shin-1さんの日記

○名前の由来

 今年は野球の話題が何かと多く、最近はサッカー人気に押され気味だったのがやっと押し戻された感じです。その立役者は何と言っても王ジャパンの世界一ではないかと思うのです。それに加えアメリカのメジャーリーグで活躍する日本人が増えて、NHKなどは衛星中継までするのですから、野球人気はうなぎ上りといったところでしょう。これまでの野球は巨人・大鵬・玉子焼きの時代から巨人というとてつもなく大きな球団がリードをしてきました。金にあかしたトレードで超有名人を獲得し、優勝しても当然と言わんばかりの傲慢な経営をやってきたのです。でも結果は散々で優勝からも遠ざかるといった皮肉な結果となって、ドル箱だった野球放送も裏番組の方が視聴率が高くなったのです。野球も相撲と同じで大きいからといっていつも勝つとは決まりません。楽天のような弱小球団でさえ1勝2敗は戦えるし、相撲取りだって小錦を舞の海が倒すから人気があったのです。

 今年の巨人は原が2度目の監督に就任し快進撃を続けています。巨人ファンにとってみれば連夜のヒーローインタビューですからビールの味も格別ではないかと思われますが、関西では熱烈な阪神ファンや広島ファンもいるので、逆に目覚めの悪い日々が続いていることでしょう。

 ところでイチロー選手のアメリカでの活躍は凄いです。双海町が海外派遣事業でアメリカへ二人の青年を派遣して、シアトルからコレクトコールがかかった頃はシアトルという地名すら無名に等しく、地図を広げてああアメリカの北の町かと思ったくらいです。そんな田舎町を日本中の人が知るようになったのはイチロー選手の活躍に他なりません。

 イチローの本名は鈴木一朗といいます。伝統的に日本では一郎は長男につける名前なのですが、イチロ-選手は何故か次男です。その訳をお母さんの鈴木淑江さんに尋ねたそうです。お兄さんの名前は一泰さんで、彼らの祖父は銀一さんなのでそれがルーツだというのです。一泰さんが生まれた頃お父さんはサラリーマンだったので一に安泰、イチロー選手が生まれた頃は独立して商売をしていたので一に明るくあるようにと一朗とつけたそうです。

 ちなみに私の子どもは私進一の一を取って4人の子ども全てに一子・一心・一生・一公と名前をつけています。これも親のこだわりなんだと子どもに納得させていますが、娘には大きくなって随分女性らしくなくいい名前じゃないと文句を言われましたが、子どもの名前は親の権利です。いい名前を付けたと今も自己満足をしています。

 最近は面白い名前が多く、わが家の神棚には出産祝いを差し上げた方から届いた命名札が貼り付けてありますが、随分変わったのがあります。私の甥の子どもは虎樹です。人のことをいえる筋合いはありませんが、この名前を聞いた時、「えーっ」と思いました。熱烈な阪神ファンのなせる業でそう。阪神ファンならぬ安心不安にならないようにと思いましたが、親は結構いい名前をつけたと満足しているのですから世の中は面白いものです。

  「イチローは 実は次男で じいさんの 一字を貰って 付けたらしいね」

  「人のこと 言える柄かよ わが振りを 見つめてご覧 変な名前と」

  「わが家では 一がつく人 五人いる 三本折れぬが 五本はもっと」

  「娘には 何でこんな名 付けたのと いつもブーブー 文句言われて」


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shin-1さんの日記

○草も元気・甘夏かんが美味しくなりました

 草の勢いは凄いもので、家の周りの草も、先日引いたり削ったりしたと思ったのに早くも青い芽を出しています。わが家は家庭菜園も含めて660坪と広大な敷地のため、現在は88歳の親父が中心になって手入れをしていますが、中々追いつかないのが実情です。88歳で亡くなった祖母が元気な頃「家の周りの草を一周してやっと引き終わったと思ったらまた生えて、草は種もまかないのに元気なことよ」と感心をしていましたが、親子は良く似るもので同じような言葉を繰り返しています。やがて私も祖母や親父と同じような言葉をいいながら家の周りの草を引く運命にあるのでしょうか。嫌だなあと思いつつも、先祖がそうであったように私も目に見えないそんなこまごました仕事をこなし、家人としての役割を果たさねばならないと思うのですが、親父のように起用でもなく、ましてや小まめでもないのでどうなることやらと今から心配をしています。

 地元の春祭りがくると野菜の苗を植えるように死んだ母から聞いていましたので、もうそろそろ適期かなと思っていますが、既に親父は耕運機をかけて苗を植える準備をしています。そういえば苗売りの車があちらこちらで見かけるようになりました。今年も昨年のように枝豆も植えたいし、ナスやきゅうり、それにかぼちゃもと思うのですが、この週末は何かと忙しく思うに任せません。でもお宮の総代の仕事も一段落しましたのでこれからは昨年妻から買ってもらった麦藁帽子を被って、せいぜい畑仕事に精を出したいものです。

 わが家の畑の甘夏かんが今年は豊作で実りの頃を迎えています。普通のみかん類は晩秋から初冬にかけて収穫するのですが、甘夏かんは花が咲いても樹に成らしたままで初夏を迎えます。今は伊予柑や清美などの晩柑類がまだ豊富で酸味の強い甘夏かんは敬遠されていますが、5月の声を聞くといよいよ甘夏かんの食べごろです。一日一個と決めて食べるのですが、これが私のビタミン補給源なのです。

 妻は暇を見つけて甘夏かんの皮を剥ぎ薄皮を取って冷蔵庫に冷やしておやつを作ってくれます。これがまた美味しくて、特にサラダにも良く合うのです。何処かで聞いた話ですが、糖分と酸味は文化度に比例するそうです。糖分は文化が低い未開の地で重宝され、文化が進めば酸味が好まれます。そういえば戦後の物のない時代には砂糖が重宝されました。今は文化度が上がったのか甘いお菓子類は好まれなくなりました。逆にスポーツ選手はレモンなどを酸っぱくないのかかじっているようです。

 ご覧下さい。このように枝もたわわに甘夏かんが成っているのです。この甘夏かんも最近隔年結果がひどくなったので、近所の知人に頼んで思い切って剪定をしてもらいましたところ、今年はその成果でしょうか鈴なりに実をつけました。先日も北海道から視察が来た折このみかん畑に案内したところ、収穫させて欲しいと頼まれ、感激して帰りました。私たちがリンゴの成っている木を見て感激するのと同じようにないものに価値を見出すものなのですね。

  「甘夏の 鈴なり畑 案内し 北国育ち 感激しました」

  「甘夏の 酸味程よく 抜けてきて 木陰で休み 一人味わう」

  「甘夏の 皮は加工し ママレード わが家の自給 捨てるものなし」

  「東京の 店先甘夏 二百円 たった一個で そんなに価値が」 

 


 

 

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shin-1さんの日記

○しまなみ海道開通

 しまなみ海道が開通したのは今から7年前の1999年でした。四国に3本の橋が架かるとあって四国に住む私たちにとっては当時夢のような話でした。明石・鳴門ルート、岡山・坂出ルート、尾道・今治ルートそれぞれに違ったコンセプトで橋を造り、それぞれの生き方で橋を観光や暮らしに生かそうと開通以来様々な取り組みがされてきました。しかし残念ながらブームは去って高いと批判される通行料金が原因だけではない構造不況に見舞われています。

 しまなみ海道は岡山・坂出ルートのような鉄道併用橋のような物流ルートと違って、人が歩いて通れるスローな特徴を持っています。ゆえに観光という視点で考えると橋を渡る行為そのものが観光資源なのです。開通の時も今もその価値は何ら変わることはありませんが、ブームを仕掛けた観光業者にだけ任せて利を得ようとした地元の苦悩もまた今も長いトンネルの中に入ったままなのです。

 工事の遅れから部分開通で、これまで島内の一般国道を併用してきましたが、今回は未開通の部分の工事が終わったための開通です。したがってテープカットなどの開通セレモニーは何もなく、開通といってもパトカーが通った後を数台の車が走っただけの様子がテレビの画面に映っていました。観光業者や沿線の自治体では開通を記念してイベントを考えていたようですが、国土交通省の発表が二転三転し結局は肩透かしの感じです。でも夢よ再びのブームを夢見なくて良かったと私は思いました。何故ならむしろこの開通によって不利益をこうむる影の部分が多いからです。前回の開通もそうですが、何故にテープカットのセレモニーは仕事もしていない人がわれ先に群がるのか理解に苦しみます。あの橋の工事は難工事で亡くなった人も多いはずです。国会議員や県会議員や首長などの努力も認めますが、そうした遺族にもテープカットの場所くらいは提供してもバチは当らないのです。

 私はかつて海岸国道のバイパス工事の完成セレモニーを担当したことがあります。「テープカットを希望する人を募集し、ハサミを持ってきてください」なる提案をしましたら、当時のお偉方に大変叱られ、その案は抵抗しましたが没になった苦い経験を持っています。だって一般町民がテープカットしたなんて聞いたことがない企画ですから没になるのはごもっともなのでしょうが、あの企画は今でも色あせない企画だと自負しています。

 高速道路の開通によって吉海バラ園などの観光名所への入り込みやフェリー客の減少などが心配です。先日も上浦への所用の途中に立ち寄りましたが、今年もバラの美しい花を咲かせるために多くの人がひたむきに働いていました。間もなくバラの花も咲くでしょが、花は見る人あっての花です。どうか今まで以上にバラをゆっくり鑑賞するような気持ちで訪ねてほしいと願っています。そういえばローズ館の館長だった彼女はいま何処で暮らしているのやら、ふと気になりました。

  「開通は 明るい話題 違いない でも裏暗く 苦悩の人が」

  「開通の 時期をぼやかす 国交省 あえてしたとは 誰も気付かず」

  「バラ園に 丹精込めた 人がいる ゆっくり鑑賞 今年こそはと」

  「開通は 通過すること 知ってるかい 手放し喜ぶ 沿線自治体」



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shin-1さんの日記

○キヨスクというお店

 講演等の旅が近づくと必ずやらねばならないことがあります。それはどういう乗り物で行くか、そして宿はどの程度にするかです。私の場合は先方がチケットを手配してくれる場合を除いて、貧乏懐の癖がついているのか若い頃から「安い」という方法を探します。例えば東京へ行く場合も飛行機とバスでは倍半分ですから、少々時間がかかっても深夜夜行バスを選びます。こんな便利になった「速い」時代にそんなみみっちい旅は止めろと妻にも言われますが、私としては何故かそれが好きなのです。「安さ」と「速さ」は反比例の理論のように感じますが、考えてみれば安い料金で長時間乗り物に乗れるのですからこれほど得なことはありません。最近は出張旅費は実費支給ですから、半券の提出が求められることが多いのですが、相手も喜ぶ破格な安い旅費の請求に戸惑う姿もあって結構楽しいものです。

 普通は伊予鉄観光さんに知人がいてキップの手配は全てお任せしているのですが、機構改革とかでその知人が別の場所へ異動したため、久しぶりにJR松山駅の窓口へバスのキップを買い求めに行きました。時代の進歩著しい中で、松山駅は愛媛県の玄関口にも関わらず余り変化のない、いわば時代遅れな駅のような気がします。かつて九州の門司駅へ行ったことがありますが、門司駅ぐらい時代遅れになると一周遅れのトップランナーになって、レトロ調で懐かしさや古さが旅情を誘うのですが、何となく時代遅れ、何となく無造作で中途半端な感じがしました。

 駅の構内には昔鉄道弘済会と呼ばれたお店があって、今はキヨスクという呼び名で知られています。JRに売店が出来たのは旧国鉄時代の昭和7年だそうです。東京の上野駅と東京駅構内に店舗が作られましたがその後全国に広がりました。鉄道弘済会という名前を覚えている人もいるでしょうが、その名前を覚えている人は私のように賞味期限の切れかけた人間で、鉄道弘済会が創立40周年を記念して昭和48年に親しみやすい名前としてキヨスクという愛称をつけました。

 キオスクというのは英語ですが、語源はトルコ語の「あずまや」を意味する「キウシュク」でさらに語源を辿ればペルシャ語で宮殿や別荘の「コーシュク」へと行き着きます。このキヨスクは「駅の小さなお店」「駅や街頭の新聞雑誌売り場」として国際的に使われているいわばパクリです。本来はキオスクと発音するのですが、キヨスクは「気安く」「清く」などを連想する意味も込められているそうです。

 昭和62年に国鉄が民営分社化されたのを機にキヨスクもJRと同じで北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州の6つに分社化され現在に至っているそうです。最近は駅の周りにもキヨスク風のコンビニが沢山出来て、キヨスクの利用も段々減っているのだそうですが、キヨスクで駅弁を買って列車の中から外の景色を見ながら食べる旅情もまた格別な感じがします。キヨスクのの駅弁やはりその土地の香りがして日本全国オール同じの画一を感じさせない嬉しいものです。

  「キヨスクの 店のおばさん 顔見知り 土地の言葉で 客に一言」

  「はよはよと せかされ生きる 今だから あえてのんびり スローな旅も」

  「キヨスクの 語源辿れば トルコ語と 聞いた話を ブログ書き込む」

  「車しか 乗らない普段 暮らしにて 駅は何故か 懐かし思い」


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