shin-1さんの日記

○運が付くか運の尽きか

 今年の冬は寒かった双海町の海にもやっと春が訪れ、昨日の海は鏡のように凪いで穏やかでした。この頃になると水ぬるむという表現がピッタリのように、海岸のあちこちではワカメを獲ったりする人が磯遊びに興じていました。冬を絶えたカモメの群れも長閑に高く低く跳んで、春の海の演出に一役といったところです。

 久しぶりに内子町の大御所岡田さんが宇和島の藤田圭子女史を伴って人間牧場へやって来ました。昨夜来の雨上がりで自慢の瀬戸内海遠望は見せれなかったのですが、それでも春霞に煙る海や山を見て納得した様子でした。藤田圭子女史は目出度く早稲田大学を卒業らしく新聞社への就職も決まって、内子町や水ガ浦をテーマに書いた卒業論文まで持参してくれました。4年前にお父さんに連れられて我が家にやって来たあどけない少女の面影は消えて、すっかりいい女になっていました。私は若い女性の顔を忘れる癖があり、かつて見合いをしたわが妻の顔を忘れていたように、先日のサロンで会ったにもかかわらず忘れていたのお断りをしました。

 潮路という食事処で食事をする事になりお店へ立ち寄りましたが、そのお店の国道を挟んだ防波堤の上にカモメが群がっていました。潮路の大将がカモメの餌付けをしているのです。真赤な足に白い羽毛のカモメは愛くるしく小まめに餌を啄ばんでいましたが、驚いた事にカモメに混じって黒いカラスが数羽餌をあさりにやってきてきました。カモメとカラスの壮絶な餌の奪い合いです。多勢に無勢とでも言うのでしょうか、海は俺たちの縄張りと言わんばかりにカモメに軍配が上がっていたように思いました。

 ふと数年前のことを思い出しました。私たちがまちづくりを始めた草創の頃、このカモメを餌付けできないか真剣に考え行動したのです。最初は魚で餌付けを試みましたが、結局は餌代が高くつきタダのテンカスとパンの耳で餌付けに成功したのです。ところが漁師さんから苦情がありました。餌付けしたカモメが停泊している船の上に糞をひり、運(ウンコ)の尽きだというのです。私はその漁師さんに運が付くかもしれないと説得しました。その漁師さんは笑いながら漁に出ましたが、その日のサワラ漁で大儲けをして喜ばれ、お礼にサワラの大きいやつをいただいたという逸話です。しゃれにもならない話ですが、カモメを見る度に懐かしく思い出されます。

  「カモメ見て 運の話を 思い出す 若気の至り 楽しかったな」

  「この海は 俺の縄張り 言うように カラスと喧嘩 カモメ軍配」

  「春霞 長閑な海の その向こう 凝視をするも 島山見えず」

  「あのカモメ どうして冬を 越したやら 春を喜び 高低飛んで」 

 

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