shin-1さんの日記

○浦添という街で

 沖縄県那覇市の隣に浦添市という街があります。那覇から10キロもない隣の街だのに何故か片側3車線もある国道は慢性的な車の渋滞で、今日も行きも戻りも40~50分かかってしまいました。午後3時からの会合だったので、担当者がホテルに迎えに来たのが午後2時だったものですから少々イライラしました。公園が終わっての帰りはラッシュと重なり大変な混雑で、まるで東京並みでした。

 さて沖縄の町村議会議員の皆さんに、どういう話をしたらいいか迷いましたが、結局は私が夕日によるまちづくりで経験した議員さんとのやり取りや、反対を説得したエピソードなどを中心にお話しましたが、結果的には好評で、帰り際沖縄の町村議会議員で最古参といわれる80歳の議員さんから「今まで聞いた話で一番良かった」とお世辞を頂きました。お世辞でも嬉しかったので、「人間は年齢ではありません。いかに心が若いかです」と返したら、「その通りだ」と喜んでいただきました。

 今日の話の中心は「田舎嘆きの10か条」でした。沖縄の町村は離島が多く、那覇へ来るのにも大変な労量だと聞きますし、過疎化・高齢化・嫁不足・第一次産業不振という四十苦を抱える地域が多いようです。愛媛県から比べると合併への取り組みが遅れていて、町村の数は31だそうですが、私の前に後援した沖縄県市町村課長さんの講演内容がスピーカーで流れておりましたが、合併の参考パターンが資料に載っていました。

 こんな場所で余り合併の話をすると差しさわりがあるので封印しましたが、私は今でも合併に対する疑義を感じている一人ですから、聞かれれば答えたいと思っていましたが、質問の時間がなかったので、拍子抜けはしましたがホッとしています。

 普通だと3時間の話を1時間40分に早送りして少しではなく急いで早口でしゃべりました。老朽化したとはいえ市民会館ですからマイクの通りも抜群で、いい話が出来たと内心喜んでいます。議員さんの集団は30分以上の講演は持たないとある大学の先生から聞いていましたが、沖縄の町村議員さんは質が良いのか誰一人居眠りする人はいませんでした。ひょっとして私の話が良かったからなんて思ったりもしました。

 明日は愛媛へ帰ります。

  「居眠りをするはず聞いた議員さんみんな熱心驚きました」

  「田舎者そんな私の話でも海超えこの地人が集まる」

  「結局は人は石垣言ったなら名前も石垣うまい座布団」

  「夕食は最後の晩餐何食おか沖縄そばの味も恋しく」

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shin-1さんの日記

○オリンピックメダルは取りノー(トリノ)

 みんな頑張っているのに、やはり世界の壁は厚く、あれほど期待されながら今のところ金も銀も銅さえもメダルはとれない日本勢、どうしたといいたくなりますが、これも仕方がないことなのでしょう。日本のウインタースポーツは欧米の歴史に比べたらそんなには古くありません。札幌や長野で冬季オリンピックが開かれて随分メジャーなスポーツになりましたが、検討したカーリングなどはまったくスポットの当たらない地味なスポーツでした。あるクイズ番組でおじちゃんが「モーニング娘は知っているが、カーリング娘は知らない」といって大爆笑になるくらいの知名度なのです。

 しかし日本人は「土壇場でメダルが」と淡い期待を抱いています。安藤、荒川、村主の3人娘が挑むフィギアスケートに関心が集まっています。私も今日ホテルの部屋でテレビに釘付けでした。パンツ丸出しといったら怒られますが、氷上で繰り広げられる躍動感あふれる演技はまさに芸術といっていい技でしょう。

 競技は必ず相手がいます。100メートルのように相手と競争してどちらが早いか競うのは私たち凡人にも一目瞭然で分かりますが、競技といいながら与えられた時間を自分が演出し、人の主観が審査する演技は、何がよかって何が悪かったの正直分からず、演技が終わってからスロービデオをまわして解説者の解説がないと分かりません。だから演技が終わって点数が表示されるまでの時間に、演技が終わった競技者の表情は安堵感と期待と不安が交錯し見ごたえがあります。

 今のところ上位に食い込んでいますが、いい結果、つまりメダルが欲しいですね。

 メダルを取ったあとのインタビューに応じたセリフも後々まで伝えられます。「今まで生きてきた中で一番うれしい」「自分で自分を褒めてあげたい」「めちゃ悔しい」などは若さが故の直感的な言葉だと思いますが、やはり心に残ります。

 それにしてもメダルこそ逸したもののカーリング娘の爽やかさは、何といってもトリノオリンピックの大きな話題の1つです。帰ったら他の成績が今一だっただけに、脚光を浴びそうです。

  「メダル取りノーと感じるもどかしさそれでも爽やかカ-リン娘」

  「オリピンは四年に一度と思いきや夏冬交互で二年に一度」

  「雪のない街で雪見る不思議さよ世界は狭くなったものです」

  「村主と書いてすぐると読めという世の中珍名沖縄ザラに」

 

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shin-1さんの日記

○愛媛のみかんは美味い

 今朝の朝食はホテルでバイキング方式でした。洋食と和食の2ルートがあって、和食派の私はいつものようにご飯と味噌汁を選びました。最近はどこへ行っても同じように納豆が出て同じように生卵と味付け海苔です。私の場合はコーヒーも飲めないので野菜と果物にヨーグルトそれにトマトジュースを禁煙席に運びました。梅干も魚の塩焼きもあるので、ぱんぷ苦になるほど平らげたたべ少しエネルギーがオーバー気味なので昼食は控えようと思っています。

 沖縄といえばこのごろタンカンとパイナップルですが、果樹王国である日本一のみかん産地としては少々物足りない果物の味でした。特にいつも思うことはグレープフルーツは一体何が美味いんだろうと疑問を投げかけます。タンカンとパイナップルが特産品ならばもっと完熟したのを出せばいいと思うのですが、今日のフルーツでは沖縄のPRにはなりませんし、買って帰ろうという気分になりませんでした。パイナップルはやはり缶詰の方が美味しく感じます。

 タンカンはオレンジ系の果物ですが、第一外観が悪いです。果物は見た目より味という風潮もいい傾向だと思うのですが、愛媛ではこの外観だと放任園の雑柑で誰も見向きもしないし売れません。

 この頃になると我が家には晩成のみかんや伊予柑やポンカン類の雑柑が沢山届くようになりました。朝フル会の清水さんが自慢するだけあってこれらのかんきつ類を食べていると何だか幸福になったような錯覚さえ覚えるのです。我が家でも双美町の特産品といわれる煮干とみかん類は全国の仲間に送られ、夕日とともに好評を博しています。農協が一時全量出荷の方針を打ち出し、「美味しいけど買えない」という苦情がありましたが、今では脱農協の人たちが中心になって「顔の見えるみかん」と称して夕焼け市などではんばいしています。

 3日前、群馬県から視察がやって来ました。私が案内する姿を見て、夕焼け市のおばちゃんはわざわざ見ず知らずの群馬の人にみかんを一袋「遠いところからご苦労様」お差し上げるのです。結果はどうなったでしょう。視察が終わって帰り際、視察者たちは「あんな美味しいみかんだったら」と買い求め宅配便で送ることになりました。「若松さん、あなたのお陰でみかんが大分売れました。」と感謝されたのですが、私は「いえいえ私の力ではありません。あなたが視察者にみかんを差し上げたからですよ。損をして得を取るとはこのことなんですよ」と言ったら、また帰り際に美味しいみかんを頂きました。

 昔は籠にいっぱい、手のひらが黄色くなるまで食べたものです。今はこんなに美味しいみかんがいっぱいあるのに、愛媛の人はなぜか食べません。「太るから」だって、「じゃあお肉やジュースやケーキを減らせばいいじゃあないですか」と反論します。今年のみかんは美味しいです。あなたも食べて健康になりましょう。

  「沖縄で食べたタンカンより美味い我が家のみかん日本一かも」

  「絞りたてみかんのジュース喜んで飲む孫やはり元気です」

  「タクシーのラジオ流れる懐かしさ知り人投稿こんな所で」

  「旅に出ていつも思うはふるさとの人海夕日花に食べ物」

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shin-1さんの日記

○修学旅行とおばさん旅行

 今は旅行業界はシーズンオフと思いきや、沖縄の何処へ行っても修学旅行とおばさん旅行の集団に出会います。昨晩は久しぶりに交際通りを歩きましたが、一見修学旅行と分かる集団が街中を闊歩していました。修学旅行といえば何といっても「安い」です。昔の修学旅行は大きな部屋に足の踏み場もないほど布団が敷かれ、枕を並べて枕投げなどをして遊んだものです。しかしつい最近の修学旅行はそんな大部屋を持っているホテルはありませんから個室なのです。この季節はシーズンオフでホテルや観光業者にとってみたら修学旅行は救世主のような物で大助かりなのです。したがって多少割安な料金で、多少サービスを落すのです。

 街中を歩く高校生を見て思うのですが、服装が何となくだらしない感じがします。スカートの短さはその時代の風潮ですから気にはなりませんが、それにしても制服の下からシャツを出し、それでも顔には薄めの化粧をしている姿からはもう大人の風格です。でも考えや行動は全く幼稚で、国際通りを我が物顔で歩く姿に、今年の成人式にこの国際通りで暴れた新成人の姿をダブらせました。

 高校生の間を元気に歩くおばさん集団を何組も見つけました。金と暇のあるおばちゃん集団は、旅の恥は掻き捨てのような行動をするし、お土産は行く先々で宅配便扱いです。大勢の力を借りて値切りまくり、『お客さんかないませんなあ」と定員を呆れさせていました。

 沖縄名物のちんすこうの試食箱は空になるほど食べまくり、泡盛もまるで酒盛りかと思うほどに飲みまくり、買うのかと思えば平気で飲み逃げです。多分今晩は食事に繰り出し、そんなやり取りをあたかも殊勲のように酒の肴にするのでしょう。

 人のことをどうこうは言えません。かくいう私の妻も今ごろ北海道の大通りに繰り出し、同じようなことをやっていると思うとぞっとします。ああなげかわしやおばさん集団です。

 青森から来た夫婦連れに会いました。今年の3月で定年退職だそうで、退職記念に暖かい沖縄旅行を選んだそうです。偶然にも同じホテルだったようで、今朝朝食会場で同席して、退職後の感想を聞かれました。「話せば長い事ながら」ではありませんでしたが、こんなほのぼの旅行もいいもんだと思ったものです。

 旅か旅行か、その方法は色々ありますが、観光カリスマの私としては経済効果の上がる旅行より、目的をもった心の選択が出来る旅に、日本もそろそろギアチェンジしないとダメですね。

  「泡盛をあれもこれもとはしごするおばちゃん顔をすっかり赤らめ」

  「高校生シャツを出してる入れなさいあんたは古いこれはおしゃれだ」

  「試食箱ないよと店員大慌て買うか思えば隣の店に」   

  「憧れて沖縄くんだり来たと言う退職記念の夫婦ほのぼの」

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shin―1さんの日記

○私のスケジュール

 市町村合併というきっかけを機に仕事を辞めて間もなく一年が来ようとしています。35年間終身雇用のような大河の流れの中に、何のためらいもなく身をおきながら生きてきた私にとっっても、また私の周りの家族にとっってもその事実は大きな変化でした。冠や裃を取ったとき本当の人間の値打ちが決まるなどと豪語して望んだ「自由と」いう名の生き方でしたが、大きな不安もありました。無職ということ、家計を支えるということ、家にいるということ、健康ということなどなど、日々の暮らしの支えがない人間の心境は相当なプレッシャーでした。でもこの一年、すぎてしまえば何ていうこともなく、むしろ前にもまして忙しく振舞う私を見て、一番身近な妻が一番安堵しているのではないかと思えるのです。無職という肩書きも大学や旧町のご配慮で非常勤講師や夕日のミュージアム名誉館長という適当な役職を適当に使い分けています。給料はなくなったけど年金生活までの2年間、勤めてくれる妻の紐になりながら基礎年金で飢えもせず持ちこたえられました。家では濡れ落ち葉も家でゴロゴロすることもなくこれまた適当に外に出て過ごしています。また心配された健康も2ヶ月に一度の健康診断結果も上場で、お医者さんからは次の健康診断までの賞味期限を約束してもらえるなど、前にもまして元気になりました。

 自分の家の中にいると自分を見失う恐れがあるので、家から最も遠い沖縄に来たことを契機に、自分の一年を総括し、これからの行き方をあれやこれやと考えてみました。今回沖縄の旅に出る間際、ある友人が『若松さん再三沖縄へ行っているようですが、ライブドア関係の人が沖縄のホテルで遺書も残さず自殺したことが週刊誌に載っていましたが、あなたもそんな旅ではないんでしょうね」と唐突に聞かれました。彼は「いやこれは冗談ですよ」と打ち消しましたが、私はそれほど弱い人間ではありません。それでも余り深刻に考えると、そんなことも連鎖しますので、総括はこの辺で止めて起きます。

 さて、私のただ今のスケジュールは自由人といいながら大変混み合っています。私のような人間にも話が聞きたいと講演依頼が舞い込んできます。4月に自由人になったのを機に「1ヶ月に1週間、まとめて休む」を宣言してスケジュールを調整していたのですが、いかんせん秘書たる人もいないので、結局は以前と同じような忙しさです。

 最近多くなっったのが執筆です。私はどちらかというと人の前で話す講演より文章を書くほうが好きですから、原稿依頼は別に苦にならないのですが、それでもいい原稿を書こうとするとそれなりに読み、それなりに社会の動きに敏感でないとダメです。ブログでパソコン文章作りも随分なれて早くなったので大助かりです。最近は昔に戻って少し長めの原稿も書くようになりました。お陰で旅先では本屋へ入る機械が多くなり、本代もかなりかさみます。家の書斎は本に囲まれています。

 講演ともの書き、それに自治会の世話の合間に人間牧場もやらなけらばならない。ああ、やっぱり私のスケジュールは今日も積んできます。

  「予定表持たずに沖縄来たものの携帯かかっって講演依頼」

  「午前中予定空いてるラッキーとホテルのロビーでブログ記事書く」

  「辞めた春辞めて一年再びに巡りて日々の何と早きか」

  「近頃は何処のホテルもパソコンに向かう人あり時代変わった」

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