shin-1さんの日記

○捨てる勇気

 61年間も生きていると、身の回りには病気や贅肉も含め色々なものが蓄積されています。勿論その中には長い時間をかけて培った人間関係や財産までも含まれているのですが、人間は得てして苦労をして手に入れたものは捨て難く、むしろ守ろうとするものです。それは動物的本能と呼ぶもので、動物が自分の産み育てた子供を外的から守ろうとする仕草や手に入れた獲物を相手に取られないように囲い込むことも動物本来のDNAがなすことなのでしょう。動物の一種である人間もこれと同じような行動をとるのは、天下りしてなお現職の頃の影響力を誇示しようとするお役人の姿を見れば明らかで、私たちの目から見ると哀れすら感じます。

 「捨てる勇気」は中々持てないものです。役職も権力もそれなりの魅力があって、ひれ伏すような態度をとる周りの状況に慣れてくるとその快感が増幅し、次第に胸を張る人を私は何人も見てきました。「あんな人にはなりたくない」と思っていても、いざ自分がその地位になりと同じような行動をとるのも悲しいかな人間の嵯峨なのでしょう。

 このところ毎日のように地元新聞では○○市人事異動の名前がこれでもかと言わんばかりに新聞紙上を賑わせています。役所に勤めた経験のある私のような者は虫眼鏡を片手に詳しく人の異動を目で追うのですが、普通の人にとってはなんら関係のないこれらの異動をこうも大きく取り扱う必要があるのか、疑問を感じずにはいられません。普通の考えだと「よくもこんなことで新聞を買ってもらうな」「もっと載せることがあるのでは」「新聞をつくる人の怠慢では」なんて勘ぐるのです。これは明らかに新聞の馴れ合いで、前例踏襲、「捨てる勇気」がないからだと思います。

 かく言う私だって「捨てる勇気」を持つには大変苦労しました。自分がつくったと自負する「夕日」などは、自負や想いの丈が高いだけに常に未練がつきまとい、さいなまれたりもしました。でも「捨てる勇気」を持とうと努力したお陰で随分楽になり、今では捨てた身軽さが新たなチャレンジへと変化して充実した人生を送っています。

 世の中にはたとえそれが煩わしくても家族のように捨ててはならないものもいっぱいあります。「捨てる勇気」には「捨てるものの見極め」が必要なのです。捨ててから「しもうた。捨てるんではなかった」t悔やむものもたくさんあります。でもその時は違う拾い方をして大事に育てればよいのです。

 捨てて捨てて捨てまくったこの一年、さて私には何が残っているのでしょうか。残った捨て難きものの発見もまた意味があるのかも知れません。世の中は+か-、白か黒、入力と出力、絶えずバランスを保つように出来ています。捨てた分だけ入力の容量が増えました。さあどんどん入力します。

  「捨てた分 入る容量 増えました 退職区切り つけて新鮮」

  「前例が 無駄な結果を 生んでいる 気がつき直せ 勇気ふるって」

  「地元紙の エゴがそこここ 見え隠れ これも大事と 見栄を張るけど」

  「捨ててみて 気付く値打ちは こんなもの いいじゃないかよ 素顔で生きろ」 

  

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○桜の足踏み

 数日前に開花宣言が出された桜ですが、私の町の桜は県下の開花速報に比べると毎年4~5日遅れて咲くようです。毎年「何でだろう」と考える私の浅知恵によると私たちの町は海に面していて、冬になると北西の季節風が吹くのです。この風は半端ではなく松山などへ行くとそよ風程度だのに、双海町へ帰ってみると木々を揺らすほどの風が吹いているのを何度も経験しました。多分東シナ海の風が関門海峡を越えて周防灘、伊予灘と通りながら増幅するのではないかと思われます。この季節風が桜の樹に当り花芽の殻を乾燥させて硬くする桜の冬眠本能なのでしょう。

 昨日松山へ行ったついでに温泉につかりました。温泉はあちらこちらの人が集まりますので、やれ宇和島の桜は満開だとか、松山道後はまだ三分咲きだとか話のネタは桜と甲子園で開かれている高校野球に集中しているようです。

 昨日は昼頃から寒気が流れ込んで日本列島も大荒れ、和歌山県では竜巻が発生し雹まで降ったそうです。東北や北海道は冬に逆戻りして雪が舞っているそうです。海岸の国道沿いに植えられている桜も、やっと冬篭りから目覚めて咲き始めたというのにまるでブルブル震えているように見えました。でも咲き始めると桜は枯れ木に花が咲くという表現がピッタリで一気に花を咲かせます。満開も時間の問題でお節句には綺麗な花の下で花見ができることでしょう。昨年までは桜が咲く季節の移ろいなど忙しくて何処吹く風でしたが、今年は行く春をしっかりと体感したいと密かに思っています。ですから桜の足踏みもさして気にならずむしろ楽しいのです。

 昨日の午前中、地域政策センターの鵜野さんが転任のあいさつ代わりに人間牧場へやって来ました。スライドする窓を開け心地よい風を受けながら二人で2時間程四方山話に花を咲かせました。私設公民館「煙会所」を使っての三十年が終わり、人間牧場の「水平線の家」へのバトンタッチは私自身への挑戦であることや、人間牧場の夢など他愛のない話でしたが、彼の人生もまた私がそうであったように、自分探しの旅ではないかと思いました。彼は本を3冊持参していました。多分水平線の家で読書をしたかったのだろうと思いますが、私の日程の都合でそれも適わず下界に下りて食事を済ませて帰って行きました。僅か2年間で四国中央市へ帰り市の広報を担当するそうです。忙しい仕事が彼を待ち受けていると思いますが、自分を見失うことなく2年間の成果を発揮していい仕事をして欲しいと願っています。

  「風に揺れ 寒そう桜 二三輪 間もなく花の 衣まといぬ」

  「去る人の 背中に受けし 春の風 優しく撫でて 通り過ぎゆく」

  「この花を 六十一回 見て過ごす 後何回か 指折り数え」

  「お茶請けに ピンク可愛いや 桜餅 花より団子 ホーホケキョ」  

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○まるでお仕置き部屋

 今日出張先から帰ると妻が「お父さん、息子が貰ってきた家庭用サウナ風呂の試運転をしよう」と言うのです。私は講演や宴会、それに帰ってから明日の自治会の総会に備え資料の印刷と、とても慌しい一日だったので、「次にしよう」と断りましたが、どうも次男が私たちがいない間に抜け駆けをしたらしく、妻に「お母さん案外このサウナ気持ちがいいよ」と勧めたらしいのです。妻は先日の友人との北海道旅行で、食べては寝る遊びで2キロ増となったのが余程気になるらしく、さっさとサウナ風呂に電気をつけて入ってしまいました。このサウナには小さな窓が付いていて、窓から覗くと中が分るのですが、外見はまるでお仕置き部屋か独房といった感じで思わず噴出してしまいました。シャツを着て入るので妻のグロテスクな容姿は全然気にもならないのですが、外から「どうだ気分は」と声を掛けると、「お父さんこれは気持ちがいいわい」とべた褒めです。このサウナを息子が貰ってきて家の中へ入れると言った時には、「電気代がいる」だの、「家の中が狭くなる」だのと散々御託を並べていたのですから、どういう心境の変化でしょうか。

 結局「せっかく温度が上がっているのだからあなたも入りなさい」と電気代の節約という言い訳で、私もランニングとパンツという出で立ちにさせられ中に入る羽目になったのです。畳半畳の中の温度計は55度とかなり低めです。ですが妻の入った後だけに僅か8分しかもたずに汗をいっぱいかいて風呂に入りました。「どうお父さん。気持ちいいでしょう」と早くも妻はとりこになった雰囲気でした。やれやれこれからが大変です。

 私の発案でこれからサウナを利用する人(家族)は一回100円をサウナに用意した貯金箱に入れる事にしました。これが今日からサウナの電気代になるという計算です。はたしてどの程度電気代がかさむか、家庭の台所をきりもみしている妻としてはそのことが気にかかるようです。

 早速息子に電話をかけました。「お父さんとお母さんがサウナに入ったのだが、とても気持ちがいい」との報告です。息子は得意満面で「そりゃ麻生よ。僕が貰ったのだから」でした。息子は先日山の五右衛門風呂にも入ったし、今度わが家へ帰ったときは自分も入るからと電話を切りました。ああ似たもの親子の平和で長閑な会話です。

  「友だちが くれたサウナで 汗をかき 痩せたつもりの 妻は鼻歌」

  「サウナ入る 一回百円 小銭入れ 電気代だと 殊勝な考え」

  「窓越しに 妻の容姿に 汗光る ムラムラするより 少しげっそり」

  「わが家では 健康一番 銭二番 三番息子 早く自立を」

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○自分の脳の活性化法

 人間には様々な能力が潜んでいます。体内で増殖するガンなどもマイナス部分ではあってもある意味での能力だし、私のようにチエンソーで足を切っても自然治癒力に助けられてほぼ元通りに直るのですから凄いと思います。またレントゲンや脳波の検査でも絶対表現できない思考能力など、実に様々な能力があるにもかかわらずその備え付けの能力に気付かぬまま日々の暮らしを営んでいます。

 私のような浅知恵で考えるのですから大したことはありませんが、成功者と失敗者の差は何かと、失敗する度に考えます。私の場合は公務員であったにもかかわらず随分発想を広げその実践をしてきたつもりなのですが、それゆえに成功と失敗を何度も繰り返してきました。

 私が夕日に着目してそれを成功に導いた話を例に考えてみると、私の体内には子どもの頃から見ていた漁村の夕日、宇和島水産高校の練習船愛媛丸で見た夕日、青年の船で旅して見た夕日など様々な夕日にまつわる意識が存在していました。そのことに気付かせてくれたのは、NHKのカメラマンでした。『ここの夕日は綺麗」と言った一言で潜在能力に気がついたのです。

 でもここまでだと普通の人です。私はこれを町の地域資源ととらえ雄飛を売り出すことを考えました。ここまで考えるのも普通の人です。さあこれを夕焼けコンサートに仕組もうと考えた時、私の心に「失敗したらどうしよう」というベーター波が生まれます。このベーター波をアルファー波という実践に移すには私の心の縛りとでもいえるメンタルブロック蓋があるのです。このメンタルブロックを取り除くことこそ成功への第一歩なのです。

 私はこのメンタルブロックなる潜在能力と顕在能力の間にある蓋の存在に気付き始め、そのメンタルブロックを取り外すことに挑んだのです。かくしてメンタルブロックは取り除かれ、コンサートは大成功を収めました。

 誰の体内にも存在するメンタルブロックを取り除くアルファー波は正直いって日ごろの訓練がなければ体内から出てきません。私はこの訓練のために本を読み、人の話を聞き、知らない所を見る訓練、文字を書き、人の前で話し、様々な実践をするという訓練もしています。でももっと大事な脳の訓練はいかに早く本を読み、いかに早く人の話を聞き、いかに早く見るか、またいかに早く文字を書き、いかに早く喋り、いかに早く実践するかといったトレーニングが必要なのです。

 田舎はスローライフの世界です。またつい最近はユックリズムなる風潮が田舎にも広がりつつあります。それはそれとして結構な運動なのですが、自分の脳を活性化させていくためには「早さ」という訓練なしではでき得ないのです。最近流行り始めた速読・速聴なる流れはまさに私が実践している脳波活性化の、あるいは成功に導く第一歩なのです。

 私たちは原点回帰の癖があります。20年前を懐かしむのもそのためです。原点回帰でゆっくり暮らすと多分ベーター波が脳を支配sるようになります。アルハー波が脳を支配しなければ生きることの意味さえも分らず生きる危険性があるのです。

 赤トンボや夕焼け小焼け、ふるさとといった昔懐かしい歌だけを聴いているとベーター派に脳が支配されます。ビートの効いた若者の音楽を聴くと多分頭が錯覚混乱します。でも聴き続けると体がリズムに乗って動き出します。これこそアルファー波が生まれた瞬間なのです。

 今朝はこ難しい話を書きましたが、一度立ちどまって考えてみてください。

  「ベーターを アルファーに変え 生きてみる 脳が元気に 成功導く」

  「ゆっくりと 生きてる人は ボケてゆく 速度が速く そのうち認知に」

  「若者に 出会うと脳が 刺激され 気分までもが 若くはつらつ」

  「速聴と 速読心に 言い聞かせ やってみなさい 知らない自分が」 

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 ○幻のポスター見つかる

 一昨日ブログに「青春18キップのキャンペーンポスター一枚行方不明」と書きました。するとこのブログを殆ど毎日読んでくれている伊予市教育委員会双海分室の松本さんが、私が所用で地域事務所へ行った折心当たりの場所を探してくれました。何と何とそのポスターが倉庫の中で見つかったのです。3枚セットのポスターだけに感激でした。早速車で運んでわが書斎にてまじまじと見ていますが、どなたが撮影したのか定かではありませんが、たった一つの名もないに等しい無人駅をこうも表現できるのかと思われるほどに写しているのです。

 最初のポスターのキャッチコピーは「駅に着いた列車から高校生の私が降りてきた」、2枚目は「思わず降りてしまう、という経験をしたことがありますか」3枚目は「拝啓、僕は日本のどこかにいます」です。多分コピーライターが出来上がった写真か現場を見て直感的に感じたことを短い文章にまとめたのでしょうが、短文ながらまさに素晴らしい表現で、青春18キップに相応しいものです。

 私がブログを書き始めたのが昨年9月です。何の予備知識も持たぬまま意の向くままに書いている文章は、正直言って何の目的もありません。でも自分の思っているつれづれがこうして文章になり、知人とのコミュニケーションができることは凄く有難いことなのです。

 松本宏さんはかつて私が教育長時代に一緒に仕事をしました。特に合併前の公民館が合併後しっかりと根を張って生き残れるようにしようと、公民館運営審議会に諮問して答申を出すようお願いしました。彼はしっかりと努力し短い時間ながら精力的に動いて想像以上の答申のとりまとめを行ったのです。合併後も若い職員の指導や自分の考えをしっかりと持って生きてきました。今回の異動で別の部署に異動するそうですが、返す返すも残念です。でも進展地で必ず何かをしてくれるだろうと密かにエールを送っています。

 人間牧場ができたら子供たちを案内したいと話していた矢先でしたが、地域を愛する心を持った数少ない

市役所職員なので、これからも折に触れ人間としての付き合いをしたいものです。ああそうそう彼は高校・大学でらぐびーをやってた凄いラガーマンです。彼の魅力は人間がおおらか、酒は豪快、仕事は緻密です。私と同郷、家も元は漁師というのも何かの縁ですね。

 今回は彼がブログを読んでいたお陰でポスターが見つかりました。感謝しなければなりません。お礼に何か考えなければなりませんね。

  「ポスターに 捜索願 出しました 手配宜しく 見つかり戻る」

  「三枚が セットのポスター サンセット それぞれ違う 味と趣き」

  「この駅で 始まるドラマ 二十年 今では馴染みの 夕焼け小焼け」

  「寅さんが 寝そべるベンチ われも寝て 同じ夢見る えひもせすん」

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shin-1さんの日記

○自治会長になって一年が経ちました

 「本当はやりたくない」というのが本音なところでした。しかし長年不義理をしている地元に恩返しもしなければならない一念から、自治会長を引き受けて丁度一年が過ぎました。幸い副区長2名や会計、それに放送係に助けられて、曲がりなりにも総会が迎えられそうでホッとしています。私どもの所では区長と呼んでいる自治会長の仕事は、いざやってみると大変な仕事だというのが正直な感想です。田舎のことゆえ様々な集会には顔を出さなければならないし、おまけに宿泊施設としての機能を持った集会所の貸し出し管理までですからこれはもう多岐にわたっています。しかしこの集会所を宿泊に利用する人も安ければよかった時代の終焉とともに年々減少し、収益が見込めなくなりつつあります。このままでは決算期に赤字になるのではと思い悩んでいた今年、思いがけない大金が転がり込みました。市役所から今年限りという限定で100万円余りの補助金が計画書が認められて入ったのです。お陰さまで自治会長の心の曇も晴れ、今晩の監査は美味しいお酒が飲めそうなのです。

 住民の自治というけれど、実際には自治能力は決して高い方だとは思いません。何をするにしても役員が主体で物事を発案し、ある意味で大多数の人は区費と呼ばれる毎月600円の費用を払ってもらいながら暗黙の了解とみなして一方的にことを進めるのです。私のようにまちづくりに深く関わった人間にとってはそのことが心の大きな重荷になっていますが、それでもできるだけ情報公開し、住民の参画を促しながら事を運ぶよう努力しているつもりでも、まだ文句の一つや二つはでてきます。それは関心を持っているからこそだと思いながら、その都度どぶ板をはがすようにしながらこの一年努力してきました。昨年のこの頃は前の見えない不安で多少滅入っていましたが、今は少しの自信を持って新しいか企画に燃えています。

 今年の目標は防災に目を向けた自治会を作ることです。もし今日急に地震や津波が起こったら、この自治会はまったく機能もせずにパニックになることでしょう。どの家に誰がいてどんな状態か、また災害が起こったとき誰がどのような役割を果たすのかまったく手が付けられていないのです。私の残された一年の任期はこの整備にかけてみたいと思っています。29日に開かれる総会でこの点を提案しようと思っています。新しい組長さんからはまた重い荷物をとブーイングが出そうなのですが、是非その必要性を訴えてみたいと思っています。何にもしなかったら波風も立ちませんし、非難もありません。でもそれでは安心と安全を守れないのです。

  「もし地震 起これば区長 どうするの 亀じゃないから もしはあります」

  「えらいです 偉さが違う 気苦労に 悩み続けて 一年終わる」

  「今年こそ やらねばならぬ 仕事する 何と言われよ 風に流して」

  「やり過ぎて 成果出したら 再任を 言われそうです 少し控え目」

 

 

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shin-1さんの日記

○部下との人間関係

 私の仲間もそれぞれいい歳になって、異動の度に役職が重くなり部下が増えていくようです。これまでは中間管理職として風見鶏のような生き方をすればそれなりに生きてこられました。部下が文句を言うと「俺もあの上司のことはあんたと同じで」と同調し、上から部下の至らなさを指摘されれば「私もそう思います」といつも同調で済んでいました。ところが約束が上になって中間を通じて部下を指導しなければならない立場になると、何時もいい顔をしていることもできず、ついつい愚痴の一つも言いたくなるのです。

 先日の内示で新しい任地に赴く管理職から部下との人間関係について意見を求められました。私は前町長さんと私の関係についてお話をしました。課長になったとき私と町長さんのの間には助役や収入役がいましたが、課長になれば任された事務分掌では町長さんと直接話ができ、直接指示や決済を受けるのですから、自分の部下に対しては私の責任で仕事をしなければなりません。私は町長さんとの暗黙の取り決めを①町を愛する、②町のためにする、③町をよい方向に導くという3つと決めていました。時には私の意見が通らない時もあったり、難題を与えられたりもしましたが、結果的にはそのことが二人の人間関係を強固なものにし、様々な仕事をやらせてもらい大きな成果を勝ち取ることができました。その二人の人間関係を見て部下は私という人間の値踏みをし、私という人間についてきてくれたのだと思うのです。

 そうした上との関係が上手く行くと部下との人間関係も以外と上手く行くものです。私は部下に対して①金は出す、②口は出さない、③責任は取るの3点に極力心がけてきました。世の上司が①金は出さない、②口は出す、③責任はお前が取れ型が多いのを見るに付け、部下を信じることの大切さを思うのです。

 部下を怒鳴り散らして服従させる方法は中々上手く行きません。服従や命令だけで人が動くと思ったら大間違いで、そのうち反乱が起こったり、時には自分を迂回して上へ自分の欠点を上申されたりするものです。「人を褒めて使う」のも上司の大切な仕事です。むやみやたらと褒めるのは見え透いたお世辞にしか見えませんが、山本五十六の言葉のように「言って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かじ」だと思います。民間企業はその点シビアで成績や能力に応じて地位や報酬が与えられますが、公務員の場合はそんなことは難しいので特にその人の成果をしっかりと褒めることを心がけねばなりません。

 地位や報酬といった外発的な効果に加え、認めるといった内発的な効果は上下の深い人間関係を作って行きます。

 ピグマリオン効果という言葉があります。深い意味は分りませんがギリシャ神話が語源らしく、褒める事によって様々な所に効果が現れるということらしいのです。結局はどんな職場も結局のところ人間関係によって成り立つのですから、よりよい人間関係を持っている人が、よりよい仕事の大きな成果を手に入れれることができるのです。「私はいい部下に恵まれた」と思える上司になれるように努力してください」と激励し彼は私の元を去って行きました。

  「若いごろ 上になりたい 思ったが 今は下見て ため息交じり」

  「功名が 辻見てわかる 上と下 何時の時代も 何ら変わらず」

  「責任を 逃げたら後で 追いかけて 来るからしゃんと 辞める覚悟で」

  「辞めた後 気になる部下の 異動先 大きく育てと エール送りつ」

  

 

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shin-1さんの日記

○桜いよかんが届きました

 季節が巡り春の訪れを肌で感じる頃となりました。美味しく味わった蜜柑類もいよいよ終わりに近づいてきましたが、昨日講演先の島根県益田市から帰ってみると、玄関に蜜柑のダンボール箱が置いてありました。爆弾でも入っているのかと妻が開けた痕跡がありましたが、部屋に入って見ると机の上の籐篭に真赤な伊予柑が盛られ、その横に送り主の大河内結子さんからのメッセージと伊予柑の来歴が書かれたポストカードサイズの品書きが添えられておりました。「美味しそうだったのであなたが帰るまでに2個食べました。美味しかったとあなたからお便りを出してください」と妻の弁明、「食べるのは妻、お礼状は私」毎度のことですので気にもせず私も1個ご相伴にあずかりました。

 大河内さんとは先日サロンであって以来のメル友で時々メールを読んでいますが、ご存知えひめ地域政策総合センターの清水さんたちと「えひめ朝フルの会」を結成し、みかんの美味しさと健康効果について普及PRしている方です。前々からお顔は知っていたのですが顔と名前と仕事が一致せず大変失礼をしていました。妻は「伊予柑をいただく理由がない」というのですが、まあ女のやっかみくらいに聞き流して妻に、大河内さんの住処を話してやりました。「昔お世話になった大西町の岡島明夫さんの家の近くで」と言うと、直ぐに思い出してくれました。「岡島さんは元気かしら」、会話がやっと繋がり朝フルの会の話をしてやりました。「まあそんなに痩せるんだったら私もやろう」と早速1個、凄い食欲です。太るはずです。

 品書きには「桜いよかん」と書かれ自慢のみかん畑の写真が載っていました。「晩生の伊予柑を収穫する時期をできるだけ遅らせ、樹上で熟らせました。大空に枝を伸ばし、樹齢60年の樹がつくる『さわやかな風味』と『春の便り』をご笑味ください。安全・安心を第一に除草剤を使用せず、農薬もう~んと少なくして、エコ栽培にこだわりました。『桜いよかn』は桜の季節に美味しい果物です。」と書いていました。

 失礼ながら農家のおばちゃんがここまで自分の作った果物を褒める人も珍しいと深い感動を覚えました。普通の農家は「みかんじゃあ飯が食えん」とか、「みかんが安い」、とか、「今の消費者はわがままで困る」とか、「農協はわしらのことをひとつも考えてくれん」とか、「このままだったらわしらは首をつるしかない」とか、ブツブツ文句を言いながら日々を暮らしています。そんな不満を言ったところで山彦のように自分に跳ね返り、いつの間にか消えて聞こえなくなるばかりです。大河内さんの姿が神々しく思えました。

 実は昨日の島根県益田市での講演会は婦人会の主催でした。「女性の輝きが町を輝かせる」という内容テーマだったものですから、3人の実在女性の名前と活動を紹介しました。一人は大分県安心院でグリーンツーリズム宿を営む中山ミヤ子さんの五右衛門風呂とウンコ部屋の話、愛媛県双海町でじゃこ天を作り5500万円を売り上げている富岡喜久子さんの話、えひめ朝フルの会で朝食に果物を食べる運動をしている愛媛県今治市大西町の大河内結子さん話をさせてもらったのです。本人には内緒の話ですが面白おかしく話しました。大河内さんから伊予柑が届いたのはそのお礼かな?と思うほどの偶然でした。私も時々知らない人が知らない場所で私の話をしているそうですが、人に話してもらえるような人間になることは凄いことだと思っています。大河内さんの話は偶然と必然でした。勝手にあなたたちのことを話したことをお許し下さい。

  「旅帰り 玄関先に ダンボール 自慢の伊予柑 食べて食べてと」

  「百姓さん ブツブツ文句 言う前に 自慢しながら やったらどうだ」

  「さすがだね 桜いよかん ネーミング ヘルシー気分で 一個味わう」

  「結子とは ネットワークの 名前なり 何時の間にやら 深いご縁が」 

  

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shin-1さんの日記

○青春18キップの無くなった一枚のキャンペーンポスター

 役場のかつての町長応接室に幾つかの観光ポスターがアルミの額に入れて飾られています。実はこの観光ポスターは私が個人的に集めていたものなのですが、前町長が来客用にと依頼を受けて展示していました。しかし主のいなくなった町長室や応接室はすっかり荒れ果て今は見る影もありません。特に町長室は倉庫のようになっていて、かつてはここで重要なことが話され、時には政策決定がなされたことを思うと何かしら侘しささえ感じます。先日この応接間に所用でお邪魔しましたが、私のポスターの一枚は何処かに行ったのでしょうかなくなっていました。私は他の二枚もやがてこうした運命になるのではないかと思い、担当者に訳を話して思い切って家へ持って帰りました。この3枚はセットで下灘駅が登場している青春18キップのキャンペーンポスターなのです。

 私はこのキャンペーンポスターにはことの他思い出があります。夕日に出会ったのも、夕焼けコンサートを開いたのも、寅さんとであったのもこの下灘駅でした。私にとって下灘駅は私の人生ドラマの始発駅であり終着駅でもあるのです。

 家へ持ち帰ったポスターの一枚は女性が下灘駅プラットホームのベンチに座って列車を待ってる風景、もう一枚は下灘駅の改札口を中から写しています。無くなったもう一枚は下灘駅のプラットホームの屋根付き待合所とでも言うのでしょうか、海を見下ろす長閑な雰囲気が醸すポスターでした。今頃どこにどうしているのか定かではありませんが、是非探し当てて双海町の生き証人として私が大切に保管したいと思っています。でないと私の人生そのものが否定されたような気がして寂しいのです。

 先日双海町の商工会長の三井さん宅を訪ねたら、私の探しているポスターと同じものが酒店のバックに張られていました。心ある人はこうして手に入れ大切に保管しているのです。

 合併をして早くも1年が経とうとしています。街の中に人の姿が少なくなり、だんだん寂れていくような寂しさを感じます。と同時に私たちが熱く燃えた双海町のまちづくりも、そこから生まれた様々なドラマも次第に忘れ去られようとしています。これも時代の流れと諦めるべきなのでしょうか。

 無くなった一枚のポスターよ、あなたは何処に。

  「亡くなりし ポスター何処に あるのやら 探し残さにゃ 俺の気済まぬ」

  「人想い 消えた部屋の 隅々に 在りし思い出 甦り来し」

  「懐かしむ そんな俺たち もう古い たった一年で そんな錯覚」

  「渡辺も 塩崎もみな 合併で 散り行く定め 俺と同じに」

 

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○押し寿司とコンニャクの天ぷら

 今日は早朝5時に起きて広島県経由で島根県益田市へ出かけました。一年中日本全国を木になるカバンを持って旅をしている私ですが、今日訪れた益田市は交通手段からすると遠い方の地域なのです。公共交通機関だと松山から特急しおかぜに乗って岡山経由で特急やぐもに接続、日本海に出て西を目指します。一方新幹線だと高速船で広島宇品まで行き新山口経由で津和野方面から益田を目指します。いずれも途方もなく遠いので、普通私は広島宇品まで高速船で出て広島バスセンターから高速バスに乗り中国地方の山を越えて益田に入ります。

 今日は主催者のご好意で宇品までわざわざ3時間もかかるのに出迎えのタクシーを回してくれました。松山観光港を7時出発、宇品には8時10分到着、港に着くと「若松様」と書かれた名札を持って気のよさそうな運転手さんが出迎えてくれました。あいさつもそこそこに出発したまではよかったのですが、折からの小雨や私と運転手さんの会話が弾み過ぎたのか、高速道路山陽道の下り線に入ってしまいました。後の祭りとはこのことを言うのでしょうか、結局は宮島口まで西進し引き返して中国自動車道に乗り変えました。この時間のロスが尾を引いて会場へ付いたのは講演5分前というまるで綱渡りのような雰囲気でした。

 真砂公民館は前にも雪の日、別の会場へ行く途中に地元の方の熱心なお誘いを受けて立ち寄ったことがありました。その時手持ちの竹とんぼを珍しそうに見ていた人が、器用にも見よう見まねで作られ、会場を飾ってくれていました。今日の会合は婦人会と公民館が主催なので小さい地域ながら50人以上の方が集まってそれは賑やかな会場の雰囲気で、最初から最後まで私の話に爆笑の渦でした。11時から始めた講演も昼食をとることもなく延々12時40分まで話してしまいました。

 昼食は真砂地区自慢のてづくり押し寿司とコンニャク及び豆腐、山菜の天ぷらでしたが、シンプルながらこれが実に美味しく、お代わりをしてしまいました。全国を訪ねる私としてはその土地の特徴ある食べ物をいただくのですが、今日の押し寿司もコンニャクの天ぷらも始めての経験でした。帰りには押し寿司までお土産に頂きました。

 広島と島根の県境にはまだ残雪が残り、今年の厳しかった寒さを思い出させてくれました。私たちの住む四国では高知県で桜の満開宣言が出されているというのに、木々の芽吹きはまだ少し先のようでした。それでも桜は花の蕾も膨らんで桜祭りの準備でしょうかぼんぼりやちょうちんが飾られてその時を待っていました。帰りは公民館の寺戸さんの500万円以上するという外車に乗せてもらい来た道をカーナビの案内で宇品まで運んでもらい、信頼するはずのタクシーより正確に港へ到着し、4時30分発の高速船に乗って瀬戸内海を渡り無事帰って来ました。

 過疎や47パーセントを越える高齢化率、それに学校統合もささやかれる小さな田舎町真砂の温かい人情と細やかなもてなしに心洗われる気持ちでした。「あんな地域に住んでみたい」そう思いながら真砂を後にしました。真砂の皆さんまた会いましょう。グッバイシーユーアゲイン。

  「四国では 桜満開 島根では 峠に残雪 日本も広い」

  「朝早く 目指す益田は 遠からじ 復路日帰り 三月の旅」

  「間違って 高速走り 遅くなり やっとの思い 着いて直ぐション」

  「押し寿司に コンニャク天ぷら もてなされ 話し肴に お茶を濁して」 

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