○生前に用意された挨拶状の自筆原稿
昨日人間牧場へ来られた女性からいただいたコピーをデジカメで撮りましたが、余りにも字が小さいので文章を紹介します。
このたび私 年 月 日
にてこの世をおさらばすることになりました。
これは生前に書き置くものです。
私の意思で、葬儀、お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、
弔慰の品はお花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
思い出して下さればそれで十分でございます
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊に
して下さいましたことか・・・・・。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に代えさせて
いただきます。
ありがとうございました。
年 月 日
この文章を読んで、こんな人生の終わり方もあるのだなあと思うと同時に、こんな死に方が出来たらと多少憧れました。人間にとって死期を予測することは自らが自らの命を絶たない限りは不可能です。たとえ病気で予測できても死ぬ前には余程心の鍛錬が出来ている人でないと命が惜しくて、死への恐怖に苛まれるようです。終戦間際に特攻隊として出撃した若者が母親に出した手紙を何度か読んだことがありますが、まさにその心境と似ている文章のような気がしました。死を準備する、そして死後の葬式や香典、また死んだ後の自分に対する相手の思いなど、死を直前に控えた人間が考えられるのでしょうか。私には到底真似の出来ることではありません。この方は本当に死んだそうですからこの文章がいっそう重みを持っています。
死が偶像化された話はよく小説では読みます。そんな記事を書いた小説家の中には川端康成や三島由紀夫のように自らが命を絶った人がいます。故にその生き方に共鳴したり、たとえ共鳴しなくても人生に行き詰って死を選ぶ人が日本では年間3万件にも上るといい大きな社会問題となっています。死んだことがないので分りませんが、死ぬことは勇気のいることです。しかしもっと勇気のいることは生きることなのです。人は苦労もなく生きてると思ったり人の荷物が軽く見えるのは、自分の努力の足りなさです。死んでいい人生なんてあり得ません。生きることの素晴らしさを見つけたいものです。
「この詩読み 同じ考え するのでは 一瞬思い 相手の顔見る」
「指折りて 命を絶ちし 人思う 生きてりゃ花も 咲いてるものを」
「死ぬなんて まだまだ遠い 先のこと 俺がいなけりゃ この世は闇だ」
「死ぬことは 死んだ後に 考えよ 生きてるうちは 生きる算段」
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