○お雛様飾り わが家から長女が嫁いでもう6~7年になりますが、それまで飾っていた雛人形(実は私の家には雛飾りがありません。(長女が生まれて間もないころ、あんなものは邪魔だと思った私は、私の判断で義理の母からの雛飾りを買う相談をカメラに変えていたのです)私の家には何故お雛様がないのと今頃になって娘に叱られています。妻の実家には妻が子どもの頃に5段飾りの立派なお雛様があったそうなのですが、これも兄嫁が場所を取るからと処分したそうです。妻は子どものためにケース入りの人形飾りを買っていて、お雛様のころになると娘のために座敷に飾っていました。 昨日家に帰って玄関にお雛様の飾りが飾ってあるのを見つけました。ミニチュアですがお内裏様とお姫様が仲良く並んで座っています。お供えは貝殻に入った菱餅や甘酒で、横には一輪挿しに桃の花まで挿しているのです。「ああもうそんな季節か」と季節を感じると同時に、還暦を迎えたとはいえ妻も女性らしい初心な心があるものよと、少しばかり浮流を楽しみました。 日本全国では要らなくなった雛飾りを飾って町おこしをしている街がたくさんあります。雛飾りが町おこしに一役買った話は昨日のラジオでも紹介されていました。日本のよき伝統文化だと思わず嬉しくなりました。女の子が生まれるとお雛様、男の子が生まれると鯉幟、貧乏した昔でも何をおいても子どもの成長を願ってお雛様や鯉幟を贈ったものです。今は住宅事情も変わり鯉幟を揚げる家も年々減り、お雛様も狭い住宅では桃鳴りませんが、せめて子や孫の成長を願う気持ちだけは持ち続けたいものです。 私が子どもの頃は、桃の節句になると姉ちゃんの雛飾りを手伝って飾りました。ネズミがかじった頭を胴体に挿しこみ仕上げてゆくのですが、これが中々面倒で、御殿などは中々組み立てられず苦労しました。でもこんな飾りはむしろどちらでもよく、むしろ雛段に飾る甘酒やあられなどの供え物が目当てでした。干し飯をホー六で炒ってはじかせ、それを水あめで固めてひし形に切った豆菓子はおふくろの味でした。あられも自家製、大豆も畑で取れたものを入れました。雛飾りのころになると死んだ母を思い出します。 お雛様は端正なマスクをしてきちんと座っています。昔はカメラもない時代でしたから着飾った姉ちゃんの写真はなく記憶の中にしかありませんが、だからこそ価値があるのかもしれませんね。 「玄関に今年も小さな雛飾り春が来たよといってるように」 「豆菓子を買って供える飾り雛嫁いだ娘どうしているやら」 「今頃は保育所季節の行事するだから孫でも雛歌歌え」 「成長の孫に比べて弱りゆく親父の背中少し寂しく」
shin-1さんの日記
○ブログのトラブルにイライラ 昨日は少し遠い県内のある街へ行かなければならないので少しは早めの朝4時に起床して、例によってブログ画面をアップしようとしたら画面にいきなりエラー警告が出て、電源を切ったり中身を見よう見まねで操作したりするのですが一向に直らず、結果的にさじを投げてしまいました。にちようびということでまだ眠っているであろう息子に、妻の「まだ早い」という警告も聞かず電話を入れましたが、眠気眼の息子の反応は今一で何のことだかさっぱり分らず、ついには「後で行くから」で電話を切られてしまいました。 後ろ髪引かれる思いで高速に乗り新浜まで走ったところで息子から携帯電話が入り、原因は孫が私のパソコンに接続している電話回線のコードをいじったらしく、復旧したとの知らせでした。安堵の胸をなでおろしました。パソコンの中身は人間の考えと同じように人間の目には見えないものですから、データーが消えてはいまいか、はたして元通りに復旧したか心配でした。会議を済ませ自宅に帰った頃には陽はとっぷり暮れていました。恐る恐るドキドキしながらパソコンを開いたのですが、今までのとは様子が違い、文字をカラー表示できなくなっているのです。あまり変な操作をしてせっかく息子が復旧したものが再びとらぶっては大変と、とりあえず昨日はノルマの二本の記事を書きましたが、黒字一色だけの味気ない編集となってしまいました。イヤー見にくいし読みづらいですね。書く方がそんなのですから、読む方はもっとそう思うでしょう。 私のイライラは以心伝心読者に伝わるのか訪問者が極端に少なくなりました。私の訪問者は土曜日や日曜日には極端に少なくなるデコボコ珍現象を繰り返しています。多分仕事がらみで私のブログを発見し、仕事の合間に読んでいる人が圧倒的に多いものと思われます。でも私だって他人のブログは暇を見つけまとめ読みをしているのですから一概には言えません。 イライラの続きは深夜にまで及びました。それというのも管理画面が出て、次の記事を書こうとすると「只今このブログはアクセスが多く大変込み合っています。もう少し時間を置いてアクセスしてください」という表示が、約1時間も続きました。妻曰く「パソコンぐらいでイライラせずに、今日はもう休めというシグナルだから寝なさい」dした。諦めて妻と一緒の布団に入り温かい湯たんぽのような妻を抱いて(おっと卑猥な表現で)寝ました。 私のイライラは妻が今日から仲間と北海道4日間の旅に出て家を留守にすることが原因かもしれません。私も明日は沖縄3日間の旅です。残された親父が心配ですが、幸い実習明けで次男が留守を守ります。少し安心しています。 「イライラを見透かすようにパソコンは言うこと聞かず動いてくれぬ」 「この機械作った人あり感心しだのに俺など使えもせずに」 「名ばかりの親です息子に教えられうるさがられて子どもの気持ちが」 「イライラの俺を残して北海道妻は今頃トドの群れ中」
shin-1さんの日記
○ある町の騒動 毎日毎日よくもこんなに事件や事故があるものだと感心するくらい新聞やテレビでは、毎日のように新しいニュースが生まれては消えてゆきます。特に人を殺したような事件なら加害者と被害者があるのですが、贈収賄事件のように密室で金品のやり取りが行われる政治家がらみの事件は、警察が明るみに出来るのは氷山の一角といわれるようにごく僅かで、殆どは貰い得や時効成立でこれにて一件落着なのです。 一昨日夕食が終わってテレビを見ていたら「○○町長贈収賄で逮捕」というニュース速報が流れました。当然明くる日の朝刊新聞のトップ記事はこのニュースでした。新聞社のデスクに会ったのですが、「昨日はこのニュースの扱いで夜もろくに寝ていません」と大あくびでした。 一ヶ月前、この町へ講演に出かけた折、この町長さんと出会いましたが、そんな姿は微塵も感じさせないようでしたし、かつて若い頃青年団活動を一緒にやった間柄だけに、今回の逮捕は複雑な気持ちです。 私も彼も同じ役場に勤め、私はしがない役場職員で終わりましたが、彼は若い頃からの目標通り首長になりました。仲間内からは出世頭と持てはやされある意味での華やかな人生であるように見えました。 でも何処でどう道を踏み外したのか分りませんが、大分春めいたとは言いながら拘置所はまだ寒かろうと、知り人ゆえに気を揉み、出来ることなら無実であって欲しいと祈っています。 私の町でもかつては警察が介入するような様々な出来事がありました。まちづくりを担当したころその事件の裏づけ捜査として、捜査令状の執行にも立ち会ったし、参考供述人として4日間も県警で話を聞かれ、私の日程表は一年間捜査のために持ってゆかれました。勿論私が悪いことをしたわけではないのですが、捜査官の執拗な聞き取りに、捜査が終わった後も眠れぬ夜を過ごしたものです。 愛媛県下には当時70市町村がありましたが、おおよそ10年に一回司直の手が入るともっぱらの噂でした。選挙違反や贈収賄事件は、当事者もさることながら市町村のイメージをたった一瞬で悪くしてしまいます。みんなが努力して築き上げたまちづくりは1体なんだったのかと思わせるほどです。 妻曰く、「お父さんよかったね」だそうです。悪いことをしようにも出来ないような身分を思ってか、あるいは私の主人に限ってと思ってか、聞かなかったけど35年間の役所生活で人から金品を貰わなかったし、あげようといった人もいません。ましてや下さいといった覚えもありません。やはり「よかったね」なのでしょうか。 「知り人の首長逮捕に驚いてまさかあの人わが耳疑う」 「やるという人もなかったわが職場平凡だったがそれで幸せ」 「収賄は一瞬人生棒に振る今日から厳しい批判の風が」 「氷山の一角過ぎぬ政治家と金の流れは噂の誠」
shinー1さんの日記
○ジャガイモを植えました 昨日は忙中閑ありで、久しぶりに人間牧場へ出掛けました。ところが3キロほど車を走らせた途中で今日の作業の中心となるジャガイモの種芋を忘れていることに気付き、よく思い出したと自分で自分を褒めて、再び車を走らせて7キロ行った所で今度は水平線の家の鍵を忘れてしまったことを思い出し、結局は行ったり来たりの時間に30分も費やしてしまい、われながらボケたと自分自身に腹が立ちました。しかし自分のことなので怒る気にもなれず、時間的ロスとガソリンを使っただけでした。 しかしそのことでデジカメを持参し、携帯も持ってゆくことが出来たのですから、怪我の功名でしょう、運良く朝日新聞の砂場さんから取材の電話が入って、海岸まで迎えに行くことになり、午前中はそんなこんなで右往左往でした。 この日の作業は、先日まで開墾した雑草の除去と畝たて作業、それにジャガイモの植え付けです。まず丁寧に集めておいた雑草を取り除き、下から上に向かって平鍬で左右に土を分けながら畝を立てて行くのです。几帳面な親父だと紐を張って畝を作るのですが、私は感が頼りで多少左右にゆがんでいますが、気にしないようにしながら畝を作りました。結果は上々です。 さて次の作業はいよいよジャガイモの植え付け準備です、ホームセンターで買った男爵とこがねまさりという2種類の種芋を板の上へ置いて、芽を見ながら包丁で半分若しくは4つに切ってゆくのです。芽を見誤ると新芽が出ないし、余り小さくきると芋の芽だしパワーがなくなるので、神経を使いました。切った芋は、ストーブの新しい灰を切り口につけて、畝の上に等分に置いてゆき、修正しながら手で穴を掘り、芋を埋めて土を被せて完了です。作付けは昔から椿さんが終わると適期と教わっていましたので、多分間違いないでしょう。こがねまさりを2袋、男爵を2袋、都合8キロも植えました。春草とイノシシの被害が心配ですが、心配が先に立つと進めないのでとりあえず植えることにしました。一昨日からの雨で土の水分も適当で、種芋の芽のふくらみから考えると、一ヶ月もすれば芽が地上に顔を出すと思われますので、今年は農作業日誌をつけながら観察したいと思っています。農作業日誌は特別なものでなく、はいこのブログです。 植え付けが終わった畑をデジカメで撮影しました。画面で見ると立派です。 今年はもし収穫が出来たらみんなで井戸端会議ならぬ「芋畑会議」をやりたいと心密かに思っています。 「ジャガイモの芽はもうふくらみ春告げて土の寝床におやすみなさい」 「種忘れ鍵まで忘れ二度三度行ったり来たり長閑けき田舎」 「ジャガイモの切り口痛いと灰まぶし慣れた手つきは母が生前」 「さあこれで芋畑会議の計画もイノシシ来ずんば上手くいくかも」
shin-1さんの日記
○アヒルのおもちゃ
昨晩は娘の夜勤と娘婿の出張が重なり、孫の面倒を見て欲しいとの連絡が入って私が保育園まで迎えに行きました。病院が経営する病院の近くの保育園は、おおよそ保育園のイメージとは違うマンションの一室のような感じです。3時過ぎドアのチャイムを鳴らすと前もって連絡していたのでインターホンで確認後扉が開き、お昼寝中の孫は眠そうに起きてきました。「オシッコをひらせますのでちょっと待ってください」といい、身支度をしたころにはニコニコ顔で私に「おじいちゃん」と飛びついてきました。
3歳を過ぎると体の成長も早く、随分大きくなったと実感しました。そのため今までは黙って座っていたチャイルドシートも少し窮屈になったのか嫌がります。娘夫婦は規則だからと少々ぐずってもチャイルドシートに縛り付けるような格好で乗せていますが、私は「朋君、前の席に乗る」というと「わーい運転席だ」と喜んで乗ってきました。大人のシートベルトは孫にとってゆるいのですが、「警察さんに叱られるからじっとしているのよ」と言い聞かせると、「うん」とうなずいて座っていました。最近は「何故」「どおして」も随分増えて私を悩ませます。
帰宅すると、先日携帯電話で約束した沖縄から買って帰ったピカチュージャンボのおもちゃを嬉しそうに貰って遊んでいました。
食事や団欒が終わり8時半になると風呂の時間です。「朋君誰と入る」「おじいちゃん」「男どおし」などといいながら二人で風呂に入りました。風呂には2匹のアヒルのおもちゃが用意されています。浴槽でしっかりと入浴できるようにとの配慮からアヒルを浮かばせて遊ぶのです。
それにしてもこの2匹のアヒル、一匹は日本製でダッシュ村に登場するアヒル隊長、もう一匹は息子嫁がカナダから土産に買ってきたカナダ製のおもちゃです。おもちゃはその国の文化なので感じ方が若干違うのですが、それにしてもよく似ているのです。違うのはアヒル隊長は口から水を吐き出し、カナダアヒルは腹から」水を吐き出すのです。黄色いアヒルは2対2様孫と一緒に長湯のお付き合いをしてくれています。
アヒルのおもちゃは孫が来ない日も毎日私と一緒に風呂に入って孫の来るのを待っています。髪を洗う仕草も、体お洗う仕草も本当な幸せな爺さん馬鹿になって目尻をゆるくしています。昨年秋に結婚した息子夫婦にも早く孫の誕生を願っています。
「お国柄違えどおもちゃよく似てるアヒル二匹と孫私」
「いつのまに男どおしというセリフ覚えたのかな風呂につかりて」
「孫抱いてまるで湯たんぽポッカポカ布団一緒に眠る幸せ」
「孫来ると我が家の雰囲気明るくてまるで太陽次はいつ来る」
shin-1さんの日記
○おからも美味い
私は大の豆腐好きです。先日ある中学生と昼食をご一緒する機械がありました。食卓に湯豆腐が出てて、豆腐談義になりました。私が「豆腐には目がないんですよ」というと、その中学生は不思議そうに私の顔を見つめ、「おじちゃん。豆腐は生き物ではないんだから目がないのは当たり前でしょう」と真面目な顔をして言うのです。私は思わずずっこけてしまいましたが、同席した父親が慌てて、「お前なあ、おじちゃんが豆腐に目がないというのは、豆腐が大好物だということなんだよ」と説明したのです。「なーんだそうか。ぼくはてっきり、この豆腐は本当に目がないのか思って・・・・・・」でした。
こんな話はどこにでもあります。余談ですが若い女性と食事をしていて鯛の刺身が出てきました。私が「これ養殖じゃろうか」と同席したみんなに聞いたところ、若い女性が真顔で「若松さんこれは洋食ではなく和食でしょうが」というのです。私はとっさに「あのですね。私が聞いたのはこの刺身の原料である魚が天然魚か養殖魚か聞いたのですが」と話しましたら、若い女性は顔を赤らめ「すみません」と小声で詫びました。そういえば今の若者に天然の魚か養殖の魚かいったって分るわけないかと、自分の何気ない質問を悔いました。
左様に今の若者と私たち大人の感覚は微妙にずれて、コミュニケーションが伝わらなくなりつつあり、「ああ私もそんなに古い人間になったのか」と少しため息が出る今日この頃なのです。
昨日妻がおから料理を作りました。「お父さん、このおからなんぼ(金額)だと思う」。おからがかなり安いということは知っていましたので「ウーン百円」と答えてしまいました。妻は何かを買って帰った時、自分で安い買い物をしたと思うと私にこんな質問をして得意げになる癖があります。私の答えを聞いて「ブーブー」とはずれのブーイング、「このおから40円」だそうです。えっ、こんなに鍋いっぱいのおからが40円とは安いと思いました。おからにはニンジンやシイタケ、練り物などが細かく刻んで入った具沢山でとても美味しいのです。おからは豆腐を作った後の絞りかすなので、栄養価は豆腐には及びませんが、私たちが買わなかったらこのおからは廃棄物になることでしょう。詳しいことは分りませんが多分おからは食物繊維が沢山あるので胃腸にはいいはずだと自分に言い聞かせて、ご飯を少なくして余分に食べてしまいました。
子どもの頃はこんなもの喰えるかと思って、おからが食卓に出ると憂鬱母を随分困らせたものでした。やはり食べ物の嗜好が変わったのも歳のせいでしょうか。先日東京都大島町の女性の町会議員さんが視察の手土産に持ってこられたクサヤの干物を焼いて食卓に並べているのを見て次男が、「お母さんこの干物腐っとる」と言うのです。「これはこんな匂いが高級品なの。黙って食べなさい」と叱りました。貰った人への配慮でしょうが次男は「僕は食べない」というのです。お蔭様で美味しいクサヤの干物が私に回って美味しくいただきました。大島の高橋議員さん有難うございました。
「この干物腐っていると息子言うクサヤも知らぬ教えてないから」
「おから食うこれがたったの40円聞いて驚く夜の食卓」
「豆腐には目がない話返されてこれは落語と一瞬思えり」
「書いた文字変換ミスで変な意味これは使える笑いのネタに」
shin-1さんの日記
○夕日の男だのに何故か朝日新聞によく載ります
洒落のつもりでタイトルをつけたのではありません。私が夕日でまちづくりをやっていることは自他共に認める周知の事実ですが、若いごろから何故か朝日新聞によく紹介されます。講演会で朝日新聞と夕日の話をするとみんなが思わず笑ってくれるものですから、このミスマッチを盛んに吹聴しています。
若いごろから新聞やテレビを上手く利用して、殆どタダで夕日や自分の町を宣伝していましたが、私は昨年の3月で第一線を退いていますので、最近はテレビ出演はあっても新聞登場なんて縁遠くなったと思っていましたら、何と昨日の朝日新聞愛媛版に「地域の自立を目指して」と題して内子の森本さん、徳島上勝町の横石さん、高知馬路村の東谷さんと私が載っているのです。昨日は第1回目なのでこれから何回か4人の活動が紹介されるようです。
地元紙愛媛新聞の愛読者が圧倒的に多い中で朝日新聞が何処まで読まれているかは知りませんが、情報通からは早くもメールや電話が入って話題になりつつあるようです。テレビの即効性は誰しも認めるところですが、新聞の地を這うような反響や影響はコピーという現代文明に乗って広がる特異性を持っているので、私たちまちづくり人は新聞の進の値打ちを知っておかなければなりません。
かつて私や私の町が新聞に取り上げられる度に、近隣市町村や仲間からはやっかみもあってか、「目立ちたがり屋」なんて悪評を叩かれたものでした。また羨ましがられたことだってあります。しかし私は「目だって何が悪い。こんな小さな町が生き残っていくには、金をかけずに公共のメディアを使うことはちえなんだ」と反論しましたが、余り反応はありませんでした。
合併して双海町という自治体が消えたこともあってか、最近は伊予市双海町の記事が極端に少なく、これも時代の波かと諦めていますが、もっと私たちは自分のやっていることに自信を持って情報発信すべきだと考えています。
昨日はえひめ地域政策センターから新聞のコピーが送られてきました。新聞も買わずに載るとはけしからんと怒られそうなので伊予市のコンビにまで出かけて130円で朝日新聞を買ってきました。義理堅い男でしょう。すると顔見知りの店員さんが「えっ夕日の若松さんが朝日新聞ですか?」と冷やかされました。
今日はどんな記事が載っているか、新聞を買いに行く暇がありませんでした。悪しからず。
「どうしてか夕日の男が朝日載るそれもそのはずいずれも太陽」
「新聞は比べ読みすりゃ面白い何処か何かが違って見える」
「新聞の記事見て顔がやつれてるそんな心配友がメールで」
「つわものに比べりゃ俺は見劣りす少し弱音は歳のせいかも」
shin-1さんの日記
○貝殻の土産
私のように年中旅をしていると、手荷物を出来るだけ少なくするため行った先々でお土産を買うのが煩わしくて殆ど買いません。それでも相手の方が地元の特産品をと気を使って手土産に持たせてくれます。最近は行く前や後に土産を送ってくれたりするものですから恐縮この上ありません。
先日も那覇や石垣島へ出かけましたが、滅多に沖縄を訪ねない人は、市内で、空港で、行った先々でと買うわ買うわ、気がついたときは手に持ちきれないほどで、結局は宅配便で送るという始末です。私など買うのはお茶ぐらいなものですから財布の中身も余り減りません。
今度の旅で珍しい物を手に入れました。分科会の現地研修で石垣島の美しい海岸に薬草を探しに行ったのですが、その折珊瑚の死骸が堆積する海岸でしゃこ貝の貝殻を見つけました。参加者の殆どは石になった珊瑚の珍しい形をした物を探していましたが、私はしゃこ貝を3個見つけたのです。これが大中小の3点セットのように中にきっちり納まるのです。「これが本当のサンセットだ」などとジョークを言いながらみんなに見せるととても羨ましがられましたが、私はこれをビニールの袋に入れタオルに巻いて背中に背負ったナップサックへ入れて持ち帰りました。ここだけの小さい声の話なのですが、本当は海岸の石や貝殻はたとえ拾って持ち帰ることは出来ないのです。(この話は絶対言わないように頼みます)
金で買わないしゃこ貝の土産を見た妻は「まあ綺麗」と驚いた様子でしたが、興味がないのか私の書斎の机の側にドンと置いて、飾ろうともしないのです。海舟館にでも展示しようと思っています。
観光地へ行くと殆どの建物に落書きが見られます。イースター島のモアイ像に落書きをした日本人の恥じる行動が叱責されたのは記憶に新しい出来事です。日本人は何故か旅の思い出の証を何かの形で残したいじんしゅなのでしょうか。勿論私もその一人かもしれないと、持ち帰った貝殻を見て苦笑しています。
「しゃこ貝の土産背中に帰り来るシナ海漂うドラマとともに」
「思い出は心に留め持ち帰るこれが土産と自分に言って」
「泡盛は?届かぬ土産要求す友の一言心にグサリ」
「片隅に夕日あるのか三セット座布団一枚大き声飛ぶ」
shin-1さんの日記
○ブログの新しい記事が書けない
今朝思わぬハプニングに冷や汗が出ました。早朝4時に起きて書いたブログ記事を保存しようとした途端その記事が消え、エラーを知らせる画面に変わってしまったのです。その原稿をバックアップしようとしたのですが思い通りにパソコン画面が動かず、ついにそのブログ原稿は幻となって記憶の彼方に消えてしまいました。こんな時職場だとパソコンの手馴れた職員に助け舟を出しては復帰していたのですが、今回は息子も留守で聞くことも出来ず、ついには断念すべく電源を切ったり復元したりしていると、2時間ほど経ったころ、突然ブログのトップ画面が出てきたのです。ヤッホーと言わんばかりの嬉しさでした。早速記事を書き込んだのですが、今朝間幻となった記事は、私だけの秘密の記事として心にしまっておきたいと思います。
しかし今日のようなトラブルがあったとき、私のような浅知恵では到底対応が出来ません。トラブル解決能力、つまり危機管理能力の低い者や応用が出来ない者は、結局何の役にも立たないのです。最近愛媛県でも県会議員さんのパソコンに何ものかのウイルスが進入し、個人情報が流出したことが新聞に載り話題になりました。顔見知りの議員さんなので同情もしますし。、決して悪気が合ってやった訳ではなく、むしろ盗んだ方を攻めるべきなのでしょうが、盗まれた人が鍵をかけなかったことが責められる世の中なのです。
私のブログは、オープンですし、このオープンがブログの魅力なのでしょうが、私のブログを読んでいる娘から「お父さんのブログは個人名などが出過ぎるので、気をつけるように」お叱りを受けました。そういえばそうだと納得もして匿名などで書いていますが、やはり臨場感がなく味気ないものになってしまいます。まあ私のブログなどビールの栓のようなもので、抜いてしまえば必要もなく燃えないゴミにも分別してもらえない悲しい運命の記事ですから、余り気にもせず書いてゆきたいと思います。
先日役場のことについて書いた記事は、相変わらず役場の人も気づかずままで聞き流し情報となって、ホッとするやら悲しいやらです。「あんな記事なぜ書いたのか」と怒られなかっただけでもよしとすべきでしょうか。昨日役所で自治会長会があり、帰り際かつて部下だった職員が「若松さんブログ見てますよ」とこっそり耳打ちしました。ああやっぱり読んでいるのかと嬉しくなりました。
「パソコンも鳥と一緒でウイルスにかかると聞いてどんな薬を」
「パソコンの画面滅茶苦茶故障した俺の頭と同じ姿に」
「若松と書いて検索驚いた出るわ出るわで五百を越える」
「わがブログビールの栓のようなもの抜けばゴミですみ向きもされず」
shin-1さんの日記
○ハンコ下さい
「こんにちは」。宅配便です。ハンコをお願いします」。「今はハンコが見当たらないのですが」。「サインでも結構です」。「そうですかじゃあサインを・・・・・」と、こんな会話はごくありふれた光景です。私も役所に勤めている時代から、ハンコは一個と決めていましたが、ある時コンクリートの上へ落としてハンコがかけてしまったものですから、少し大きめのハンコを買い求めました。別に縁起を担いだわけではありませんが、開運印なるものをセールスマンから買ったのです。その日から不思議なパワーがみなぎって運が開け・・・・なんて一代出世はしませんでしたが、まあまあな人生を過ごしているのですから、開運印のお陰だと思えば、百金市では百円で立派な三文判が買える時代でも8千円の投資は安いものだったと思えるのです。
普通の人間だとかけた印鑑は効力を発しないと思うでしょうから、私も捨てようと思ったのですが、若い頃から長年使った印鑑に愛着もあって捨てきれず、引き出しの隅にしまったままでした。
最近のことです。妻に内緒で少しだけのへそくりを定期預金にしておりましたところ、銀行からメールが届き定期預金が満期日となったので手続きに来るよう書いてありました。定期預金のことなどすっかり忘れていた私は思わずうれしくなって現在使っているハンコを持って銀行の窓口に行きました。
「お客様、このハンコはお届けのハンコと違いますので手続きが出来ません」と女性の銀行員が言うのです。丁度顔見知りの支店長がカウンターの向こうで見えたものですから「本人が来ているのだから間違いないのでお願いします」と言っても「規則は規則ですからとこればっかしは」となだめられました。マニュアルをしっかりと説明しながらハンコが違えば出せないし、ハンコを変えるには改印届けが必要と懇切丁寧に教えてもらったのですが、多少不満を言いながらそのまま帰りました。
どんな印鑑だったか記憶にないので陰影を見せてもらっていたので机の引き出しを捜していると、あのかけた印鑑が出てきました。陰影もピッタリなのですが銀行に行くとまた文句を言われそうで気が滅入りました。それでもその印鑑しか思い当たる節がないので窓口に持っていったところ「このハンコです」と認めてくれ全額引き出しました。さっきのむしゃくしゃも懐の温もりがそうするのか吹き飛び、少ないながらへそくりに利子がついて嬉しい日となりました。
サインが一番の外国に比べ、日本は相変わらず今でもハンコが大切です。役所に勤めた人なら分りますが、日本の役所はハンコ行政といって中身を熟知しようがしまいが、ハンコさえ揃えば決済が出来るのです。それにしてもかけたハンコがこんなに役に立つとは思ってもみませんでした。さてこのハンコどんなに始末しようか、迷っています。
「取っていたかけたハンコが役に立つお陰でへそくりわが懐に」
「三文判押せば宅配帰り行く日本はハンコ大きな力」
「同じよな印でも微妙に違います銀行凄い陰影見抜く」
「マニュアルの通りに動く銀行員それでも失敗だます人あり」