shin-1さんの日記

○久しぶりの煙会所

 この1年半余り、人間牧場の立ち上げにうつつを抜かしていて、自分の足元を見る余裕がなかったのか、家の横に設置している「煙会所」の利用は見学コースや座談程度でした。しかし一昨日人間牧場への来訪を希望しながら台風並みに発達した低気圧の影響で海山ともに大時化で、事故でもあっては大変と急遽煙会所へ場所を変更させてもらいました。雨は収まっていましたが強風の中来た人たちは、てっきり人間牧場へ行けるものと期待をして来たのですが、残念かな煙会所での語らいとなって少しガッカリした様子でしたが、それでも煙会所の魅力を満喫していただきました。

 煙会所には囲炉裏があります。人が来るというので私と親父は朝から大掃除です。4畳半の狭い部屋ながら畳を拭いたり囲炉裏に火をおこしたり、便所の掃除をしたり、また妻は囲炉裏に掛けて温かいものをとおでんを作ったりしました。私は数日前から腰の調子が思わしくないけれど、それでも妻の友人で中年の美しい女性が6人も来るとあって俄然張り切って腰の痛さに耐えながらお世話させてもらいました。

 女性らしくお約束の時間きっかり11時に2代の車に分乗してやって来ました。私と妻を含めると8人で4畳半の部屋には丁度半畳にひとり納まる勘定で、それから5時間余り食べたりしながら賑やかな話に花を咲かせました。


 この方たちは伊予市民生委員女性部の方たちで、妻も同じ会に所属しているので先日の忘年かで人間牧場のことが話題になって、忘年会会場から電話が入り今日のセッティングと相成ったわけです。女性3人寄れば何とやら、まさにかしましいお話でした。私もあちらこちらの民生委員会に話に行く機会もあるので、様々な話題を提供し、最後は私の自費出版の本にサインまでさせてもらう念の入れようで、人間牧場へ行けなかった分だけの楽しみを味わったのです。この6人の方は長年民生委員をしているだけあって考えが素直で話題も多く、人のためにしてあげる幸せを実践している人間的な奥行きの深さを感じました。

 それにしてもわが妻の凄いと思うのは、これまで百回を超えるであろうこの煙会所の利用について、何の文句も言わず手料理を作ってお客さんを賄ってくれたことです。酒飲みや遠来の友、講演に来た先生、近隣のおじさんおばさん、大学生、PTA役員、公民館人など、各界各層の人に合った料理でもてなしてくれたのです。私の人脈はこの煙会所から広がったものが多いので、妻の内助の功は口では言い表せないほどです。今でこそ有難いそぶりをする私ですが、若い頃は当然とばかりにこき使い、ねぎらいの言葉ひとつも掛けなかったように思い、多少ではなく存分に自責の念に駆られています。

 人の悦びが喜びと話す妻にお返しをしたいと思い、少しの手助けをしましたが、かえって腰の具合を悪くしてまた迷惑をかけてしまいました。

  「手料理で もてなす妻の 有難さ 来客嬉し 手を振って去る」

  「フーフーと おでん食する 人を見て あったか気持ち 妻の笑顔に」

  「喜びは 妻の笑顔が 一番と この頃気付く 少し遅いわ」

  「腰砕け そんな言葉と 同じ身に なっても笑顔 お客商売」

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shin-1さんの日記

○情報とは何か

 私が「情報化社会」という言葉を聞いたのはもう30年も前のことでした。ペーパーでしか情報が取れなかった時代に、電子情報の波がやって来ることを予知した未来学者がいたのです。しかしその当時はそんな情報が私たち庶民に及ぶことはないであろうと思っていましたが、そのスピードは速く日本もあっという間に情報化社会に飲み込まれ、私たち庶民ですら電子情報なしでは語れない時代になったのです。でも一口に情報といっていますが、「情報とは何か」と言われたら説明に困るのも今の世の中なのです。私たちは日々の暮しの中で何気なく使っている「情報」という言葉の意味を今一度考えてみる必要があるようです。

 私たちの受信している情報には聞き流し情報や必要情報に加え重要情報というのがあります。大河の如く流れている情報の中から必要情報や重要情報を取り出し、自分流に加工して生かしたり保存したりして活用するのですが、パソコンとは便利なものでそれらの情報をしっかりと記憶させしまっておくことが出来るのです。広い場所も取らず僅かな操作で必要な時に必要なだけ多少の時間と費用がかかっても情報が取り出せる現代はやはり便利な世の中なのです。しかし聞き流し情報であるはずの情報に目と手と感覚が行ったばっかりに思わぬ失敗をする事だってあるのです。私のパソコンにも迷惑メールと称するメールがどんどん入ってきます。エッチな動画を伴ったメールなどは男だったら誰でものぞいて見たくなる刺激的なものが多いのです。またインターネットで先物取引やバーチャルモールでの商売も出来ますから、うかつに手を出すと大変な事件に巻き込まれたり大失敗をするのです。要は何が大事で何を必要としているのかしっかりと判断する力がないと情報の誘惑に負けてしまうのです。今は自己責任の時代ですから失敗しても誰も助けてくれないのです。

 私たちが普通情報といっているものの殆どはデータです。データに人間の知恵を加えたものが情報なのです。つまり自分や集団にとって不利益なデータは情報ではなく、極論すれば利益をもたらすものが情報だと整理をしてみました。

 情報は人によってネットワークを広げてゆきます。人と情報のネットワークを持っている人こそ情報化時代に生きている人なのだと思います。私にとってこの一年余りの情報的進化は目覚しいものがあると自分では思っていますが、それもこれもやはり人のネットワークが成しえるのです。

 「情報」という文字を見ていつも思うのですが、(情)はなさけ、(報)はむくいです。インターネットや衛星放送ばかりが情報と思っていたけど、そこに人間の知恵たる情けが入らねばそれは単なるデータで情報とはいえないのです。ハンド&ハンド、ハート&ハート、フェイス&フェイス、これこそ最高にして最上の情報であると私は思います。

 顔の見える人から今年も年賀状が沢山舞い込みました。思いのある年賀状はアナログといえども顔が見える情報です。近況や私を思いやる言葉がショートコメントながら書き込まれほのぼのとした気持ちにさせてくれます。インターネットで届いた年賀も即効性があって嬉しい情報です。特にメールはその人の今が届きます。メールも出来なかった2年前とは比べ物にならないデータの中で利益あるものを取り出し情報に変えてゆく営みはこれからも死ぬまで続くことでしょう。

  「昨日来た 人からデータ 送られて 便利な世の中 実感しつつ」

  「情報は 情けの報と 書くんだよ 心無くんば 情報じゃあない」

  「情報で 俺と親父を 比較する ない方がゆるり 人生楽しむ」

  「遠情報 知っているのに 近情報 知らな過ぎるは 今の世の中」


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