shin-1さんの日記

○近いうちにいっぱい飲もうや

 私たちまちづくりや社会教育に携わる者は決まったように久しぶりに会うと別れ際「近いうちに出会っていっぱい飲もうや」とあいさつ代わりに言葉を交わして分かれるのが普通のやり方です。「何時」や「誰と」、「何処で」という細かい打ち合わせもないのですから口から出任せといった感じでしょう。例によって先日大洲青少年交流の家での研修が終った別れ際、その余韻を引きずったまま玄関に見送りにきてくれた担当職員と「近いうちにいっぱい飲もうや」と言ったのです。相手の先生も同調して「近いうちにいっぱい飲みましょう」で握手をして分かれました。何日かして私のメールにその先生から「先日お約束の飲み会の件なのですが、何時がよろしいでしょうかお返事を下さい」と入ったのです。慌てたのは私の方でそういえば別れ際「近いうちにいっぱい飲もう」といっことを思い出しました。メールが入って何日かして再び催促のメールが入りました。「やばい」と思って日時を設定しようとしたのですがあいにく日程が積んでいて中々取れなかったのですが、数日前に相手の都合で講演がキャンセルとなったので、相手にメールを送り、今日の夜の飲み会となったのです。その職員は東京から来ている人で気真面目な人なので真に受けたのでしょうが、お陰で所長以下8人もの職員と飲む機会を得ました。でもその職員がいなかったらこんな楽しい集会はなかっただろうと、ほのぼのとした気持ちで帰って来ました。

 今日の話は青少年の家の職員だけあってみんな真面目で、それなりの資質を持ち合わせているため随分盛り上がった酒盛りとなりました。私がつい最近青少年交流の家のお手伝いをする機会が多くなったこの2年間は職員との付き合いも自然と多くなり、気心は知れてると思っていましたが、飲み会と研修会は別の世界で日ごろ聞けない話をお互いが話し込み、時には自分の座る場所を変えて話し込んだのです。

 今日の飲み会で私は2つの約束をしました。相手はみんな酒を飲んでいて明日になると忘れるかもしれませんが私は3時間以上もウーロン茶で頑張る素面なので忘れませんからどうぞご安心ください。

 まずひとつは大洲青年の家時代(今は大洲青少年交流の家)、青年の家から双海町の役場へお嫁に来ている原木の置物を里帰りさせるプロジェクトです。この話は書くと当時の職員を傷つけることになるので書きませんが、とにかく双海町の役場、今の伊予市双海町支所のロビーに置いてる原木の置物を元の置き場に返すことなのです。このことを知っているのは私と元町長だけだし、役場も合併をしてその役割を終わっているので、私個人としては返そうかという気持ちになりつつあります。元町長との打ち合わせも残っているのですが、その説得は私がするので、まず事業課長さんに手紙を書くよう勧めました。今年度中に処理したい目標を立てているのでこのプロジェクト事業はまあ70パーセントまで可能だと所長さんに話しました。

 もう一つは4月中に人間牧場で今日の集会の第2ラウンドをやることを決めました。担当の窓口となる職員も決まり早速日程調整しなければなりません。私の人間牧場へ来たいという人は順番待ちの状態で青少年交流の家の職員の順番はまだまだ先のことでしたが、願望は順番を狂わせます。飲み会の盛り上がりで結局は承諾してしまいました。ただし私の人間牧場へ訪ねてくる限りは今よりグレードアップした進化の後が見えない人は来るなといっていますので、多分その気持ちでやって来ることでしょう。そのためには私個人も目標を持って進化しなければなりません。「人は人によりて人となる」という言葉のように、いい人に巡り会ってこれからの人生を豊かなものにしたいものです

  「夢語り 人生までも 語りかけ 飲むほど酔うほど 自分高まる」

  「ああ俺も あんな時代が あったっけ 若さはみ出し 議論吹っかけ」

  「約束を 二つも引き受け 素面にて 忘れたなどと 言い訳できぬわ」

  「好きになる 相手も私を 好きになる そこから始める 会話の一歩」 

 

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○高知県仁淀川町ルポ④ 学び

 最後の訪問地はやはり橋でした。仁淀川町には歴史的建造物、いわば近代化遺産といわれる橋が2つありました。一つは珍しいアーチ型の沈下橋です。私も四万十川周辺で幾つもの沈下橋を見てきましたが、規模は小さいものの珍しい形です。自然の石を橋脚に生かした橋はコンクリートながら幾度もの水害に沈みながらも丸みを帯びて自然に近い形に収まっているのです。

 

 そして下流に目をやると川の中には大きな石の塊がゴロゴロと無造作に並んでいました。

 一方少し下流に下るとレンガ造りの橋脚とその後補強した橋脚が並ぶ橋を見ました。ここが旧吾川村の中心で今も仁淀川町の中心と鳴っています。この橋は代替橋がその横にあって、この橋の上では日曜市のような場所として賑わいをなしていましたが、今はその面影程度のようでした。

 

 さていよいよ長かった町内視察も終りいよいよ本題の講演会です。昼間の集会にもかかわらず沢山の方々が中公民館3階ホールに集まっていました。話のテーマは地域資源を活かしたまちづくりですが、私の町と同じようにここも中山間地域の厳しい現実の中でのまちづくり、結局は知恵を出し行動を起していかない限り地域の発展は望めないということです。そのためには負け組みというあきらめ意識を捨て、町にも自分にも潜在能力があると信じることです。そしてまず学びから始めることです。田舎の悲劇は学ばないことです。学べば気付き、何が問題で何をすればいいかが分ってくるのです。合併によって生まれた仁淀川町を愛し、町をいい方向に導く努力なしにいい町はないのです。さあ今日から学びましょう。長者のイチョウの樹が教えてくれました。結局は行き着くところ人であることを・・・・・。

 追伸

 旧仁淀村の旅館で交流会をしました。今までの視察でも講演会でも話せなかったことをみんなで話しました。嬉しいことに若い人も集まりました。途中から高知大学の坂本先生も加わり、次の希望が見えてくるような話がどんどん出ました。また私がその日のうちに帰って書いた教育長さんを紹介したブログ記事に隣町久万高原町の渡辺さんからメッセージもいただきました。偶然でしょうが大分県の渡辺さんとも電話で仁淀川町のことを話しました。二人の渡辺さんを次は案内したいものです。

 高知県にはよく似た川に四万十川があります。残念ながら仁淀川沿線の人たちは、四万十川沿線の人より一歩も二歩も遅れています。十年後の仁淀川が四万十川にはもう既に取り組みとなって成果を出しています。遅れていることは目標があることですから何も心配することも卑下することもありません。気が付いたときに気が付いたことを、気が付いた人がやるのがまちづくりです。今回の学集会で一番にいい学びをしたのはひょっとして担当した西森さんではなかったのかなと内心思って、仁淀川町のルポの筆を置きます。

  「いい人に 会って色々 教えられ 俺も育った あなたも育つ」

  「偶然か 渡辺ふたり 海と山 音信通じ 仁淀川発」

  「若い子が 俺の撒き餌に 食いついた さてどうするか 町の外向き」

  「まちづくり ガラスコップの 共磨き 外を磨くは 外の日となり」

 

 

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shin-1さんの日記

○高知県仁淀川町ルポ③文化物語

 昼食をした場所は廃校になった学校でした。「何で廃校?」と思わせるほど立派な学校が、生徒数の激減でついには廃校になった現場をこの数年間嫌というほど見てきました。豊かさを追い求め続けてきた田舎の終着点がこの有様です。今開かれている国会では時あたかも格差国会などと言っていますが、議論の中にはこんな小さな田舎町の学校の苦悩など知らないのか誰も口にしません。でも学校が廃校になり地域のコミュニティが音を立てて消えているのです。先日の新聞だとこれから10年かで1800の集落が日本の各地で消えるそうです。信じ難い話ですが現にこの仁淀川町だって高齢化率は限りなく50パーセントに近づこうとしているのです。高齢化率50パーセント以上を限界集落というのですが、この町は限界町なのです。小学校が消え高校までもが消える運命にあるのです。

 でも嬉しいことにこの地域では地域を愛する人が立ち上がり屁のツッパリと言われながらも学校跡を整備してもらい、校区のみんなが集落合併をしてこの学校跡を生かして使っているのです。卒業生にとって学び舎がなくなるのは心の港を失ったような空しさです。また周辺に暮らしている人たちにだって学校は心のよりどころなのです。かつての校長室は食堂と村の飲み屋に生まれ変わり、教室は宿泊室になりました。開業以来2年弱で2千人足らずの宿泊客のようですが、赤字になることもなく細々ながら経営を続けている姿に大きな拍手を送りたいと思います。村の茶の間を充実するために囲炉裏部屋を作っていました。

 外には大きな水槽が二つ置いてありアメノウオが人間様に食べられる前の束の間を日向ぼっこしていました。

 それにしてもお昼に食べた芋の煮っ転がしや手打ちそばの美味かったこと、何よりのご馳走でした。

 校舎の一室にはこんな怪しげな看板があり、番外編で最初に書いたNASAも認める教育長さんの研究室がありました。壁には在りし日の学校を彷彿するような花いっぱいコンクールの表彰状や卒業写真が一杯飾られていました。特に花いっぱいの賞状は私の町も何枚かもらっているので特に興味を引きました。施設の片隅にはその名残の石碑まで建っていて、これこそ文化だと思ったのです。「文化って何?」と訪ねられたらあなたはどう答えるでしょう。文化会館や東京発の文化を連想する人が多いかも知れませんが、私流に言わせれば「文化とは人間がよりよく生きるために考えを形にする営み」だと思うのです。この施設にはそんな文化が一杯詰まっています。是非田舎流の素晴らしい文化を残して欲しいものです。

 私たちの一行は長者という集落へ行きました。長者のシンボルとでも言うべき樹齢千年といわれるイチョウの大木に出会いました。息を呑むような木霊宿る巨木でした。残念ながら風説の重みに耐えて少し傷んでいましたが、年月を超えていき続けているこの樹には自然治癒力があるから大丈夫なのです。それにしてもこの地にしっかりと根を下し村の生き様をじっと見続けてきたイチョウの寿命に比べると人間のたかだか100年の寿命なんて端数ほどなのですから大きな顔はできないのです。

 妙案その1  まず長者棚田の地図を3枚作ります。持ち主現状地図1枚、耕作現状地図1枚、夢地図1枚を用意します。勿論役場で造ってもらった素図を使ってその地図作りはみんなの手でやります。そうすれば現状と夢のハザマにある問題点が明らかになります。夢地図は区分けをして担当を決めます。夢の実現はみんなではなく俺の役割を明確にしなければ実現しません。

 妙案その2  金と人と物を試算します。この試算がないと絵に書いた餅になります。今はその気名なればこれだけ文化的価値の高いものですから、国や県のお金を投入することは可能なのです。人も長者だけでは高齢化しすぎて力もなく、諦め過ぎていて知恵もなく何の役にも立ちません。悪口や足を引っ張るだけの人はもういらないのです。高知大学にお願いして大学生を毎年草刈十字軍なんて組織するのも一考です。

 妙案その3 役場の力と外の知恵を借ります。役場にとってもこの文化遺産を守ることは大きな仕事のはずですから、町長さんや議員さんも口だけではなく汗もかいてもらわなければなりません。外なる知恵は情報発信で十分やれます。

 妙案その4 シナリオづくりと経済効果への誘導をすることです。どんな素材でどんな人にどれだけ来てもらいどんな経済効果が期待できるのか、農協も役場もみんなで考えれば出来ることです。長者の片隅に小さな良心市がありました。もう既に心ある人は経済をやっています。農協のいり口で鮮魚を売っていました。農協も経済をやっています。やらないのは役場だけです。

 まあ色々な手法がありますが、三人寄れば文殊の知恵です。

(山の上にある珍しい池、隕石が落ちたと伝えられている星が窪、昔は近郷から沢山の人を集めて競馬が行われていたようです)

(星が窪の池の近くで大きながま蛙を見つけました。折からの陽気に誘われて冬眠から覚めたのですが、寒波襲来で動くに動けずじっとしていました。)
(星が窪から見える向こうの山には他所の町の風車が沢山見えました)

(澄み切った冬空の向こうに石鎚山が見えました。また反対側の山の頂上には石灰岩を掘り出す日鉱の現場も見えました。須崎までベルトコンベアーで運ばれ船積みされるのだそうです。日鉱のお陰で長者にはアパートが建ち子どもも長者の学校に通っているようです。日鉱がなければどうなったか。印象的な言葉でした。)

  「石垣の一つ一つに 汗と知恵 先人生きた 苦悩の歴史」

  「文化って? 聞いてあなたは 何思う 思わず腕組み 言葉すら出ず」

  「このイチョウ 村の歴史の 生き証人 笑われてます 知恵がないわい」

  「地図上の 等高線を 見てるよう 起伏激しい 空まで上りぬ」



 長者の自慢は石垣積みの棚田です。昔は美田として脚光を浴びたこの棚田も耕作放棄地が毎年増えて、保存運動に取り組んでいる心ある人の心を痛めているようです。唐突に同行した地元出身の人に何か妙案はあるか」と尋ねられました。

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shin-1さんの日記

○高知県仁淀川町ルポ②・水物語

 かつて33号線を行き交う旅人は幾つもの峠を越えたものです。難所といわれる峠や辻々にはその痕跡のように旅の途中で行き倒れになったであろう人々の霊を慰めるお地蔵さんや、次の宿場を示す「○○まであと○○里」と書かれた道標が往時を偲ばせるようにひっそりとありました。高速道路が川之江ジャンクションを越えて南国方面へ開通してから33号線は国道改修が進まないことや風水害で通行止めになることから、スピード時代から見放され通行量は激減しました。当然旧吾川村の国道沿線にあったドライブインは軒並み潰れ、あっても開店休業状態のようです。橋が出来、ダムが出来てここならと思われる眺望のよいスポットにドライブインを構えれば観光客が立ち寄って儲かったのは過去の話で、今はそんなスローな旅をする人は殆どいなくなりました。「せまい日本そんなに急いで何処へ行く」と言ってやりたいような心境ですが、今度の仁淀川町への旅でしみじみそのことを思い知らされました。私が訪ねた早朝と帰宅した夜は車の数がここまで減少するのかと思うほど車に会わなかったのです。特に大型自動車は見る影も殆どなく、その結果私は仁淀川町から驚くなかれ僅か1時間半で帰宅してしまったのです。むしろ高速道路を走らない方が早くて安全で安いという珍現象なのです。世の中は高速道路や交通機関の普及によって近くて遠い、遠くて近いじだいになっているのです。

 かつては高知行き、松山行きの定期バスや観光客がトイレ休憩地として使っていた場所もかつての賑わいはありませんでした。その底流所の上に一際目に付くこぶしの樹を見つけて休憩しました。この花も前述の桜と同じように人知れずひっそりと咲いていたのが印象的でした。

 講演なのに出かけて時々ギョッとすることがあります。会場の入口に手づくりの看板が立っていました。先日関アジ関サバで有名な今は大分市と合併した旧佐賀関町へお邪魔しましたが、町のいた所に私の名前を書いた看板がやたらと置いてありました。聞くところによるとこれは私の知人で八幡浜出身の料理屋のご主人が書いたそうなのですが、その上手いこと惚れ惚れするような看板でした。その看板には「まちづくりの鉄人来る」なんてこれこそ看板倒れのような文字がズラリ並んでいました。訪れた鹿児島県宮之城町では町のいたる所に「ウォンテット」(指名手配)なるポスターが沢山貼ってあったこともありました。でもこうして人を一人でも多く集めようと頑張る主催者の心意気は見上げたもんだと思いました。看板を書かれたどなたかに敬意を表します。教育長さん、この方の給料を少しでいいから上げて下さい。それも駄目なら一杯ポケットマネーで飲ませてあげてください。

 この地でも、先日鳥取県大山町の町長さんとのお茶の話しをしました。お茶を出してもらった女性の気配りでその町の印象は決まるといっても決して過言ではありません。お茶の町を標榜するこの町も残念ながらいいお茶は出ませんでしたがお茶を出された女性は気配りの出来る人とお見受けしました。案の定私の直感は当たり私の元へ早速メールを送ってくれました。

 さあ、小型のマイクロバスに乗って町内見学です。地域の人とともに池川町の安居渓谷を目指しました。途中小説家宮尾登美子さんが若い頃赴任していたという小学校が川の向こうにありました。同行した地域の人から当時の様子を雑談的に聞きながら奥まった渓谷美を誇る公園に着きました。案内人の総合支所長さんとともに車を降りて川沿いに歩き飛龍の滝まで歩きました。川の水は何処までも清らかで岩肌を縫うように流れる清水はマイナスイオンの塊を全身に受けるような心地よさでした。冬の季節なので山は殺風景でしたが、その分山水画の世界は広がり、新緑と紅葉の季節を連想しながら進みました。山の吊橋、小さな小さな沈下橋、石の上を歩く感触は生きていることの確かさを伝えてくれました。



 

 突如として視界の中に彫刻が見えてきました。自然の反対を不自然と言うのでしょうが、私には文字通り不自然に見えました。



多分自然を求めてやって来る人にとってこの彫刻は私と同じく不自然に見えるのではないでしょうか。一瞬何処かの宗教団体を思い出しました。地元にとっては名のある彫刻家かもしれませんが、もっと別な場所に置くべきではないでしょうか。こんな立派な彫刻だから毎日見てもらえる役場周辺に置くことが望ましいと感じたものですから、失言承知で書きました。もしこの地に置くのなら、しっかりとした物語を作り、「乙女の像」に相応しい見方を考えなければなりません。十和田湖のほとりに高村光太郎の乙女の像があるのを思い出しました。見せ方を工夫しているので違和感なく自然に溶け込んでいました。要は見せ方なのです。世の中にはミスマッチが沢山あります。良かれと思って置いたゴミ箱も公園の風景を台無しにしたりすることだってあるのです。美的感覚のない景観はかえって自然破壊につながります。山の上から隣町の風車を遠望しました。風車はクリーンエネルギーですからこれからの時代には必要でしょうが、無秩序とも思える風車の乱立は、原風景を台無しにしてしまうのです。結局は「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」のですから、気が付いたら何とかすべきでしょう。プラスもまちづくりマイナスもまちづくりなのです。公園の一角に子どもの遊具を整備していました。これもミスマッチかも知れません。

 それにしても飛龍の滝は素晴らしいの一言です。滝の落差も滝口の大きさも、歩いて行くがゆえに感動物でした。探検家が滝を登ったそうですが、私もインストラクターの案内であの滝を登ってみたいと思いました。

 結局水は源流に行き着きます。水を考えるのは木の存在や四季の巡りを考えなければなりません。都会の人が憧れる水がこれほど自然にあることを田舎者は当然あるものと考えがちです。水を使えば面白い、そう直感しました。

  「この水が 海に流れる 不思議さよ 何処を巡って 俺が海まで」

  「看板の 一つに工夫 凝らしたる これぞ手づくり 今日はいい会」

  「こぶし咲く 山里長閑 峠道 地蔵腹巻 供えし団子」

  「いいことと 思ってやった ことなのに なるほどこれは ロダン彫刻」



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