shin-1さんの日記

○寄付のお願い

 自治会長をしていると様々な役職がついてきます。その一つに神社の総代というのがあります。総代は小中学校の頃、勉強の好くできる同級生が右総代になって表彰状を貰いに行くことぐらいしか記憶にないのですが、自治会長の区長になると自然に神社の副総代に祀り上げられるのです。副総代といっても何のことはありません。こまごました雑用が回ってくるだけのことなのです。例によって間もなく行われる春祭りの件について総代会が開かれ前例に習って寄付を集めなければなりません。今日は町内の事業所を回って寄付をお願いして回りました。寄付は顔効きが行くことを良しとします。私も役場に勤めていた関係上顔効きということであちらこちらにお伺いしました。日銀や政府の発表では景気が上向いていざなぎ景気を上回ったなどと報道されていますが、田舎の事業所は何処も厳しいいのでしょう、何処へ行っても「不景気で困る」という話の後に「あんたが来たのでは仕方がないなあ」と言われてしぶしぶのご寄付を頂きました。

 「寄付を貰いに行けばその事業所の格や品が分る」といわれるほどに考えさせられることが多い寄付集めでした。「社長がいないので明日にして下さい」「去年は幾らでしたか」「今年は出しますがもう来年は来ないで下さい」「うちが寄付を貰いたいくらいです」などなど様々な反応ですが、中には「御役目ご苦労様です。これは些少ですが、もう来られる頃だろうと思ってご用意をしておきました。どうぞお納め下さい」と、寄付をお願いに行ったこちらが恐縮するような事業所もあるのです。

 同じ5千円でも「明日取りに来い」という事業所や「不景気で寄付どころではない」と不満を漏らす事業所があることも事実として受け止めなければなりませんが、折角の5千円をせめて気持ちよくと思うのはこちらの都合でしょうか。

 私が総代を務める稲荷神社は狐が神様のお使いをしているとよく言われ、狐の好物が油揚げだと承知しています。ところがどうやらこれはコジツケと誤解による言い伝えのようなのです。そもそも稲荷とは「稲生り」のことで、米の生産をつかさどる神のことです。この神様は別名「御食津神」(みげつかみ)といい、「みけつ」はみき(酒)と、けつ(食べ物)が一つになった言葉「みけつかみ」が「三狐神」とされたため狐の話になったのです。狐が油揚げを好むというのも根拠はないそうです。動物学者が研究のために狐を捕獲するときに使うのはフライなどの油物だそうですが、油物は狐ばかりでなく他の動物も油のにおいは好物のようです。結局は油揚げと狐の色が良く似ていているから狐の好物にしてしまったというのが定説のようです。

  「狐など 見たことないのに 寄付集め 稲荷神社の 狐に化かされ」

  「狐そば 狸そばとは どこ違う 油揚げ揚げ玉 やはりだまされ」

  「銀行で 寄付断りの 張り紙を 横目で見ながら 寄付下さい」

  「対応を 見れば会社の 格分る そんな雑談 言いつつ回る」    

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○毎月第3水曜日は憂鬱な日

 私にとって毎月第3水曜日は憂鬱な日になっています。この日は私が昨年の4月から自治会長を務める300戸余りの自治会の不燃物回収の日なのです。この日は役場の裏の駐車場に設けられた不燃物置き場に沢山の不燃物が出されます。それはそれとして当然のことなのですが、ルールを決めているにもかかわらずルールを守れない人が多いのです。私たちの自治会ではこの不燃物の後片付けは区長の私と副区長のHさんと二人でやっています。自治会長の引継ぎの時にはそんな引継ぎ事項はありませんでしたが、前自治会長さんがやっていたこともあって、仕方なくやらざるを得なくなりました。しかしこの一年間その世話をしてみて人間は人の見ていない所では平気でルールを破るのだということをしみじみ思い知らされました。この一年間お世話してみて気がついたのは「不燃物とは一体何か」という認識が周知されていないことに気がつきました。ひと頃私たちの町内では不燃物回収のことを危険物回収と言っていました。「不燃物」と「危険物」は根本的に違うのですがそのことがまず徹底していません。さらに「不燃物」とは単純明快「燃えないもの」です。昔燃えてた私も燃えない不燃物みたいになっていますので燃える話はしたくありませんが、この不燃物の徹底こそが私の憂鬱を和らげる特効薬になりそうです。そこで役所のゴミ担当者に相談に行きましたが、余りよい返事は返ってきませんでした。

 そこで考え付いたのが27人いる組長さんに不燃物の現場を見てもらい住民の不燃物の出し方を指導してもらおうと毎回2人を割り当てて当番表を作りましたが、同情はしてもそれは区長さんの仕事でしょうと言わんばかりに否決されました。「私は区長ですからその任期中はやりますが、誰が区長になっても大変ですよ」と開き直って苦言を呈しました。

 今日は憂鬱なその第3水曜日です。副区長のHさんと11時に不燃物置き場で会うことを約束してますので、二人でブツブツいいながら後片付けをしなければなりません。でも私はあきらめていません。ゴミの出し方はこれからの社会では当然のルールなのですから、この一年をかけてしっかりと住民を教育したいと新たな意欲を湧かせているところです。

 今朝親父が「今日は危険物の回収日じゃろうが」と言いにきました。私は「危険物じゃなくて不燃物。これから出しに行くからじいちゃんの分も持って来て」というと、きちんと分別して持ってきました。中身を点検するとプラスチックの植木鉢が出てきました。「じいちゃんこれは不燃物じゃあなくて燃えるゴミで出して」と言ったら少しご機嫌斜めでした。親父の若い時代にはこんなプラスチックはそういえば・・・。などと考えさされてしまいました。もう一度役所へ行って「不燃物とは」を聞いてこようと思っています。

  「俺だって 今は立派な 不燃物 出されないだけ いいとしようか」

  「自治会長 見えない部分の 苦労あり 嫌がるはずだよ 割に合わない」

  「でも誰か やらねば社会 回らない 人のお世話は こまい親切」

  「憂鬱を さわやか変える 秘訣あり 汗を出すより 知恵を出します」  


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shin-1さんの日記

○わあ綺麗なボタンの花

 何通りもある人間牧場へ通じる道は狭い道が多いため、来客をご案内するには容易なことではありません。私「シーサイド公園をご存知ですか」、客「はい知っています」、私「ではシーサイド公園に着いたらお電話下さい」、客「分りました」。こんな携帯電話のやり取りがあった後、客「シーサイド公園に着きました」、私「ではそこから長浜へ向かって西進して下灘の二つある信号の始めの点滅信号を右折して駐車場で待っていてください」、客「はい分りました」。私は仕事を中断し車を走らせて近道を下りて行くのです。お客さんは約7キロを一直線、私は約2キロの狭い道、ヨーイドンでスタートするのですが、待ち合わせ場所の駐車場では殆どピッタリに出会います。あいさつもそこそこに「まあ乗って下さい」と軽四輪自動車に乗せ、「この信号を左折すると安全な広い道を行けるのですが、今日は近道の狭い道をスリルを味わいながら行きましょう」と説明しながら国道から狭い旧道へ、そしてまるでモグラの巣の中へでも入ってゆくような狭いトンネルを通って一気に登って行くのです。

 まあいつもこんな具合ですが、そのトンネルを出た所で綺麗なボタンの花を見つけました。誰が植え誰が育てているのか分りませんが、狭い場所に似つかぬようなボタンの花は今が盛りと一生懸命咲いているのです。思わず車を止めて手動式の窓をいっぱい開け、車の中からデジカメで花の承諾も持ち主の承諾も受けぬままパチリと写しました。後ろから来た車を運転している顔見知りのおじさんが、「何をしよるの」というので、「綺麗でしょう。思わず写真を撮ってしまいました」と断りをいれ車を発車したのですが、その美しさをもう一度見ようと空き地に止めて引き返ししっかりとこの目に焼き付けました。通りかかったおばさんは、さも自分が褒めてもらったように「綺麗でしょう」とボタンの花の話に花が咲きました。

 この道はいつか来た道ではなく今月は5日(いつか)来た道なのに、この花の存在にはまったく気付かずに通り過ぎていました。心の余裕がなかったのか、それとも昔はこの横の急峻な山道を背負子を背負って通った苦しい経験しか頭になかったのか分りませんが、気付かなかっただけなのです。

 私は花が大好きです。ですからまちづくりでは菜の花、水仙、桜、アンズ、つつじ、酔芙蓉、アジサイなどを植えまくり、それぞれ町のシンボルに育てました。それは母親の影響だと思うのです。母は自分で花など作らぬ働き者で、どちらかというと「花より団子」の実益主義者でしたが、道端の花を見ると必ず私を座らさせて花をまじまじと見つめてその美しさを心に留めるよう話してくれました。そして「この花はここに咲くから美しい」とか「この花も一生懸命咲いているのだから見てあげないと可愛そう。この花を見るのは世界で私たちだけよ」と誇らしく言うのです。母親の一言は若松少年の育ちに大きく影響しました。私は今でも道端の野草でも綺麗に咲いているのを見ると思わず立ち止まり思わずしゃがみ込んで見てしまいます。

 このボタンも次の雨でもう散ってしまうかも知れないと思うと勿体無いような気がして思わずパチリでした。

  「このボタン 誰が植えたか 知らねども 思わず見つけ 写真にパチリ」

  「一年を かけてこの花 咲きました 見てよ見てよと 言わんばかりに」

  「無造作に 通り過ぎ行く 人たちは この花さえも 目には留まらず」

  「写真見て 花の後ろに ゴミ写る 余りの綺麗さに 気付かずパチリ」

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shin-1さんの日記

○樹齢200年のヤマモモの木

 木霊宿るという表現がピッタリに樹齢200年といわれるヤマモモの木が人間牧場に入り口に威風堂々と立っています。私の背丈や目線が低かったからかもしれませんが、私の子どもの頃から半世紀を経ているというのに、あの頃と少しも変わらぬ大きさなのですから、木の樹齢は私たちたち人間の寿命が長く生きてもたかだか100年ですから、恐るべし木の寿命です。この木には大きいからかも知れませんが何度か雷が落ちた後があって、黒く焼け爛れた場所は完全に枯れてその周りに新しい樹皮が覆っているようです。人間に例えると老粋なのか最近は元気がないようにも見えますが、それでもしっかりと大地に根を下ろし振るさおの移り変わりや季節の移り変わりを年輪一つ一つに刻みながら生きています。

 私が子どもの頃、この木の周りの人間牧場は食糧難のわが家を助けるため芋や麦を植える畑でした。歩けば1キロもあるわが家からここまでの急峻な山道を、時には肥料を背負子に背負って登り、時には麦や芋を背負子に背負って下りました。子どもの私も我が家の重要な労働力として働いたものです。その甲斐あって足腰の丈夫な子どもに育ちこれまでの人生を支えてきました。物が豊かになるにしたがって芋と麦は姿を消し、みかん類が植えられ、春のみかんの花咲く頃、秋の黄金色の実りの頃などが瞼に焼き付いています。その一部始終をこの木は黙って見続けてきました。勿論その世話を一手に引き受けて働いた母の汗して働く姿も・・・・・。またこの木は漁村の移り変わりも見ているに違いありませんが、口と目と記憶を再生出来ない悲しさからその物語は年輪の奥深くに刻み込まれたままなのです。

 私にとってもこの木は特別な意味を持っています。焼け焦げた空洞は祠のようになっていてそこは私だけの宝物を隠す場所でした。ジョン万次郎の生涯という一冊の本と使い古しのハーモニカが忍ばせていたのです。私は畑仕事の合間を見てはこの本を読みハーモニカを吹きました。そしていつかあの海の向こうに行ってみたいという夢を持ったのです。

 偶然なのか必然なのか分りませんがこの場所に夢の施設「人間牧場」が完成しました。これから20年この木に見守られながら、穏やかな暮らしをしたいと思っています。樹齢200年のヤマモモの木さん、宜しくお願いします。

  「木は偉い 人の倍ほど 生きてきて 文句一つも 言うではなしに」

  「木の祠 私だけしか 知らぬはず 本と楽器が ボロボロ朽ちて」

  「なあお前 元気な頃の 母ちゃんの 思い出少し 語ってくれや」

  「芋麦が みかんや柿に 変わったが 今度は俺の ついの住処に」 

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shin-1さんの日記

○相変わらず多い視察受け入れ

 役場、いえ正式には市役所の地域事務所、いえ正式には市役所の支所から電話が入り、「視察研修を受け入れて欲しい旨の電話が○県○市役所から入りました。○月○日のご都合は如何でしょうか」と問い合わせがよくあります。役場を辞めた人間にこんな電話があるのも不思議といえば不思議です。もう縁もゆかりもない辞めた人間にどうしてこんな電話がかかってくるのでしょうか。普通だとお断りするのが筋でしょうが、私の場合は講演活動で全国を回っているので、「若松さんの話が聞きたいのですが」と注文があるらしいのです。そんな話をホゴにするわけにもいかずついついのこのことなってしまうのですが、一日に二つも重なることもあり、現職の頃と同じような頻度でやって来るものですから余程注意していないと忘れそうで困ってしまいます。

 今日は天気も良いので久々に人間牧場へ作業に行こうと意気込んで弁当持参で車に乗り込みました。ところが車に乗って予定表を見て驚きました。午後2時半に山口県から議員さんが視察に来るようになっているではありませんか。伊予市の議会事務局を介しての議員視察が入っていたのをうっかり忘れるところでした。さあ大忙しです。地域政策総合センターの兵頭さんとの約束もあるし、明日は雨模様なので片付けたい仕事もあるしで大変でした。

 今日の視察は下関市の市会議員さんといっても、合併した豊北町の在任特例議員さんなのです。旧豊北町はこれまでにも何度か講演に足を運び、知人や友人も多い町です。特に夕日の綺麗な町として知られ、夕日マラソンなどのイベントや土井が浜遺跡の人類ミュージアムの館長さんとは下関で合併記念講演会にご一緒した間柄です。

 今日は夕日によるまちづくりや、合併後のまちづくりについて熱心な鋭い質問が相次ぎ、久しぶりにいい研修が短い時間ながら出来ました。合併後のまちづくりは正直いって難問が余りにも多過ぎます。対等合併や合併を円満にするためという理由で、実行も出来ない取り決めを幾つもして、公約違反と思われるうそつき行政がまかり通っている現実を議員さんたちはどう感じているのでしょうか。でもそれを批判すれば「お前は役場に勤めていたのに何で」などと冷たい目で見られるのです。それでも一市民として言うべきことは言おうと言ってますが多勢に無勢のようで侘しい気さえするのです。

 在任特例という法律で下関市は100人を越える議員が誕生しています。これもまた問題といえば問題で問題にならないのが問題のようです。とりわけ議員さんの視察研修は慣例が多いのですが、今日の議員さんはいっぱい質問をし、私の本まで購入して読んだり、私の講演を聞いたりして予備知識を詰め込ん臨んでいました。いやあ立派立派、大したものです。

 合併をしてみてしみじみ思うのですが、普通は首長1に対し議員は複数で首長の力は絶大です。でも合併は最後は議会の議決で決まりますし、首長は首になっても議員は在任特例で残って議会活動が出来るのですから凄いものです。次の選挙でどういう結果が出るか楽しみですね。

  「視察来る 何故か私に 出ろという 全て私が 仕切っていいのか」

  「視察者を 俺に渡して いなくなる 世話の職員 何処へ行ったの」

  「お土産は 饅頭煎餅 酒かもね 今日は違った 懐かしき人」

  「議員にも 熱心な人 いるものだ あれやこれやと 質問しきり」

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shin-1さんの日記

○これが五右衛門風呂・モデルは三歳の孫です

 普通の五右衛門風呂、つまり私たちの子どもの頃のイメージである五右衛門風呂は回りがコンクリートかタイル張りで洗い場から上へ上がって入浴していたでしょう。新調なった人間牧場の五右衛門風呂は回りがウッドデッイになっており、まるで地面に掘った穴に入っていくような雰囲気です。

 先日五右衛門風呂が出来たというので孫を連れて見学に行きました。板戸も出来ていないし窓も出来ていませんでしたが孫はこの五右衛門風呂に入るというのです。早速水もお湯も張っていない風呂釜の中へ入れてやりました。初焚きの初入浴は長男でしたが、実は初入釜は三歳の孫だったのです。孫は余程嬉しかったのかポーズをしてばっちり写真に納まりましたが、その後は私が外に出て所用をしていると不安になったのか「おじいちゃーん」と大声で呼び始めました。多分大泥棒の五右衛門のように下から火を焚かれては大変と思ったのでしょう。

 この五右衛門風呂は写真にある回りのウッドデッキ風の場所が洗い場です。孫の背中部分の板戸が押し上げ式になっており、押し上げてつっかい棒をすると、下界の眺望が開け左と右の板戸はまるで忍者屋敷のような開ければ外の風が吹き込むような面白い仕掛けになっているのです。この五右衛門風呂は下から火を焚くので煙も入ってきます。燻すほどではありませんがこれもまた演出だと設計した息子は言うのです。でも外に暖簾を吊るしている時は風呂に入れる日、その暖簾をくぐって畳2畳の脱衣場に入ると木の香りがして、それは最高の雰囲気です。行く行くはボイラーでの給湯も考えなければならないでしょうが、モデルハウスの今はまだそこまでの設備は必要ないようです。

 でも孫の写真はいいポーズですし、何かほのぼのとします。2~3日前までは写真の圧縮もままならず、右往左往していましたし、今も少なからず右往左往していますがこの写真のように何とか自分でデジカメの写真をブログに取り込めるようになりました。写真は一目瞭然、でもその分文章が疎かにならないよう努力しなければなりませんね。

  「見ておくれ これが私の 孫の顔 風呂に入って 得意げにして」

  「この孫と 一緒にお風呂 入ろうね 約束してる 早く実現」

  「一枚の 写真が語る 説得は どんな文章も 勝てぬ威力が」

  「いい湯だな ドリフの歌が 聞こえそう 朝寝朝酒 朝湯とするか」

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shin-1さんの日記

 モデルの若松あゆみ様、私のパソコン技術が未熟なために、長らく寝かせた大変失礼なフォトを掲載しておりましたが、今日(5月13日)私のパソコン技術が向上し、以下の写真を掲載することが出来ました。しかし、私への今後の戒めとして、縦と横の写真を同時に掲載させてもらいます。悪しからずご了承下さい。

?○横たわる美女とランプ

 私のデジカメ・パソコン技術はこんなものと、この一枚の写真を見て嘆かずにはいられませんでした。この写真を見たモデルの女性は多分激怒するでしょうが、そのうち息子の力を借りて修正をかけますのでそれまでは首と顔を横にして見てください。実はこの写真、人間牧場の五右衛門風呂に昨日点灯したばかりのランプ風の灯りの点灯式を兼ねた記念の一枚なのです。さすが息子だけあって申し分のないアングルと色調で写真を撮り、レトロ調の電灯をインターネットで探してくれました。そしてその記念写真のモデルに息子は自分のお嫁さんを登用したのです。ここまでは順調でした。そしてその写真データーを私のパソコンに入力して帰ってしまったのです。ここまでも完璧です。しかしそれから私の苦悩が始まりました。お目当てのこの一枚の写真を見つけたとき、いい写真だと直感しました。横向きの写真を右へ90度反転しパソコン上は立て組で表示されたのです。ところがデジカメの容量を小さくしないとブログには入らないので、圧縮のための操作を繰り返すうちにその写真は元の通り横向きのままでブログに転送されてこの通りの有様です。でもこの写真を立て組に変える技術はまだ私には備わっていないのでこんな醜態をお見せする事になってしまったのです。

 長男息子の嫁さんは義父の私が言うのもおこがましいのですが、笑顔の素敵な何処へ出しても恥ずかしくない健康的な女性です。息子の嫁には勿体ないと思うほどです。でもそのブログ初デビューのブロマイドがこれではまさに品を下げるだけですから、お約束どおり息子に頼んで早急に修正をかけますので悪しからず、深く深くお詫びいたします。

 それにしてもパソコンは私の頭では難しいです。触った分だけ、失敗の数だけ覚えると息子に説教されていますので、盛んにアタックするのですが、歳のせいにもパソコンのせいにもしたいほど一向に上達しません。多分限界かもと思ったりすることがありますが、まあ気長に気楽に楽しみながらやりたいものです。

 五右衛門風呂の第2期工事はかくして終わりました。天気がよければ明日は人間牧場へ上がってそこら辺を片付け、倉庫へ物を運び入れたいし、薪も整理をしたいと思っています。そしてジャガイモ畑の草を引いたりする農作業も始めなければなりません。だのに中旬から下旬にかけては神社の総代として春祭りの準備や寄付集めで忙しくなりそうです。

  「デジカメで 撮った写真が 横たわり 見ての通りの 醜態さらけ」

  「済みません モデル若嫁 電話にて 何とお詫の 言葉言おうか」

  「ああ俺も 歳をとったか 駄目人間 これも分らず 助け舟呼ぶ」

  「首と顔 左の倒し 写真見る 今頃読んで 思わずウフフ」

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shin-1さんの日記

○若者の目に思わず涙が

 兵庫県の招きで講演に行ったことがきっかけで尼崎の東朋子さんと知り合い、何が何でも来て欲しいと懇願されて再度2月末に兵庫県へ行きました。滅茶苦茶感動屋の東さんから「近いうちに若い者を連れて絶対夕日を見に行くから」と約束をしていました。しかしその時の熱い想いは何時しか冷めるのが普通ですが、東さんのは約束どおり3人の若者を連れてやって来たのです。私もこの時期は何かとご多忙なのですが、何はさて置いてもこのご一行様だけは大切にしなければならないと、案外大切な会をキャンセルしてまで対応しました。昨日の夕方約束の夕方5時にシーサイド公園へやって来た4人を夕日までの短い時間ながら人間牧場へ案内し、色々な話をしました。前日までの大雨が嘘のように晴れ渡り、風はきつくて寒かったものの紛れもない日本一の夕日を鑑賞し、わが煙会所、海舟館の見学が終わる頃には春の陽がとっぷり暮れていましたが、魚吉さんで夕食をとり潮風ふれあい公園に宿を取りました。

 明くる日の今日はリクエストに応えて打つ誇張の町並み視察の途中に大洲祇園公園のぼたん桜や大洲赤レンガ館、それにポコペン横丁、まちの駅朝霧を友人たちと談笑しながら見学、内子の町並みを流し見学した後、中山経由で双海町高見から谷の道を下りて行きました。

 予告もせずいきなり翠小学校を訪ねました。学校には迷惑だろうと思ったのですが、いつものことですので飛び込みで木造校舎の翠小学校へ入って行きました。私にとっては見慣れた風景、見慣れた客扱いなのに彼ら都会育ちの若者には凄く新鮮だったのでしょう。案内されて木造校舎の階段を登りつめた校長室に入ると、突然一人の若者がこらえ切れなくなって大粒の涙を流し始めたのです。私も校長先生も一瞬何があったのか戸惑いましたが、それは紛れもなく感動の涙でした。翠小学校へは学校に内緒の校門外訪問も含めるとかなりの人をご案内するのですが、言葉で「感動しました」と言う人はいますが、感動の涙を流してくれたのは初めてでした。私は「ああ日本にもこんな感受性の強い若者がいるのか」とついつい嬉しくなりました。と同時に翠小学校の持つ教育力の凄さに今一度驚きました。

 学校の校舎が古いことは学校がぼろいことではありません。学校が小さいことは学校の教育成果が小さいことではありません。学校の先生が少ないことはいい先生がいないことではありません。歴史ある木造校舎が時代遅れでなく鉄筋コンクリート校舎が時代遅れなのです。学校は「木に交わって学ぶ」と書きます。「コンクリートに交わって学ぶ」学校は学校とはいえないのかもしれません。

 本来小学校は低学年から高学年までその体力で歩いて行ける距離に置かれています。ところが段々子どもの数が減ってくると、小学校までも統合の話が水面下、いや教育行政では密かに進行していると聞きます。学校を維持存続していくためには相当の費用も要ることでしょう。しかし教育は効果効率だけでは出来ないのです。もしその学校に子どもがいなくなったら話は別ですが、最後の一人になるまで小学校は残さねばならないし、それが教育を受ける権利なのだと思います。勿論赤い屋根の木造校舎は近代化遺産として残して行きたいものです。

  「若者が 感激涙 流すよな 学校今頃 どこにあるんだ」

  「学校は 木に交わって 学ぶとこ 今はコンクリ 庭に木もなく」

  「小学は 子どもが歩く 距離基本 バスで送迎 育つ訳なし」

  「都会にも こんな立派な 若者が 田舎しっかり 肝に銘じて」

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shin-1さんの日記

○ヨモギは雑草か

 先日菜の花は雑草と書いたら賛否両論の意見が帰って来ました。菜の花を愛でる人たちは菜の花を花だと言います。一方お百姓さんは私の意見に同調して菜の花は雑草だとメールを送ってくれました。さてヨモギは雑草でしょうか。畑で農作物を作る人にとってみればヨモギは雑草でしょう。あのミミズのような地下茎は始末に悪く、取っても取ってもネダを枯らすことはありませんし、草刈機で刈ってもまた元気な茎が伸びてくるのです。コンクリートの道路でよく見かける光景ですがコンクリートの継ぎ目の土分もない僅かの隙間からヨモギが芽を出して生きています。また田舎のアスファルトの路肩ではアスファルトを突き破って生えています。このようにヨモギの生命力は実に旺盛なのです。最近の農家は省力化するために草枯らし、いわゆる除草剤をかけます。この除草剤は不思議なことに草は枯れるのですが、何故か作物は枯れません。でもベトナム戦争のあった頃米軍が度重なるゲリラの攻撃を減らそうと枯葉剤をま撒き、これが環境汚染や新生児の発達に大きな影響を与えたことが報告され、大きな社会問題となりました。確かに序す剤を撒いても私たち大人には何の影響もないかのように思われていますが、植物の根まで枯らすいわば毒物が人間にいいはずはありません。たぶん安易に撒いている除草剤は地下に蓄えられ汚染水として循環しながら私たちの暮らしにじわり影響を与えるであろうというのが大方の予想なのです。

 ヨモギは雑草であると同時に薬草としてもよく利用されています。あのもぐさはヨモギが原料だし、ヨモギの乾燥したものは薬用入浴剤とし、あせもや湿疹に効くそうです。そして私たちの暮らしに最も身近なものは草もちの草がヨモギなのです。今日人間牧場へ上がりましたが昨日までの雨水をいっぱい吸ったヨモギが伸び伸びと伸びていました。早速ヨモギをつんで草もちにしたいと秘策を練りました

 もう一つは最近流行のアウトドア天ぷらです。人間牧場の来訪者によもぎや食べれる食材を探してそれで天ぷらをして食べれば美味しい食事が出来上がるのです。幸い人間牧場は除草剤は絶対まかない環境に優しいエリアですから安全な自然食が味わえるのです。気象予報士の清水さんとその話をしたら、清水さんも同じ意見なので、ヨモギを見直す運動を起したい、はいよもぎは雑草ではなく薬草や食草なのだということを認識し、自然とともに生きてゆきましょう。

 ああそうそう忘れていました。茅とヨモギをくくって屋根の上に乗せる魔除けの風習も子どもの頃にありました。何のためだか聞きませんでした。

  「ヨモギとて 雑草処理は 可愛そう 天ぷら草もち 使い道あり」

  「切り傷に ヨモギこすって 止血した 子どもの知恵も まんざらでなし」

  「ヨモギ茅 束ねて屋根に 乗せたっけ 口でまじない もぐもぐ祖母が」

  「足の裏 ツボを探して 灸すえる ヨモギ原料 妻が毎日」

 

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shin-1さんの日記

○会議での意見

 私は現役を引退しているので現役の時代に比べたら月とスッポンの差とも思えるほどに会議は大幅に減りました。今でも不思議に思うのは何で役所はああまで無駄な会議をしなければならないのでしょう。現役晩年はうんざりしつつも、「何故・どうして」と会議をまとめたり廃止したりしましたが、それでも無駄な会議はなくなりませんでした。多分その殆どが対処法だったからです。例えば子どもの事件が起きます。すると上に立つ人は自分の身に降りかかる前に通達を出します。この通達を受けた組織は点検と問題点を洗い出し責任の所在を明確にしながら確認作業を末端組織に指示すべくまた小さな集会を限りなく開くのです。たった一人の責任を回避するため末端では相当の時間と労力をとられ、結果的にその集会だけが来年も引き継がれて行くのです。

 会議とはお互いがお互いの意見を述べ合いながら一致点を見出してゆくのが正しい姿なのですが、中には強烈に自分の意見を述べる人と終始無口を決め込む人の両極端がいて、右往左往します。最後は数の理論が民主主義ですから、大きな声に傾いて一件落着なのです。

 昨日は私が代表を務める会議に出席をしました。最近はFAXやメールの普及によって事前の会議開催通知も全てメールかFAXです。そして議案に対し意見を言い合いますから、議論が広く深まります。しかし欠点もあります。メールやFAXに参加していない人との落差が大きく、その人たちは蚊帳の外に置かれてしまうし、理念やコンセプトに主眼が置かれ過ぎるきらいもあります。

 昨日の集会は20周年を迎えた組織の20周年記念事業の進め方について議論しました。端的に言えば「20年の総括とあるべき姿」の模索なのでしょうが、議論をすればするほど深みに入ってゆくようでした。でもこの議論が実は大切な根っこの部分なので、口角泡を飛ばして議論しました。多分いい結果が出ることでしょう。会議での意見は要約され直ぐにメールで配信されます。事務局の役割もしっかりしているので安心です。

 さて、昨日の会議で意見を言う人は大きく分けて二つのタイプがあるように見受けられました。反応的に話すタイプと主体的に話すタイプです。反応的に話すタイプは状況によって起きた感情に基づき反応して話します。主体的に話すタイプはどういう状況においても自分の価値観に基づき話します。反応的な話には「行わなければならない」「どうそようもない」「○○さえしてくれたら」「彼らは頭にくる」などと否定的な言葉がやたらと出てきます。一方主体的な話には「行くことにした」「代替案を考えよう」「私は○○できる」「自分の感情はコントロールできる」などと肯定的、進歩的な言葉が出てきます。結局は反応的な人は意見が関心の輪に集中し影響の輪が小さくなりますが、主体的な人は意識が影響の輪に集中し、影響の輪が大きくなるのです。

 要は人間は関心の輪(自分で関心があるもの全て・自分でコントロールできないもの)と影響の輪(自分が影響を及ぼすことができるもの・自分でコントロールできるもの)という二つの輪を持っていますが、ストレートに反応するのではなく、自覚(自分を見つめる自分)、想像力(新しい姿を思い描く力)、良心(善と悪の区別のわきまえ)、自由意志(自分の考えで行動できる)という四つの特性を持って反応に反映させる人間を目指さなければならないのです。

 少し難しい持論を展開してしまいましたが、悪しからず。

  「色々な 意見を聞いて 思うこと 主体的なる 意見で生きよう」

  「変えちゃ駄目 だのに変わって 元もなく そんなことって 以外と多い」

  「横文字を 使えば何か 利口そう 俺など日本語 さえも使えぬ」

  「結局は 何が言いたい 言った人 自分さえにも 分らず終い」

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