○怒ると叱るの違い
今日は三歳になった孫のもりも中日で、少々お疲れモードの私と孫は揃って松山の娘の家へ所用で帰りました。昨日の夕食時孫が大泣きをしました。妻が孫の大好物であるハンバーグを作ってやりました。妻でみると熱々のジューシーなハンバーグを食べさせてやりたいと思うのは大人心でしょう。ところが孫は大の猫舌で熱いものが苦手です。「さあおばあちゃんの作った特性の熱々のハンバーグを召し上がれ」と孫の前に出したまでは良かったのですが、湯気の出るハンバーグを見て孫は「湯気が出てるから熱くて食べられない。冷蔵庫に入れて」と泣き始めたのです。さあそれからが大変、「ハンバーグの熱々を冷蔵庫に入れる人はいない」、「そんな熱いの食べれない」という騒動に発展し、泣きじゃくるほどにトーンを上げました。いくらなだめても泣き止まないものですから、「そんなにわがままを言うのだったら押入れへ入れる」と脅してしまいました。孫はそのことも怖かったのか更に逆上、もう手が付けられません。仕方がないのでほおっておいたのですが、相手にしてくれない大人を見て少し気分も収まり、ついには冷えたハンバーグで夕食を終えました。
私は私たちの子ども時代の怖い「やいと」と「押入れ」と「殴られる」という経験で、「ならぬことはならぬ」を教わりましたから、ついつい「押入れ」を叱る道具に、いわゆる奥の手として出してしまったのです。しまったと思いました。私のやった行為は好意でなく恐怖の何ものでもなく、「叱る」より「怒る」だったと深く反省しました。「叱る」と「怒る」は違います。「怒る」は無意味に恐怖心をあおって服従させようとします。昔の子どもはそれでも良かったのでしょうが、今の子育ては子どもの人権に配慮しなければなりません。「叱る」は言って聞かせて褒めてやる」納得の教育です。子育ての講師などを務める私が何たることかと深く深く反省しました。
孫も三歳とは言いながら一夜明けた昨晩のことは良く覚えていて、恐怖のあまりか「おじいちゃんは怒ると怖い」というイメージが心に焼きついたのか、車の中で妙に私になつくのです。「おじいちゃん昨日はごめんね」とか、私の言うことは何でも聞き「分りました。もうしません」とはきはきボーイに変身していました。お昼には昨日食べ残したハンバーグを妻が温めて食べさせたのですが、少し熱くてもフーフー言いながら「少し熱いけど僕は頑張る」と言って食べました。でも食べながら下目つかいに私の顔をちらちら眺めながら、まるで水族館のイルカがショーをした後の餌を食べるような服従の面持ちでした。
自分の子どもならいざ知らず、孫の教育は短い期間ながらあずかる私にも大きな責任があることを教えてくれたささやかな大事件だったようです。
「誰が好き」、大人は有頂天になって自分をPRします。物を買ってやると「おじいちゃんが好き」となるのでしょうが、私は物を殆ど買いません。いつもは我慢することを覚えさせるために、「今日は買わない。お金を持ってない」と納得させます。孫もそのことを納得します。でも昨日は遊びに行ったシーサイド公園で納得させて600円の怪獣を買ってやりました。怒られた後の「飴」だったから、余計嬉しかったのでしょう。「おじいちゃんが大ー好き」なんて手で大丸を作ってくれました。でも昨日は私も孫も「深く反省」した複雑な気持ちの一日でした。
「押入れへ 入れると恐怖 あおったが 逆切れ孫の 鳴き声更に」
「孫のもり 叱るつもりが 怒りすぎ 反省しても 後の祭りだ」
「昔から 三つ子の魂 百までと 知っているけど 駄目な私」
「ほお擦りを してくる孫の 匂い好き まるで子犬が じゃれ付くように」