shin-1さんの日記

○梅が大豊作

 昨年も梅が豊作で梅干しや梅酒を沢山作りましたが、今年も昨年に続き豊作のようで、わが家の作況指数は大豊作というべきでしょう。今日は大学の講義日だし明日の佐賀県入りのこともあるので午後からはその準備で忙しいため午前中思い切って人間牧場へ梅の収穫に出かけました。今日の午前中は昨夜の雨は上がったものの霧が立ちこめ太陽も薄日程度で暑くもなく梅もぎ作業には絶好の日和でした。昨年は日記によると6月2日に梅取りをしているのでその頃でもと目安にしていましたが、今年はその日がほたる祭りで愛媛大学の和田先生たちがやってくるので、今日が適期とばかり20キロ入りのキャリーを二つ、それに発泡スチロールの箱を2つ持ってソウチョウ時過ぎに妻の作った弁当とお茶を持って家を出ました。

 人間牧場につくと早速みかん収穫袋を首にぶら下げて梅もぎを始めました。梅の木は11本あるのですが人間の世界と同じように毎年マメに実を付ける木もあれば、隔年結果の木もあって中々上手く行かないものです。それでも一番沢山なった木は何と20キロキャリーに2杯です。「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」といわれ梅は選定をしなければいい実はなりませんが、わが家の梅の木は殊勝にも選定もせず、消毒もせず、肥料も一切やらないという完全に粗放農業なのですが、何故か毎年多くの実を付けて暮れるのです。品種ははっきり分りませんが加賀梅と紀州梅のようだと森林組合の人がいいました。

(左と真ん中のキャリーの梅が一本の木から収穫した梅の実です。右端は別の木の中梅です)

 3箱収穫したところでお昼になったので、梅を入れる容器がなくなったので弁当を食べぬまま車に積んで下山しました。お昼休みに帰った妻に収穫した梅の実を見せると少し憂うつな顔をしました。sれもそのはず、梅の漬け込みはもっぱら妻の役割だからです。加えてこの梅を漬け込むとなると容器や塩や梅酒用のビン、砂糖など材料の調達にかなりの費用が要るからです。でも人間牧場で一年間飲むに足りる梅ジュースを造ることが理想なので、平身低頭お願いする事にしました。残念な事に私が出張のため在宅で手伝えない恨みもあるので大きな口はたたけないのです。

 大正初期の国語読本に「梅の一生」という文章があったので参考までに紹介しておきます。

  梅の一生

 二月三月花盛り

 うぐいす鳴いて春の日の

 楽しい時も夢のうち

 五月六月実がなれば

 枝からふるい落とされて

 村からまちへ持ち出され

 何升何合の計り売り

 元より酸っぱいこの体

 塩につかって辛くなり

 紫蘇につかって赤くなり

 七月八月暑いころ

 三日三晩の土用干し

 思えばつらい事ばかり

 これも世のため人のため

 しわが寄っても若い気で

 小さな君等の仲間入り

 運動会にもついて行く

 まして戦のその時は

 なくてはならないこの私

  「梅の木は やたらと刺が 飛び出てて 体のあちこち 引っかきだらけ」

  「花を愛で 実を加工して 二度も得 梅酒三度目 賑やか酒宴」

  「収穫の 喜び束の間 妻の顔 梅を処理する 今日は残業」

  「大正の 国語読本 戦詠む 今は平和な 世の中ゆえに」


 

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shin-1さんの日記

○買ってもらった麦藁帽子

 もう二年前の出来事になってしまいましたが、人間牧場の構想を立ち上げるため双海町下灘池久保の廃園に入ったのは4月のことでした。教育長を辞し念願の自由人になった喜びに浮かれていた矢先、妻から地下足袋と麦藁帽子をプレゼントされました。ホームセンターの買い物袋に入った真新しいコハゼが10枚もついた地下足袋を履き麦藁帽子の出で立ちで人間牧場の大地に鍬をふるい、まるで西部開拓のような強い意志に燃えていました。あれから二年の月日が流れましたが、概ね五年間を目安にしていた構想の実現は息子の協力もあって予想以上の進捗を果たし、今は全国から沢山の心ある人たちを迎えるまでに成長したのです。

 六十歳という人生の峠を越えて普通であれば一服し、底からは緩やかな下り坂に向かうのであろう人生を、もう一度次の峠を目指そうと決意できたのは実は妻からプレゼントされた地下足袋と麦藁帽子でした。旅には旅支度というのがあるのでしょうか、無位無官となったサンデー毎日の私に似合う旅支度はどうも地下足袋と麦藁帽子がよく似合うような気がするのです。「そんなみっともない作業着は捨てたら」と妻がいう使い古しの作業着も「まだ着れるから洗濯しといて」とねだって、相変わらずその格好だと下の下の人間風袋で農作業を楽しんでいるのです。

 近頃の太陽の照り返しはひどくて、毎朝顔を洗う時自分の顔の黒く日焼けしてゆくことに気付いているのですが、別に気にもせず日焼け止めなど塗る顔でもなく平気で人前にも出ています。最近仲間から「若松さん少し元気になったみたい」とよく顔つきを見て言われるようになりました。多分日焼けのせいではないかと思うのです。胆嚢という小病を患い68キロあった体重は56キロ

にまで落ち込んだままです、ガンではないかと噂された体力もそれなりに回復し、農作業で筋力も少しだけアップししました

が、その体力を支えてくれたのはやはり妻のプレゼントしてくれた地下足袋と麦藁帽子でした。その麦藁帽子がかなり痛んできました。地下足袋も麦藁帽子も人間牧場水平線の家常備品として置いていますが、数日前わが書斎に麦藁帽子がひとつ無造作に置かれていました。「顔の色が日焼けして黒くなった」という私の言葉に反応しての妻からの嬉しいプレゼントなのです。前回買ってもらった麦藁帽子は作業に適した縁の小さいものでしたが、今回の麦藁帽子はおじさん用とでもいうべきひさしの大きいもので作業には不向きです。でもこのくらいないと夏の暑い日差しは遮れないのかも知れません

 昨日の夕方外出先から帰って夕方まで時間があったので家の外周りの草削りをしましたが、新品の麦藁帽子を被ってやってみました。仕事から帰った妻が「まあお父さん似会うじゃない」とまるで自分のことのように褒めてくれました。「お前だけじゃあ、俺を褒めてくれるのは」と大笑いしましたが、嬉しい贈り物です。多分この麦藁帽子はささやかな父の日のプレゼントとしてお茶を濁されることでしょうが、そんなに欲しいものがあるわけでもなく、これが一番のプレゼントとして喜んでいただきます。

 麦藁帽子が恋しい、そして麦藁帽子が似合う季節になりました。子どもの頃近所のおじさんが麦藁帽子を被って腰に手ぬぐいをぶら下げて自転車に乗っている姿を思い出しました。多分近所の子どもの目にも私の姿はそのように映ることでしょう。

  「麦藁の 帽子を被り 歩く俺 子どもの目には どんなに映る」

  「父の日の 贈り物かや 麦藁の 帽子わが部屋 そっと置かれて」

  「真っ黒に 日焼けしている わが顔を お元気そうでと お世辞いう友」

  「化粧品 つけず六十 有余年 だから綺麗じゃ ないはずですね」

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shin-1

○拠点は何処に

平成の大合併が一昨日の松野町の住民投票で一応終止符が打たれそうな雲行きです。宇和島を合併相手とする票より鬼北町をを合併相手とする票が400票も上回ったのですから文句なしと言わなければなりませんが、何年も対立したわだかまりはそうそう雪のように一気に解けることはないかも知れません。でも民主主義で選んだ選択なので選ばれた鬼北町に騒動を持ち込まないだけのマナーだけは守って欲しいものです。

 合併が一段落して早くも話題は5つあった県の出先機関地方局の統合問題へと移ってきました。南予の中心を目指す宇和島と八幡浜には現在地方局があってそれぞれ優位性を訴えているのですが、この2つの地方局が統合するとなると、高速道路の普及によってそれぞれの位置関係や重要性に変化が見られるだけに、民意だけでは解決できない高度な政治判断が求められそうです。

 これまで宇和島管内と八幡浜管内の2つに分かれて開催していた愛媛県管内公民館活動ステップアップセミナーが、今年は2つの管内を1つにして大洲市で今日開催されました。一見急に人が増えたような錯覚を持ちましたが1+1=2になっただけのことですが、さすがに2つの管内が一緒になると、管内大会といいながら遠くは愛南町からも駆けつけなければならず大変な距離異動のようでした。宇和島に拠点を置くと中心のようにも思われますが、大洲や八幡浜、伊方町、内子町は中央から地方へ逆行し県庁へ行く方が近いという話になります。不便が便利に変化する時代に、行政は住民の元から段々遠ざかる傾向にあるこの姿は最早異常としか言いようがないのです。このことは今治、西条地方局においても例外ではなく西条と今治がその拠点誘致に向けて県議会議員も巻き込んだ激しい水面下のバトルをくり返していると聞いています。いずれにせよ地方局という拠点ができると何人かの県庁職員が常駐し飲食などの経済活動を行う訳ですから、効果たるや相当なものになるだけに気が気ではないようです。

さて昨日のステップアップセミナーは公民館職員や教育長の経験から余計な話を随分してしまいました。それは講演が始まる前の私の紹介が余りにも素敵だったからかも知れません。私のブログから引用した様々な参加者の知らない側面をお話しいただいた誘導に引っかかってしまったのです。嬉しいことでした。通り一遍等の話でないところがいかにも公民館らしいと思いました。

 「公民館とまちづくり」という演題でステップアップに沿って話した内容は概略次の通りです。



 

  ステップアップの7段階

 ステップアップ1  問題点を明らかにする

 ステップアップ2  問題点の原因を明らかにする

 ステップアップ3  問題点の解決策を考える

 ステップアップ4  計画を立てる(人・物・金・こと・情報=企画力)

 ステップアップ5  計画を実行する(巻き込み運動)

 ステップアップ6  反省評価する(内部評価・外部評価)

 ステップアップ7  分類する(始める活動・続ける活動・高める活動・止める活動)


   公民館ないないづくしの10ヶ条

 第1条  一山百円で特徴がない公民館

 第2条  子どもと青年と婦人が集まらない公民館

 第3条  職員のやる気が感じられない公民館

 第4条  事業バランスが崩れている公民館

 第5条  金がないし知恵もない公民館

 第6条  公民館運営審議会が機能していない公民館

 第7条  いのちとくらしに役立たない公民館

 第8条  自治能力が向上しない公民館

 第9条  行政に当てにされない公民館

 第10条? 未来性がない公民館


  公民館の活性化に向けて

 1、時代の流れを読む

 2、住民の意識と行動を知る

 3、地域の問題点を明らかにする

 4、地域の夢を描く

 5、課題解決のため行政と協調・対立する

 6、人を育てる

 7、行動によって世論の風を起こす(フットワーク)

 8、交流する(ネットワーク)

 9、情報発信する

 10、人間力・地域力・教育力を追求する

 終りに質問が2件ありました。鋭い質問でした。

  「あの席に 昔は座り 受講した 懐かしき日々 脳裏かすめて」

  「紹介を されて壇上 話しする 見事な誘導 お陰様にて」

  「結局は 人人人の 良し悪しで 決まる活動 やる気起こして」

  「誰一人 眠る人なし 嬉しいね 九十分の 講義終りて」


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shin-1さんの日記

○生まれ変わった高松

 四国の玄関口という名前を長年欲しいままにしてきた高松には、その名残か今でも国の出先機関や会社の支店が名前を連ねています。しかし最近橋が架かったり情報網や交通網が発達して、大阪に近いという地の利が崩れ、NHKや郵政などが四国ブロックの拠点を愛媛県に移したりしたものですから、高松の存在が薄くなっていました。また瀬戸大橋ルートや明石・鳴門大橋ルートが開通して宇野・高松連絡船もその座を奪われると、高松の衰えが急速に目立ち始めていたのです。起死回生で望んだ高松駅周辺の再開発は予想以上の効果を生んで、今ではまさに高松の玄関、高松の目玉、高松の中心として大きな役割を果たしつつあるようです。残念な事にその反動で中心市街地の凋落は目を塞ぎたいような感じですが、それも仕方がない出来事として、新しい街への期待をしなければならないようです。

(えっ、これ東京じゃないの?と見まがう程のサンポート高松の中心施設です)

 先日5月24日内閣官房から要請があり、サンポート高松で開かれた「地域活性化応援隊派遣相談会in香川」という集会に出かけました。このところ香川県高松市での集会は殆どこの会場や全日空ホテルを使うためすっかり馴染みの場所となりました。何せJR高松駅の構内のようなものですからアクセスがすこぶる便利で、また海に面した新しい感覚の施設なので快適なのです。しかしまだこの施設は香川県や高松市はもてあまし気味で、察するに稼働率はそんなに良い方ではないのではないかと思われ、今後のコンベンションとしての利活用が待たれるところです。

(サンポートホール高松はまるで宇宙基地のようです)

(海辺の全日空ホテル)

 この日の会合は、「地域活性化伝道師」という肩書きを地域活性化担当大臣からいただいた最初の仕事でした。最近阿部内閣になって霞ヶ関の職員が盛んに地方へ出かけて対話する姿が見られます。これまで政府のことは東京で決まった話として情報公表されてきましたが、顔の見えるようなことはまずありませんでした。ましてや出先ならいざ知らず政府の役人から直接仕事を頼まれることなど殆どなかったのです。会議は内閣官房から構造改革特区・地域再生に関する制度説明に続いて二人の伝道師が30分ずつの持ち時間で事例紹介をしました。その後は伝道師・象徴担当職員による個別相談が行われましたが、私たちへの相談は防犯・防災のまちづくりの組織化と行政の関わり方でした。少し難しい話なので割愛しますが、平成の大合併後の首長選挙が大きな問題を投げかけている事に気付きました。

 首長には民間・行政経験者・議会経験者などが立候補しますが、無党派層を意識してマニフェストを掲げて現職組に揺さぶりをかけ、功を奏して就任した首長は外から行政を見ていて矛盾と思える事を様々な方法で解決しようとします。その場合義かとの軋轢や職員の抵抗にあって中々思うように進まないのですが、それでも4年という短い任期に全ての思いをぶつけて行政をするのです。結果的にいい行政が行われればいいのですが、無理難題を突きつけられた職員はたまったものではないと、冷や汗をかいているようでした。

 行政の本来の目的は地域住民の幸せ実現のためにやるのですが、人気取りになったり一部の人の都合の良い方向に誘導される危険性もはらんでいます。いいトップに恵まれた私の町も合併して少し遠い存在のトップに変りました。でもトップを身近に感じるような行動を私たち市民も参画と協働によって実現させなければならないと思うのです。

  「哀愁を 帯びた汽笛や ドラの音 五色のテープ 記憶の底に」

  「新しき 海辺の街を 潮風に 吹かれて歩く 皐月のどけき」

  「この頃は 霞ヶ関の 役人も 地方重視と 巡回歩く」

  「島行きの 小さな汽船 客を乗せ 長閑けき瀬戸を 右に左に」

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shin-1さんの日記

○まるでおもちゃの買い物篭

 娘の出産が近づくと人間は誰でもそうなのか分りませんが、今まで気付かなかった妊婦の姿があちらこちらで目に付くようになって、妙に娘お腹と見比べたりするのですから不思議なものです。「あのお母さんの腹は前へ突き出しているから男の子かな。あのお腹の具合だと女の子に違いない。」とか、「盲9ヶ月くらいでいよいよだな。」何て他愛のない目でジロジロ見たりするのです。多分相手となる妊婦は「まああのおじさん私のお腹をジロジロ見ていやらしい」と思ったに違いないのです。

 先日東京へ行きました。町中に人が溢れて活気があるようにも見えましたが、信号が変るとまるでアリの集団が何の目的も持たずあちらこちらへとうごめいているようにも見えて、都会のすき間を垣間見るようでもありました。そんな群集に混じって若いお母さんと生まれたばかりの子供をつれた姿を何度か目にしました。ベビーカーに乗せてゆっくりと歩いている人、赤ちゃん専用の抱っこ用具で前に抱いて歩いている人に混じって篭に入れて持ち歩いている人を見かけました。

 動くベットのような籐で出来た篭に入れられた子どもはまるでおもちゃのようで、思わず無造作に歩く母親の姿を見てしまいました。若い母親は今流のお化粧をしてとても産後とは思えない体型をしており、産後すっかりやつれた姿をしているわが娘とはまるで大違いなのです。その母親は信号待ちしている間は、腕がだるのか買い物を置くように無造作にそのベビー篭を地面に置いて化粧を直していました。明らかにベビーは二の次で、第一は自分の顔の化粧直しなのです。やがて信号が変りびこの母親はベビー篭をブラブラさせながら雑踏の中を歩いていましたが、赤ちゃんがトラックのクラクションに驚いて泣き始めると歩道の隅に寄って、ベビー篭に入れてある哺乳瓶を赤ちゃんの口にあてがい、地べたに置いたまま無造作に飲ませ消えて行きました。

 この光景をじっと眺めながら、「ウーン、時代は変ったなあ」としみじみ思いました。時あたかも国会で「母乳問題」が議論されています。「子育てには母乳を」と提案すれば、「母乳の提案は母乳の出ない人に失礼で、そこまで個人のプライバシーに踏み込むのは配慮に欠ける」と反論するなど、親と子どもの子育て議論など棚に上げ、わが党が正しいという一票獲得争いをしているにしか思えない寂しい日本の政治家の意識と行動が若い母親の姿とダブって見えました。

 わが娘は一人目もそうでしたが、今回のお産も母乳がよく出ます。生まれて10日目の赤ちゃんは毎日母乳を飲んでスクスク育っています。母乳の効果については諸説ありますが、門外なので語ることは出来ません。母親が持っている病気への抵抗力も備わっている母乳は他に比べることのできない飲み物であることは確かです。もっと大事なことは授乳を通して母親の体温や心の温かさを赤ちゃんに伝えることだと思うのです。これこそサムシング・グレート(遺伝子という目に見えない自然の偉大な力)だと思うのです。母親は授乳を通して赤ちゃんに語りかけ、時には子守唄を口ずさみます。まだ目の見えないはずの、まだ何の意識もないはずの赤ちゃんが授乳の時自分の手で母親をつかみ、目でしっかりと母親の顔を見ているのですから無意識ながら凄いエネルギーの注入なのです。

 一人の人間のまだ始まったばかりのスタートは、授乳という行為で赤ちゃんに大きな支援をしています。その行為は一人の人間の将来を左右するとても大事な出来事なのです。母乳を飲ませる行為をたとえお乳が出なくても赤ちゃんにしてあげることは日本の将来にとっても必要なことかも知れないとしみじみ思いました。

  「篭に入れ まるで赤ちゃん お買い物 今様ママは これが子育て」

  「わが娘 お産の後の やつれ顔 それもそのはず 大きな仕事」

  「目も見えぬ 赤子キョロキョロ 乳を飲む 心ほのぼの 娘の姿」

  「ああ俺も あんな時代が あったのか 今は一人で 大きくなったと」

 

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shin-1さんの日記

○人間牧場での芋植え

 学社融合という言葉があります。学校教育と社会教育が手を組んで子どもたちを健全に育てようという運動ですが、このところの相次ぐ青少年を巡る事件や事故をきっかけに、青少年の健全育成はすっかり陰を潜め防犯的な守りの性格が強い方向に誘導されているようです。しかしその防犯も危機感のあったあの頃はみんながその方向や子どもを見ていましたし、子ども見守り隊なども機能していたのに、いつの間にかすっかり馴れ合いになって、公も私も責任逃れや付け焼刃的日本らしい場渡り意識が垣間見えるのです。

 「ふるさと教育」を提唱実践する私としては、これまで「無人島に挑む少年のつどい」など20数年にわたってボランティア活動を中心とした青少年の健全育成に取り組んできましたが、公教育に身を置く身として教育委員会教育長を辞めてからが本当の学社融合だと思い、人間牧場を開放し様々な活動に昨年から取り組み始めました。昨年は双海少年少女おもしろ教室のプログラムの一部である芋植えを人間牧場の農場で行いました。残念ながらイノシシに全ての芋を食い荒らされ、惨めな結果に終わってしまったのです。失敗経験こそ必要の立場から今年は「イノシシと人間の知恵比べ」をスローガンに芋植えを今年も5月26日(土)行いました。今年のプログラムは応募者が多く抽選までするという人気ぶりでしたが、選ばれた36人の子どもたちは元気に人間牧場へやって来ました。

(水平線の家での開講式)

(ウッドデッキで初夏を楽しむ)
 今年の特徴は主催する実行委員会のかかわりを多くすること、子どもをお客さんにしないことですが、事務局の職員がこうした視点に目覚めて学社融合を考えることは昨年に比べると凄い成長です。多分企画から運営まで理想的に全てを実行委員会が関わることは出来ませんが、実行委員会のメンバーである小学校の校長先生がお二人も開講式に見えられるなど、既に効果が出始めています。また子どもたちもこれまでのように全てお膳立てした所でやるのではなく、畝つくりやマルチかけ、イノシシの害から守る網囲いや空き缶によるイノシシ脅しまでみんなで製作設置しました。

(囲い網の支柱に使う鉄筋の赤ペンキ塗り)
(空き缶を使ったイノシシ脅し作り)

(リーダーの指導で畝作り)

 やがて全ての準備が整いいよいよ植え付けです。マルチに穴を開け土を掘って芋ツルを差し込んでゆくのです。普通はここからが始まりですが準備万端整った後の作業だけにみんな真剣に取り組んでくれました。

(芋ツルをマルチの中に差し込んで植える風景です)

(大勢でやるのであっという間に植え付け完了です。


 普通の作業はここまでですが、イノシシから芋畑を守るため周囲に網を張り巡らす作業が始まりました。漁師さんから貰った太くて頑丈な網を芋畑の周囲に打ち込んだ鉄筋や木柱、杉の木に張り巡らし紐で止めて行きます。

(支柱を打ち込む指導者たち、この日はえひめ地域政策研究センターの職員4名、大学生3名が応援に駆けつけてくれました)

頑丈な網を周囲に張り巡らせてゆきます)

(最後にイノシシに読めるように看板を立てました。「イノシシに告ぐ。このサツマイモは人間様の食べ物にて、食べるべからず。もし手足と口を出せば捕獲の上イノシシ鍋の刑に処す」と書きたいところですが、残念ながらイノシシは文字が読めないためこのような看板に落ち着きました。

  みんなでイノシシ脅しの空き缶を回りに吊るしてやっと完成しました。想像以上の出来栄えに参加者も指導者も満足しその前で記念写真を撮りました。


(ロケ風呂から下界を見下ろし写真を一枚)

 あっという間に4時間が過ぎ弁当を食べ、人間牧場のあちこちを散策したり遊びながらのプログラムでしたが、前日の雨が嘘のように晴れわたり、この時期としては慰霊と思える黄砂が降り注いで遠望視界が効きにくい状態でしたが、事故もなくみんな元気に手を振りながら歩いて下山しました。

 秋の芋畑会議が待ちどおしいですね。

  「昨年は イノシシの餌 作ったと 悪評たたかれ 今年は奮起」

  「活き活きと 芋植え励む 地元の子 眼下に瀬戸の 島々霞む」

  「このツルに 芋が本当に 出来るのと 不思議を問うて 穴に差し込む」

  「笑ってる どこか視線を 感じつつ 人間様は 馬鹿げた行為」 



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shin-1さんの日記

○名無しの赤ちゃん入浴中

 娘に第二子が誕生したのは5月18日の午後でした。流産の危険があると出産前2ヶ月の入院を余儀なくされていただけに私たち家族は気を揉みましたが、本人の苦しみは分りませんが時間的には安産で、赤ちゃんは出産直後保育器に入ったものの母子ともに健康なようでひとまず安心しました。退院も無事済ませ病院から実家へ直行し、ただ今早苗田に鳴くカエルとともに孫の鳴き声が聞こえる賑やかなわが家です。娘は18日が出産予定日で、ズバリ予定日に産まれたのですから、さすが助産婦を生業としているだけのことはあると見直しました。

 私たちにとって孫は二人目です。今年の8月には長男夫婦にも孫の誕生が予定されており、嬉しいことなのですが妻にとってはお産、お産後の世話など今までにも増して忙しい日々に悩殺されて疲労困憊といったところで、披露蓄積がうかがい知れます。少し手伝ってやりたいと殊勝な気持ちだけは持っていますが、食事や洗濯など私には門外漢で娘の産後の回復を祈りながら当分は賑やかさを気休めに頑張る日々が続くことでしょう。

 わが家の変化といえば孫が松山の幼稚園に通っているため相変わらず朋樹プロジェクトを続行しなければなりません。娘婿も新年度に入って忙しかった大学の仕事も落ち着き、少し余裕が出たのかただ今はマスオさん的存在でわが家から孫を連れて朝出勤し夕方孫を迎えてつれて帰る日々が続いてます。しかし孫にとっては退園の3時過ぎから居残り組みとして保育され、迎えが6時近くになると我が家へ到着するのは7時過ぎになるので、孫にとっても毎日お疲れモードで土日が待ち遠しいようです。娘婿の披露を少しでも軽減し孫を少しでも早く迎えに行くには、私の存在は貴重なようですが、このところ私の仕事も忙しく、次男が就職で一抜けした朋樹プロジェクトの穴埋めは私しかいないと、娘の視線や言葉が返ってきます。まあなにはともあれ鳴いたり笑ったりしながらもわが家は平和な日々が続いています。

 孫の暮しにも変化が見られ、「お兄ちゃんになった」ことを周りから強調されるし、母親を独占できた今までの暮しが一変したのですから、やっかみと嬉しさと自覚の行動が随所に見て取れます。愛情不足を感じてわがままになる部分もあるのですが昨日はそれまでしたこともないお漏らしまでしたようです。多分愛情の微妙な変化のせいだと思います。それでも赤ちゃんに少しでもさわりたいのか手を洗って赤ちゃんに近づこうとします。弟が出来たことの嬉しさとお兄ちゃんとしての自覚の芽生えなのでしょう。

 赤ちゃんの名前はまだ決まっていません。私のように出来る前から字画など考えず短絡的に名前を考え付けていたのと違い、昨晩も夫婦で盛んに名前について話し合っていましたが、朋樹のようないい名前をつけてやってください。



 昨日は夜赤ちゃんを風呂に入れました。風呂といっても娘は助産婦らしく、また時には現代人らしくベビー専用の風呂桶を友人グループで共用しており、これをたらい回しというのでしょうか、とにかく衣服も小さい時の洋服はみんなで譲り合って使っているようで、がっちりしたものでです。



 風呂に入れ始めると泣き叫ぶ赤ちゃんがピタッと泣き止みます。朋樹と同じように風呂好きなのです。赤ちゃんを風呂に入れる様子が気になるのか朋樹は側にやって来て私と一緒にジロジロ見学します。へその緒のついたおへそがやはり気になるようで、自分のへそをさわりながら見ていました。

 「赤ちゃんはどうしてこんなに赤いん」とか、「へそが可笑しい」と笑いながら赤ちゃんの風呂桶にみんなが集まる夜でした。

  「赤ちゃんは どうして赤いの 問われても どうしてどうして 赤だから赤」

  「小さくも 命のバトン 受け継いで 生まれし孫の 健やか願う」

  「さっきまで 泣いていた孫 湯に浸かり ピタリ泣き止む 気持ちいいのか」

  「人生の 始まりこうして 私にも あっただろうと 亡き母思う」

  

  

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shin-1さんの日記

○人間牧場はもうすっかり初夏

 四国のあちらこちらからは早くも水不足で取水制限なんて話題が報じられています。確かに今年の冬の降水量は少なかったと実感しますが、田植えや工業用水など水の心配をしないで済む私たちにとってみれば日々の暮しは雨が降らない方が断然過ごしやすいのです。でもその水不足が何年か前の水不足の時のように日々の暮しに影響することを考えると雨も適当に降って欲しいと願わずにはいられません。

 重信川水系の道後平野や伊予市中心部では裸麦の収穫も終りいよいよ本格的な田植えが始まりますが、私たちの身の回りの田んぼでは連休辺りから田植えが始まり5月の下旬には殆どの田んぼが田植えを終了しているようで、毎年早くなる田植えを見ながら、俳句の季語もすっかり様変わりしたとしみじみ思うのです。かつては田植えは農家にとって重労働の連続でした。牛を使った代掻きや苗取り、田植えは下を見てする作業だったので腰が痛くてたまらなかったようです。喜多郡長浜町(現大洲市)に伝わる豊年踊りのひとコマでもかがんだ腰や背中を伸ばすユーモラスな仕草が面白く表現されていますが、今は全て機械苗は専門農家に生産委託し、代掻きも植えるのも全て機械ですから、機械のいいのを持っている人は土に触って汚れることもなく農作業が出来る世の中になりました。しかし稲作農業は機械貧乏といわれるように機械に金、苗に金、農薬に金、手間に金と差し引けば完全に赤字になる農業者が大規模農業を除けば殆どだとも聞き及んでいます。田んぼに水を張った中に整然と植えられて早苗の姿はまさに阿部総理のいう「美しい国日本」を髣髴させるものです。

 人間牧場に3回目の初夏がやって来ました。一年目の初夏はまだ構想の域を脱していなかったので正式には2回目ですが、今年は過去の季節のめぐりを頭に入れて農作業を行い、既に2回も草を刈るなどかなり手入れが行き届いた感じがする今日この頃です。その人間牧場に大きな栗の木が一本立っています。「大きな栗の木の下で」の歌の題名ではありませんが今年も沢山の花を付けています。その威容たるやまさに堂々として緑の若葉を衣のようにまとった姿はまさに人間牧場の初夏を彩る原風景なのです。昨年はこの栗の実さえイノシシにやられ何ら打つ手もなく今年を迎えているのです。

 一方11本ある梅の木は今年も沢山の実を付けていて、去年の60キロほどではありませんがかなりの収穫が期待できそうだと内心喜んでいましたが、一週間前に吹いた南西の風に木々を揺らされかなりの量が落果しているようです。今日の新聞に七折の小梅の収穫最盛期の記事が載っていたので、もう果肉は十分食用になると思い、落果した梅の実を拾って我が家へ持って帰りました。梅果実酒なら使えるかもしれない3キロの梅の実を妻に見せると、妻は余り乗り気ではないようなので、自分でやってみようかとも思っています。

 時ならぬ南からの大風は表面には出ませんが、収穫間近な梅の実やビワにかなりの被害をもたらせたようです。梅はまだしもビワは袋かけという作業をした労働を考えると笑って済まされる被害ではないようです。

  「海バック 人間牧場 鮮やかに 緑の衣 初夏真っ盛り」

  「南風 梅を落として 去って行く 風に文句の 一つや二つ」

  「梅酒にと 落ちた梅を 一個ずつ 拾い集めて 妻に献上」

  「収穫の 時を待つよな 梅の実に もう直ぐだよと 声を掛けつつ」

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shin-1さんの日記

○忘れじょう

 今朝は昨日の雨が嘘のように晴れ上がり少し肌寒い感じのするすがすがしい朝です。例によって朝起きると敷地内別棟の隠居に出かけ、日課である親父のご機嫌伺いです。親父は既に朝の散歩も終わっていて今日の作業の準備をしながら私の来るのを待っていました。昨日あった事をまるで子どものように私に話すのです。90歳になる親父ですから耳も遠く、同じ事を必ず二度問い返したり答えたりしながらの会話なので魔泥腰いのですが、これも年寄りへの対応であり長男の務めと自分を納得させて対話をしています。

 親父の話によると昨日は近所の金物屋へ買い物に出かけたそうです。ところが店で買い物をしてお金を払うようになって財布を忘れていることに気がついたそうです。お店の主人は顔見知りで「いつでもかまわん」と言ったそうですが、親父はその言葉が嬉しくて「年寄りなのでまた払うのを忘れたらいけないのでこれから帰って持ってくる」と言い残して再び財布を持ってその店を訪ねたようです。「歳をとると物忘れが多くボケていけません。」と詫びを入れたそうですが、親父の心配は物忘れがひどくなったことだそうです。私はその話を聞いて「じいちゃん、財布を持っていない事を思い出したり、それを取りに帰る道を覚えているんだから大丈夫よ」と褒めてやりましたが、笑いながらどこか空しく歳をとることや死への不安がよぎっているようでした。

 歳をとれば誰でもピーク時のような記憶力は望むべきもありません。これは当然のことなのですが、それを悲観的に考え過ぎると「ああ俺も歳か、駄目かもしれない」と右肩下がりになってしまうのです。私は親父に「じいちゃん歳をとると忘れるのは当たり前、わしだって物忘れはあるよ」と自分を引き合いに出して話してやるのです。人間は忘れないと覚えていることがいっぱいあり過ぎて頭が爆発するらしい」とありもしない他愛のない話をしました。昨日のことも今日のことも全て覚えていると人間の脳は覚えることで混乱するから、忘れるのが丁度よいのです。

(中国四国青少年施設長研修会風景、顔なじみの大洲青少年交流の家の所長さんも参加されていました)

 そういえば私もつい最近は忘れることが多くなったように思います。私は出かける時忘れ物をしないよう心がけているつもりです。腕時計、携帯電話、ハンカチ、名刺、免許証などいわゆる出かけるための7つ道具を手で触って確認するのです。気になるカバンを提げていざ出陣です。ところが昨日は中国四国地区青少年教育施設連絡協議会一説長研修会が県立中央青年の家であって記念講演を頼まれて出かけたのです。前日の帰りが遅かったためレジメの作成が遅れ早朝になってしまいました。仕上がったレジメをプリントアウトするまでは完璧でした。それから食事を済ませて出かけたたものの、青年の家に到着してはたと気がつきました。プリンターの上に置いたままのレジメの存在を・・・・・。しまったと思いましたが後の祭りです。でも今の世の中は便利です。家内に電話をかけ青年の家のFAX番号を知らせて送ってもらい事なきを得ました。

 昨日の夜は日程のダブリでこれまたドタバタ劇です。自分ではちゃんと管理しているつもりでも相手とのコミュニケーションが上手くいかずお互いの思い込みで遠方から次の予定地まで移動できなくなってしまいました。講演が終わればそれで移動できると思っていた日程が夜の部の研修まで予定されていたのです。どちらを優先するか迷うのですがどちらも中途半端にある恐れがあるので、怒られるのを覚悟で決断しました。物忘れが自分の範囲内で終わればまだ良いのですが思いこみや勘違いによって相手に迷惑を掛けることの愚かさをしっかりと肝に銘じた一日でした。

 親父の物忘れという病気は息子の私にもまるで麻疹のようにうつりつつあるようです。物忘れの予防注射はないものかと思ったりしました。

  「物忘れ しないと頭 爆発す そんな戯言 親父笑って」

  「物忘れ しない注射は ないものか 多少高くも 求めるものを」

  「しまったと 何度も驚き 来たことか 俺の人生 ど忘れ人生」 

  「ああ俺も 親父の度忘れ 遺伝した 思えば親子 似てるもんだな」

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shin-1さんの日記

○凄いパワーの婦人会

 先日の日曜日、愛媛県では東の端ながら四国の中央と自認し合併した市の名前を四国中央市にした、市の婦人会総会に招かれ出かけました。新宮村、土居町、伊予三島市、川之江市が合併したため婦人会も大きくなり、出席者も多いと思われがちですが、この婦人会は旧市町村単位の婦人会にも何度かお邪魔していますが、とにかくよく集まりとにかく元気です。この日も会場となった三島福祉会館大ホールにはいっぱい人が詰めかけステージで話す私に大迫力を感じさせてくれました。

 四国中央市教育委員会職員とのメール・電話のやりとりで講演の打ち合わせを行いましたが、世の中には偶然の不思議な縁があることにも驚きました。先日愛媛県昇任校長・教頭研修会で横の席を引き当てて座った川之江南中学校の河村教頭さん(ブログで紹介済み)のお母さんが、何と連合婦人会の会長さんなのです。しかもこの日は河村教頭先生がお母さんを会場まで車で運ぶというおまけまでついていました。あいにく先生が部活動の指導のためとんぼ返りしなければならないことや、私と時間がずれていて出会うことはなかったのですが、メールのやり取りでこのことがイモヅルのようにつながって思わず苦笑してしまいました。とにもかくにも驚きました。

 さて最近は日本全国何処へ行っても婦人会という名の団体は退潮現象が顕著で、消滅したり消滅寸前の姿を目の当たりにします。かつては青年団とともに2大勢力を誇示した婦人会ですが、青年団などはもっとひどい状態でその組織のないまちやむらも多いようです。青年団も婦人会も戦後日本の復興に大きな役割を果たしてきたことは言うまでもありません。しかしそのような伝統が古い支配体質を生み、名前が古いとか役員になり手がなく次々と組織離れが起こり現在を迎えているようです。そんな実態を何とか解決しようと婦人会という名称を止め、女性の集いや女性ネットワークなどという名称に変えてみたものの、中身の変身が出来ず、結局は婦人会崩壊を早めてしまった所もあるのです。

 こうした婦人会の退潮を誘発したのは時代の流れに合わなくなったからだけではありません。行政と教育委員会の無策や安易な便利利用による原因も見逃すわけにはいきません。婦人会の役員=夫人の代表と勘違いして全ての公職を押し付け、火事や災害の度に炊き出しなどの雑用に酷使し続けてきたのです。当然役員の忙しさは倍増し「役員は忙しい」というイメージを植え付け役員になり手がなくなったのです。また社会教育団体として指導助言に携わるはずの教育委員会社会教育課も婦人会=婦人学級として文部省の補助金事業を押し付け、本来の婦人会の自由を補助金や助成金を餌にがんじがらめに縛ってしまったのです。特に婦人会の指導助言が担当者の無知で無策過ぎたことも反省しなければならないのです。

 「婦人会は何故なくなるのか?」、こんな質問に婦人会の役員は「メリットがないから」と答えます。「メリットって何?」と尋ねたら「シャンプーのことでしょう」何て笑い話が思い出されます。世の中には好きなことだけをする人をこの指止れ的に集めると目的がはっきりするので意識も高く、よく人が集まります。しかし婦人会のような組織は目的が多様で「婦人の暮しを高める」なんて漠然とした目的のためにかえって人の心を引き付けることが出来なくなっているのです。市民には好きなことだけをすればいいといった権利主張型市民もいますが、市民がわが住むまちに何が出来るか義務や参加参画を考えないとまちは自立の方向に向かないのです。

 私が提唱するまちづくり3つのキーワード、「楽しい」「新しい」「美しい」は婦人会でも求めて欲しい運度や活動のキーワードのような気がするのです。

 追伸

 後日私の基に御礼や感想といった沢山のハガキが届きました。打てば響く四国中央市の婦人会に乾杯です。

  「婦人会 名前が古いと 女性にし 変えてはみたが いっこう変らず」

  「婦人会 活発感じる まちの格 ないまち飛車角 なきに等しき」

  「行政の 無策が生んだ 悲劇にも 未だ気付かず 組織崩壊」

  「もう少し ゆっくりやろうよ 楽しもう 俺の話は 楽しいでしょうが」 

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