shin-1さんの日記

○離婚の危機・子どものことを考えれば

 世の中は深刻な少子化です。学校の子どもの数も年々減少し、田舎の学校では複式学級は当たり前という感じで、私たちが子どもの頃のような教室いっぱいに子どもの元気な声が聞こえた時代は終わって、空き教室が目立つようになりました。その原因は子どもを生まなくなったこともさることながら、未婚の女性が増えたことにもあるようです。さらに追い討ちをかけるように私たちの身の回りには特に若い人で離婚した人も目立つようになりました。何らかの理由で夫婦の関係を解消して子どもを母親が引き取り、田舎の親と同居するのですから子どもの数は増えるのですが、孫と同居できるおじいちゃんやおばあちゃんの気苦労も喜び以上に大きいのではないかと思われます。女手一つで子どもを育てることは容易なことではありません。両親はそれを察して娘の働きを援助するのですが、孫の面倒は中々気を使い骨が折れるものなのです。

 最近の若い女性は男女間で直ぐに仲良くなり、出来ちゃった結婚なんて言葉が流行するように直ぐに結婚したがります。それは自然の成り行きですから誰にも止められないことなのでしょうが、結婚が早かった分思慮の足りなさか直ぐに別れてしまうのです。二人は別れようがどうしようがいいのですが、出来た子どものことを思うともう一度考え直して欲しいと思うのです。私も仕事柄離婚騒動の仲裁に入ることがありますが、今の親の言い分は「一生に一度の人生だから思ったように生きる」なんて言葉を盛んに言います。もちろんそれも大事ですが、それは結婚するまでにとことん話し合って確認すべき事柄なのです。

 「再婚は男女によって差がある」ことをご存知でしょうか。男の場合離婚すれば明くる日でも再婚できるのですが、何と女性は6ヶ月しないと再婚は出来ないということが民法第733条の「再婚禁止期間」で定められているのです。同じ人間なのに、ましてや男女同権なんて口うるさい時代にこんな時代遅れの法律があるのかと誰もが信じてはくれないと思うのです。実は女性が再婚後に子どもを生んだ場合はその子が前夫の子なのか現夫の子なのかはっきりさせ、もめることがないようさせるための決まりなのです。ではどんな理由があろうと6ヶ月を経たないと再婚できないか調べてみると例外はあるようで、前夫の子どもを出産した後と、妊娠していない証明があれば出来るのです。

 現代は離婚流行、特に結婚していても違う相手と不倫の果てに離婚というケースも多く、芸能界は人気がなくなると離婚と再婚を繰り返して話題を作るとまで揶揄される世界です。でも民法は弱い立場の女性を思っての男女区別をしているのですから、男性はせめて女性と同じ6ヶ月くらいは再婚を見合わせてもバチは当らないと思うのです。

 わが奥さんに比べ人の奥さんは綺麗に見えます。でもこの歳になってわが体をいたわってくれたりしてくれる物好きな人は世界中何処を探してもいないのですから、腹が立ってももう一度ぐっと堪えて夫婦の絆を深めるようにして欲しい、いやしたいものです。いやします。

  「妻のこと ブログに書くなと 友注意 だけど私は 面白がって」

  「この歳に なると妻の 有難さ 身に染み思う 日々の暮らしに」

  「離婚危機 何度かそれを 乗り越えて 今ある思う よくぞ我慢を」

  「離婚すりゃ 明日でも男 再婚す ところが女 六ヶ月待ち」

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shin-1さんの日記

○お金は日ごろの積み重ね

 昨日日本全国では相次いで4件、銀行や郵便局に強盗が入ったとテレビが報じていました。年の暮れなら資金繰りに疲れた人が・・・・と同情もするのですが、連休明けの今の時期に何故と思うのです。強盗をした人の肩を持つわけではありませんが、強盗に入った人にも色々事情があってのことと思うのですが、金のあるうちは使って、金がなくなったら人様のお金に手をつける話は今も昔も変わったことではありません。今日は雨ですから国道沿いのパチンコ店は「晴パチ雨パチ」の人たち(晴パチ雨パチとは私が考え出した言葉で、田舎の若者が晴れた日にはパチンコ雨の日にはパチンコをする姿)数多く集まっているのでしょうが、パチンコに負けて金がなくなれば必ず身近な順に金の工面をするそうです。自分のお金⇒家族のお金⇒サラ金のお金⇒仲間のお金⇒知っている人に嘘を付くお金⇒知らない人をだましたお金⇒強盗と、まあ強盗に行き着くまでには相当の順番を経ているのですから、強盗の気持ちも分るのです。

 お金は自分で工面してみて分るのですが、使うことは簡単でも貯めることは中々難しいものです。まとまったお金の基準に10万円と100万円があります。10万円貯めるのは毎月1万円弱ですからその気になって貯めようと思えば何とか貯まります。でも100万円のお金となると毎年8万円以上貯めて10年もかかるのです。金利の安い現代ですからお金なんか貯めたって目減りするだけだと鷹を食って貯めないと、まさかの時にサラ金か強盗にでも入る以外はないのです。

 私たち貧乏人はお金持ちを見ると誰でも羨ましく思います。でも最初からお金持ちはごく一部で、世界中からみればお金持ちといわれる人は5パーセントにも満たないといわれています。格差社会が問題になっていますが社会の殆どの人は私たちと同じ貧乏人仲間なのだと思えば気も楽だし、子どもの頃いろはカルタで「稼ぎに追いつく貧乏なし」とはよく言ったもので、日々の努力、日々の積み重ねこそ大切なのです。

 今の社会は給料は月給制が殆どですから日給や時給で暮らしている人以外は稼ぎの重みが分りにくくなっています。でも日給や時給の世界に身を置くと稼ぎと暮らしの重みがずしり肩に響くのです。

 人間牧場もいよいよ金策尽きかけました。強盗に入るまで切羽詰ってはいませんが、よくぞサムマネーがあったと、通帳の出し入れ記録や帳尻を眺めては安堵とため息です。電気工事と屋根工事の残金を今日払う予定です。あー金よお前は何処へ行く。

  「サムマネー 日々の暮らしの 積み重ね これがなければ 牧場なんて」

  「これくらい 妻に内緒で いいだろう 小遣い貯金で 家が建ったよ」

  「オーナーの 私に電話 息子から 金を出しとけ 知恵を出すから」

  「世の中は みんな金持ち 見えるけど 俺と同じ 人も沢山」

  


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shin-1さんの日記

○人間牧場は何合目にあるの?

 友だちから「人間牧場へ行きたいのですがどの道を行ったら行けますか。ご迷惑をかけてもいけませんので地図を送ってください」とか、「人間牧場は山の中腹にあると聞きましたが、何と言う山の何合目くらいにあるのでしょう」などと問い合わせがあります。私ならある程度の説明が出来るのですが、私が代表を務める「えひめ地域づくり研究会議」の事務局がある「えひめ地域政策センター」などに問い合わせるともうお手上げで、「分ってはいますが説明が出来ません」としか言いようがないのです。

 そんな質問の中で「何合目?」と聞かれて、はて人間牧場は何という山の何合目だったのだろうと考えてみましたが、場所は「池久保」という地名なのですが説明できる主峰たる山はないのです。ですから「何合目」という問いにも答えられません。

 私は昔、「日本一のまちで日本一を体験する人を日本一多くつくる」「人づくり10年計画」に沿って、日本一南の島、日本一コミュニティの町、日本一北の広い町、日本一高い山などを選んで毎年10人の若者と一緒に旅をしました。その中で日本一高い富士山に登ることを計画しました。拠点を御殿場にある国立中央青年の家に置いて準備万端、勿論青年の家の職員にお願いして案内までしてもらい頂上を目指したのです。

 富士山は日本一高い山、一生に一度は登りたいと思っている人は多いことと思いますが、新幹線や伊豆半島から見たなだらかな美しい山も分け入ってみると樹海や石ころだらけで偉いなんぎをしたものです。富士山にはこれまた大きな山だけあって河口湖口、御殿場口、須走口、富士宮口、吉田口と五つの登山ルートがあるのですが、行く先々で2合目から頂上まで、「○○合目」という看板が建っていて、登る度に「ああモウここまで来た」とか、「あと少しだ」と励まされたりするのです。私たちが常識的に考えれば、富士山の高さは3776mですから五合目といえばその半分の888mだろと思うのですが、実はそうではないのです。

 一合目という目安はちょうちんの油一合が燃え尽きる距離だとか、米を少しづつまきながら歩いていって一合分がなくなるまでの距離だとかいわれていますが、登山の辛さや疲れ具合を基準に分けたという説もあるのです。実は「合」とは登山の難易度を示す目安なのだということを、青年の家の職員が案内しながら教えてくれたのを思い出しました。頂上が近づくにつれて難易度は高くなり、空気も薄くなって疲れがピークになると距離は短いが「○合目」もうつろな意識で見るのです。

 さて人間牧場はというと、私が子どもの頃ここへ荷物を担ぎ上げ、また芋や麦を背負子で下ろした経験からすると2合目といった所でしょうか。でも車で行くと完全に1合目です。ですから人間牧場を歩く距離で換算すると2合目、車だと1合目としておきましょう。

  「牧場は 何合目だと 問われたら 歩いて二合 車一合」

  「近いうち 地図の等高 数えます 標高知らず アバウト百だ」

  「牧場も 高く見えるが 知れたもの 俺の高さの 七十七倍」

  「もう一度 登って見たい 富士の山 早くしないと 間に合わないぞ」


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shin-1さんの日記

○五右衛門風呂でうどんを茹でるって本当ですか?

 人間牧場の五右衛門風呂が完成し先日息子と二人で掃除をし、風呂を沸かして入りました。本当はその時の写真をこのブログで紹介したかったのですが、息子のデジカメで撮ったため機種の関係で私のパソコンに入力出来ず持って帰ってしまったため、発表が遅くなってしまいました。風呂の北側の押し上げ窓を全部開け、両袖の隠し戸も開けて入る五右衛門風呂はまるで空中で風呂に入ってるような錯覚すら覚えます。眼下には下灘の港が一望でき、息子の設計のセンスのよさにわが子ながらとても感激しました。このブログを書きながらふと「あの写真はメールで送ってもらったらどうだろう」と思い、息子に電話しました。早速私のメールにご覧のような写真が送られてきました。どうです。これが五右衛門風呂の入浴シーンです。モデルは美しい女性か妻とも思ったのですが間に合わず、私でご勘弁下さい。それにしても凄いでしょう。人間牧場からの眺望を独り占めするよな原風景を見ながらの入浴はまさい至福の時、至福の空間なのです。

 この写真が送られてきてから相ついで3枚の写真が送られてきました。しかしその写真は容量的にかなり重いもので、結局は圧縮しないと入らないことが分り悪戦苦闘をしました。何せメールの写真を圧縮するのは滅多にないことなので3日前から始まった大相撲夏場所のテレビ観戦も忘れてしまうほどの熱中ぶりで、ついに2枚の写真をブログに載せる事に成功したのです。しかし次の写真を見て決して笑わないで下さい。

 「げっ、これ骨皮筋衛門」なんて思われる正真正銘私の姿なのです。でもモザイクをかけなくても見れるのですから、体は見ないでかけ湯用の木の桶や草津温泉にも負けない湯もみ用の棒まで息子は用意してくれました。風呂釜を囲んだ板はウッドデッキ風でかなりお洒落です。

 おっと、このブログ記事の題名が「五右衛門風呂でうどんを茹でるって本当ですか?」というタイトルだったことをすっかり忘れていました。実はお隣の県香川県西部地方では家の新築や改築でお風呂が出来上がったら、お風呂にうどんを持ち込んで食べる風習があるというのです。うどんを釜で茹でたり湯船に浮かしてまではさすがにしないようですが、そうすると中風にもならず長生きするという言い伝えに沿ったもので、さすが日本一のうどん県だけのこはあるなと感心しました。そのため一番風呂は必ずその家の一番偉い人が入るそうです。

 この話をしていたら、面白い話しを聞きました。元々はこちらの地方でも、そういう風習はあったそうで、五右衛門風呂ができると人間が入る前に綺麗に洗った風呂釜で本当にうどんを茹で、そのうどんを取り出した汁をぬるめて野の中に入ると無病息災になるというのです。

 「えーっ、汚い」と思うでしょうが、人間の入っていない未使用の釜なら、鍋釜の新品と一緒で決して汚くはないはずです。私もしようかと思いましたが、もう使ったので出来ません。うどんはやはりハレのひに欠かせない食べ物なんですね。

  「五右衛門の 風呂に入って 見渡せば まるで宇宙を 遊泳気分だ」

  「五右衛門の 風呂でうどんを 食い忘れ 俺もそろそろ 寿命なのかも」

  「このモデル まるで骨皮 筋衛門 もっといいのを 撮ればいいのに」

  「五右衛門に 裸で入る 姿おば 下界双眼 眺めて見たい」

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shin-1さんの日記

○わが家の敷地は660坪

 都会の人が聞くと信じ難いような坪数660坪、はいこれがわが家の敷地面積なのです。この坪数を聞くといかにも金持ちみたいに思うでしょうが、わが家は先祖代々誇りある貧乏なのです。貧乏は決して悪いことではありません。昔貧乏だった成り上がりの芸能人が体一杯に光ものを身に付け、何億円もする豪邸に住んでいるのをよく見かけますが、結果的には遺産相続や苦労を知らない子どもが事件を起すのを見る度に、「ああ貧乏人に生まれて良かった」と胸をなでおろすのです。

 敷地が広いことは家の周りでいっぱい安全な野菜や果物を作ることが出来るし、作る喜びもあるのです。ところが困ったことが一つだけあります。それは何処へでも辺り構わず生えてくる雑草の処理なのです。ビオトープだと思えばいいのでしょうが、人間様が住んでいるので草を生やし放題というのも外目もあるので引いたり削ったり、時には草刈機で刈ったりもしますが、草の成長は早く追いつかないというのが正直な話です。

 わが家で草を引く人の第一人者は88歳の親父です。朝も早くから夕方まで草に文句を言いながら引いています。もし親父がいなくなったらわが家は草だらけになることは私が保証します。そのくらい親父の草に対する執念は強く、来訪者が菜園畑を見て「ここの畑は綺麗にしていますが草が生えないのですか」と冗談交じりに言うほど綺麗にしています。

 今朝は書いたブログの入力の調子が悪く思わぬ時間がかかってしまいましたので、隠居へ行く時間が少し遅れてしまいました。そのためでもないのでしょうが、私の部屋の窓から「毎日草の手入れに疲れた。お前も少し手伝わんとこの家は草だらけになる」と何時になく弱音を吐くのです。今日は原稿の締め切りで忙しいのにと思ったのですが、「午前中だけでも手伝うから」と約束をして食事を済ませ外庭に出ました。確かに親父の言う通り庭の隅々には数週間前まで綺麗だったのに草が目立って生えています。それから3時間ただひたすら中腰で草を引き、身頃を迎えているつつじの裏庭は草削りで削って行きました。近くに住む姉が父の昼食のおかずを届けに来てくれ雑談をしながら姉も草を引いてくれました。途中から親父はいなくなりました。そうです。テレビの番組に時代劇があるものですから中に入ってちゃっかり一人で見ているのです。私は午後から講演の打ち合わせに岡山県から担当者がやって来るので、何としてもそれまでにはと馬力をかけてやりました。お陰さまですっかり綺麗になり親父も嬉しそうでした。

 祖母が元気な頃この除草は主に祖母の仕事でした。祖母は草を引きながら「私が死んだらこの草は誰が引くのだろう」と言っていました。いま親父が同じようなことを暗に頼りない息子の私に向かって言っています。多分私も同じようなことを3代に渡って言い続ける事に違いありません。

 でもふと思うのです。私は祖母や親父のようにマメに草引きなど出来そうもなく、まったく自信がないのです。「お父さんなら大丈夫」と妻は自分のやらない分だけ私を褒め殺しして使おうとするのですが、そうは問屋が卸しません。数年前に亡くなった近所のおじいさんの庭は、私の親父と同じように草もはやさず綺麗に手入れをしていましたが、今は住む人もなく雑草に覆われています。昨日その庭の前を通って雑草に覆われている中でもつつじが咲いていました。見る人もなく咲く花も哀れなものです。あんな花にはならせてはならないと心に誓いました。

  「雑草と 家族の戦い エンドレス 何時まで続く 死ぬまで続く」

  「雨上がり 気持ちよさそに 草伸びる 悪いのですが 引かせてください」

  「祖母守る 庭で親父が 後を次ぐ 次を次ぐのは 私でしょうか」

  「草のよに 植えたものも 出来たらと 草の勢い 羨ましけり」

 

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shin-1さんの日記

○大根が食べたい  

 わが家の家庭菜園から白菜と並んで冬野菜の王様といわれる大根がついに姿を消しました。初秋に蒔いた種が芽吹き、晩秋から初冬にかけて食べ始めた大根は、春になると首を切られてトウが立つのを防いでいましたが、それでも大根はどっこい生きていて、脇芽から白い花が咲いたので、あえなく抜き取り処分されたのです。それでも昨年末に漬けた沢庵だけはその名残の酸っぱさを残して古漬け沢庵として塩抜きして味噌漬けや炒め物にしたりして食べられているのです。それも底をついたと思われる昨日、食卓に目にも鮮やかな瑞々しい沢庵が登場しました。今は四季を通じ大根だろうと白菜だろうと幾らでも売られているのです。多分中国か韓国産なのでしょうが、包装がなくなると何処の産地のものかはまったく分からず食べているのです。

 「お父さん。沢庵はどうして大根漬けと言わず沢庵というの」と、妻が唐突な質問を知識人の私?にするのです。妻は沢庵和尚の名前にちなみ沢庵とつけたくらいな知識は持ち合わせているので、いわば意地の悪い質問なのです。ご存知沢庵和尚は江戸時代初期の品川に東海寺を建てた名僧なのですが、それだけかと分厚い広辞苑を開いて虫眼鏡で小さい文字を拾い読みしました。「たくあん」という欄には、「沢庵とは漬物の一種で干した大根を糠と食塩で漬け重石で押したもの」という説明の後に、名前の由来も記されていました。ここでは沢庵和尚が初めた作ったという説と「貯え漬け」が転じたという説の両方が書かれています。

 その昔、三代将軍徳川家光が品川東海寺を訪れた時、沢庵和尚が「貯え漬け」ですと差し出したところ、家光が「これは貯え漬けでなく沢庵漬け」だという話は昔聞いたことがあります。「貯え漬け」は平安時代から日本の食文化としてあったのですから沢庵和尚が発明したのではなく、家光が命名したというのが正しい説明かもしれません。

 最近の沢庵は大根そのままの瑞々しさを漬け込んで浅漬け風に仕上げていますが、昔は保存食だったものですから噛み切れないほど干して漬け込んでいました。これも広辞苑の沢庵説明だと干しもせず糠も食塩も使わず重石もしないのですから正式には沢庵と言えるかどうかは分らないのです。

 大根は沢庵以外にもすり大根やおでん、刺身のつまとしても重宝がられますが、最近若者の間で人気なのは大根サラダにしてドレッシングで食べてるようです。それでもやはり旬の大根のような美味しさは残念ながら味わうことは出来ません。今年の晩秋頃までその味はお預けです。

  「俺の名は 別名大根 心と書く 葉より隠れ根 本当の値打ち」

  「大根が 食いたくなって 店で買う こんな大根 何処で作るの」

  「物知りの 俺に質問 妻試す 知り抜けごぼう いや大根だ」

  「さしあたり 俺が刺身で 妻つまか 二人で一緒 盛られ美し」

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shin-1さんの日記

○サツマイモの作付け準備

 今日教育委員会の分室へ行ったところ、昨年に続いて始まる「少年少女おもしろ教室」の打ち合わせがあるというので担当者と話しをしました。助成を受ける夢基金の決定が遅れたのと、担当者が異動で変わったため、それに私との予定のすり合わせが十分でなかったため、人間牧場での開催は5月20日と決定しました。昨年から言われていたので予定はしていたのですが、さて人間牧場で何をするか、小学生に小難しい話をしても通じないので、計画通り約3時間のプログラムの2時間をサツマイモづくりに挑戦、後の1時間をお話にする事になりました。

 しかしサツマイモを植えるには人間牧場の畑を開墾せねばなりません。日程的に余裕も余りないので、早速今日から始めようと人間牧場へ足を運びました。草は先日全て刈っていたのですが開墾となると話は別です。汗水たらして細長い畑を耕しました。

 結果はご覧の通り約5時間で何とか耕せましたが、その草や根っこ近くの空き地に山積みしたのですが置き場所が足らず、今日のところは時間切れとなりました。この畑を含めて3ヶ所を19日までに耕してマルチをかけ、子どもたちが約200本のサツマイモのツルを植えるのです。50本1束を4束用意するよう事務局にお願いしましたので、30人の子どもだと一人6本~7本植えればいい計算になります。

 サツマイモは荒れ地や赤土を好みます。イノシシに食われないよう注意を払いながら、子どもたちの夢と一緒に大事に育てたいものです。そして秋にはまた子どもたちと人間牧場で芋掘りや芋端会議を行う計画です。

 人間牧場で始めての教室は幸いな事に、昨年まで私が実行委員長を務めていた実行委員会の主催で行われます。これも人間牧場が目指すふるさとへの恩返しなのです。私がこの場所で自分の未来の夢を描いたように、子どもたちも何か感じて欲しいと願っています。農作業もジャガイモからサツマイモへ、季節は確実に動いています。今日は帰り際ジャガイモの畑で草取りをしました。今のところ生育は遅れているものの順調に育っています。

  「手伝うよ 言ってはくれるが 手伝う気 本当にあるのか まだ皆来ない」

  「豆ひとつ 畑でなくて 手に出来た 喰えぬ豆だが マメな証拠か」

  「ケンケンと 雉が鳴いてる 向かい山 鉄砲持たない 俺を信じて」

  「動かした 車の前に 蛙乗る 何処まで行くの 俺と二人で」

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shin-1さんの日記

○おふくろの味にはレシピがない

 私の母も私の妻もそうですが、家庭料理の上手い人ほど料理の達人がそうであるように「おふくろの味にはレシピがない」としみじみ思うのです。最近は料理番組が多いのですが見ていて気がつくことは、「今日の料理」なんて型どおりの番組は砂糖5グラムとか醤油大さじ1杯とか分量を細かくメモするように指示があります。ところが中華料理の番組では料理をしているシャモジを調味料の容器に直接入れて目分量かアバウトなのか分らない味付けをします。もっと驚くのはそのシャモジで味見までしてしまうのです。それを汚いとか不潔だとか思わないところに料理の凄さがあるのです。つまり彼らは腕と舌で料理を作るのです。ですから料理を作るスピードが速く、あっという間に3品や4品は出来てしまうのです。

 妻の料理、すなわちわが家のおふくろ料理も全て後者の類で、最初は辛かったり甘かったり、時には焦げ臭い料理も出ていましたが、今では妻に慣らされたのかも知れません。日本全国何処へ行ってもわが妻の料理以上の料理はないと自慢するほど、痒い所に手が届くような料理を毎日食べさせてもらっています。

 「いくらわが妻がブログを読まないからといってそこまで美辞麗句を並べ立てなくても」とおっしゃる読者の皆さん、一度わが家のわが妻の作った料理をご賞味あれと言いたいくらいなのです。

 わが家は現在私たち夫婦と学生の次男、それに別棟隠居に親父の4人家族です。特に息子は料理には目がないようで、夜遅く帰ったり私たちが不在のときは必ず自分で作って食べます。その息子をして「お母さんの料理は抜群で美味い」と言うのです。ですから息子は余程のことがない限り貧乏学生のせいでもあるのでしょうが、外食はせずに家に帰って食べるのです。妻が時々「今日は何が食べたい」なんてリクエストを聞くと、それなりの料理がちゃんと食卓に並ぶのです。

 昨日は二人で親類の方のお見舞いに出かけ、帰りにかぼちゃの苗を買うためホームセンターに立ち寄りました。妻のお目当ては小型のミルサーが欲しかったらしく、大枚5千円弱を出して購入しました。帯状疱疹などの感染で体に不安を覆えるようになった心の表れでしょうか、最近特に健康に注意をするようになりました。大学ノートにテレビや雑誌で見た健康に関する情報をメモしているのですから相当なものです。

 レシピのないおふくろの味の残念なところというか、凄いところは冷蔵庫にある余剰品が違和感なくそれとはなしに入っていることです。「えっこんなものが酢豚に入っている」なんて発見は枚挙に暇がありません。私が文句を言うと「節約第一」か「健康第一」を必ず言い訳しますが、どちらも当っているだけに文句は飲み込んで食べるのです。それでも家庭のおふくろの味が「節約」と「健康」とう大命題を解決しての味なのですから大したものです。今朝も春キャベツが食卓に並びました。息子が何を思ったのか「ロールキャベツが食べたい」と言うのです。妻は「じゃあ今晩はロールキャベツにしようかね」であっさり夕食のメイン献立は決まったようです。昨年結婚した息子が「嫁の作る料理の味はお母さんの味に近い」ことで結婚を決意した話に、「おふくろの味」の凄さを垣間見ました。

  「おふくろが 袋になった 世の中で 母の味付け 似てる結婚」

  「目分量 それでも丁度 良い味に まるで魔法の ような料理に」

  「夏みかん 皮むき冷やし それだけで おやつにどうぞ これもおふくろ」

  「美味しいね 作り方はと 訪ねたら そんなものない 嫁妻対話」 

 

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shin-1さんの日記

○やるべきことをやる

 人間牧場構想を思いついた時、二つの考えが浮かびました。一つは相談した誰もが「それは素晴らしいアイデアです。人間牧場ができたら是非行ってみたいです」と私の考えに同調してくれました。もう一つは相談した誰もが「そんな夢見たいな話、第一資金はどうするの。誰がやるの」と否定的でした。普通だとこのような場合二者択一を決めるのは私ですから、前者の同調をいいことに夢を実現するため、何のためらいもなく突っ走ったに違いありません。しかし後者の否定的な話に耳を傾けた私ははやる気持ちをぐっと押さえ一年間準備期間を持ったのです。家族への理解や資金計画、場所選びと夢を実現するためにクリアしなければならない様々な計画を入念に塗りつぶして行きました。やがて退職という適期を選び汗と知恵を出しながら計画に沿って第一期、第二期、第三期と順次着工して今日に至っているのです。いつも口にしている言葉は「やりたいことと出来ることは違う」ということですが、しかし私はあえて「やりたいことと出来ることは同じである」という夢の叶え方を実現したのです。今にして思えば「夢はドリームではなくターゲットである」というこれも私の持論を実証しました。

 イギリスの詩人ジョン・ドライデンは「はじめは私たちが習慣をつくり、それからは習慣が私たちをつくる」という名言を残しています。誰でも新しい事に挑戦する際は莫大なエネルギーを必要とします。この一年人間牧場づくりにかかわってみて、途中で挫折してしまいそうな状況が突発的に目の前に現れることが何度かありました。しかし仕事ではありましたが夕日によるまちづくりやシーサイド公園建設で体験した反対や失敗に比べたら大したことないやと思いながら事を進めたのです。多分それはジョン・ドライデンの言葉どおり私の体にいつの間にか習慣が備わり私の計画が実行されたのです。よき習慣とはやれば必ず出来るという強い信念と継続の習慣です。人は誰でも壁にぶち当たれば逃げたくもなるものですが、そこを逃げずに我慢してコツコツ努力すれば必ず道は開けてくるものなのです。

 私の周りには、私の逆で悪しき習慣を持って生きてる人がいます。周囲を省みず自分勝手に物事を進め、できなかったら人や社会のせいにして説明責任も果さぬまま逃げ出してしまう人たちです。こんな人は成功はおろか人から信用などされるはずがありません。

 自分がやると決めたことは自分との約束ですから安易に妥協せず、志を持って淡々縮々と行うことが自分自身を輝かせる事になるのです。その点私は昨年の自分より輝いています。少なくとも私の生き方の中に今までなかった「人間牧場」という智のコンテンツが増えたことは、私の大きな力になっているのです。

  「俺男 やるべきことを やることが 自分の格に 更に磨きを」

  「習慣は 怖いもんだね 信じれば 夢が実現 ほらホラでなし」

  「風呂敷を 広げて見せる 俺の夢 次は一体 何が飛び出す」

  「反対を 説き伏せぬなら 最初から なかった話と 諦めるべし」   


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shin-1さんの日記

○去年の今頃

 一年の時の流れとは早いもので、人間牧場へ入植し(入植といえるかどうか)開拓を始めたのは丁度今頃でした。自由人になって自分の行く手も見定まらないまま下灘池久保の地に入植の鍬を入れました。雑木とカズラの山を前に、少しだけおののきながら妻に買ってもらった地下足袋と麦藁帽子の出で立ちで、遠くにかすむ周防大島や由利島を見ながら、少年の頃に同じ場所で見た風景とダブらせながら、カズラを鎌で刈り、鍬でカズラの根っこを掘りおがし、チエンソーで雑木を伐採し、火をつけて焼却しながら次に進むという作業を繰り返しました。様々な作業を経て息子の設計による水平線の家が建前を迎えたのは7月29日だったと記憶しています。

 デジカメの使い方さえも分らないのに、地域振興課長を退職し教育長に就任した時仲間がお祝いにくれたデジカメを箱から取り出して、記録にと使い方も訳も分らずに撮り続けました。その写真ももう有に00枚近くになっています。その中に当時の雑木生い茂る写真がありました。

 これは現在五右衛門風呂の出来ている辺りから撮影したものでしょうが、凄い姿でした。私の人間牧場開拓史の中の貴重な一枚です。下のもう一枚の写真は現在ジャガイモ畑に変身している畑のカズラです。

?下の写真はそのカズラを刈りつけて焼却処分にしている風景です。焼却した雑木や雑草はおびただしく、何度も何度も足と手が棒になるほど運びましたし、その都度赤い炎と煙が天高く舞い上がって、まるで狼煙のような雰囲気でした。

 来年のこの頃、「去年の今頃は」と再び人間牧場のことを思い出しながらブログに書くのでしょうが、デジカメで撮った写真をブログに入力するなんて出来ませんでしたから、「人間牧場の写真が見たい」とかメールで言われても「そのうち」としか言いようがありませんでした。したがってお蔵に入った写真を取り出そうとするのですが、これがまた難しく、この2枚の写真を縮小して入力するのに1時間もかかってしまいました。それでも娘婿と長男のアドバイスもあってどうにかホラこの通り写真が入りました。二人の息子が言う通り、パソコンは自分がいじって失敗した経験をしないと先には進めないものだということも実感しています。

 さてこの一年は人間牧場づくりに明け人間牧場づくりに暮れました。今年は人間牧場をどのように使うかです。せいぜい楽しく使いたいものです。

  「来年の この頃去年を 思い出す こうして毎年 歳をとるのだ」 

  「火に消えた 雑木雑草 限りなく 今では肥やしに なってジャガイモ」

  「この写真 今では大事な 貴重品 人間牧場 開拓歴史」

  「デジカメで 撮りも撮ったり 五百枚 暇が出来たら アルバム作ろう」

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