shin-1さんの日記

○大分からのお客様

 私の名前の呼び方は人それぞれです。目下の人は「若松さん」と言いますが、地元の人は「進ちゃん」と呼ぶし、親戚は「しん」とか「進兄」です。そんな中で私のことを「若松先輩」と言う人が二人います。愛媛県佐田岬の先端に住んでいる塩崎さんと、相対する大分県佐賀関に住んでいる渡辺さんです。塩崎さんとは私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた若い頃、西宇和郡連合青年団の団長をしていたこともあって、何かと議論や親交を重ねお互いが愛媛県地域づくり研究会議の代表を務めるなど、未だに深いご縁が続いているのです。多分同級生や地元の知人友人、親戚を除いた他人であれば最も長続きしている友人だと思うのです。一方佐賀関の渡辺さんとはそんなに長いご縁ではありませんが、旧三崎町と旧佐賀関町が続けている海峡交流のお手伝いをするようになって急速に友情が深まり、塩崎さんが私のとを「若松先輩」と呼ぶものですから、ついついその名残で呼ばれるのです。

(港町八幡浜の私の好きなとっておきのアングル)

 今日はお彼岸だったので妻の実家のある八幡浜へ久しぶりにお墓参りに出かけました。前日までの寒波がウソのようなポカポカ陽気で、八幡浜の墓地には線香の煙が立ちこめ幾人もの家族連れが墓参りに来ていました。帰り際大洲付近で携帯電話が鳴り、車を路側帯に寄せて停車し出てみると大分佐賀関の渡辺さんからでした。「今三崎のフェリー乗り場に着いた。今日は天気も良いので急な思いつきだが双海の夕日を写真に撮りたくてこれからお邪魔するがご都合はいかに」という唐突な電話でした。「今日の日没は午後6時20分くらいだな」と簡単な打ち合わせで電話お一旦切りました。気が付けば彼とは長年付き合っているのに、わが家へも人間牧場へも案内したことがなく、いっそのことと思いついて、思いつくままのスケジュールを立て下灘で落ち合いました。

(人間牧場にてダンディな渡辺さん)

 午後4時過ぎ渡辺さんは下灘に到着し、急ぎ妻の軽四アルトに乗りかえてもらって人間牧場に案内しました。塩崎さんからおおまかな様子は聞いていたようで、急な狭い道に驚きもせず登って行きましたが、この日はあいにくの春霞で日ごろ見える山口県や愛媛県、それに広島県の島々は残念ながら薄っすらとしか見えませんでしたが、それでも思わず深呼吸してみたくなる人間牧場を体感し、足早にわが家まで帰り、煙会所や海舟館などを一通り見学してシーサイド公園へ到着しました。

 さっきまで空の上にあった太陽はもう夕日と呼ぶに相応しく西の端にありました。シーサイド公園は春分の日、しかも春休みとあって駐車場はどこも朝から満員の盛況で、若いカップルが沢山夕日の観覧席に陣取り、思い思いの出で立ちで夕日を眺めていました。今日は春分の日で恋人岬のモニュメントの穴の中に夕日が入ることを知っている人が何人かその位置にカメラを据え待ち構えていました。カメラが趣味の渡辺さんもどでかい望遠レンズをつけたカメラを三脚に着けて早速撮影に取り掛かりました。

(自慢のカメラで恋人岬のモニュメントの穴に入る夕日を撮る渡辺さん)

(人の頭が夕日を隠すモニュメントの夕日)
 彼の望遠レンズや自動シャッターのカメラに比べると私のデジカメはまるでおもちゃのようでしたが、気後れすることなく何食わぬ顔でシャッターを押してみました。地元のカメラマン清田さんの話によると昨日は綺麗な達磨の夕日が見えたそうで、その映像を覗かせてもらいました。残念ながら今日は下のほうに雲が掛っていて全てを見ることは出来ませんでしたが、それでも「大分では夕日が山の端に沈むけれど、ここは水平線に沈むから」と感激した面持ちで写真を撮り続け、夕闇迫る国道を西に向かって帰路に着きました。これから国道378号・国道197号をひた走り、佐田岬~佐賀関70分の船旅を経てふるさとへ帰るのです。渡辺さんの身軽さに驚きながら、交友の素晴らしさを改めて思い知らされました。

(恋人が夕日バックに恋を語っているのでしょうか)

(モニュメントの右端に入る違った角度の夕日)
(モニュメントに入るこの日の夕日を見る人々)

  「春分は 若松先輩 自慢する 夕日沈むと 車走らせ」

  「感動は 感じて動くと 相田言う 夕日残像 心熱くて」

  「驚いた 今から行くと 電話する 大分友人 早くも愛媛」

  「先輩と 言われる徳を これからも 積みて立派な 人にならねば」

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shin-1さんの日記

○ただ今双海の菜の花満開です

 暖冬から一転真冬並みの寒気が南下して数週間が経ちました。冬支度から春支度に変えようとしていた矢先の寒波に誰もが首をすぼめて「寒い寒い」と二言目には言うのです。朝のあいさつも「今朝は寒いですね」と枕詞を付け加えていました。春を待つ気持ちは誰も同じで、春の訪れのバロメーターといわれる桜の開花予想も、最初松山では3月17日と発表になりましたが、情報の入力ミスで25日に訂正、3回目には24日と一日早まり異常気象を反映した慌てぶりが目に付くようです。そりゃあそうでしょう、桜にって一儲けしようと企む人にとっては一大事なのですから、気がきではないはずです。ぼんぼりの取り付け、弁当の手配など思い浮かぶ桜の下の花見の準備がもう水面下では日本全国で行われているのです。

 私の町の春はまず水仙が運んでくれます。しかし初春水仙花祭りという名前が示すとおり、水仙はどちらかというと冬の花なので、春はやはり菜の花でしょう。急峻な地形なのでその菜の花も「一面黄色い菜の花のお花畑」とはゆきません。JR予讃線のドハ沿いにしがみつくように咲くのが双海の菜の花なのです。

 それでも海の青と黄色い菜の花、それにマッチ箱のようなたった一両の気動車があれば、もうローカル性豊かな景観が出来上がるのです。冬枯れの何にもない季節に黄色い花の色はどれ程道行く人の心を和ませてくれるか分りません。思わず車を止めて立ち止まったり、深呼吸をしたくなるのです。もう初鳴きから随分日数が経っているのでウグイスも鳴き方が上手くなって谷渡りまで披露してくれています。

 2日目の日曜日、孫と一緒に菜の花畑を見に行きました。孫にとっては菜の花畑などどっちでもよく、菜の花畑の近くにある私の妹が経営する「くじら」というお店の「たこ焼き」と「ソフトクリーム」が目当てなのです。それでも孫は美味しいものを買ってもらいたくて「菜の花が綺麗」と褒めながら、私の手を引っ張ってお店の方へ誘導してゆきました。お店は3坪ほどの小さな海産物のお店ですが、菜の花が咲く頃になると沢山の観光客が訪れ、狭い店内は入りきれないような盛況でした。妹も勤めていた農協を辞めて商売をし始めて8年近くになりますが、心配したような経営不振でもなく、今ではなじみのお客さんもできて第一の山は登りきったようで一安心です。

 このところ寒かったため孫は室内で過ごすことが多くなり、少し太った感じがするようになったので機会あるたびに戸外に連れ出して遊びや運動をさせています。娘がお産の都合で入院したため家とわが家と幼稚園を往復する忙しい日々の孫にとって、母親の実家は居心地が良いのかすっかり馴れて私とのコンビネーションもバッチリです。

 この日は菜の花畑からシーサイド公園、そして山の上へ化石堀に出かけました。恐竜に夢中の孫にとって化石は宝物で、小さなスコップと鍬を持って裏山で化石を掘りました。化石など出る訳はないのですが、恐竜のどこかに見える石さえ見つければ4歳の孫にはもう立派な宝物なのです。我が家へ帰って新聞紙を広げ虫眼鏡で観察するのも楽しみの一つのようです。ささやかなこんな熱中も幼児期の心の成長には欠かせないようです。その汚い石をナイロンの袋に入れて眠るのですから、孫にとっては石もお宝なのでしょう。

  「菜の花の 向こうに見える 店先に たこ焼きソフト 手を引き誘導」

  「化石掘る 出てきた石に テプラノドン 勝手に名前 付けて袋へ」

  「虫眼鏡 見ては空想 膨らます 白亜恐竜 生きた世界」

  「冬篭り したから少し 超えました 運動させて 少しスリムに」 


 

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