shin-1さんの日記

○人の一生

 最近は「揺り篭から墓場まで」という言葉がぴったりの、幼児の子育てから高齢者の生きがい論まで様々な講演の場と機会が与えられ、戸惑いながらも真剣に、それでいて楽しくお話をさせてもらっています。子育ては来た道の経験だといいつつ妻の専門だったし、老後の生きがいとなると行く道ゆえ、同じ敷地内に住む父親の姿を見ながらや世情一般の話題を拾い集めて話さなければなりません。大雑把にいえば子育て論は親の生き方であり、生きがい論は人間としていかに生きるかだと理解して話すようにしています。

 先日PTAの集会に招かれお話をしましたが、最近は青少年にとって好ましくない様々な社会現象の中で子どもを育てなければならず難しい時代になったと、親が異口同音に話します。確かに私たちが子育てした頃の社会はそんなに昔ではないのにコンビにも殆どなく、携帯電話やカードの心配も殆どありませんでした。故にPTAの子育て学級も子どもとお金にまつわる非行問題よりも、校内暴力など人間関係の葛藤のような話が随分話されたように記憶しています。

 親は子どもが体内に宿ると五体満足な子どもとして生まれてくるよう祈りながら出産準備をして誕生の日を心待ちにします。やがて「お腹を痛めた」という言葉がピッタリの出産作業を経て赤ちゃんの誕生となるのです。幼子の透き通った目でたじろきもせず一心に見つめられると、自分の心を見透かされているようでたじろくほどです。そんな純真無垢な子どもが家族や友人、社会の中でもまれながら成長して成人となるのですが、「あれ程純真で素直な子どもが何故成長するにしたがって悪い人間になるのか」が不思議だとどの親も口をそろえていうのです。確かに昔の子どもに比べて今の子どもは難しいとしみじみ思いますが、これは何も自分の子どもだけが特別ではなく、個々の差こそあれ誰しも通過しなければならない人生のトンネルであり橋なのです。このトンネルの抜け方や橋の渡り方が狂うとトンネルは人生の闇夜となったり橋は転覆の危険さえ生まれるのです。親だってあれほどお腹を痛めた可愛いはずの子どもなのに児童虐待だってするのですから、悲しいものなのです。

 年齢を重ね様々な経験を積んでいく中で利害や損得にさどくなり駆け引きや時には人をだます術を覚えたりします。世知に長け要領がよくなり世間を渡る知恵を身に付けもします。歳を重ねるにつれて身にまとった虚栄の衣の重さに耐えきれぬことだってあることでしょう。

 高齢者の方々にお話しするのはそんな時代を経てきたのだから、もうそろそろ少年の頃の瑞々しい瞳の頃に帰りこれからの人生をニコニコ・ピンピン・コロリンシャンとなるような人生の仕上げをして欲しいと訴えます。

 偶然にも今年わが家には長女と長男に子どもが誕生します。父親も90歳の卒寿を迎え、キセルの入り口と出口の人生を同時に味わっています。生まれてくる子どもにも老いてゆく親父にもそれぞれ愛情を持って一緒に生きてゆきたいと思っています。

  「孫親父 何処か似ている 仕草する ゼロに始まり ゼロに戻るか」

  「子育ても 加齢もまた 悩むもの トンネル鉄橋 幾つもあって」

  「今年また 親父作りし 長ナスが 沢山生って 近所すそ分け」

  「孫の目が 俺の瞳を じっと見る 百年木の 育ち始まり」


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shin-1さんの日記

○久しぶりのおご馳走

 昨晩松山に住む息子から家内に電話があって、「明日のお父さんとお母さんのの予定は?」と聞いてきました。私は妻に「明日の昼は空いている」といったところ、「久しぶりに昼飯でも食おうか」と誘われました。私は「雨でも降らなきゃあいいが」とついつい無駄口をたたいてしまいました。息子が「美味しいウナギ屋を見つけたので、ボーナスも出たことだしご馳走する」というのです。

 息子は今朝わが家へ帰り私を誘って人間牧場へ行きました。私は昨日人間牧場の草刈りをしたばかりなのですが、息子は先日水平線の家で開いた都市デザイン会議以来なので気にかかっているようで、先日買った新車の軽四トラックに乗って出かけました。今日の人間牧場は「雨でも降らなきゃあよいが」といった私の言葉そのままに、時折小雨のぱらつくあいにくの曇り空でした。

 二人で水平線の家の海側の戸を全部開け掃除機で掃除を始めました。水平線の家に行く度にこまごまと掃除をしているし、ゴミを出したら持ち帰りの習慣を作っているので大した汚れもなく20分ほどで掃除を終り、屋根にかかった戸井の掃除をする事にしました。先日の大雨で戸井が溢れていたので脚立を立て、息子が上に上がって戸井を綺麗に掃除をしました。戸井の集水マスには風で飛んできた木の葉がいっぱい詰まっていて、かなりの量でしたが、最後はバケツで水を流して確認しすっきりしました。親父から頼まれたお墓用のシキビを一束切り、神棚用のヒサカキも採取して人間牧場を後にしました。

 昼も近づいたので次男も誘い松山のウナギ専門店へ行きました。物のない時代に育った悲しさでしょうか、あるいは生まれながらの貧乏人根性でしょうか、こんな場所に来てメニューを見ると専門店らしく「高いなあ」が第一印象でした。若い者はいとも簡単に「うな重特上」と頼むのですが、値段を見ると何と一人前2500円もするのです。その上この店自慢の肝の付け焼きとウナギの入った玉子焼きを注文しました。少し時間はかかりましたが、出てきたうな重は蓋を開けてみてびっくり、先日馬路村の木下さんんからいただいた天然のウナギには適わないものの、今まで食べたことの無いような大きくてふっくらしたウナギの蒲焼が乗っていました。その味は息子がご馳走するだけあった中々のもので、久しぶりに「ご馳走を食べた」と満足のいく味でした。

 息子夫婦も後一ヵ月後には親になるため、息子嫁のお腹は随分目立つようになって、まるで横綱といった感じで、出産を控えて何かと準備を進めていて、息子などは名前の本などを買い求めて思案に余念が無いようです。親馬鹿ですねえ。

 息子の所に車を置いての外出だったので、帰りに息子のマンションに立ち寄りお茶をご馳走になりました。長男に生まれながら結婚しても親と別居し、多少家賃が高くついてもこんな夢のような暮しが出来るのですから今時の若い者はいいなあと、親である私たち親の理解に一応感謝の態度を見せる二人ですが、子どもが出来てさてこれからここで住み続けるか、わが家へ帰るか、息子たち夫婦も選択の帰路に立たされているようです。妻の意見ではもう少し二人+赤ちゃんの暮しをして、子どもが大きくなったら選択すればいいといいますが、はてさてどんな最大公約数が出ることやら・・・・・・。

 今日のウナギは親孝行のつもりだったのでしょうが、素直におご馳走様でしたと感謝します。「子どもを育ててよかったね」とはポツリ妻の言葉でした。

  「値打ちある うな重馳走 こりゃ美味い 子ども育てて よかった一言」

  「感動も しない日ごろの 飯だけど 今日のうな重 久々美味い」

  「何となく 元気が出たぞ ウナギ効き この夏乗り切る サプリの代わり」

  「このウナギ 高くつくねと 妻の弁 素直に喜べ 諭す言葉を」 



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