shin-1さんの日記

○ブログへの書き込みメール

 今朝インターネットのメールを開いてみると、久万高原町に住む友人からブログへの書き込みがありました。一昨日四国八十八ヵ所遍路について私が書いた記事を読んでのショートコメント感想でした。私のような名もなきに等しい田舎のおじさんの書いた文章でも、読んでくれる人がいるのかと思うとつい嬉しくなりました。決して褒められたことではない私たち夫婦が10年以上もかかって八十八ヵ所のお寺参りをしたことなので書くまいと思いつつ、それでも私たち夫婦にとってはささやかな家庭の歴史なので書いてしまったのです。メールをくれた渡辺浩二さんはもう二十年を超えての知人だし、彼の名刺には書き込めないほどのボランティア活動への深いかかわりが記してあり、私もそれなりに社会活動はしているつもりでも、渡辺さんの足元には到底及ばないと日頃から敬意を表しているのですが、彼のひたむきな努力が際立って光るのは「四国へんろ道文化世界遺産化の会」の事務長という肩書きです。私が所属するえひめ地域づくり研究会議の活度から始まったこの活動も、まるで浮き草のように浮いては沈む細々とした活動でした。今では昨年のユネスコ世界遺産暫定一覧表追加リスト候補となり一躍脚光を浴びることとなりましたが、その陰にはひたむきな彼の努力があったことを知る人は少ないのです。商工会に勤める超多忙な身でありながら署名や遍路道清掃活動、会の運営など裏方を一手に引き受けてやってきました。多分彼の半生で一番熱意を込めた仕事ではないかと思うのです。何の代償もないのに・・・・。多分彼が人生を終えてあの世に行ったら間違いなく御仏は彼を天国へ導くことでしょう。ちなみに私は無信心な男ゆえ地獄行きの切符を手渡されるかも知れないのです。

 さて私は、この八十八ヵ所参りで果たして何を学んだのでしょう。渡辺さんのメールを見ながらふと考えてみました。整理も出来ないまま思いつくままに4つだけ書いてみます。

 ①自分を見つめることが出来た

 私は八十八ヵ所のお寺を巡る度に自分という人間を見つめることが出来たように思います。人間は自分というもう一人の自分と常に自問自答しながら生きています。特に自分という身体にもう一人の嫌な自分が巣篭もっていて、間違いや失敗、ねたみや差別など様々な喧嘩を仕掛けてきます。その都度喧嘩に勝てば善道を、負ければ悪道を歩むことになるのです。人間はしみじみ弱いものだと思います。金や食欲、性欲、名誉などをちらつかせ執拗に追い掛け回してきます。人の判断には3段階あって、好きか嫌いか、損か得か、善か悪かで判断しますが、若い頃は好きか嫌いかや損得勘定で行動したものです。でも神仏と向かい合うと不思議なことに善悪での判断となるのです。人間は超自我の世界を極めようと努力しますが、中々超自我の境地にはたどり着けないものです。でも少なからず自分と向かい合って生きれるようになったのは遍路のお陰だと思うのです。

 ②自分の生き方を探すことが出来た

 自分の道は知らず知らずのうちにある決められたレールの上を走っています。いくらその道の途中で嫌だと思っても中々外れ難いものです。我慢をして我慢をして生きてきた結果今の自分があるのです。でもそれは現在から過去に通じる道だから、未来への道は幾らでも切り開いて行けるのです。自分は何が出来るのか、自分は何をしたいのか、様々なことを仏に祈りながら考えました。その一つは人間牧場構想でした。10ヶ寺を巡った頃、私は「人間牧場を作る」という決心を仏に誓ったのです。目標時限を60歳に定め様々な策を巡らしました。どんな物を作りたいのか、場所を何処にするのか、資金はどう工面するか、どんなことをしたいのか等について仏様と話しました。仏様は答えてはくれませんでしたが、仏様と約束をしたと勝手に思い込み、60歳定年で役場を退職したのを機に実行に移し、念願を成就することが出来ました。他の人のように「幸せになりますように」なんて他力本願的な祈りは一切せず、想いのスキルアップに八十八ヶ所を選んだ私は馬鹿なのでしょうか。人間牧場に足を運ぶ度に遍路の不思議な魅力を感じるのです。

 ③家族を見つけることが出来た

 私は家族を忘れていました。空気を吸って生きている人間、水を飲んでいる人間、空気も水もあるのは当たり前でその存在すら人間は殆ど考えることもなく生きています。家族もそうです。一つ屋根の下に住んでいるから家族と思って暮らしていますが、果たしてそれだけで家族なのでしょうか。思いを寄せて生きなければ家族とはいえないのです。ドアで仕切られた密室に生き、別々の物を食べ、別々の時間で行動することの多くなった現代家庭は家庭であって家庭でないようなところがいっぱいあるのです。夫婦の人間関係、親子の人間関係はどうなっているのか、夫婦で巡った八十八ヵ所では様々なことを夫婦で話し合いました。時にはお寺参りだのに昼飯や迷い道など些細なことで喧嘩もしました。でも端々で家族を見つけられたように思います。

 ④他人の優しさや自然の豊かさを見つけることが出来た

 いやあ驚きました。四国がこんなに広いとは。行く先々で接待や優しい人の心にも沢山接しました。また春夏秋冬の優しくも厳しい季節を感ずることが出来ました。特に自然の豊かさには関心しきりです。冬は暖房、夏は冷房という暑さも寒さも知らぬまま、また季節の移ろいも知自然回帰はしましたが、ものの比ではありませんでした。

 「生かされて生きる」という言葉を感じたのも八十八ヵ所だったように思うのです。

 これから高野山参りとお礼参りが続くものと思われますが、今までの旅のスタイルを崩すことなくあくまでもマイペースで祷りの旅を続けたいと思っています。渡辺さんありがとう。

  「遍路って 言われてハッと 気がついた 自分を探す 旅だったんだ」

  「名もなきに 等しき俺の ブログにも 友はメールで エールを送る」

  「窓越しに 達筆和尚の 筆使い 眺めて感心 あの日あの時」

  「何が出来 何が出来るか 何し

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shin-1さんの日記

○四国八十八ヵ所遍路参りついに完結②

 今治には平成の合併によって四国八十八ヵ所のお寺が玉川の仙遊寺なども加わって記憶だと4つになりました。今回のお参りは南光坊と延命寺です。警察官である息子に駐在所で教えてもらったとおりの道を進んで最初は南光坊へ向かいました。この辺りは息子が警察官として第一線に配属された時官舎を探してうろうろした別宮という場所なので目印となる建物や周辺の町並みを覚えていましたし、一昨日はゴールデンウィーク真っ只中なのに意外と車の混雑もなくスムースに行けました。

 納経所で納経帳と掛け軸に達筆な寺独特の梵字を書いてもらい、ドライヤーで乾かしながら行く人来る人の話を聞きました。

観光バスで先達を務める人でしょうか、納経帳を50冊余り風呂敷に包んみ汗だくでやって来ました。窓口には団体専用があって、私たちのような個人参りとは区別していて大助かりです。お寺さんの中にはたった一人で納経帳を書いている所もあって、かなりの時間待たされたことも何度かありました。でもそれももう懐かしい思い出なのです。私たちは最初納経帳だけから始めたものですから、掛け軸はまだ何か寺が残っています。この続きは一度高野山にお参りをしてから、お礼参りで完成しようと考えています。

 さていよいよラストの延命寺です。最後くらいは間違わないように行こうとカーナビに電話番号で入力し、10分足らず向こうのゴールを目指してさっそうと向かいました。「最後のお寺が延命なんていい名前だね」と二人で話しながら進みましたが、健康で長生きをしたい気持ちありありのようです。


 同行二人の旅ならぬ妻と孫と弘法大師様を加えた同行四人で四国八十八ヵ所のごーるに到着しました。遍路参りを思いついて10年余り、この間、仕事、教育長就任、胆嚢手術、怪我入院、えひめ丸事故、母の死、市町村合併、退職、人間牧場開設など、私を巡ることだけでも数えればきりがないほどの出来事があって、まさに激動の時代でした。その度に弘法大師様のご加護でしょうか難関難儀をかいくぐりここまでやって来ました。妻にとっても同行の孫にとっても大きな出来事だったに違いありません。妻は私に、私は妻に、そして孫は両親に感謝の祈りを加えて少し長めの祈りを捧げました。さっきまで気がつかなかった周りの空気が一瞬何か晴れたような別な世界を感じました。これが八十八ヵ所参りの充実感というものなのでしょうか。

 孫はお寺の境内に店を構えているおばさんから風船を貰い、出口でアイスクリームを買ってもらってご満悦でした。

 娘が書店ギャラリーで開かれている母の日のお母さん似顔絵展へ、孫の作品を見学に行って留守なので、時間調整のつもりで、奥道後やマンションの直ぐ近くにある道後の裏の松山神社と常信寺を散歩ました。

(奥道後の石手川に架かった赤い太鼓橋、周りの緑と映えて美しい景色でした)

(少し高いように感じる藤棚でしたが、日本でも屈指ではないかと思われる長くて立派な藤棚が三重に長く続いていました。道端には早くも野イチゴが沢山赤い実を付けていました)


(葵のご紋のある立派な松山神社の山門です)

(松山神社の直ぐ裏手の道からは松山城がまるで絵に書いたように見えました)

(常信寺の山門近くにある藤棚の藤も見事でした。桜の季節に訪れて以来ですが、若葉の季節や藤の花に彩られた境内もしっとりと侘び寂びを感じて美しいものです。間もなくアヤメが咲くでしょうが、近くに来たときまた訪ねたいものです)

 妻は始めて見る奥道後の藤、松山神社の神社の格式、常信寺の境内などに目を白黒させて驚き、孫は知らず知らずのうちに凄い運動量をこなしたようでした。

  「幾度なく 行っては帰る 遍路道 やっと完結 思えば長し」

  「孫連れて 同行四人の 寺参り 季節巡りて 藤の花咲く」

  「納経の 一つ一つに 思い出が 記憶捲りて 二人懐かし」

  「狭いけど 広いと感じた 四国路を 次は何時から お礼参りに」

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shin-1さんの日記

○四国八十八ヵ所遍路参りついに完結①

 道中距離1400キロともいわれる四国八十八ヵ所遍路の旅を私たち夫婦が車でお参りすることを思いつき、旅を始めてもう10年にもなります。最初は1日で5つや8つのお寺を参ることもあって頭の中では逆算が働き、楽勝かと思われたお参りでしたが、出張のついで参りという金も時間もかけない方法を選択したため、結局は10年間もかかってしまいました。「これでは何のためのお参りか分らない」と妻にはブツブツ言われ、他の人がお寺ごとに般若心経を唱えて敬虔な祈りを捧げている姿を横目で見ながら、般若心経を覚えるでもなくとにかく私たちのスタンプラリーは終了したのです。普通1番から順番におまいりするか逆打ちかいずれかでしょうが、私たちのお参りは陽気なもので、納経帳の空いた場所のお寺を探してはお参りするピックアップ作戦なので、同じような無駄とも思えるコースを何度も走りました。多分2000キロ以上を走っているのではないかと思われます。その間車も2台目となり、ああでもないこうでもないと車内で道順でもめるもめごとを解消するため、カーナビという優れたハイメカを高いお金を出して搭載したお陰で道に迷うこともなくスムースな走りが出来ました。

 昨日は残っていた今治の2カ寺を参ろうと急遽思いつき出かけました。お寺さんには悪いのですが今回も二つのことのついで参りなのです。一つはこのお寺さんの直ぐ近くに三男の勤める駐在所があるのです。一昨日赴任以来始めて帰郷した息子と話していると、「そのお寺は二つとも近所だ」と偶然にも残ったお寺のことを離してくれました。これも御仏のお導きに違いないと妻と話したものです。赴任以来1ヶ月以上が経ったので暮らしぶりを確かめるということを考えました。二つ目は娘のお産が近づきゴールデンウイークに何処へも出かけられない孫を戸外へ連れて行ってやりたいという思惑もあったのです。

 朝7時半に家を出て松山市道後に住む娘の所へ孫を迎えに行きました。昨晩予定を伝えていたので孫はウキウキ顔で待っていました。チャイルドシートに乗せてさあ出発です。リュックにお菓子や飲み物を入れてもらって山道や海沿いの道を陽気にのんびり、歌などもでて孫も私たちもご機嫌でした。1時間弱で息子の駐在所へ到着です。息子が制服を着て勤務している姿は初めてなので全ての小道具を身に付けて玄関先に立っているその凛々しい姿にびっくりしました。この日は勤務の日なので暮らしている官舎内には入らず、交番内の隅で少しの談笑しただけで引き上げることにしました。孫は日ごろ普段着の三男しか見ていないので、重装備のお巡りさんにびっくりし、中々近寄ろうとしませんでした。叔父である三男に帽子を被せてもらい幾分か緊張がほぐれたようでした。

 それにしても三男は警察という天職を選び、縦社会の厳しい中でよく頑張っていると思いました。末っ子で甘えん坊だった三男の姿に多少の不安と安堵を感じながら、直ぐ側の登山道を登って波方の山城展望台へ向かいました。この場所はまちづくりの仕事で2度ほどお邪魔していますが、この日はゴールデンウイークなのに訪れる人もなく、私たちだけが絶好のロケーションを長閑に独り占めしてしまいました。駐車場に車を止め木漏れ日の中をゆっくり散策です。入り口にある車止めの愛くるしい小鳥の彫刻に孫はほおを摺り寄せて愛嬌を振りまいていました。



 山城を再現するような展望台はまるでお城で中からは360度の素晴らしい眺望が開け、特にしまなみ海道に架かる来島瀬戸の大橋や今治、波方、菊間、竹原始め越智の島嶼部が手に取るように見えました。

 やんちゃ盛りの孫は盛んに飛び交う蜂やチョウが気になるらしく、帽子で盛んに追いかけたり帽子で捕まえようと走り回り、記念写真などどっちでもよいような雰囲気でした。この施設も旧波方町がその威信をかけて整備したのでしょうが、合併という社会の波に翻弄されているようにも思えました。しかしきちんと管理が行われている姿はさすがでした。

 さてここから先はカーナビを使わず息子の警察官に教わった通りの道順に従って、次の目的地である今治市内の南向坊へと車を走らせました。

  「この人が 俺の息子か? 見間違う ほどに凛々しく 交番前に」

  「風の音 小鳥さえずり 聞きながら 長閑な遠望 孫と楽しむ」

  「ゴールデン ウイークなのに ひっそりと 山城訪ねる 人もまばらで」

  「一週間 会わぬ相棒 何となく 成長したよな 姿目細め」 




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