shin-1さんの日記

○都会の片隅で

 今朝松山に住む娘から「孫が熱が出たから子守に来て欲しい」旨の電話が入ってきました。所用雑用の予定もあるのでどうしようかと迷ったのですが、娘夫婦揃って共稼ぎのためわが家で一番便利な人間であるとの結論から、急ぎキャンセルの電話を入れて朝早くから子守に出かけました。娘夫婦は都会といっても松山市道後のマンションに住んでいます。私が訪れた時には既に娘は出勤した後で、私を待っていたのか私の車が駐車場についた時は娘婿と孫が部屋の中から手を振って待ってくれていました。3歳になると少々の熱でも比較的元気でな様子でしたが、ヒエピタを額に張って眠れぬ夜を過ごしたような雰囲気でした。カギを預かり病院へ持っていく孫の体調メモと保険証を貰って早速近くの小児科へ出かけました。

 昨日が日曜日とあって病院は満員の盛況で、何人かの幼児は孫と同じヒエピタを張って痛々しい姿で母親やおばあちゃんにピッタリもせづいていました。子どもは病院イコール注射や薬だと思っているのでしょう。診察室へ入るのを嫌がっ足り、診察室からは泣き叫ぶ声も聞かれ、まるで戦場にでもいるような臨場感が伝わると同伴の孫も身構えていましたが、「僕は強い子」と虚勢を張って見せてくれるのです。

 やがて診察室に呼ばれましたが、開口一番「先生注射するんですか」です。余程注射が嫌なのか先生は「注射はなしですが喉が赤く腫れているのでヨウレンキンの心配もありますので検査をしましょう。はいあーんしてごらん」で一件落着です。先生が泣かない孫を見て「朋樹君泣かずに偉かった」と褒めると「僕強い子」とポーズをとって見せました。

 薬を貰い病院を後に帰宅しましたが、マンションというのは隣は何をする人ぞ的な感覚で自然もなく不自然で、よくもこんな所で暮らせるなあと思いつつ、クスリを飲ませたり遊び相手になったりでゆったりと過ごしました。熱が下がればと思いつつ外にも出れず、時おり大声を張り上げて通る松山市議会議員選挙の選挙カーのマイクの音やかすかな雑音が聞こえる程度で、静かな部屋の中です。

 そのうち薬が効いたのか孫は私の腕の中ですやすやと眠ってしまいました。ベッドへ連れて行くには重過ぎるのでソファーに寝かせ毛布を着せてやりました。孫の寝息は幸せそのもの、どんな夢を見ているのだろうと思いつつ子ども特有の匂いを感じながらつい私もウトウトの雰囲気でしたが、時おり架かる携帯電話のマナモードバイブルの度に安眠を妨げまいと隣の部屋に移動して通話しました。

 孫の目が覚めたのは一時過ぎでした。娘の用意している昼ごはんを孫と一緒に食べながら孫の話をいっぱい聞きました。孫を独り占めする幸せと、夫婦共稼ぎで寂しい思いをしている孫の「じいちゃんが一番大好き」というお世辞言葉を聞きました。

 孫は親がいないとすこぶる聞き分けのいい子どもです。ところが両親がいると甘えて私の話など見向きもしません。やがて5時半になって娘が帰ってくるとまるで手のひらを返したように母親のもとへすり寄って行きます。さっきまで「じいちゃん泊まろう」と指きりげんまんした約束事は一体なんだったのかと思えるほどの変身振りでした。それにしても幸せな一日でした。この分だと明日も朝同じような電話が架かってくるかも知れません。

  「マンションの 一室孫と 二人きり あれやこれやと 楽しい一日」

  「じいちゃんが 一番好きだと 褒め殺し 口渇かぬに 母が大好き」

  「聞き分けの いい孫親の 顔見れば 甘えてダダを こねるいじらし」

  「さあウンコ 小便薬 昼ごはん 孫のお守りも 以外と大変」



[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○日本人は餅拾いがお好き

 日本では何かにつけて餅を撒きます。新築棟上、船の進水式、夏祭りのイベントなどなど、節目や慶事には決まって餅を撒くのです。私のようにまちづくりに深く関わった人間は、もう30年間も餅を撒いてきました。その都度何の疑いもなくではなく、その都度疑問は深まるばかりです。というのもこれほどO157などと騒いでいるのに、何故か餅は地面へ投げるのです。不衛生極まりないと思うのですが、相変わらず地面に落ちた餅を拾い、勿論洗ってはいますが焼いたり煮たりして食べるのです。戦前や戦後間もない物の不足した時代ならいざ知らず、物の豊かな現代にあってもなお何の不思議がることもなく撒き続け拾い続けているのです。最近ではやっとその事に気付いて、ビニールの袋に入れて撒いているのを見かけるようになりましたが、それでも主催者側から言わせるとビニールの袋に入れる面倒臭さを思うとやはりばら撒きが一番なのです。食品の衛生については何かと文句をつける保健所もこのことにはタブーですから、余り詮索はしない方がいいかも知れません。

 昨日は氏神様の春祭りで、神官にお払いを受けた餅を2俵も撒きました。神社は本殿、幣殿、拝殿という三つのブロックに分けられますが、餅を撒くのは拝殿です。拝殿は3方が吹き抜けになっているので餅撒きには都合がいいように出来ています。3時からの予告をしていたので太鼓の音にあわせて私たち総代が一斉に参加者めがけて投げるのです。殆どが顔見知りの人たちばかりなので、後で「投げてくれなかった」と恨まれないよう万遍に撒きました。神社の境内はいつの間にか人で埋まるほど集まっていました。

 餅撒きが終わるといよいよ福の交換が始まります。前もって餅に番号を張っておき、その番号が福交換所へ持ち込まれてくるのです。さどい人は20もの福餅を拾い、交換所へわれ先にやって来ます。交換所の窓口は蜂の巣をつついたような大騒ぎで、活気がみなぎっていました。1番・7番・13番、縁起を担いで4や9などの番号は欠番にしています。予想以上の景品に喜ぶ人、「難だティシュペーパーか」などと不平を言う人など様々です。中には扇風機が当って大喜びの人もいました。この福撒き、昔は確か竹でした。危ないからと変えたのですが、これは正解、でも約700枚の番号を餅に貼り付ける作業や、景品交換の準備も中々世話の焼ける作業なのです。でもみんな夜来の雨もあがった境内で喜んで福撒きを楽しみました。

 直会が終わると今度はお札配りです。寄付をしてもらった一軒一軒へお邪魔し、木札と紅白の重ね餅を半紙に包んで渡すのです。これも宮総代の大切な仕事ですから粗相のないように配って歩きました。長い一日が終わりました。快い疲れです。今年で2年目、2年任期なのでいよいよ宮総代最後の仕事です。後は秋祭りの神輿守りへと仕事は移り行くのです。

 ちなみにわが妻は餅拾いに参加して20個ほど拾い、箒とティッシュペーパーを貰って帰っていました。それでも鬼の首を取ったような武勇伝を私に聞かせてくれました。

  「餅拾い 下手糞な人 上を向き 地べた這う人 しっかりゲット」

  「不思議だな 地べたに落ちた 餅拾い 腹もうずかず 神のお陰か」

  「その昔 亀の子タワシ 景品で 今はティッシュが 最低ライン」

  「酒飲まぬ 子どもに酒が 当ったよ 親父喜ぶ 今宵の夕餉」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○打診する

 先日定期健康診断で診察の先生に質問しました。「先生、いつかは質問したいと思ってたのですが、先生が今日も『はい上半身裸になって』といって腹や胸や背中に聴診器を当てた後、体をトントン叩きますよね。あれは何を調べているのですか」。唐突に私が質問したものですから「これは病気にならないためのおまじない」と言って側にいた看護婦さんの笑いを誘いました。透かさず私は「えっお医者さんがおまじないですか」と言ったものですから医者は『冗談冗談、これは打診といって、長年医者をしている私のような偉い先生には体内の異常な音が聞こえるのです」とさらりかわされました。私は前に何かの本で読んでこの打診という診療方法の語源を知っていたので、先生失礼ながらとそのことを話してしまったのです。医者は『若松さんは物知りだから適わんなー」と照れながら、「実は私も医者になりだちの頃、同じような質問を先生にしたことがあって、その先生に叱られると思いきや、『医者を志すものは疑問があったら徹底的に調べることが肝心でいい質問です』と褒められたことがあります。若松さんも褒めてあげます」と言うのです。「それにしても打診の語源がそんな所にあったなんて知りませんでした。今日はええ勉強になりました。診療費は払って帰ってください」でまた大笑いしました。

 お医者さんはトントントンと体を叩いて音を聞き、その後聴診器で音を聞きます。この医療行為を打診法というのだそうです。この方法が生まれたのは18世紀の終わりから19世紀のころだそうです。オーストリアのアウエンンブルッガー医師が叩くことによって内臓の働きに異常がないかどうか知ろうとしたことが始まりといわれています。彼は幼い頃、父親が酒樽を叩いてその音の違いで酒の残量を確認するのを見て育ちました。酒樽の音で中身が分るのなら人間の体内だって分るはずではないかと考えたのです。そして打診が診療方法として間違いないと医学的に完成させたのがナポレオンの従医だったフランスのコルブィサール・デ・マレ医師でした。

 しかし私が質問した先生が言うように音でその人の異常を判断するには、その人の正常な音を知っておかねばならないはずで、多くの経験が必要ではないかと考えられます。打診する色々な先生のやり方を見てきましたが、そうとも思えないただ仕草だけの先生も相当いらっしゃるようです。

 日本にもこの方法は江戸時代に伝わってきたそうですが、これとよく似たことを私たちもやっています。夏になるスイカのテレ具合を見るのです。硬い金属音のような音がしたら美味しいスイカと教わって、必ずこの行為をしますが、余り当った記憶はありません。今度スイカを切る時、「この打診法は医療行為である」なんて話しながらやってみて下さい。奥さんから「お父さん頭がおかしくなったんじゃあないの」と馬鹿にされるのが落ちです。先日もその話をしたら妻に「お父さん偉いお医者さんに滅多なことを聞かれん。恥ずかしい」と言われました。でも妻だってこのことは知らなかったようです。エヘン。どうだ参ったか。そういえば「打診」なんて言葉がありました。

  「人間と スイカは違う 打診法 俺の体の 何処が熟れてる」

  「なあ先生 そんな仕草で 分るのか 俺の体の 異常部分が」

  「よくもまあ 聞いたもんだと 呆れ顔 知ったかぶりで 医者から一本」

  「俺だって 今日の相談 打診する 叩きもせずに 何とはなしに」

[ この記事をシェアする ]