shin-1さんの日記

○妻の若返り

 このところ頭に白髪が目立ち始めた妻は私に、「お父さん頭を染めようか」と口にするようになりました。日本人の女性が茶髪に染めていることに批判的な私は、「そのままがいい」と余り乗り気でない返事を繰り返していましたが、昨日外出から帰ってみると、妻の髪の異変に気がつきました。茶髪ではないものの目立っていた白髪が消え黒髪に変身しているではありませんか。「お父さんどう」とポーズまでとって変身ぶりをアピールする妻に「頭だけが若返ってどうするの」と冷やかし半分な言葉を返して夫婦で大笑いしましたが、女性は幾つになっても若くありたい、美しくありたいと思うものだとしみじみ妻の頭を見て思いました。先に仕事から帰っていた次男にも「一生君どう」とさりげなくポーズをとったそうですが、次男は母親の頭の変化にまったく気付かず、妻が「頭を染めてみた」と説明しても「ふーん」くらいの素気ない返事だったそうで、妻は落胆の様子でした。「頭だけが若返ってどうする」とけなした私の方が次男の反応よりよかったため、「やっぱりお父さんじゃわい。私の頭が綺麗になったのを直ぐに感じてくれた」と逆に私の株を持ち上げました。

 最近気になって仕方がないのですが、やはり「その考えは古い」と妻がいうように私の考えは古いのでしょうか。日本人の髪は「髪はカラスの濡れ栄えで」なんて言葉そのままに、黒髪が一番だと思うのですが日本全国の巷では総茶髪といわれるほどに茶髪の人が多いのです。ある外国人の友人が「日本人は何故茶髪に憧れるのかしら?」と私に漏らすほど日本人の黒髪に対する意識は大きく変化してきました。それでも世の中の流行とは恐ろしいもので、役所へ初めて茶髪の女の子が入ってきた時はみんなが目をパチクリさせながらその子の事をやれ「役所に相応しくない」とか、「役所を何と心得ている」なんて陰口をあれやこれや言ったものです。それがどうでしょう今では茶髪常識、むしろ黒髪の方が肩身の狭い思いをするような社会になったのですから分らないものです。今では男性も髪を茶髪に染めて平気で役所にやって来る時代になりました。

 私は茶髪が悪いというのでは決していうのではありません。私の家内のように白髪が多くて気にする女性だっているし、髪はファッションの一部ですから美しくありたいと思う女性の願いはよく分るのです。しかし人がするから自分もするという横並び現象はいただけないのです。親が横並びだと子どもも横並び、当然学校には校則があって先生と生徒のいたちごっこに頭を痛めている学校は枚挙に暇がないようです。

 妻の染めた黒髪を見て、私は自分の顔を歯を磨きながらまじまじと見てみました。顔の構造は相変わらずですが、いつの間にか私の頭にも白髪が目立つようになってきました。それでも出会った人は「若松さんの頭は白髪が殆どありませんが染めているの?」といわれるほど白髪は少ないようです。散髪屋さんも「若松さんは年齢から見ると白髪が少ない方だ」と褒めてくれます。妻に「お父さんも染めてみたら」なんて冷やかし言葉を言われましたが、髪に対する偏見を変えなければなるまいと思った次第です。

 でも私は黒髪が好きだし、少しロマンスゲレーになった妻の髪も素敵だと思います。今更髪だけ若返っても仕方がないと、「お前の髪は私に合わせた方がいい」と今朝もいってやりました。

  「髪だけが 若くなりたる 妻姿 出腹どっしり そこを何とか」

  「世の中は 変ったものだ 茶髪増え まるで外国 黒髪少数」

  「一番に 妻の変化を 見抜きたる 俺はやっぱり あんたの夫」

  「本当は 綺麗と言って 褒めたいが 直ぐに図に乗る 後が怖くて」

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shin-1さんの日記

○中止や延期相次ぐ

 このところの雨や台風襲来で関係する研修会や講座の中止や延期が相次いでいます。主催をする人たちは台風発生や梅雨の天気予報を毎日朝昼晩に一喜一憂しながら気を揉んで見てきたに違いないと思うと、中止や延期の決定もやむを得ない措置だと思うのです。私も役場に努めて35年間、社会教育やまちづくりの第一線で各種イベントなど天気に左右されやすい現場で仕事をしていたので、その心情が痛いほどよく分るのです。

 延期や中止の決定は早過ぎるとその後の天候回復などで「何で?」と開催切望組から批判をされます。逆にいやいや参加組からは歓待されるのですが、準備に費用が伴うものはそのリスクが大きく、やってもやらなくても費用が発生し大変な迷惑をこうむります。私が発想実行して今に続いている夕焼けコンサートなどはその典型で、出演を予定しているアーティストには全部若しくは一部のキャンセル料金が課せられるのです。それでも私たちのコンサートは無料なのでまだましですが、これがチケットを事前に販売しているとその事後処理は更に煩雑で、チケットの払い戻しやその連絡に相当の事務処理量がついて回るのです。故に少々の小雨でもブーイングや入場者が少なくても強硬突破となるのです。夕焼けコンサートもそんな憂き目に随分会って胃の傷むような思いを何度もしたものです。

 先日私が実行委員長を務める地元の小学生を対象にした少年少女おもしろ教室の漁船で底引き漁を体験する講座も雨で延期をする決定通知が担当者から電話でありました。一応私が責任者ですから最終決定や責任は私が追わなければなりません。担当者は天気の状態の推移予測、危険度、受け入れ側の意思などを細かく説明し、私に判断を委ねましたが、私の判断は事務局の判断と一致していたため延期となり、参加予定の子どもたちへ延期通知がされたようです。ところが先日受け入れ側の漁協組合長に会って話を聞くと、延期後の予定の日時では臨時定員申請の期限が切れて再申請の必要があり、多額の申請費用が発生するから今月中に実行できないか相談がありました。結局二転三転した挙句今月末に再変更となったようです。

 昨日はくらしの講座で講演中に私のポケットの中でマナーモードの携帯電話のバイブレーションが動き続けました。気になりながらも講演優先で時間の間無視し続けました。集会が終わると昼食中にその電話が殺到し、食事も途中休んでの対応となりました。その殆どがこの3日間の講演予定の中止若しくは延期相談でした。特に今日出かける予定だった高知県春野町での研修会は、事務局からの電話によると台風進路内に位置しているためや、遠方を出かける私を気遣って中止となりました。

 四国山脈の山を背にしている私たちの所は今のところ風もなく無風状態で雨のみがうらめしく降り続いています。同じ四国でもこうも違うのかと思うほどの静寂ぶりです。かつて台風を侮り「天に向かってブツブツ言うな雨の日には雨の日の仕事がある」と豪語し無謀にも無人島でキャンプを続けたり、研修先へ出かけて散々な目にあった若い頃のいまわしい過去の思い出を思い出す度に、「安全が一番」をモットーにしています。

 今日は高知県の研修会の中止を受けて久しぶりに「忙中閑有り」です。「ここのところ忙しかったからたまにはゆっくり休養したら」とは妻のねぎらいの言葉です。久しぶりにゆっくり本でも読みながら至福の時を過ごしましょうか。

  「台風の 行方気になる 今朝の雨 中止連絡 お陰で休み」

  「いまわしい 過去の記憶が 甦り 気を引き締めて 備えおさおさ」

  「風速が 五十メートル 吹いたいう 沖縄テレビ 臨場伝え」

  「あの人は 今頃無事か 思い出す 心配電話 かけて確認」 

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