shin-1さんの日記

○孫は反抗期

 4人の子どもを妻が育てた私には残念ながら子育ての苦しみや喜びはそんなにありません。大きな声で自慢できることではありませんが、子どもとの思い出は妻にも親にも反対された子どもの名前を私の名前の一字を取ってこだわっえ付けたこと(長女ー一子・長男ー一心・次男ー一生・三男・一公)と、子どもたちを無人島還付に連れて行ったこと、子供の学校のPTA会長を6年間やったことくらいしかありません。妻は子どもが成長の過程で何度となく迎えた反抗期のその度に大変な苦労をしたといいますが、まあ乗り切って成長した今の姿を思えばそんなに大したことはなかったと思うのです。(これは妻へは内緒の話です)

 「おじいちゃん」の愛称で孫から呼ばれる私は、子育ての反省からか孫の面倒は自分でも不思議なくらいよく見るのですが、これまでは従順で何でも言う事を聞いていた孫が、近頃になってダダをこねることが多くなった事に気がつきました。今朝その話を娘のお産の都合で実家から通っている娘婿に朝飯を食べながら話したら「それは反抗期かもしれない」と意見が一致しました。反抗期は子どもの成長にとってはむしろ喜ぶべきことであって、対処法は簡単で「いけないものはいけない」とどんなに泣こうが叫ぼうがする事にしました。

 孫はこの頃の恐竜ブームで恐竜のおもちゃやカードが大好きです。幼稚園でもそのことが話題になるのか遊びまで恐竜ごっこだし、外出するとゲームコーナーやマクドナルドのハンバーガーコーナーで貰えるカードに興味があって盛んにそちらへ手を引いて私を誘導するのです。最初は1つだけとか、誕生日までとか我慢の約束をさせていましたが、平気でその約束を破ろうとするし、周りに同情を得させ買ってもらおうと泣いたりするのです。可愛そうにと思う親心が持ち上がるとその次は歯止めの利かないことになってしまうのです。ましてや母親がお産で入院中なので寂しくて可哀想なんて甘い親心を出すともう駄目です。

(麦藁帽子に長靴、虫取り網と虫かご、重装備でVサイン、ご満悦の孫朋樹です)

 先日の土曜日チョウチョやカエルを捕まえたいという孫と一緒に100円ショップダイソーへ孫と一緒に出かけました。虫かご100円、網100円、占めて00円の買い物をしました。孫は大喜びであちらこちらを走り回りますが残念ながら孫に捕まえられるようなチョウチョもカエルも一匹もいませんでした。仕方ないので人間牧場へ出かけ堆肥置き場で団子虫を見つけました。一ヶ月ほど前に団子虫を怖がって触ろうともしなかった孫が団子虫を沢山捕まえて虫かごは急に賑やかになりました。そして出会う人毎に見せびらかすのです。

(団子虫でも僕の宝物、ほらほら動いてる)

 ところが大人の側はそんな孫の心など察せず、「何だカブトムシではなく団子虫か」とけんもほろろなのです。孫にとっては額に汗をかいて必死に取った生物なのに・・・・です。でも孫はこれを宝物だと思って自分の枕元へ置き寝るのです。妻はさすがに気持ちが悪いと言い含めて廊下へ出して寝ましたが、朝起きると直ぐに廊下へ飛び出し、団子虫が死んでいないことに歓声をあげてひとり団子虫と対話しているではありませんか。子どもの世界って他愛のないものだし、大人が「何だ」と思うことも成長の過程において必要なことだと思いました。

 孫のお気に入りの虫取り道具が揃ったことで当分は孫と私の遊びが虫取りになりそうです。孫にとって虫は興味があるし、しかし怖い存在でもあります。団子虫は手で触っても安全だということが確認できたので平気で追っかけていますが、まだカエルのヌルヌルした感触が気持ち悪いのか、カエルを見つけると「おじいちゃんカエルだ」と大きな声で呼びにきます。昨晩も虫かごをいじっていてカエルが部屋の中へ飛び出し大騒ぎとなりました。孫は「やっぱりしんから田舎育ちではない」なあと実感しました。今年の夏はカブトムシやクワガタムシをクヌギ林に行って捕まえることもやってみたいと思っています。

  「百円で 買った虫かご 網を持ち 虫捕り作戦 いざ出陣」

  「団子虫 これも立派な 道具です 枕元にて 孫とお休み」

  「何かにと 抵抗してる 反抗期 孫にとっても 成長過程」

  「○ちゃんも 友を引き合い 出しながら 自分の主張 しっかり述べる」

  

 

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shin-1さんの日記

○田舎もいいが東京もいい

 一昨日まで、東京で開かれた関東ブロックの町村会トップセミナーの講師として招かれ全国町村会館へ出かけて家もブログも二日間留守にしていました。電話しても留守、ブログも書き込みがないので病気にでもなったのかと優しい友人は気を揉んでくれましたが、はい、いたって元気で全国行脚を続けています。東京に行くと田舎の良さが分る田舎にいると東京に憧れるといいますが、私のような田舎者は憧れるというよりやはり世界の最先端であり日本の頭脳の集まる東京は何か違った異文化をショックとして感じる場所なのです。田舎の役場には驚くなかれ現職でも東京へ出張したことがないという人も沢山いて、ましてや合併後の支所勤務などになると余程のことがない限り仕事で東京へ行くことはない時代になりました。幸い私はリタイア組なのに未だに東京あるいは東京経由という仕事が入って、人様のフンドシながらそれなりの緊張感が味わえて嬉しい限りなのです。

 日本全国各県毎にある町村会も平成の大合併によりその数が激減し、組織を維持するのが大変なようです。関東は人口密集地ゆえにその悩みは深刻で、消えた村や町はイコール首長さんも議員さんも姿を消したわけですから、組織が弱体化し見えぬ将来の姿におびえながらの行政運営が行われています。当然これまで負担金で運営していた首長さんや議員さん、それに職員の研修会も関東ブロックといった広域的な連携をしないと効果が上がらなくなってしまったのです。

 今回のトップセミナーは群馬県が幹事を務める研修会でした。したがって最近群馬県へ足繁く通っているため草津の町長さんや上野村の村長さんなど顔見知りも多く、ほのぼのとした研修会でした。「町村が日本を救う」と題したジャーナリスト松本克夫氏や「日本を取り巻く国際情勢について」と題した外交ジャーナリスト手嶋龍一氏の話とどれだけコラボ出来たかは知る由もありませんが、売れっ子といわれる元NHKの手嶋龍一さんと同じ演題で話すのですから少し背伸びをした話にしないとと、何時になく力が入っていたようです。でも自分は自分人は人と開き直り、実践家の強みで彼らのような理論ではなく論理を喋ったため私の持ち味は存分に出せたのではないかと自画自賛しています。

 久しぶりにぶらり永田町界隈を歩いて見ました。首相官邸もすっかり様代わりしていました。32年前第10回総理府派遣青年の船の班長としてアメリカへ行く時、首相官邸で結団式が行われ当時の三木首相の話を聞いたのもこの場所でした。今は若い阿部首相がいるのです。そこから右にとって緩やかな下り坂を下ると国会議事堂が見えてきました。どこまでも青い空に凛として立つ議事堂は今も昔も日本政治の表舞台です。


?国会議事堂の裏手に議員会館があります。久しぶりなので参議院議員会館の受付で段本先生に連絡を取って2階の事務所を訪ねました。先生は北海道へ出張中で出会えませんでしたが、懐かしい高橋秘書にお目にかかりしばし談笑しました。後2ヶ月したら参議院議員の選挙です。参議院には表と裏、つまり改選の人とそうでない人があります。段本先生は今回が改選で票の読めぬ無党派層に一喜一憂しながら全国を歩いているようでした。国会議員の先生方も大変なようです。先生は来県の折人間牧場へも足を運ばれた気さくな方だし、力をお持ちの地方を大事にする政治家なので当選して欲しいと願っています。

 ついで本県選出の山本順三先生の事務所へも顔を出しました。先生は事ある度に夕日の話などをしていただいており、裏なので選挙はまだ先のことでしょうが、秘書の方と面談し名刺を置いて会館を後にしました。

 少し寄り道をして町村会館への道を逆に歩くと自民党本部へ出ました。物々しい警察官の警備が需要人物の警備にあたっていました。垂れ幕の選挙という文字がやけに大きく見えました。


 毎日何気なく新聞やテレビで見聞きする政治に関する出来事はこんな場所から発信されているのです。私には縁のない場所なのですが、ここで決まる法律が私たちを含めた国民の規範となるのですから少しは政治にも感心を待たなければならないと自分に言い聞かせながら初夏の東京、しかも緑したたる東京を歩きました。

  「縁のない 場所だと思えば 縁がない 私の一票 私の税金」

  「選挙さえ なければ楽な 議員さん 今は必死で 清き?一票」

  「国会を 見学している 子どもたち  あの中将来 ひょっとするかも

  「緑陰を 選んで歩く 東京に こんな静かな 場所があったか」


   

 

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