shin-1さんの日記

○私立中学校が人気です

 現在日本の中学校は義務教育ですから、殆どの子どもが地元の中学校に試験や選抜もなく通うことが半ば通例になっています。ところがつい最近ではそうした当たり前だと思われていたことに変化が起こり始めました。私立の中学校がその勢力を増しつつあるのです。田舎には私立の中学校が殆どないのでピンときませんが、都会では水面下で立派な中学校へ子どもを入れるための激しい親のバトルが繰り広げられているというのです。つまり私立の中学校へ進学するということは小学校6年生になると志望校への受験が待ち構えているのです。そのため子どもたちはうかうか遊ぶこともできず、もう小学校3年生になると塾通いが始まり、ゆっくりした子ども時代など夢のまた夢にになりつつあるようです。

 私たちのように子育てを終わった年代はこんな話を聞いても他人事だと冷めた雰囲気で聞き流しますが、これから子育てをする人たちにとっては他人事ではなく気を揉むことでしょう。

 こうした時代背景には文部科学省が出した「ゆとりの教育」を基軸とした学習指導要領によって学習時間が大幅に短縮され、その結果学力が世界の国々と比較して低くなったという調査結果が発表されたからだという説がありますが、その真偽は定かではありません。最近では中高一貫教育などを推進する各県の動きもあって、ベルトコンベアーに乗り遅れまいとする親の焦りも拍車をかけているようです。

 冷静に考えれば子どもを伸び伸びと育てた方が良いし、最近の青少年を巡る世相からもゆとりは大切だと思うのですが、猫の目とか、風見鶏とか、はたまたあんま膏薬とか悪口を言われるように文部科学省のやることなすこと全てに、良い結果が出ない現状ではこうした混乱も仕方がないことと言わざるを得ない現状です。文部科学大臣が変わる度にこう方針がガラリと変わるようでは、たとえ教育基本法に「国を思う心」を盛り込んだところで国を思う心を持った子どもたちは育たないような気がするのです。

 私たちが中学時代にもこれとよく似た現象が起こり、私たちの同級生のお金持ちや知識人の子どもの何人かは松山の中学校に進学しました。結果はどうであったか見てみると、地元の中学へ行った私たちと左程変わった人生を送っているとは思えず、同級会などに来ても恩師もなく親しい仲間もなく、むしろ肩身の狭い思いをしているように思えてならないのです。

 子どもは親の理論だけでは生きて行けません。子育ては何処を出たかより、何をどうするのか常に子どもの目線で考えてやることが重要です。ましてや少子化で子どもたちは兄弟も地元の友人もいない寂しい思いをして生きていくのですから、せめて中学校くらいはふるさとととの深い関わりの中で育ててやりたいと思うのです。

  「六年で 早くも進学 競馬馬 親は馬券で 大穴狙い」

  「飛びきりの 学校出ても することは 親を立派な 特老預け」

  「子を預け 年寄り預ける この社会 何か狂って いると気付かず」

  「名門の 私立中学 出たという 社会じゃ俺が 一枚上だぞ」

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shin-1さんの日記

○新友にして親友との深友としての付き合い

 昨日の夕方「ごっくん馬路村」で有名な高知県馬路村から木下さんがやって来ました。彼とは昨年12月に「地域の自立を考えるサロン」の打ち合わせを馬路村で開いた時、東谷専務が声を掛けていたので参加していた馬路村役場職員です。人なつっこい彼はたった一夜の出会いで私の新しい友人、つまり新友になったのです。そして今年の2月に開催されたサロンに東谷軍団の一員として来県しちゃっかり親友となり、人間牧場まで押しかけて来ました。そして昨日年度末のこのくそ忙しいのに休暇までとって三度やって来たのです。

 「忙しくて日程が詰まっているから来るな」というと、「いつが空いているのか」、「土日はいっぱい」というと「平日でも休んでいく」と、まあこんな具合に粘られうっやられて昨日の出会いとなりました。彼の本当の目的は馬路村をデザインしている人間を私に会わせたかったそうなのですが、出発直前になってそのデザイナーが風邪をひいてダウンしてしまい、結局は何の目的も果たせぬまま無目的な一人旅でやって来ました。

 せっかくやって来たのですから、飲み会でもと地域政策センターに声を掛けたところ、サロンで知り合った遠来の友を大切にする井石主任さんをはじめ全員が参加してくれました。木下さんも感激でしょうが私も僅か1時間前に声を掛けてもしっかりと対応してくれた研究員の皆さんに心から感激しました。

 「小雪舞う中4時間もかかって大変だったでしょう」と研究員が言うと、「いえいえ大したことではありません。僅か4時間で来るのですから」とはさすが高知のいごっそです。彼はユズですっかり有名になった馬路村を魚梁瀬杉で有名にしたいと思っています。ユズや農協にあらずんば馬路村民ではないという風潮の村で、平気でユズを否定する辺りが私の最も気に入っているところです。人と話をする時彼は必ずメモを取ります。「酒を飲んでいる時にメモをされると場がしらける」と注意をするのですが、彼は私の忠告など何処吹く風です。こんな彼を私は深友といわざるを得なくなってきました。

 昨日は何処かのホームセンターに立ち寄って、清掃道具を買い車にしのばせやって来ました。「明日の朝師匠と一緒にシーサイド公園の清掃をするのだ」と張り切っておりましたが、泊まる場所が松山だったためさすがにそのことは丁重にお断りをしました。

 彼はこの日馬路村温泉の若い林支配人から私宛の手紙を携えていました。彼から届く文面はこれで2度目ですが極太墨字の手紙には、先日出した夕日の絵葉書へのお礼と心情を吐露していて何か温かさを感じました。こうした若い人たちとの付き合いは進友的な想いを感じます。これこそ信友・真友・心友・伸友だと思います。

  「新友が いつの間にやら 親友に やがて深友 なるとの予感」

  「まるでハエ 追っても直ぐに やって来る 見上げた根性 そうでなくては」

  「彼を見て 若い自分を 思い出す 転げ傷して それでも前へ」

  「帳面に 几帳面づら メモを取る 今時珍し 阿呆な悪癖」 

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○テレビのコマーシャル

 毎日毎日よくもまあこんなに報道することがあるなあと思うばかりのニュースが流れては消えて行きます。NHKを除けば民放はたった1パーセントの視聴率に一喜一憂し、時には視聴率を上げるためにやらせまでするのだといいます。何が真実で何が間違いか分らぬ世の中、結局は自分が学習して間違いを見抜くしか正しい道はないのかも知れません。堀江さんの起訴を前に昨日ライブドアの上場廃止が決定しました。株で一儲けと思ってライブドアの株式を買った人は一時700円台だった株式が10円台になる、いわば紙切れ同然の下落に落胆し、被害者の会を設立したそうです。株を買わない私たちからすればそれは想定内のことであり、株を買ったあなたが悪いと思うのですが、儲けてもいないのに儲けたように粉飾した嘘の話を信じて株を買った人の心情も想定外の出来事でよく分るのです。しかし結局は自己責任としかいいようがないのです。

 毎日のテレビ番組の間にサンドウィッチ状に挟まれ流れるコマーシャルも、見る人を意識した一定のルールがあるように思います。若者がテレビを見る時間帯は若い人気者の芸能人を登場させて化粧品や車、それに食べ物などを宣伝します。お昼の奥様族が見る時間帯はみのもんた効果にあやかってテレビショッピングや夕食の準備、それに痩せるため、若さを保つためのコマーシャルが多いようです。あんなものには騙されないと思いつつも、「今がチャンス」「二個買うとお買い得」「あなたも今日から美しく若返る」なんて言われるとついつい財布と心と顔が緩んで、電話注文と相成るんです。最近はインターネット注文も相当増えてバーチャルの世界での事件も多発しています。「お金を振り込んだのに品物が届かない」なんて詐欺は今や常習で、調べてみるとその会社がないことだってあるのです。「ないことだってある」って日本語も中々難しい表現です。

 私もテレビのコマーシャルに一度だけ出ました。朝日ビールの宣伝です。僅か3分の短いものでしたが、一週間余り県内限定で出ました。「おい進ちゃん。お前テレビで流れよるぞ」「あのコマーシャルは出演料はいくらか」「夕日の男が何でアサヒビールの宣伝に出るんぞ」「役場の職員じゃのにあんなテレビに出てええんか」などなど様々な意見が寄せられました。当の本人は至って冷静で、「双海町の夕日がタダで宣伝して貰えるのだから」とやり返しました。結局出演料は40本のビール券でしたが、文句を言った人たちに宿直室で口止めとして飲ませました。「こんなに飲ませてもらって悪いね」の一言。悪いのは酒を飲ませてもらったことではなく、悪口を言ったことだと理解していないようでした。

  「一度だけ テレビに出ました コマーシャル お礼のビール ワイワイガヤガヤ」

  「痩せたいと 思う心に ご用心 痩せるどころか 騙されやつれ」

  「株式を 買わぬ私の 言い分は 買うな危ない いったでしょうが」

  「春来ずも 早くも水着 夏姿 テレビの世界 これが常識」

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shin-1さんの日記

○今日は少し腰と腕が痛い

 菜の花祭りも終わりいよいよ張る本番と思いきや、昨日から一転して北西の季節風が吹き荒れ冬に逆戻りしたような寒さです。もう暖房も要らないだろうとしまった矢先のことなので今朝のわが書斎は寒く、ウインドブレーカーを着込んでのハガキ書きやブログ書き作業となりました。今朝はアメーバブログが早朝5時過ぎまでメンテナンスとかでアクセスできなく、お陰さまで溜ったハガキの返事を10枚も書いてしまいました。

 昨日は本の移動で水平線の家へ行ったのですが、左官さんと大工さんが五右衛門風呂の作業に来ていて、屋根に張る竹の節を抜く作業を頼まれ、一日中その作業に追われました。金槌で半分に割った竹の節を一個ずつ叩いて抜いてゆくのですが、これがまた途方もない数でただひたすら下に向いて作業を進めました。竹の節は硬く、どうしてあの柔らかい食べれるタケノコがこんなんい硬い竹に成長するのだろう、なんて考えながら丁寧に丁寧に外しましたが、この作業中々終わらず昼食をはさんで夕方4時半までかかってしまいました。あいにく昼食を用意していなかったのですが、おやつ代わりに持参していたパンと伊予みかんという軽食で済ませました。左官さんと大工さんはさすがに肉体労働だけあって、愛妻弁当は豪華で温かい味噌汁までついていました。薪ストーブを焚いて3人で談笑しながら食事をしましたが、外の寒さとはうって変わった温かさでついウトウトしました。

 それにしても今朝は、さすがに馴れない作業をしたためか少し腰と手がだるくて痛い感じがしています。多分筋力や体力が落ちているのだろうと自分に言い聞かせていますが、昨晩寝る前に予想していた痛さほどではなかったので安心しました。妻は「若い頃は痛さがあくる日に出るが、歳をとると痛さが3日後に出るから安心はできない」と脅すのです。それでも昨年から人間牧場開拓で鍛えたためでしょうか少しは楽です。

今日はちょっと骨休みといきましょうか。丁度仕上げたい仕事もあるので外にちらつく雪を見ながら家で過ごすことにします。

 しかし自然というのは偉いものですね。たった一日で日本列島全てを10度も温度を下げるのですから・・・・。人間に「日本列島の温度を10度下げなさい」と言われてもそれは不可能というものです。人間は快適さを求めてこんな寒い日でも暖房をして部分的ではありますが春の陽気を作ります。そのためのエネルギーたるや相当なもので、油や電気といったエネルギー源を使って温度を上げるのです。一部分を除いて火鉢と炭はもう私たちの身の回りには残念ながら存在しません。火鉢を知っている私たち世代はもう賞味期限が切れ掛かっているのかも知れませんね。

  「火鉢って 尋ねられたら どう答う こんなまるいの 言って分らず」

  「弁当を 横目で眺め パンを食う これで十分 働き応じて」

  「タケノコが なんでこんなに 強い竹 なるのか分らず 黙と節抜く」

  「あれだけで 足腰痛く なりにけり 老化言われて 十分納得」 

 

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shin-1さんの日記

○山口県美川町からメールが届く

 私は日本全国色々な街のまちづくりについてお手伝いしたり、まちづくり人と深い交流がありますが、今日山口県美川町の藤本美夕紀さんからメールが届きました。藤本さんは名前が美由紀でなく美夕紀とちょっと変わっており、夕日の町の私としては「一目会ったその日から恋の花咲く時もある」なんて感じで、一変に深い仲になりました。深い仲といっても彼女が私の講演会に来ていて、講演会終了後私に質問したというただそれだけなんです。そして私にメールが来たというただそれだけなんです。でもその出会いが感傷的で、もう間もなく岩国市と合併する美川町のまちづくりについてメールのやり取りを通して随分深い仲になったのです。

 美川町では昨日合併を間近に控え閉町記念の式典があったそうです。藤本さんの所属するグループでは同時に開催されたふるさと祭りの餅つきを担当したそうですが、やがて消えゆく美川町という自治体への愛着をメールの端々に感じました。もし岡さんという美川町の課長さんと知り合っていなかったら藤本さんとの出会いも無かったでしょうが、まるでドラマの結末を見るように岡課長さんは今回のまちづくりの仕掛けを見届けるように、定年で30数年の役場生活に別れを告げるのです。岡課長さんとは公民館活動時代に知り合い、わが家にも研修にやって来てお互い酒によって炬燵で雑魚寝をした間柄ですがその几帳面な正確や仕事を最後までやり抜く姿は頭が下がる思いでした。田舎の小さな役場ながらここにも一人の老兵(60歳ですので老兵は失礼かも)が静かに職場を去って行くのです。惜しまれながら・・・・・。

 藤本さんのメールには閉町記念式典での岡課長さんの感慨深げな様子が、一人の女性の目を通してリアルに表現されていました。華やかなスポットとを浴びる訳でもない一役場職員の姿がこれほど印象深く表現されている文章は見たことも読んだこともなく、私の方がウルウルでした。ふと昨年退職した退職当時の自分の姿を思い出し、そのシーンをダブらせていました。一週間前に彼から届いたメールには職場の皆さんと退職記念のミニ旅行を計画し大阪で楽しい一夜を過ごしたと書いていました。

 まちそれぞれ、人それぞれにそれぞれの動きや人生があります。岡課長さんのこれからの人生が幸せでありますように、そして藤本さん、これからの新岩国市美川地区への熱い想いを頼みます。

  「あの町も 歴史閉じるか 寂しいね メール読みつつ ついぞしんみり」

  「一時代 築いた人が ここにいる 縁の下だが 土台となりて」

  「美夕紀さん も少し早く 出会ったら 恋の一つも したであろうに」

  「食卓に 並んだガニメ 食べながら 遠い昔や あの人思う」

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shin-1さんの日記

○世の中を憂える人

 今の日本を見て憂える人は多いはずですが、私のようにただただ傍観者に過ぎず、何の策も打たぬままその日が過ぎ去っててゆくことに心が痛んで仕方がありません。「何もあなたがそんなに悩まなくても」とか、「あなたが悩んでも世の中は変わらない」といわれるかも知れません。でも何とかしたいものですね。国家を論じるつもりはありませんが、せめて自分の手の届きうる我が家や自治会長をしている自分の集落だけでも何とかしようと少しずつ始めています。

 昨日はあいにくの雨でしたが、午後から雨がやんだので灘町集会所の横にある海岸の清掃を一人でしました。この海岸はもとも海水浴場でしたが隣にシーサイド公園ができたためお払い箱となって、今は家族連れや仲間内の野外活動の場所として使われています。今はシーズンオフで訪れる人もなく漂流ゴミが沢山ありました。

 近くの方が散歩をしていて私の清掃をしている姿を見て一緒にゴミを集めてくれました。夏になると近所の人たちは花火や騒音に悩まされるそうですが、綺麗にしないとゴミを置いて帰るので時々は散歩のついでにゴミを拾うのだと言っていました。私の小さな行いは一人の同調者と行動者を生みました。このように小さな親切の輪が少しずつでも広がると地域は良くなるのですから、私から始めなければならないと思います。すっかり綺麗になった浜辺を見て自己満足でしたが、綺麗にしたからといって漂流ゴミが流れ着かないことはありません。でも綺麗にしておくことでゴミを捨てる連鎖反応は少しでも減るのです。

 現代人は看板の文字が読めあいのでしょうか。海岸には昔私が立てた「ゴミは持ち帰りましょう」という看板のがくたびれて立っていました。その看板の横には「なんだこんな看板無視しろ」と言わんばかりにゴミがおいてありました。

 さて私と近所の人が集めたこのゴミは一体誰が処理するのでしょうか。私は役場に掛け合いに行くのが億劫です。何故なら多分押し問答やたらい回しになるからです。昨年も一斉清掃の折みんなで海岸清掃をしました。膨大なゴミだったものですから役場の担当者に電話をかけて処理を依頼しましたら、「それは海岸ゴミで私の所ではありません。産業建設課に言ってください」t言われました。産業建設課へ言ったところ「これはゴミですから生活環境課です」と振られました。結局は自分たちがトラックを借りて清掃センターへ持って行く羽目になりました。じゃあ処理費用はでまた大もめです。掃除という綺麗な善意の花はものの見事にしぼみました。「役場に勤めていたからって大きな顔するな」という後輩の冷たい目と、「役場に勤めていたのに顔も効かないのか」という住民の冷たい目に晒され寂しい思いをしました。

 今朝早起きをしてそのゴミをゴミ袋に入れ、ゴミ出しの所へ少しずつ出すようにしようと決意をして持って行きました。これ以外方法が見つからないので収集車のおじさんごめんなさい。

  「掃除する 集めたゴミは どうするの 言ったところで それはうちでは」

  「捨てないで 書いた看板 直ぐ横に ゴミを置き去る 看板読めぬか」

  「俺一人 それでもゴミは 少しでも 減ってゆくから あせらず始める」

  「昨晩は 綺麗だった 砂浜が 今朝はまたゴミ 元の木阿弥」

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shin-1さんの日記

○新聞のスクラップ

 私は若い頃から新聞のスクラップをやってきました。特に注目する記事があると切り抜いて大学ノートに張ってゆくのです。本とてまともに買えない自分としてはこれが最大の武器になっていた頃がありました。しかし何年か前100冊にものぼるそのスクラップブックを畑の隅で焼きました。当時の心境がどういうことだったのか今は思い出せませんが、焼いたことですっきりしたことを思い出しました。また頂いた名刺もその都度処分をしてきましたので、私の手元にあるのはこの一年間で貰ったものが殆どです。

 昨日書棚の整理をしていて膨大な新聞スクラップを見つけました。それは双海町や自分に関する新聞や雑誌の切抜きで、何年か前に焼却処分したものの中からより分けて取っておいたものなのです。その数やこれまた沢山でこれはさすがに処分することもできず、妻に頼んでダンボール箱を用意してもらいその中へ入れて書棚の上へしまいました。暇が出来たらこの整理をと思うことの繰り返しがまた段ボール箱とは情けない話ながら、この使い道を何とか考えなければならないと思っています。

 一つの案は水平線の家の板張りの壁に貼り付ける方法です。そうすれば来た人が懐かしがって見てくれるかもしれません。先日逆手塾の下見にやって来た和田さんはこの板壁は落書き用にした方が楽しいと発案してくれたのですが、息子に大反対されそうなので今のところは思案中です。もう一つはオーソドックスながらスクラップブックにファイルして保存することです。これは暇さえあれば出来ることですが、今の私には板張りの壁に貼り付ける案が一番と考えています。

 もう一つこれまた膨大なビデオテープの処分です。今のところ煙会所の倉庫にしまっていますが、これも磁気テープなのでDVDにダビングするとなると、これまた専用の機械と手間が必要ななってきます。

 若い頃から青年団やまちづくりなど社会活動に携わってきた私には今のところ足跡は何も残っていませんが、記事のスクラップとビデオテープは何とか整理をしておかないといけないと思っています。この4・5日ブログにこんな心境の変化ばかしを書くものですから、読んだ人たちが心配して「若松さんの様子が少しおかしい」と話しているそうです。言われてみれば自分でもおかしいくらい身辺整理が必要だと思うようになっているのです。でも決して頭がいかれたわけではないので悪しからず・・・・・。

 もう一回運べば本の移転も終わります。三寒四温の季節のめぐりで、今日の暖かさと一変して明日は真冬並みの寒さと天気予報が入りました。風邪など引かれませんように。

  「長年の 新聞切り抜き スクラップ 捨てるは惜しい 再び箱に」

  「新聞や テレビ取材で 夕日売る 人のフンドシ 何度も使い」

  「人の目に ついて値打ちの ピーアール 板壁張って 読んでもらおか」

  「板壁に 落書きせよと 友が言う 俺は古いか それはどうにも」 

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shin-1さんの日記

○日本人の美学

 日本人の美学はあえて自己主張しないことを教えているように思います。様々な矛盾があっても文句を言わずただ黙っていることが美学とされてきました。私のように役場職員でありながら夕日などを地域資源にまちづくりをしてきた人間は、急激な変革を望まず安心安全を求める周りの人から標的にされ、私の自己主張は何度もその美学のために無視されました。無視されるだけならまだ堪えられますが、自己主張をしない鬱憤は「ひそひそ話」という噂話として暗黙の威圧をかけるのです。「あなたのことを思って言うのですが、みんながこんな噂をしよります」と、私を気遣って耳打ちしてくれるこの善人ぶった人に何人も出会ってきました。「みんなとは誰?」と問い返すと「噂だから」ととぼけるのですが、この「みんな」というのは自分の中で群集を味方に引き入れようとしているだけなのです。

 自己主張するときついです。言ったことはやらない訳にはいきませんので行動する、するとまたその行動を批判され結局は多少の失敗は「それ見たことか」「言わぬことではない」と増幅され立ち上がれなくするのです。

 欧米人のように小さいころから自己主張を学び納得できないことに対しては、相手にどんな権威があろうとも意見を言い、年齢に関係なく自分のライフスタイルを貫く姿は日本人には残念ながらありません。故に「丸く治める」という美学が失敗経験をしない人間を作っているのです。自己主張をしない人は自己活動をしない人に繋がります。何もしないから何も失敗をしない、遅れず慌てず休まず仕事せず辞めない、良い人と呼ばれる人が本当によい人なのでしょうか。

 最近「ガンと戦う」という本を読みました。昔のようにガンを本人に知らせない時代は終わりました。「がん告知」や「インフォームドコンセント」などが医学会で話題になっていますが、日本人の自己主張しない美学がガンをのさばらせているというのです。ある調査によるとガンを本人に知らせた時、①ガンに対し闘争心を持ち対応した人、②病気であるはずがないとはなから否定した人、③冷静に受け入れた人、④絶望感を持った人それぞれでしたが、生存率が最も高かったのは①の闘争心を持った人だったそうです。つまり自己主張しない日本人はガンに弱いという結論です。もう少し言いたいことをいう日本人になりたいものです。

  「ガン告知 されたら自分 どのタイプ 俺は①だと はっきり言える」

  「美学にも 色々あるが 陰口は 美学と言えぬ だから混乱」

  「何もせず 何も言わずに 人生を 終わるあなたで いいのでしょうか」

  「風なびく 柳の枝の 吹流し カエル飛びつく 俺もあのように」

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shin-1さんの日記

○「読めぬこと」はいいことなのでしょうか

 昨日の交流会で、佐賀関の渡辺さんが、「若松さんあなたのブログにはよくお父さんや奥さんが登場しますね」と言われてびっくりしました。そう言われたので直近の自分のブログを読んでみましたが、確かに親父や妻、それに孫までもが度々登場しているのです。私はハッと気付きました。親父も妻も孫もブログが読めないことを発見したのです。妻はその気になれば職場のパソコンを使えるので読めるかもしれないし、妻の仲間の中には私のブログを読んで感想を言う人もいますから、絶対読めないのは親父と孫くらい、いや孫も両親が殆どを読んでいるからまったく無縁は親父くらいなものでしょう。

 読まないということは何を書いてもいいと思う安心感が私の心にあったかも知れないと思うと、急に不安になってきました。元々妻を登場させることはしない考えでした。しかし私が出版した自著本の中にも僅か1.2度いい訳程度に登場した場面を見て友人が、「若松さん、あなたが今日あるのは奥さんのお陰ですからもっと奥さんのことを書かなくては」と不満の忠告を受けました。確かにそうだなと認めていたので、罪滅ぼしのつもりで書き始めたのですが、「どうせ妻は読まないだろう」と少々鷹を食っていたようです。

 妻が私のブログを全て読んだらどういう感想を持つでしょう。まず確率的に高いのは「お父さん私のことは恥ずかしから書かないで」と止められるでしょう。次に予想されるのは「朝早くから夜遅くまでパソコンの前に座って、手っきり仕事をしているのかと思っていたら、私のことを書くなんて、何でこんな恥ずかしいこと書いたの」でしょう。けなされても褒められることは絶対にないと思いました。挙句の果ては「消して」とか口を利かなくなる夫婦喧嘩のネタになりそうです。この上は親父も妻も孫も時効が成立するまでは読まないことを願っています。時効とは多分この記事を書く作業を当面の目標である1年、つまり今年の私の誕生日くらいまででしょうか。渡辺さんは私にいらぬことを気付かせました。でも渡辺さんの一言がなかったら親父も妻も孫も私の餌食になる所でした。少しだけ親父と妻と孫を意識した文章を書きますので許してください。

 自分のブログを読んで気がつくことがもう一つありました。それは私が昔(まだ一年なので昔といえるかどうか)勤めていた役所へのメッセージです。それは一市民の立場になって気付いた役所の非常識を常識という形で考えて欲しい、いわば「こうしたら市民が幸せになります」という提案なのです。この文章も時には辛辣に、時には優しく書いているのですが、情報のメッカといわれる役所なのに反応はまったくといってよいほどないのです。私はこのことそのものが非常識だと思っています。よく役所の偉い人はあいさつで「市民の声なき声に耳を傾け」なんて歯の浮くようなあいさつをしていますが、市民のブログは仕事中に盗み読みするくらいで、そのブログに書き込みなどしないのですからこれも困ったものです。まあ腹を立てる私が悪いと思って下さい。

  「ブログ読み 忠告意見 下さって なるほど感じる 今から直す」

  「読んだのに 読まないふりし やり過ごす これも問題 声は届かず」

  「このブログ 妻孫親父 読めぬのを 初めて意識 友の一言」

  「顔洗う 前に座って ブログ書く 私の日課 変化しました」 

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shin-1さんの日記

○今日は関アジ・関サバ食べたよ

 今日は友人の教育長就任祝賀会に出席するため西予市へ行って只今23時にわが家へ帰って来ました。私のように教育長を辞めた人もいれば、教育長になった人もいて、世の中は面白いものです。祝賀会といっても飲み友達だけのこじんまりした宴席でしたので、みんなワイワイガヤガヤやりました。

 その席に旧佐賀関町(現大分市)の友人渡辺さんがやって来ていました。彼とはまだ3度しか会っていませんがまるで古い古い仲間のように私のことも彼のこともお互いが理解しあったよき友人です。彼は私のブログの愛読者なので私の近況は私以上と思われるくらい、丹念に読み丹念に覚えているので多いに話が盛り上がりました。それは何といっても彼が発泡スチロールに入れて持って来たご存知関アジ・関サバのお陰かも知れません。東京で買ったら一匹1万円は下らないという関サバと関アジの刺身は、ブランド品だと心して食べるからかも知れませんが、油がのって口に入れるととろけるような味でした。私は魚所、しかも漁師の家に生まれたため、鯛などの高級魚をふんだんに食べて成長しました。ですから鯛などは別に珍しくもないのですが、サバやアジの方が性に合っているのか青魚が好物ですから、とにかくたらふく食べました。

 いつも新聞やテレビでしか関アジ・関サバは見ていないので「こんなに贅沢して良いのでしょうか」なんて言いながら箸を進めました。私は甘い刺身醤油が苦手です。というのも刺身醤油が勝ち過ぎて素材本来のアジを殺してしまうために、生醤油をお店にお願いして出してもらいました。勿論ワサビは付けず生姜を少し入れて食べました。歯ごたえも喉越しもこれに勝る素材はないと思いました。旧三崎町(現伊方町)の塩崎さんも同席して食べましたが、岬アジ・岬サバのブランドで対抗しているようですが、関物と味は変わらないものの、ブランド力の差はいかんともし難いようです。

 佐賀関も大分市と合併し、三崎町も伊方町と合併をして両町名の自治体は消えましたが、地域づくりの視点から考えると返す返すも残念でなりません。これも時の流れでしょうか。

 そうそう今日の会合で渡辺さんから提案がありました。私がブログの巻末に笑売啖呵を4首書いていますが、ずずらべったりで読みにくいと言われました。一つの提案として5・7・5・7・7の文字間を一文字空けるようにとのことです。私も最初は随分迷ったのですが、啖呵が泣き別れのように二段になるので今の体裁にしましたが、早速今夜の文章から手直ししてみようと思いました。これも関アジ・関・サバのDHAのお陰でしょうか。

  「同じ海 釣る人別なら 関と岬(はな) それでも値段 月とスッポン」

  「関サバの 刺身たらふく 食べました 友のお陰と 感謝をしつつ」

  「教育長 辞めた人あり するありて 辻褄合うから 世の中上手く」

  「心臓が 悪いというのに 酒タバコ 自制できない 早く死ぬかも」

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