shin-1さんの日記

○「何か質問はありませんか」

 講演会場で講演が終わり、司会の方が「何か質問はありませんか」と参加者に質問を促しますが、一向に質問が出ず、「それでは質問もありませんのでこの辺で本日の講演会は終わらせていただきます」と拍手を求めて終了する会合は以外と多いようです。その原因は講師の話が質問に値しなかったのか、参加者の意識が低いのかどちらかでしょうが、もうひとつ考えられる原因はそんな月並みな集会を仕組んだ主催者側にも大きな責任があるようです。つまり研修会は主催する人、話をする人、話を聞く人の三角関係で成り立っているのです。その束ねはやはり主催する人ですから、誰の話を誰にどんな目的で話させ、どんな成果を求めるのかが明確でない場合に得てしてこんな結末を迎えるのです。

 「桜をつくる」という言葉があります。前もって講演会の終了後に講師に質問をしてもらう人を頼んでおく手法です。これを「やらせ」ともいいます。普通は話しなれた参加者を2~3人ピックアップして頼むのですが、会場の雰囲気を上げるために「私は司会者から発言を頼まれましたいわゆる桜です」なんて種証をしてから発言する人もいて思わず大爆笑なんてことも経験しましたが、質問はその人の大きな能力と言えます。

 人の話しを聞いて要点をまとめ、その話の中で起こった様々な疑問やもっと深く聞きたいことを要領よく相手と参加した人に向かって話すことは容易なことではありませんし、その訓練が出来ていなければ折角の発言も水を差すどころか冷水を浴びせることにもなりかねないのです。その意味で質問力はその人の「総合力」だと思うのです。

 「正法眼蔵隋聞記」という本に「道を学ぶ人が教えを聞くときはよくよく追求して聞きただし、その上分らないことは重ねて質問して疑いのないようにしなければならない。質問すべきことを質問しない、言うべきことを言わないで過ごすことは自分の損害である」と述べています。

 講演会場を出て、「今日の話は面白かったが、もう少しあのことが聞きたかった」「私も質問しようと思っていた」などと会話を交わしながら去って行く人をよく見かけます。これでは何のための1時間半であったのか疑いたくなります。私は人の話を聞くときメモを取りながら、「私だったらこう思うとという要点や質問事項を書くよう心がけています。ですから「若松さんあなたはどんな考えですか」と尋ねられても即答できるのです。聞く、理解する、整理をする、質問して自分の意見を述べ更に理解を深めるなどなど、まさに総合力が

自分の知識を知恵に変えて行くのです。漫然と時を過ごしてはなりませぬ。

  「質問が ない会なんて 何のため 開いた意味が 分らず終い」

  「言うべきを 言わず言うなと 言えば言う 言うことあらば 言えばいいのに」

  「質問は ないかと聞くは 美辞麗句 俺は桜と 言って爆笑」

  「質問も その人値打ち 上げるコツ よくよく聞いて よくよく質問」

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○山二つのありがたみ

 私たちは『便利」という名の基に、何でもかんでも自分の近くに置こうという癖があります。松山まで僅か25キロの地域であるわが町のまちづくりも、実はそんな発想からスタートしています。道が開かれてからというものは、多くの人が住んでいる県都「松山」を意識して随分道をよくする運動をやって来ました。県道から国道への昇格運動、国道の改良陳情などにどれ程の知恵を出し努力をしてきたことでしょう。その結果25キロという距離は今も昔も変わらないものの、大幅にスピードがアップして2時間もすれば松山へ行って帰って来れるような便利さを手に入れました。過疎だ高齢化だと町の持っている負の部分を嘆いて「もっと便利に」が今も変わらず合言葉なのです。しかし近くなればなるほど、便利になればなるほど松山へ行った時の感動が薄れてゆくのは何故でしょう。非日常が日常に変化したからなのです。人間は日常の暮しだとだと感動しません。日常の暮しに飽き足らず非日常を求めるからこそメリハリがついて人生が楽しい思い出となるのです。

 江戸時代の儒学者に熊沢番山という人がいました。番山は家が落ちぶれて寒村で貧しい暮しをしていました。山二つ越した所に日本の陽明学の祖中江藤樹が塾を開いていたので、番山はいつも講義の時間になるとやって来て、垣根越しに講義を聞いていました。その姿を門弟が見つけ中江藤樹に告げたのです。中江藤樹は番山を呼んで「そんなに講義が聞きたいか」尋ねました。「雨の日も風の日もこうして先生の話を聞くのが私の何よりの務めです」と答えました。中江藤樹は「聞くところによるとお前は年老いた母と一緒に暮らしているそうだが、うちの馬小屋が空いているからどうだそこへ住まないか。4時間も山を越えて来なくてもいいではないか」。「ご親切なお気持ち感謝してもし切れません。しかし私は山二つ越えて来るからこそ辛抱のしがいがあるのです。私の心の励みとしてどうぞそのままに」と涙ながらに答えたといいます。

 今の私たちにはその気になれば幾らでも勉強に機会は与えられています。でも教えを体得するのは巻き返し繰り返しが大切なのです。

 今の便利な時代、熊沢番山のような生き方をする人もいないでしょうが、せめて不便さの中であえて学ぶ心を持ちたいものです。幸い人間牧場には距離的や空間的に非日常が存在します。家の横に30年前に造った私設公民館「煙会所」が非日常から日常に変わった今、人間牧場の非日常こそ心を鍛える場所としては最適だと思います。熊沢番山の歩く速度だと人間牧場は一つ山越す2時間程度だと思います。一度自分の足で自宅から歩いて人間牧場を往復してみたくなりました。そう是非実行してみたいものです。私たちはいつの間にか足があることを忘れていました。

  「番山の 生き方学ぶ 気構えが あれば学びに 心こもって」

  「何時の間に 足で歩くを 忘れたか 便利という名の 車に乗って」

  「直ぐそこに 中江藤樹の 大洲あり 偉大な足跡 訪ね学びし」

  「この歳に なっても未だ 山越えず 何をしてるか 早くしないと」


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○人間牧場ツリーハウスの棟上

 今日は忙しい一日でした。ツリーハウスの工事を始めるので、早朝に人間牧場に出掛けて水平線の家の鍵を開け、昨日運び込んだ木材のシートをはがして片付け、大工さんの来るのを待ちました。大工さんは今治の人ですから9時半過ぎに到着、簡単な打ち合わせをして自治公民館のウォーキング大会に参加するため下山しました。約百人の参加者が長い列を作り、旧役場前を出発、三島神社を経由して潮風ふれあい公園まで約1時間30分をかけて歩きました。山の緑も日増しに濃くなって渡る風も心地よく肌に感じ、思わず深呼吸したくなるような爽快さです。昼食が始まったところで私は前町長さんと一緒に歩いて下山しました。私は役場に置いていた車に乗り込み、12時に会う約束していた参議院議員の段本先生と魚吉で昼食をとり、随行の土地改良連合会の方々と人間牧場へ向かいました。東京で過ごしている段本先生は農林族で、四六時中日本全国を行脚されていますが、わが人間牧場への道程の急峻な道にはさすがに驚いた様子でした。でも人間牧場のロケーションや思想にはいたく感激された様子で、ツリーハウス建前のために訪れていた仲間たちと楽しく談笑され束の間の交流を楽しみました。

 居合わせた息子夫婦や次男も名刺をいただくなど気さくな先生の振る舞いに恐縮していました。先生は昨日内子町に泊まり、今日は八幡浜へ行き西の方から人間牧場へやって来ましたが、先生とはまだ興で度目なのですが、偉いそぶりも見せず頭が下がる想いです。先日参議院会館へお訪ねしたときはあいにく留守で高橋秘書と面会面談させてもらいました。

 3度人間牧場へ上がったのは2時過ぎでした。大野事務局長や湯山君も手伝いに訪れていたのでかなり作業が進んだのか思いきや、足場作りなどに手間取り、まだ3分ぐらいか仕事ははかどっていませんでした。それからは手も増えて一段とスピードが速くなり、夕方6時30分まで残業した結果骨組み作業と屋根の一部が完成し、ご覧のような状況となりました。

 人間牧場の「水平線の家」も「五右衛門風呂」も、今回の「ツリーハウス」も全て急峻な地形を利用したためよく似た外観をしています。ツリーハウスの中にはどっかりと杉の木が鎮座するように立っています。この杉の木は八本立てだったのですが、屋根の終いが出来にくく一本二本と切られ、残りは4本だけとなってしまいました。生きているこの木が生きたまま部屋の中に建っているのですから圧巻そのものです。さて屋根終いはどのように付けるのかこれまた大工さんの腕の見せ所といったところでしょう。生きた木が床柱なんて話は余り聞いたことがありません。畳3畳分の部屋は一体どんな夢を私たちに与えてこれるのでしょうか。楽しみがまた増えました。

 先日宮崎県の仲間からメールが入り素晴らしいツリーハウスを見せてもらいました。あの素晴らしいツリーハウスを見ていると、私たちの造っているものはツリーハウスと言えるかどうか疑問です。でもオリジナリティがまたいいのだと自分自身を納得させています。

  「ニョッキリと 屋根・床杉が 伸びている やることちょっと 過ぎていますよ」

  「大工さん ベートーベンでは ありません 大工第九と 同じ発音」

  「やっとこさ ここまで進む 計画に 安堵の胸を なでおろしつつ」

  「牧場に 国会議員も やって来た 俺の生き方 田舎人生」 

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○21世紀えひめニューフロンティアグループの愉快な仲間たち

 私が代表を務める「21世紀えひめニューフロンティアグループ」の会合が今晩7時から事務局長の大野哲治さん宅でありました。3日前に通知が届いて急な例会にもかかわらず殆ど全員が顔を揃え、楽しい語らいの場となりました。何せ南は愛南町から東は今治まで、中には中島という離島の人まで広範な地域に住んでいる会員なので、集まると言っても容易なことではありません。

 私が再び代表になって始めての会合でしたが、みんな個々力集まってくれました。

 今日の議題は四つありました。まず第一は人間牧場へツリーハウスを造ることの承認です。今年の新春に皆さんにお話をしているので異論もなく約50万円の出費が承認されました。私たちのボランティアグループも結成以来25年近くになりましたが、小さいながらも木の上に家を建てる奇抜なアイディアは初めてとあって関心も高く日浅さんが棟梁となって既に木組みも出来て、大安吉日で日がよいことから明日はいよいよ建前をするようです。心配された天気も雨かと思いきや一転して好天に恵まれるとのこと、幸先がよいようです。

第2は逆手塾への参加と協力です。これも6月10日と11日の両日人間牧場で行われる予定になっていて既に準備をしています。フロンティアグループはその塾の運営にスタッフとして協力することです。食事や寝床の世話と何かと大変なようですが、これも全面協力という形で決まりました。

第3には海外旅行の件です。フロンティアグループでは最初、アラスカへ丸木舟を造ったアラスカ産モミの木の切り株に会いに行くツアーを計画していましたが、日程的にそれ程余裕もなく結果的には8月25日・26日・27日の3日間韓国へ行く事に決まりました。会員の佐賀山さんが韓国語を習っていることもあって韓国行きを決めたのです。全員で行こうとアラスカとは少し違っていますが決意も新たに決定しました。

第4はフロンティア塾の再開です。40回が終了して充電期間が過ぎたので、今年はとりあえず学びの復活をすることで意見の一致を見ました。

 久しぶりにフロンティアグループの会員に会って思い出が蘇るやら多いに盛り上がりました。普通だと終わってからいっぱいやるのですが、明日はツリーハウスの建前も控えているので2時間足らずで散会となりました。お茶と国元さんが差し入れた醤油餅、それに大野さんが用意してくれたコーヒーやお茶で話が終わりましたが、昔はよく酒を飲んだ仲間も、昔のような元気は中々見ることはできませっが、口だけは達者でした。この分だと今年もいいグループの活動が出来そうでホッとしました。

  「集まれと 急な召集 かかわらず 殆どみんなが 集い議論す」

  「あの顔も この顔さえも 一昔 若い時代が あったのですから」

  「団塊の 世代殆ど 俺も歳 言う人横目に 俺は今から」

  「アラスカが 韓国行きの 計画に 何故か変更 それでも嬉し」


  

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○これは一体何

 人間牧場の水平線の家に突如として現れた得体の知れないこの物体を見て、『これは何?」と首をかしげる人が何人もいます。ひどい人は「これはひょっとしたらオーム心理教の第一サティアンではないか」とも言います。天井からワイヤーで吊るした物体に蛇腹のパイプが装着しているのを見たら誰だってそう思うでしょう。実はこれは息子が友人の鉄工所の若社長の指導協力を得て密かに鉄工所で手作りしていた吸煙機なのです。吸煙機の下には畳一畳の大きな囲炉裏を切っていますが、普段は板間と同じフロアーにカモフラージュしているのですが、囲炉裏を使うときはここを開けて五徳を置き、食の煮炊きや焼き物を作り、その煙がこの大きな風洞を通って外に排気される仕組みになっています。

 この変わった集煙機は常時取り付けではなく、電気チョッパーのスイッチを押すと驚くなかれ上がったり下がったりするのです。息子自慢の完璧な優れもののはずでした。でも頭では完璧な企画も機械のことですから人間の思うようには動いてくれず、微調整しなければ少し傾くようなのです。まあこれもご愛嬌なのでしょうがその内完成することでしょう。この物体を天井から吊るすことには私は最初反対でした。こんな重いものが何かの拍子で落下したら大変だと思ったからです。でも当の息子はいたって冷静で、そんな不安を他所にどんどんどんどん若いエネルギーを持ち込んでいます。「おいおい、この人間牧場のオーナーは私だぞ」と内心では思っていますが、息子もそこら辺はわきまえていて、自分の出費で賄っているようです。

 それにしても若者の考えや行動は私たちのような古い人間には理解し難い感じがします。囲炉裏の設計も囲炉裏の耐火煉瓦も、囲炉裏の灰も、囲炉裏の五徳までもしっかりとオリジナルなものを自分で作ってしまうのです。そして仕事が終わってから私たちが休むであろう時間になって彼らは行動を起します。ですから親子と言いながら思考も行動もいつも歯車が狂ったままなのです。

 息子は後ろに見えるストーブの横に釜戸を作る計画だそうです。今は作っの釜戸があるそうで、息子はインターネットで目ぼしい釜戸を探し当てているようなのです。これが出来るとこの部屋の土間で煮炊きも出来てこの上ないことには違いありませんが、私以上に夢を膨らませている息子に、妻は少し神経を尖らせています。私の懐具合が妖しくなっていることを薄々感じているのでしょう。オーナーの懐の次に狙われるのは妻の懐です。「住む訳じゃなし、これ以上のものは要らない」と反対する妻を無視して、私と息子は夢を語り合っています。

  「サティアンと 見まがう程の 集煙機 息子手作り 成果はいかに」

  「夢を追う 息子もやはり 私の子 妻の不安も 分かる気がする」

  「友だちが 色々知恵を 出してくれ やっとここまで 未だ半分」

  「金がない だけど知恵出し 汗を出し だから人生 楽しく生きる」 


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○「ありがとう」はどっちのセリフ

 私たちは毎日自分以外の沢山の人間と暮らしています。日々の暮らしはよほどのことがない限りは平凡で、意識もせずに流れて行きます。平凡が故に昨日のことなど余り覚えていません。昨日何時に起きて何をしたか、極端に言えば何を食ってどんな大便や小便をしたかまでは覚えていないでしょう。ところが仮にこの一週間便秘ぎみの人が、便通があったらそれは大きな喜び事として覚えているでしょう。

 毎日の暮らしの中で人から「ありがとう」と言われたこと、自分が人に「ありがとう」と言ったことを思い出してみると以外と多くの人に「ありがとう」と言われながら無視してきたことは多いのではないかと思い返すのです。

 先日所用で北海道へ行きました。遠路なので飛行機を使いましたが飛行機の搭乗員スチュワーデスさんは、さすがに社員教育が行き届いていて、至れり尽くせりのサービスをしてくれますが、飛行機が目的地に着くと乗客は直ぐに先を争うように降りてゆきますが、スチュワーデスさんはその一人一人の乗客に「ありがとうございました」と丁寧な言葉を掛けるのですが、殆どの乗客はまるで無視するように無造作に進んでゆくのです。そんな時「ありがと」の言葉を返したらどんなにか気持ちがいいだろうなあと、私はいつも「ありがとうございました」と言葉を返しています。北海道帯広空港でも、東京羽田空港でも、愛媛松山空港でも「ありがとう」を言って飛行機から降りました。ところがそれまで無口だった前列の人の次に降りようとした私が大きな声で「ありがとうございました」といったものですから、私の後ろに続いた乗客までもが私につられて「ありがとう」を言っているのです。嬉しい出来事でした。

 洋服を買う、店で食事をする。いつも店員さんは「ありがとう」の言葉を投げかけます。そんな折「ありがとう」を言いますかと尋ねたら、「何を言うか、こちらはお客で買ってやったのだから、『ありがとう』と言うのは

当たり前だろう」と叱られるかもしれません。「金を出しているから当たり前」という心を「飛行機に乗せてもらっている」「洋服を交わせてもらっている」「食事をさせてもらえる」なんて考えれば「ありがとう」の言葉は自然と出るはずなのですが・・・・・・・。

 先日友人の家の完成式に招かれました。その席で家主の友人は「この家を建てたのは自分の力だと最近まで思っていました。しかし毎日家の建築現場に足を運んでいるうちに、自分の考えが変わってゆきました。設計図を作る、土台を練り込む、柱を削る、壁を塗る、屋根を葺く、この家の完成までにどれ程の人が関わってくれたでしょう。瓦など私の知らない場所で作られているのですから。私は棟梁はじめそんな多くの方々に心から『ありがとう』と感謝の言葉を言います」とあいさつされました。いい言葉だったと思いました。

 お互いが感謝しあって生きる。わが家でも「ありがと」の言葉を自然な形で言おうと自分自身の心に決めていると、毎日の暮らしが何故か明るくなります。それは妻へのいたわりでもあり、息子への有言の教育でもあるのです。息子も最近「ありがとう」の言葉を言うようになりました。言葉は結局オーム鳥と一緒で、「ありがとう」と言えば「ありがとう」と返ってくるのです。

  「ありがとう そのくらいなら 言えるはず その一言で 家庭明るく」

  「生かされて 生きてることへの 感謝です ありがとうとは ありがたきかな」

  「スチュワーデス 俺に気がある そぶりする 何てことない みんな一緒だ」

  「ありがとう 言ったお陰で 得をした これおまけです 飴玉五つ」

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shin-1さんの日記

○随分陽が長くなりました

 5月も半ばになると随分陽が長くなって早起きの私としましては夜10時過ぎになるとブログを書きながらあくびが出るようになりました。それもそのはず、今日は朝4時過ぎに起きてブログや朝読書などをやって7時前から食事を取り、新聞に目を通した後、もう8時には人間牧場へ着いて、何やかにやと雑事に追われ、夕方6時半まで働きづめに働きました。今日は嬉しい日です。人間牧場に隣接した梅畑を地主さんから譲ってもらったのです。僅か145坪余りの狭い畑ですがそれでも梅の木が10本もある優れものなのです。今日は地主さんと契約を交わし代金を支払ってマイ畑となったので、下草を刈ったり自生のフキを収穫したりウキウキで作業をしました。時折電話が鳴ったり来客が来たりでその都度作業は中断しましたが、それでもジャガイモ畑の草むしりや3~4日前に蒔いた枝豆大豆の芽が出ているのを発見したり、やっぱり儲け度外視の百姓は楽しいものです。

 午前中はウッドデッキに虫除けの蚊帳を吊るす算段のため息子の友人の鉄工所がやって来て盛んに工事をしていましたが、寸法が間違っていたと早々に引き上げて帰りました。

 6時過ぎになったので草刈機を片付けて帰り私宅をしている所へフロンティアの日浅棟梁がツリーハウス用の木材搬入のため奥さんと登ってきました。立派な桧材を使った木材に目を白黒させながらウッドデッキに積んで雨避け用のシートを被せて、日曜日の建前を予告して早々に立ち去りました。

 家へ着くと息子から鉄工所と一緒に冷蔵庫の取り付けと寸法違いの手直しのため人間牧場へ行くが行かないか誘われましたが、さすがに今日は疲れたので断りました。

 2時間くらいすると息子が山から帰って来ました。『お父さんデジカメの写真をお父さんのパソコンに入れとくよ」といっていとも簡単に入力して自宅へ帰って行きました。その写真が本邦初公開、夜の水平線の家です。私はまだ電灯を付けた夜の水平線の家は見たことがないのでその美しさは凄いと思いました。

 

 西明かりの残る空にくっきりと水平線の家がまるで浮かんだようにも見えるのです。沖合いを通る船から見るとまた格別な姿でしょうね。

 この写真i以外にも意外な写真が息子の入力したアルバムに入っていました。出し惜しみではありませんが、写真の撮り方まで親子ながらまるで違う息子のセンスは、カメラが高いだけでは決してないようです。

 今日も長い一日が終わり、明日もフロンティアグループの例会が松山で予定されているなど長い一日となりそうです。今日はこのブログを書き終わったらゆっくり風呂に入り、早めに床についてゆっくり休みたいと、足や腰に仕事疲れを感じながら思っています。そこへ次男が帰って来ました。「今日はしんどい農作業をした」と言うと次男は布団の上の私をうつ伏せにしてマッサージをしてくれました。次男は時々こうしたタダで出来る親孝行をしてくれるのです。やはり同居人のプー太郎は親に気を使っているのでしょうか。妻までもマッサージのご相伴に預かりました。お陰で体が随分楽になりました。

  「昼もまた 夜もまたよし 山の家 明かり光々 空はほんのり」

  「蒔きし種 雨水吸って 生えました 雑草もまた 蒔かぬが生えぬ」

  「灯り点き 人の気配の 夕間暮れ 空にぼんやり 小さな星が」

  「わが息子 同じ写真を 撮ったけど 何処か違うな これがセンスか」  

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shin-1さんの日記

○なくなった名刺入れ

 「歳をとるとろくなことはありません。物忘れがひどくて、先日も作業をしていて眼鏡をどこかに置き忘れ一生懸命探していました。それを見ていた妻が『お父さん何を探し取るの』と言うのです。『眼鏡を探しとるんじゃが、わしの眼鏡を知らんか』と言ったところ、『何言よるん、眼鏡だったらほら自分の頭の上にあるでしょうが。あんたボケたんと違うん』と言うのです。私も耄碌したものよと自分自身がホトホト情けなくなりました」とは私の話ではなく、はい先日退職をしたばかりの私の友人の嘆き節なのであります。私にそんな話をした後、「あんたはそんなことなかろうなあ」と同調を促すような話でしたので、「ええ、お互い歳ですから忘れることが多いですなあ。忘れんと勉強したことを全部覚えよったら偉くなり過ぎて大学へでも教えに行かなならんようになったり、頭が爆発しますけん、忘れるぐらいが丁度ええのかも知れませんなあ」と冷やかし半分に笑いながら話しました。彼との前置きの話で「あんた自由人になったそうなが、日ごろは何をし過ごしよるん。わしは家が百姓でもないし毎日お休みで何もすることがありませ」。(私)「はい毎週愛媛大学へ教えに行っとります」と会話を返していたので「しもた」と思ったのですが後の祭りでした。

 透かさず私は「私も最近忘れ状がよくなって、3日前にも名刺入れがなくなりまして、大事な名刺が入っていたので随分心当たりを探しましたが結局見つかりませんでした。特に家を掃除する妻に『お前が何処かへ片付け忘れたのでは』などとあらぬ詮索で疑ったりもしました。ところが朝の目覚めのとき急に思い出し、夜が明けるのを待ってその場所に行ってみると、何と私の名刺入れがあるではありませんか。しかもあの沢山の来訪者が来るシーサイド公園の石の上に、誰も築かなかったのか、気付いてもつまらぬ物だと敬遠したのか分りませんがよくもまあご無事で」と話しました。彼と同じように私も物を忘れることが多く、最近は出かける時に「ハトがマメ喰ってパーパー」などと確認して出かけるのです。「ハンカチ・時計・万年筆・名刺入れ・免許証・携帯電話」と触りながら確認するのです。

 私の名刺入れはコカコーラから『環境教育賞」なるものを頂いた折、記念品で貰ったものです。品がよいのか相当使っているのですが色あせることもなく重宝しています。名刺入れには一週間分くらいの頂いた名刺も入っているので、名刺入れの紛失はそれらの紛失にもなって迷惑をかけてはいけないと思って探したのです。

 でも物忘れして紛失した物を発見した時の嬉しさは言葉に代えがたいものです。疑った妻に「やっぱり思った通りシーサイド公園にあった」と見せると、「やっぱりを思い出すのが遅すぎる。何よ、私を疑ったりして、あんたも歳ねえ」で一応幕引きとなりました。しかし名刺を探していて新しい発見もありました。なくなって諦めていた木製の名刺入れが車の座席下から出てきたのです。もう1年間も行方を追っていたお尋ね物を探し当て、私の名刺入れは代替品として後に購入した木製名刺入れを含めると三つになったのです。目出度し目出度しです。

  「忘れ状 歳のせいでは ありません 注意をすれば 何てことない」

  「忘れ物 したきっかけで 別の物 見つかり喜ぶ たまにいいこと」

  「三日間 よくもご無事と 名刺入れ 探し当てたる 公園の隅」

  「言うた後 しもたと思う こともある 口は災い つつしみ深く」

   

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○雨のち曇少し晴れ

長期予報だと今週は全て雨でした。四国地方は大雨で特に高知県では雨が降り過ぎて列車の運転を見合わせたり、野村ダムや肱川ダムでは放流するというので下流域へ注意を促す放送までテレビやラジオでしていました。私たちの町の中心を流れる上灘川もかなり増水して白い花をつけたクレソンが無残にも水流に洗われていました。

 今日は五右衛門風呂脱衣場の板張り壁面や天井、それに床にワックスを塗る作業をしようと人間牧場へ向かいました。今日は多分雨だろうと思い込んで脱衣場の壁、天井、床にワックスを塗り始めたのです。ワックスの匂いは強烈で少し頭が痛くなるような感じでしたが、10時から昼間での2時間ほどで作業を終えました。今日は妻が民生委員からみの集会があるとかで、めかして外出するため弁当が間に合わず、パンと麦茶、バナナと清美みかんなど手当たり次第に袋に詰めていましたので、簡単な昼食となりました。昼飯をを終えたごろにはどういう訳か曇りながら西の方から天気が回復してきたので、先日に続いて小さい畑の草取りをやりました。何せ来週の土曜日が芋植えなので急がなければならないのです。この畑は小石がゴロゴロしており、テミで5杯くらいは石ころを集めました。

 そのうち息子から電話が入り、注文していた水平線の家の冷蔵庫が荷送りされたので取りに来るよう言われましたが、丁度次男が夕方まで休みとかで、親類のトラックを借りて松山まで積みに行ってくれました。

 この冷蔵庫は普通だとかなり高価なものだそうなのですが、かなり安く買えたと鼻高々でした。午後3時過ぎに荷物が到着し水平線の家に二人で担ぎ込みました。荷物を開けるのは息子がするそうなので明日までお預けです。

 次男が帰った後、草をむしりながらふと沖を眺めると、雨上がりの海は穏やかで、まるで水墨画を見てい

るような風景が目に止まり、デジカメで2~3枚撮りました。


 この写真は沖合いに浮かぶ大洲市長浜町の青島で、私たちは子どもの頃からこの島の遠望を見ながら育ちました。青島の向こうにかすんで見えるのが周防大島、かつての山口県東和町辺りです。

 この写真は私たちが熱い思いを寄せた「ひょうたん型由利島共和国」こと、松山市中島の由利島です。私は今でもこの共和国の大統領です。但し島は別の人のものなのです。

 この島は伊予の小富士と呼ばれる松山市のごご島です。写真に撮るとこんな色にしか見えませんが凄いロケーションでした。最近はブログに写真を取り込むことが出来るようになったため、いつもデジカメを持参しています。今日をもカメラを持参してよかったとしみじみ思いました。

  「墨絵でも 見ているような 風景に 草取り休み しばしたたずむ」

  「あの島に 想いを寄せる 人がいる 今は文のみ 元気でいるやら」

  「雨ですよ 出掛けに妻の 声背なで 聞いたけれども ボロねじ今は」

  「海もいい 島もいいけど 雲もいい おれのセンスも それなりいいね」

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○大学の授業始まる

 早いもので愛媛大学法文学部の非常勤講師を引き受けて4年目を迎えました。五里霧中の1年目に比べれば月とスッポンという感じの4年目です。4月のガイダンスを経て私の教室を選んだゼミ生は22人です。今日大学の事務局へ立ち寄って名簿や教室の打ち合わせを行った折、事務局の職員が「先生の教室は沢山の申し込みがあって中々の人気でしたよ」と言うのです。私には分りませんが私の教室を選んだ人は多かったようですが、担当教官の第一希望を考えて上手く振り分けたようです。3年前は事務局職員や学生から「先生」と呼ばれても他人事のようでしたし、今でも違和感がないわけではありません。でも大学内だけだったら「まあいいか」と思いつつ「先生」という呼び名に甘んじることにしました。今日は初講義ということもあって、一年間のガイダンスと今日のテーマである「地域振興・まちづくり概論」を話しました。今年の学生も見るからに真面目で好感の持てる学生が多いようで安心しました。

 私の担当は夜間主です。夜間主といえば何か暗いイメージがありますが学生は明るく、黙々と勉強しており午後6時から始まる授業も全員出席ですし、90分間私語ももなく熱心にメモを取っていました。私は普通講義日は大学へ午後4時30分に自宅を出ます。午後5時20分くらいに大学構内車を乗り入れます。守衛さんともこの3年間ですっかり顔見知りになって、時折新人の守衛さんに呼び止められますが、大学から交付された駐車証を見せるとかしこまって敬礼をしてくれます。駐車場は何時もいっぱいでスペースを探すのに一苦労です。誰しも少しでも近い所を選ぶのでしょう。それから出勤簿に印を押し資料のコピーを行います。午後5時40分には講義のスタンバイを完了し、娘婿の岡本助教授の部屋を覗きます。義理にせよ親子といえども大学での娘婿は遠い雲の上の助教授先生ですから、出来るだけ「先生」と呼ぶようにしていますが、この呼び方も最初は何か抵抗がありました。今は割り切っています。助教授の部屋はどの部屋も煩雑で足の踏み込む場所もないほど本で溢れています。外目には格好いい仕事のように見える大学の先生もこんな沢山の本を読んで日々研究をしているのかと思うと、ついつい頭が下がります。でも僅か10分ほどですが助教授の部屋で空気を吸うだけで何となく落ち着いてきます。

 私に与えられた年間講義時間は60時間です。毎週水曜日が講義日なので、余程のことがない限り毎週水曜日は大学へ行かなければなりません。サンデー毎日の自由人とはいいながら一週間が来るのがとても早く感じます。でも講義日が近づくと何かワクワクするから不思議です。多分若い学生のエネルギッシュなパワーをいただく嬉しさでしょう。

 大学の殺伐とした構内もケヤキ並木に緑が日増しに濃くなり、無造作に置かれた学生の自転車が寂しく雨にぬれ、外灯が照らしていました。

  「出席簿 見ながら名前 はいと言う 再度促す 小さな返事」

  「202 書いた教室 こじんまり 黒板背にして チーパッパ」

  「眠らずに 聞かせる講義 自信あり 気構えだけは 教授並みだね」

  「先生と 呼ばれ一瞬 俺のこと 辺り見渡し やっぱり俺か」

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