shin-1さんの日記

○史談会が誕生しました

 双海町という自治体が合併によりなくなって丁度一年が経ちました。双海町という時代に築かれた団体や機関は統廃合の憂き目に会ってあっさりその旗を降ろしてしまいましたが、何とそんな中で生まれるグループがあるのですから世の中は面白いものです。

 合併を記念して改定「双海町誌」が2年間の苦労を経て出来上がったのは一年前のことでした。閉町のタイムリミットも近づいて何かと慌しいなかで、編纂委員さんはそれぞれの立場で努力をしていただき、短い時間にしては立派な町誌が出版されました。そのメンバー数人が、双海町の歴史を語ったり文章化することを考えて好きものを勧誘し24人のメンバーが揃い、今日の設立総会と相成ったわけです。歴史に詳しいいわば双海町の一時代を築いた方ばかりの会員が年会費2千円で会を運営しようというのですから、しかも失礼ながら年齢的に盛りを過ぎた人が殆どですからそんなに大きな期待は持てません。でも金や年齢だけではなく、その心意気は相当なもので、自己紹介では薀蓄を長く短く喋り捲り、凄いパワーを感じました。

 私は退職を機に民俗学の研究を細々と続けています。耳も遠くなった親父との話は主に下灘漁村の民俗学に焦点を絞って、元気な今のうちにとコツコツ聞き取りしたことをまとめています。何年か後にはそれを一冊にまとめてみたいと思っています。そう自己紹介でお話をしたら会の終了後早速一会員から、近いうちに話をしようという申し出がありました。同じ町に住みながらこんな話をしたことも聞いたこともないだけに、ああいい会を通ってくれたなあと、事務局を担当する事になったかつての同僚だった中尾先生の若さと行動力に感謝しています。

 早速家に帰って色々なことを考え、色々な心に浮かぶことをメモしながら下灘の民俗学を考えてみました。多分こんな馬鹿げたことを考えるのは私が最初で最後だろうなあと思いつつ、宮本常一の本を読んで見ました。奥の深かった宮本常一の世界が少し見えてきた感じです。

 明日は孫を連れて人間牧場へ行く予定はないのですが、改めて沖合いに浮かぶ春の周防大島に思いを馳せながら読書の時間を取りたいものです。

 小さな世界から大きな世界へ目を向けた私の人生も、いよいよ大きな世界から小さな針の穴へと回帰しつつあることを感じながら・・・・・。

  「消えた会 多いというのに 出来る会 身をゆだねつつ 意の向くままに」

  「一家言 ある人ばかりで 賑やかに 史談の会は いつまで続くか」

  「えっあの人 既に喜寿という 一緒年とり 私も還暦」

  「歴史とは 人の生き様 語ること 表舞台を 裏の舞台へ」 

 

 

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shin-1さんの日記

○集落が消える

 私の住んでいる集落は300戸余り、旧役場の中心地だけに「集落が消える」なんて話は他人事でしかありません。逆に小さな集落の強固なまとまりのあるコミュニティが羨ましくさえ思うほど、以外と他人事として片付けられることが多いのです。僅か15戸で組織している私の組内ですら葬式以外は殆ど会合もなく、それでも毎年が過ぎてゆくのですから今の時代は、村社会のような封建的な生き方は通用しないのかも知れません。しかし双海町の遠隔地では一戸また一戸と次第に戸数が減って、10戸以下の集落が目立ってきました。多分10年後には、いやひょっとしたら5年後にはその集落は消えていくだろうと思われます。

 合併によって私たちの住む街も新しい伊予市として誕生しましたが、新しいまちでは地域の自立をテーマに掲げているし、合併構想の中でも地域支援センターなるものを明記しています。しかし今回の組織改革ではその名称すら見ることもなく、むしろ総合支所は縮小され後退と言わざるを得ないようです。そしてもう一つ集落の再編という私たちの暮しにとって大変重要な出来事が、住民に周知徹底されないまま行われようとしているのです。自治の再編は大きな自治会と小さな自治会があることを考えれば当然のことであり、何処かに右へなれは仕方がないことかもしれません。旧伊予市の500戸単位と旧双海町や旧中山町の10戸単位では民意の集約もままならないことは分っていても、右へなれの対象が伊予市という都市型に全てを合わせられる農山漁村とでは、余りにも意識や行動が違い過ぎるのです。であれば、「自治会組織は旧市町単位で温存してもいいのではないか」、「何故中央に集めて自治会長会をしなければならないのか」という疑問を持つ現在の自治会長の疑問も説明責任として答えなければならないでしょう。

 田舎の集落には、「村八分」という悪しき習慣が残っています。いかにも集団でいじめをするというイメージに聞こえますが、もともとは村の決まりごとを破った人に対して行う厳格な処罰規定でした。江戸時代の集落の規則では冠・婚・病気・建築・葬・火事・水害・旅・出産・年回忌の10の行事については集落の人々が協力しあって行う風習がありました。しかし集落の規則を破った人には相談してこうした付き合いを拒否したのが村八分です。でも気をつけたいのは村10分でなく村八分なのです。つまり村八分とは火事と葬式は別物として考えられたのです。村八分の語源は村はぶく、村はじくとされていますが、村八分はいかにも義理堅い日本人の心といえましょう。

 今の世の中では葬式も式場でするので、村八分にされたとしても別に困らないし、火事も消防車がいち早く駆けつけてくれます。集落が集落としての機能を果たさなくなった時代に、広報区長などと名前をつけて広報を配ってもらったり、住民の意見は全て広報区区長を通じてなんて持ち上げることより、自治会にどんな自治を担わせるのが本来の目的なのか、もう少し前向きな議論が欲しいものです。

 先日市役所の職員とコミュニティ議論をやりました。私の考えるコミュニティには従来の集落が持っている地域コミュニティと集落を超えて持たねばならないテーマコミュニティがあると、持論を展開しましたところ、そんな難しいことは初めて聞いたと目をぱちくりしていました。

 「集落が消える」この重いテーマをあなたはどう考えますか。

  「この歳に なっても未だ 若い方 嘆く集落 五戸だという」

  「村八分 されても別に 困らない それより役など しない方まし」

  「役所から 身を引き途端 見えてくる 口には出さずに 利口な生き方」

  「指折りを 数えて任期 来るを待つ 自治会の世話 結構きついね」

 

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shin-1さんの日記

○ペンキ塗りたて

 昔都会の公園のベンチに「ペンキ塗りたて」という張り紙がされているのを見落として、ズボンとシャツを駄目にした「周りが見えない田舎者の私」なので、ペンキといえばその時の悪い印象が思い出されてます。また家業の漁師をしていた若い頃、私の持ち船の船倉の中でペンキを塗っていてシンナーに酔ってふらふらになった経験もあります。美しいはずのペンキも私にとっては嫌な思い出が付きまとっていますが、人間牧場の仕上げはどうしても防腐剤やペンキが必要なので仕方なく、次男と孫を連れて人間牧場のペンキ作業をしました。専門家に外注すればいいのですが、資金が底をつきかけたこともあって水平線の家の外壁に塗った余りの防腐剤を塗りました。この作業は二度塗りなので今日は下地塗りです。午後からは雨という天気予報なので、長いはしごをかけて私が上、次男が下を分担して塗りました。下塗りのペンキは温度の上がったためか伸びもよく2時間足らずで終わりました。

 孫はペンキ塗りの手伝いをすると張り切っていましたが、結局2時間の間周辺で花を摘んだり石ころを投げたりして遊び、飽きるとおじいちゃん、一生ちゃんと交互に呼んで、やれオシッコだのやれ喉が渇いただのと10分置きに梯子の上の私たち二人を目掛けて自分の存在を知らせていました。それでも一人でよく遊んでくれたお陰で仕事がはかどり、12時の音楽サイレンを合図に妻の作ってくれた巻き寿司弁当を広げて早速お花見兼用の昼食です。あいにく箸を忘れていたのでにわく作りの金の火箸(囲炉裏用なのでまだ未使用)でつまんでは食べました。山は長閑な春霞でしたが下山する2時過ぎにはポツポツと早くも雨が降り出しました。やっと満開宣言の桜の花もこの雨で心配です。帰りには孫と朝約束した潮風ふれあい公園の展示遊具消防自動車まで行き、少し遊んで帰って来ました。

 保育園だとこの時間はお昼寝の時間だと思って寝かそうとするのですが、孫は寝ると遊ぶ時間が少なくなると思うのか、ぐずって」寝るのは嫌だと言い張るのです。大好きな本を読みながら寝かせると私も熟睡、気がつけば何と1時間も孫と昼寝をしてしまいました。お昼寝なんて久しぶりでお陰さまで夕べは少し目がさえて寝れませんでした。でも長い昼寝は体がだるく感じますが約1時間の短い昼寝は気持ちがいいもので頭の中の霧が晴れたようですっきりしました。

 本当は今日にでも上塗り用の防腐剤を塗りたかったのですがあいにくの雨でペンキ塗り作業が2日間遅れてしまいました。でも慌てる作業でもないので天気を見計らい、近々出掛けて塗りたいと思っています。

 それにしても孫のおもりがこんなに疲れるものとは知りませんでした。妻曰く「自分の子どもの面倒を見なかったのだからそれぐらいはしないと」だそうです。娘曰く「孫のおもりをさせてもらうくらい有難いことはない。私の面倒を見なかったのだから当然」だそうです。二つともごもっともなお話です。あーまだ孫のもりは3日か、あとひい、風、みい、よー、厳しいなあ。

  「孫のもり 二言目には じいちゃんと 呼ばれうれしや それでも疲れ」

  「満開の 桜を愛でる 孫と爺 綺麗の基準 違っていても」

  「ペンキ塗る 五右衛門風呂の 外壁に まるで啄木鳥 孫が笑って」

  「二月末 植えたジャガイモ 芽はまだか かすかに土の 盛り上がりつつ」

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