴体を反らせて臨戦態勢にも見えましたし、右に左に動くカエルはカマキリの獲物のようにも見えました。

 やがてカマキリが逃げ惑うカエルを一匹、前足の鎌で捕まえたのです。それからは無残にもカエルは鎌で切り刻まれ血だらけになりました。「おじいちゃん、カエルが可哀想」と悲痛な声を上げた孫は顔を背けて別の部屋にいるお母さんのところへ泣きべそで助けを求めに行きました。私が気がついたときには時既に遅しで、カエルの体をカマキリは食べていました。私は無残にも食べられたカエルをカマキリの手から離すと同時に脅えているもう一匹のカエルを外に出して逃がしてやりました。カエルはそそくさと草むらに姿を消しましたが、カマキリは餌を食べた口と鎌に多少の血のりを付けて悠然としていました。

 孫に、「このカマキリも逃がしてやろうか」といったら孫は「いかん」といって言う事を聞きませんでした。私は孫に分るような優しい言葉でカマキリとカエルの模様を話してやりました。食べられたカエルが可哀想だったこと、カマキリはカエルのような小さい動物を食べて暮らしていることなどをしっかりフォローしてやりました。4歳の孫には理解し難い出来事でしょうし、食べられたカエルと食べたカマキリの勝者と負け者の関係は分らないようでした。これから孫は大きくなるにしたがってこうした出来事が目の前に現実のこととして見え隠れすることでしょうが、弱者の気持ちを大切にしながら確かな成長をして欲しいものです。

  「カマキリが カエルを食べる 姿見て 孫目をそむけ 悲し顔する」

  「初めての リアル体験 私さえ 驚き虫かご カエル外出す」

  「弱肉の カエル強食 カマキリに 食べられ家中 何時なく興奮」

  「さっきまで 賑やかだった 虫かごも カマキリ一匹 寂しく残り」 

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