shin-1さんの日記

○酒に音楽

 酒に音楽といえば殆どの人が酒を飲みながら音楽を楽しむことを連想するでしょうが、今日は酒の発酵に音楽を聞かせると言うお話です。今晩八幡浜の梅美人という銘柄の蔵元さんの酒蔵で酒宴が催されました。酒宴といってもその目的は酒蔵で酒を楽しみながら交流するという一風変わった会合です。仕込み用の大きな樽の蓋を利用したにわか設えのテーブルを囲んで酒瓶箱の上に腰掛けるといういたってシンプルなものです。でも料理は皿鉢料理に、蔵の珍しい酒がふんだんに並ぶとあって、酒通には堪えられないしつらえで、酒宴が始まりと今日の会合の目的なんかそっちのけでメートルを上げる人もいるほどでした。

 そもそも今日の集会はえひめ地域政策研究センターの主催する地域づくりコーディネーター養成講座の修了生がセンターの肝いりで始めたパソコンネットワークの呼びかけで企画されました。その講師を務めた岡崎さんや私たちもそのパソコンネットに参加させて貰っているのでお誘いに応じたのです。

 酒蔵の魅力は何といっても時代を超えた古風な歴史です。そして蔵を時空を越えて守り育ててきた蔵人の心意気、それに人の技で作られた酒の味です。これらが3拍子揃えば言うことはないのですが、昨今の日本酒業界はワインやビール、それに焼酎に押されて右肩下がりです。私の町の屋台骨のように街の中心にでんと座ってる酒蔵でさえ斜陽化の波に押し切られ、ついに酒造りを止めようとしているのです。残念でなりませんし、この酒蔵の持つ文化性をどうやって地域が理解すればよいのか、途方にくれるのが正直な気持ちでしょう。酒を飲まなくなった。酒が売れない。酒が売れないから作らない。酒が売れないのはワインやビールのせいだ。なんて言っても何の解決にもならないのです。

 そんな不況風が吹き荒れる中でも酒が売れている蔵元もあるようです。梅美人さんの諸施設は文化庁の指定文化財に登録されています。煙突も酒蔵も、本宅もその殆どが文化財なのです。そんな酒蔵に大きなホーロータンクが幾つも置かれている大きな部屋がありますが、その酒に最近はオペラのようなバリトンの音楽を聴かせています。酒の酵母は生き物ですから、その高低音声波長が酒に反応し美味しい酒ができるというのです。「本当に酒に音楽を聞かせたら美味しい酒になりますか」と尋ねたら社長は「今のところ音楽と酒の因果関係は科学的には説明ができません。でも音楽を聴かせた酒はまろやかになる」というのですから驚きです。その酒をみんな美味しいと言って飲んでいました。多分彼らの舌では分るはずがありません。サントリーレッドの安いウイスキーをオールドパーの瓶に入れて飲ませれば、美味しいという集団ですからね。この酒蔵で音楽会、この酒蔵で人形浄瑠璃と次々にアイディアが出てきました。でもそこで終わるのが普通ですが、この会はせめて一つでも実行に移したいものです。

 私は請われるままにハーモニカで5曲吹きました。多分私のハーモニカを聞いた酒樽では美味しい酒ができることでしょう。

  「仕込み酒 音楽聴いて いい酒に 私も聴いて いい人になる」

  「この家に 住み着く酵母 目に見えず 長い年月 この蔵守る」

  「蔵人は どこか気品が 漂って 言葉一つに 歴史の重み」

  「酒の元 井戸水飲んで 酔うたふり ハーモニカ吹き 得意満面」 

  

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○人間牧場に五右衛門風呂ついに完成

 今朝は松山に住む長男が午前7時にやって来ました。今日は五右衛門風呂完成の日です。私は宮崎県から燃える商望団が9時にやって来る約束なので私の日程に合わせて早起きと相成りました。早朝の空気はすがすがしく、山には椿や野の花が咲きウグイスも鳴いています。

 第二期工事である五右衛門風呂も以外と難工事でした。第一期工事で土台を作っていたので楽勝かと思われましたが、屋根を竹で葺くことや土止め工事や何やかにやで結局は今月末までかかってしまいました。今日は火入れをするとあって息子は藍染の「ゆ」と書いた暖簾まで用意するこだわりようで、「お父さん火入れを」と言われましたが、「お前が入れろ」と肩をも持ちました。簡易な五右衛門風呂ですから煙が充満したりしますが、それも野趣に富んでおり「さすが息子」の感じです。湯が沸くまでに下山したのでその後のことは分りませんでしたが、丁度昼時下山した息子のデジカメには一番風呂を気持ちよさそうに入る息子の姿が写っていました。人間牧場の水平線の家も来客たちは褒めてくれますが、多分この五右衛門風呂も水平線の家に負けないくらいの話題性があるようです。私も早速風呂のご馳走にあずかりたいものです。

 この五右衛門風呂の特徴は何といってもロケーションを独り占めしながらお風呂が楽しめることです。眼下に下灘の港が見え瀬戸内海の眺望が一望できるのです。この風呂はひょっとしたら男性専用ですかと聞かれるかもしれませんがご安心下さい。まるで隠れ風呂といわれるような仕掛けが随所に施されていて、板戸を締めれば密室、少しとを開けて尾用を楽しむこともできるのです。明日はあいにく島根県益田市の真砂公民館へお話しに行かなければなりませんし、この1週間は何かと野暮な用事がありますので、本格的に人間牧場へ行くのは4月からになる予定ですが、それまでに次の第三期工事である「ツリーハウス」の夢でも見てこきましょう。

 工事を担当した大工さんや左官さん、それに設計管理を担当した息子にお礼を言いたいものです。かくして私の夢は皆さんのご協力で少しずつ形になって現れ始めました。さあこれらを使って次なる夢を手に入れる努力をしようと固く心に誓いました。

  「念願の 五右衛門風呂が 完成し 一番風呂に 息子いい湯だ」

  「少しずつ 人間牧場  整って 風に誘われ 足繁通う」

  「風呂の次 今度は何を 作ろうか ツリーハウスの 夢を見てます」

  「人は来い 啄木鳥来るな 俺の家 人は来ぬとも 鳥は毎日」

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○ある友人の両親の死

 「もしもし若松さん。Kですが親父が急に亡くなりましたので今日の運営委員会には出席できなくなりました。誠に勝手ですが会を進めておいて下さい」「はいそれは大変でしょうが、こちらは心配要りませんので気を落とさないように」。予想もしなかった会議が始まる直前の携帯電話によるやり取りながら、電話の向こうのKさんのことを思うと「大変だろうなあ」と気遣わずにはいられませんでした。「葬式は何時何処で」と聞いてメモを取り会議終了後、気のあった仲間にそのことを告げました。しかし私たちのまちづくりに関わる運営委員会の仲間は全県に散らばっていて、しかも重要職についているものもおりスケジュールの都合で葬式への出席もままならない人もいました。当然私も広島で開催予定の重要な会議出席があり、不義理と思いつつも香典を仲間に託さざるを得ませんでした。明くる日が酉の日とかで地方の風習なのか葬儀は一日伸びたそうですが、無事葬儀も終えたのだろうと思っていました。

 「もしもし若松さん。Kですが先日は有難うございました」「いえいえ何かと大変だったでしょう」「若松さんにだけお知らせするのですが、今度はおふくろが亡くなりまして何と言ってよいか」「えっ今度はおふくろさんですか?」「はい続いてのことなので・・・」と絶句しました。「それは大変でしょうが葬儀の日取りは」「はい明日は友引なので明後日の同じ時時間に親父と同じ場所で」「そうですか、気を落とさないように」で電話を切りました。まるで嘘のような本当の話に私は耳を疑いましたが、葬儀の疲れなのか母親も夫の後を追うように心不全で亡くなったそうです。4・5日で二つも葬儀を出す息子の気持ちは当人でないと分るはずもありませんが、こうして大変な災難が急に降りかかることも現実にあるのです。

 Kさん夫婦は私たちが若い頃仲人をしているのですが、明くる日の葬儀に出張の都合で行けないため、息子の卒業式を終えてから妻を伴って夫婦でKさんのお家に弔問に訪れました。結婚式以来訪ねたことのないKさんの家をカーナビと記憶を頼りに探しながら行きました。玄関で迎えてくれたKさん姿は寂しく心なしかやつれているようにも見えましたが、弔問を済ませ元気を出すよう激励して分かれました。

 仲のよい夫婦が仲良く冥土へ旅立つのは美談としか言いようがありません。「もし許されるなら私たち夫婦もそうありたい」と妻はしきりに帰りの車の中で涙を流しながら話していました。でもそれは適わぬ夢かも知れませんが、せめてそんな相手を思いやる夫婦をこれからは目指したいものです。

  「父親の 後を追うよに 母親も 死んだと聞いて 深い悲しみ」

  「今頃は 冥土の旅を 二人連れ 許されるなら 俺ら夫婦も」

  「こんなこと 初めて坊さん 口にする それほど珍し 二人揃って」

  「酉の日に 葬式しない この地域 よくよく聞けば 舞い込まないよう」

 

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shin-1さんの日記

○卒業式に感激しました

 自分が退職したこの歳になると子どもたちもそれぞれ成長し、もう卒業式など縁遠いのかと思っていましたが、三男で末っ子の息子が一昨年の末、いきなり「警察官になりたい」と言い出し受験、応募者多数につき無理だと思って諦めていたのに本人努力の甲斐あって採用され、昨年10月警察学校に入校しました。以来約6ヶ月間の厳しい訓練を経てやっと今日卒業式を迎えました。今日は妻と二人で親馬鹿を決め込み卒業式に出かけましたが、普段はは滅多に見られない特色ある警察学校の卒業式を見せてもらい、感涙に目頭を熱くして帰りました。

 金モールの制服に制帽の出で立ちで式に臨んだ息子は、昨年の入校時とは比べ物にならないほどの成長していました。県警本部長や県公安委員長などテレビでしか見ることのない方々の前で、29人の巡査たちは実にきびきびした態度で卒業式をこなし、教官の先生たちとの別れのシーン、任地から迎えに来た車に乗ってそれぞれの任地へ赴く姿などは、県警音楽隊のBGMの効果もあって、まるで映画のワンシーンを見ているようでした。

 今回の卒業生は社会人枠とでもいうべき若者たちです。ですから大学を出て直ぐに入る人たちとは違って、何がしかの社会経験を持っています。いわば回り道をした人間の集まりです。ですから大学を出立てのような同一年齢ではなく応募資格ぎりぎりの30歳の若者もいるのです。異年齢集団とでもいうべきこの集団は就職経験が加算されるので、入校時点から給料もまちまちです。でもちゃんと月給を貰って勉強や訓練をするのですからこのくらい有難いことはありません。それでも給料の中から武道で選んだ剣道の道具は買わなければならないし制服も自前だそうです。でも集団宿泊訓練なのでお金を使う暇もなく、貯金は増える一方とか聞きました。剣道をやったことのない息子はこの半年間で初段を取得し、6ヶ月間で数百キロのランニングノルマもクリアして目出度く卒業と相成りました。

 兵役のないわが国では、こうした国益にかなう訓練は自衛隊や警察、消防や保安庁など一部を除けばありませんが、20代のこの時期に、こうした訓練を受け、その訓練に耐えた息子に心からなる大きな拍手を送ってやりたいものです。普通だと今日は卒業式だからゆっくりとするのでしょうが、警察手帳を胸に、拳銃、警棒、手錠を腰に任地へ赴きました。多分今頃は上司から細かい指示を受け交番でお巡りさんの仕事に着くことでしょう。頑張れ息子よ。

  「警官に なりたい夢を 捨てきれず 一念発起 今日から任地」

  「末っ子と ばかり思った わが息子 凛々しくなりて 輝き見える」

  「警官に なった息子が ブレーキを 踏んだ錯覚 安全運転」

  「開花した その日に卒業 いみじくも 咲いた頃には 次の任地で」  

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shin-1さんの日記

○木の名刺入れ

 私が木になるカバンと呼んで持ち歩いている姿は、このブログの愛読者の皆さんの殆どがご承知だと思うのですが、皆さんの知らない持ち物がもう一つあります。それは木でできた名刺入れなのです。機のカバンでさえ奇妙に感じるのに木の名刺入れとはお思いでしょうが、これが中々おしゃれなのです。私は名刺入れを3個持っています。一つは従来から持っている皮の名刺入れ、これはもうすっかりくたびれてお払い箱って感じで、余程のことがないと使いません。今使っているのはコカコーラ環境教育賞とう賞を頂いた時に、全日空ホテルで祝賀会を開いて頂きました。その折に貰ったものなのですがこれが中々高価なもので、長年使っていますが気に入っています。

 さて本日公開する木になる名刺入れは木でできています。難点を言えば名刺が余り入らないので普通は木になるカバンの中に忍ばせて持ち歩いています。この名刺入れは双海町で製材業を営む私の従兄弟の西下芳雄さんから頂いたものです。西下さんにはまちづくり草創期に随分お世話になりましたし、今も私のよき理解者です。私が現在使っている木になるカバンも実は西下さんの息子、つまり共栄木材の若い社長さんから譲り受けた3代目のカバンなのです。

 先日東京で観光カリスマ百選の会合に出席したとき、木になるカバンとセットで木になる名刺入れをお披露目しましたが、全国の仕掛け人の注目を集めました。ざまあ見ろって感じで一泡吹かせたのです。ところが懇親会が終わってホテルへ帰ってポケットや木になるカバンの中を探しましたが、何処へ置き忘れたのか紛失してしまったのです。仕方なく諦めていましたら、名刺入れの裏に「若松進一」と書いた千社札を張っていましたので、主催者がわざわざ送り返してくれました。感謝感謝でした。私のパフォーマンスはふるさとを売る、この一転に凝縮されています。夕日も私もふるさとを売るための道具なのです。

 かくして私の木になるカバンと木なる名刺入れはセットでまた新しい話題を提供するでしょうが、嫌がらずとお付き合い下さい。昨日ある人から電話がありました。「あのカバンと名刺入れは何処に行ったら手に入るのか」と。私は言いました。「あんたのようなシティボーイには木になるカバンも木になる名刺入れも似合いません。あれは私のようなカントリーボーイだから似合うのです」。納得して電話を切りました。彼は本当に自分が格好よいシティボーイと思ったのでしょうか。馬鹿たれが・・・。

  「木のカバン 持って歩いて 十五年 今ではすっかり 体の一部に」

  「木でできた 名刺入れ持ち 家を出る 今日も何だか いいことありそう」

  「千社札 貼ったお陰で 持ち主に 届いた名刺入れ これから大事に」

  「十枚か 入らぬ名刺 だからこそ 大事に配る 気遣いせねば」

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shin-1さんの日記

○運が付くか運の尽きか

 今年の冬は寒かった双海町の海にもやっと春が訪れ、昨日の海は鏡のように凪いで穏やかでした。この頃になると水ぬるむという表現がピッタリのように、海岸のあちこちではワカメを獲ったりする人が磯遊びに興じていました。冬を絶えたカモメの群れも長閑に高く低く跳んで、春の海の演出に一役といったところです。

 久しぶりに内子町の大御所岡田さんが宇和島の藤田圭子女史を伴って人間牧場へやって来ました。昨夜来の雨上がりで自慢の瀬戸内海遠望は見せれなかったのですが、それでも春霞に煙る海や山を見て納得した様子でした。藤田圭子女史は目出度く早稲田大学を卒業らしく新聞社への就職も決まって、内子町や水ガ浦をテーマに書いた卒業論文まで持参してくれました。4年前にお父さんに連れられて我が家にやって来たあどけない少女の面影は消えて、すっかりいい女になっていました。私は若い女性の顔を忘れる癖があり、かつて見合いをしたわが妻の顔を忘れていたように、先日のサロンで会ったにもかかわらず忘れていたのお断りをしました。

 潮路という食事処で食事をする事になりお店へ立ち寄りましたが、そのお店の国道を挟んだ防波堤の上にカモメが群がっていました。潮路の大将がカモメの餌付けをしているのです。真赤な足に白い羽毛のカモメは愛くるしく小まめに餌を啄ばんでいましたが、驚いた事にカモメに混じって黒いカラスが数羽餌をあさりにやってきてきました。カモメとカラスの壮絶な餌の奪い合いです。多勢に無勢とでも言うのでしょうか、海は俺たちの縄張りと言わんばかりにカモメに軍配が上がっていたように思いました。

 ふと数年前のことを思い出しました。私たちがまちづくりを始めた草創の頃、このカモメを餌付けできないか真剣に考え行動したのです。最初は魚で餌付けを試みましたが、結局は餌代が高くつきタダのテンカスとパンの耳で餌付けに成功したのです。ところが漁師さんから苦情がありました。餌付けしたカモメが停泊している船の上に糞をひり、運(ウンコ)の尽きだというのです。私はその漁師さんに運が付くかもしれないと説得しました。その漁師さんは笑いながら漁に出ましたが、その日のサワラ漁で大儲けをして喜ばれ、お礼にサワラの大きいやつをいただいたという逸話です。しゃれにもならない話ですが、カモメを見る度に懐かしく思い出されます。

  「カモメ見て 運の話を 思い出す 若気の至り 楽しかったな」

  「この海は 俺の縄張り 言うように カラスと喧嘩 カモメ軍配」

  「春霞 長閑な海の その向こう 凝視をするも 島山見えず」

  「あのカモメ どうして冬を 越したやら 春を喜び 高低飛んで」 

 

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shin-1さんの日記

○女性とアリは甘いものがお好き

 今日ある女性と二人で喫茶店へ入りました。甘いBGMの音楽が流れ雰囲気は最高です。窓辺の席に相対して座り、「いらっしゃいませ」とウェイターの女性がウォーターを運んできて「何にいたしましょう」と聞くのです。普通だとここで格好よく「コーヒー」なんて言うのでしょうが、私はあいにくコーヒーが飲めないのでホットミルクを注文しました。相手の女性はコーヒーと思いきやケーキとレモンティを註文しました。お互いが上目使いに顔を見合わせ、しばらく沈黙の時間が過ぎて行きました。

 「こんなドラマのシーンだったら最高だろうなあ」とうっとりしていたら、「お父さんミルクが来たよ」でわれに帰りました。「おいさっきお昼ご飯を食べたばかりじゃろうが。ケーキなんか註文して食べれるのか」私が聞くと妻は「ケーキは別腹、ここのケーキは美味しいのよ。お父さんもどう」。運ばれてきたケーキをさも幸せそうに食べる妻を見て、「太る原因が分った」というと、「せっかくのケーキが不味くなるじゃないの。食べるときぐらい太るなんて禁句を言わないで」と文句を言いながらただ黙々と食べるのです。

 私は妻の食べっぷりを見て、「ひょっとしたら妻の先祖はアリではないのか」と疑いました。妻は実によく働きます。妻・女・女性・母・嫁・祖母などを全てをこなしていますが、コツコツ働く姿も何とはなしにありに似ています。一昨日孫がやって来て寝る前にせがまれて「こぶとりじいさん」と「アリとキリギリス」の二冊の本を読んでやりました。「こぶとりじいさんの話が終わると孫が「このおじいさんは誰」と聞くのです。私は妻を思い出しふと「こぶとりじいいさん」を「小太りばあさんにしてもう一度読み聞かせることにしました。また「アリとキリギリス」はアリを妻に見立てアドリブ創作で読み聞かせてやりました。孫は大はしゃぎ笑い転げながら話を聞いてくれました。まさに妻が小太り、妻が働きアリでした。

 20分後喫茶店を出ましたが、妻は満足そうな顔をしていました。多分明日はまた1グラム体重が増えている事に今は気付いていないようです。

 ところでアリは偉いものです。実はありの実験と言うのがあって、砂糖を使ったケーキと、人口甘味料で甘くしたお菓子をありの近くに置くとどうなるかという実験です。質問は①どちらもアリが群がる、②砂糖を使ったケーキに群がる、③人口甘味料を使ったお菓子に集まる。④どちらも集まらない、さて正解はと聞かれたらあなたはどんな答えを出すでしょう。正解は②の砂糖を使ったケーキで、③の人口甘味料を使ったケーキには群がらないというのです。何故なのかはアリに聞いても教えてくれないそうですが、人間の考えるには天然甘味料にはカロリーが多く、人口甘味料は刈りリーがないから群がらないのです。アリは本能で動く動物です。アリさんは私の妻よりい偉い。何故なら甘みのカロリー計算をちゃんとやっているのです。

  「アリですら カロリー計算 ちゃんとして サッカリンなど 見向きもせずに」

  「アリよりも 知能指数の 劣る妻 さっき食べたの 明日増えてる」

  「食べて肥え 食べずに痩せて 帳尻が 合うもスカート 何故だか合わぬ」

  「せっかくの 喫茶雰囲気 台無しに 体のことなど 言わなきゃよかった」 

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shin-1さんの日記

○ご存知でしたか

 3月3日は上巳、5月5日は端午、7月7日は七夕と、どの日も旧暦では季節の変わり目にあたります。中国から伝わった5節句に数えられるこの日は、古くから厄払いなどをして大切にした由緒ある日だそうですが、今は左程のこともなく今年の3月3日がそうであったように通り過ぎて行きます。月と日が同じでいわばゾロ目の日なので、3時33分など時間を組み合わせて意義ある日にしようと企てる人もいるようです。

 ところが驚いた事にこの日が何と毎年同じ曜日であるということを知っている人は少ないと思うのです。「本当かな?」とカレンダーや手帳を繰って見るとあらまあ、不思議や不思議本当にこの日は同じ曜日なのです。ちなみに今年の場合は3月3日、5月5日、7月7日全てが金曜日なのです。

 「ちょっと待って、閏年の日はどうなるの」なんて質問が出そうですがご安心下さい。閏年でもちゃんと同じになるのです。

 一月1日から換算すると3月3日は62日目、5月5日は125日目、7月7日は188日目です。この数字はみんな1週間の数字である7で割ると余りが6になります。だから必ず同じ曜日になるという計算が成り立つ

のです。それが閏年であっても全ての日が2月末日より後の日だから同じ曜日と決まるのです。

 まあこの話は信じ難い話でしょうから是非自分の目と計算で確かめてから人には話をしないと、説明ができなくて恥をかくことになりますのでよくよく気をつけてください。

 こんな単純な話ではなくもっと面白い数字の魔術を教えましょう。これは私と永六輔さんがNHKのBSで「夕日を見ない子どもたちへのメッセージ」と題したテレビ番組に出た時のことでした。双海町のシーサイド公園の海岸で福本夏芽さんと魚見真理さんに永六輔さんがある数字を思ってください。その数字に1を+してください。その数字に2を×て下さい。そしてその数字に4を+してください。その数字を2で÷てください。そしてその数字から最初思った数字-してください。はいその答えは3ですとズバリ当てたのです。二人の女性は永六輔さんの知恵に感心しました。永さんはその後食事をしながらわたしにそっとこの方程式を教えてくれたのです。でも偉いでしょう。私だってもう6年も前の数字と数式を覚えているのですから・・・・。

 この計算式は最初に思った数字をXとして方程式を作れば直ぐに分る仕組みになっています。若い女性は「えーっ、何故」ってな事になって、その人の知的能力の凄さにひれ伏すのです。私もやってみましたが答えは必ず3になりますから一度お試し下さい。

 数学は仕組みさえ分れば簡単で、むしろ国語の方が難しいと言います。でも国語的な私としてはやはり数学は難しいですね。

  「知らぬ知恵 教わり使うと 人たまげ 利口な人だと 感心鼻高」

  「3・3と 5・57・7 皆同じ 曜日になるとは 誰が見つけた」

  「あのですね 知識と知恵は違います 知っているだけ それは知識だ」

  「あんたブス 言われ腹たて 謝った 世辞でも本当 言うんじゃないよ」

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shin-1さんの日記

○宅配新聞

 先日のブログで「新聞を買いに行って新聞の値段の高さに驚きました」と書いたら、「えっ、新聞ってそんんなにするの」と改めて新聞の値段の高さに驚いた意見やメールが沢山寄せられました。私だって今朝妻に「おい、新聞の一ヶ月の購読料なんばだ」と尋ね、「また藪から棒にどうしたの。3000円です。男の人はいいわねえ。新聞の購読料も知らないで日々が暮らせるのだから」とひねくらられました。「聞くんじゃなかった」と後悔しましたが、言われるとおり新聞の購読料も知らずに暮らしているのです」。この3000円を単純に30日で割ると一日一部の購読料が100円です。「えっ」と不思議に思いました。だって毎日の新聞は毎朝新聞少年によってわざわざ宅配してもらうのに100円、私がわざわざコンビニに買いに行った朝日新聞が130円なのです。この30円の差は何なのだろうと思ったんです。「お前それも分らないのか、ようそんな事を考える暇があるなあ」と馬鹿にされるのが落ちなのでこの辺で止めますが、それにしても「買いに行く。安いはずなのになあ」。あー止めた。眠れなくなりそうです。

 私たちの暮らしはリズムの中で成り立っています。水も水道も、テレビの受信も、インターネットの交信も人が直接持って来ないものだから、宅配していることにはまったく気付いていません。ところが新聞や牛乳は人が直接宅配してくれるので実感はしますが、それとて私たちが眠っている早朝6時頃に届くものですから当たり前のように受け取り利用してるのです。

 新聞の定期購読は新聞社にとってみれば契約によって発行部数が確保できるという点でのメリットがあります。これが今日は要らない、今日は要るなんてことになったらそれこそパニックになってしまうのです。言い換えれば一部30円の差額は安心料とでもいえるでしょう。しかし最近の新聞には頼みもしない広告がやたらと入っていて、特に人が動くこの季節はそれはひどいもので、新聞の重さより広告の方がはるかに重いのです。ある一人暮らしの老人が新聞の広告などの紙ごみが多くて困るからと、広告無縁宣言をしに販売店へお願いに行ったそうです。そりゅあそうでしょう。車に乗って買い物にも出かけられないその老人にとって見たら新聞広告などただの紙ごみなのです。私はこのおじいちゃんは偉いと思いました。おじいちゃんの行動の落ちは「あの広告分だけ新聞代を差し引いてくれ」と言ったそうです。

 困り果てた販売店の人は、「あれはタダで入れているので新聞代はまかりません。もし広告が必要でないのなら入れませんが」と言ったら「タダじゃあ文句は言えないな」と引き下がったそうです。もし私だったら「タダなら余計要らないものは要らない」と開き直っているのでしょうが、新聞販売店にとってこの折り込みチラシが一部1円とか5円の収入になるのですから、折込みチラシを否定されるとそれこそ死活問題になるのです。折り込みチラシと新聞広告は知らず知らずのうちに人々の暮らしの中に溶け込んでいるようです。

  「新聞は 取るといったが 広告は 要りませんから まけてくれとは」

  「広告も 毎日こまめに 見ていると 暮らしの知恵が 隠されている」

  「新聞は 高いようでも 安いもの 高いと思う 読み方足らない」

  「宅配は 荷物とばかり 思ってた 新聞牛乳 水も電気も」

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shin-1さんの日記

○男と女の区別がつかない

 芸能界にカバちゃんや三輪明宏、美川憲一などの男が女のような格好をして登場し始めてから、世の中は「この人女?、それとも男?」と首をひねる時があります。今は性転換手術などが可能となったし、結婚すれば男性の姓を名乗ることが普通だと思っていたことだって夫婦別姓が認められ、その傾向は益々顕著になってきました。

 普通男性と女性は骨格の違いから見ただけで「ああの人は男」と見分けが付くものですが、最近の若い男性が労働やスポーツで鍛えることもなしに社会に出てくるものですから、「えっあんた男?」といえるような色の白い男性に出会うのです。しかもその男性諸君がイヤリングやお化粧をしていると、もうこれは男性の女性化としか言いようがないのです。

 昨日も男性と女性の見分け方について話に花が咲きました。ある人が「そりゃあ簡単ですよ。上の出ているのが女性、下が出ているのが男性さ」と会場を笑いの渦に巻き込みました。するとある男性が「でも女性だからってペチャパイの人だっているし・・・・」と、会場の特定の女性にみんなの目がそれとはなしに集中し益々エスカレート、「これってセクハラじゃない」と同席女性の一言で会場に衝撃が走り、先ほどまでの議論が何だったのかと思わせるようにすっかり白けてしまいました。

 神様はこの世の中に男性と女性を作りました。しかし世の中には自分が男性であること、女性であることにコンプレックスを持ったり満足せず、異性への憧れを抱いている人が少なからずいるのです。まあそれはそれとして人間の自由ですからとがめるつもりもありませんが、男女の区別と言う人間の基本的な部分の混乱は同性愛などに発展し、永遠の課題として人間のある限り続くものと思われます。

 最近発見したことなのですが、そういえば女性は赤味を帯びた口紅を塗っています。口紅は書いて字の如く紅赤なのですが、口紅ならぬ黒紅もあるので一概には言えません。しかし女性が赤い口紅を塗ることには奥深い訳があるのです。子どもの頃修学旅行でお猿さんで有名な別府の高崎山へ行きました。その時雌猿のお尻が赤いのを見ました。雌猿は発情するとこの赤いお尻を更に赤くして雄を呼び寄せ交尾すると言うのです。「雌は性的に興奮すると性器が大きく膨らんで充血して赤くなり、顔もほんのり赤くなります」なんてことを私たち小学生に飼育係の人は詳しく話してはくれませんでした。でも実は人間の女性もちゃんと雄にサインを送る方法を持ち合わせているのです。その場所は唇で、性的に興奮すると女性の唇は赤味を増して膨れるののだそうです。女性は興奮すると女性ホルモンの代表格であるエストロゲンが働き出します。エストロゲンは発情ホルモンで性欲を起す主要な働きをします。

 町中で、口紅をまるで唐辛子のように真赤に塗った超ド派手な女性を見かけることがありますが、これは猿の世界でいうと「私は発情してます。男性の皆さんいらっしゃい」と言ってるようなものです。はいこれは猿の世界の話です。

  「色白の 瓜顔見れば 女性だと 思うは常識 それ非常識」

  「口紅を 真赤に塗る人 ご用心 猿の世界じゃ 発情信号」

  「そういえば いやちょい待って この人は はてはてどちら うーん分らぬ」

  「この性に 生まれてよかった 思わねば 次に進めぬ 人の愚かさ」  

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