shin-1さんの日記

○病気見舞い

 病気になって入院するというのは何とも気が滅入るものです。特に家族にとって誰かが入院するとその世話などで慌しく過ごさなければならないので大変だと思います。滅多に入院しない健康な人が入院すると直りも早く、急いで見舞いに行かないと恥をかくことがあるのですが、二度三度と同じ病気で入退院を繰り返しているような人は、本人は勿論家族の心配も深刻です。そんな人は余り見舞いに来て欲しくない人もいて、「誰にも言わないように」と緘口令を敷いての入院は、見舞いの見計らいが中々難しく気を使います。

 友人からAさんが入院しているという情報が入りました。同じ病気での度重なる入院だけに今回は2ヶ月の加療入院と診断されていて長引くため、みんなには内緒で入院しました。昨日は土曜日だったので午前中見舞いに出掛けました。病院は休みとあって日ごろは混んでる長い廊下も静まり返り、見舞いの人が無言で行き交うだけの寂しさでした。私もかつて入院したことのある馴染みの病院だけに勝手知ったる手合いで病室へ行きました。

 Aさんはベットに横になってラジオを聴いていました。私は携帯電話で訪問を知らせていましたので、心待ちにしていたようで起き上がって話をしてくれました。何でも肝機能障害で検査の数値が考えられないくらい高いとかで、話の途中で尋ねてきたきた奥さんを交え病気談義に花を咲かせました。私より3歳も若くまだ現役ですが、3人の子どものことも目鼻がつきそうなので自分の進退を考えているとも聞きました。青年時代から青年団で鍛錬しまちづくりも共に励ましあってきた最も気が合う仲間の一人だけに、早く元気になって欲しいと願っています。

 病気上がりの決して元気100㌫とはいい難い私ですが、最近になって同年代の仲間が体調を崩したり、先に逝ったりするものですから、気になって仕方がありません。今日の病院見舞いも正直自分の健康に置き換えて考え、少ししんみりしてしまいました。

 「早く元気になって退院しろ」と彼を勇気付け病院を後にしました。

 家に帰ってそのことを妻に話すと、その日は何故か妻が優しいのです。もっと長生きして欲しいとの魂胆でしょうが、「お前が毎日こんなに優しかったらええのに」と皮肉を言ったら、「私は毎日優しい」とやり返されました。

  「病院へ友の見舞いに行く私次は逆さにならぬ限らず」

  「足音で誰だかわかる長入院病は気からと勇気付けるが」

  「寒さなど分からぬ病室常春で快適なのに恋しき我が家」

  「やつれ顔少し痩せたと世辞言葉言って病室ドアノブそっと」

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○消防団の法被

 今日は消防団の出初式だそうです。早朝7時有線放送のサイレンが防火の意味を込めて鳴り響き、出初式を告げました。合併した今年は消防団にも変化が起こり、団員の法被がこれまで慣れ親しんだ双海町から伊予市に様変わりしました。今朝散歩をしていると伊予市と大書した法被を着た人たちがあちらこちらを歩いている姿を見て、何か違和感を覚えたのは私一人ではないのではないかと思います。大雨や災害の度に双海町の法被がわが町の人命や財産を必死になって守ってくれました。特にわが家の裏山は地盤が弱く、何度も災害に見舞われましたが、双海町の法被は大活躍でした。ここにも合併で消えたもの、新しく生まれたものがあるようです。

 消防団は日本が世界に誇るコミュニティボランティアです。近年は地域の高齢化によって、またボランティア精神やコミュニティ社会の崩壊によって消防団も存続の危機に直面しているようですが、防火防災が大きなテーマの現代にあって、消防団は何としても残し伝えておきたい組織だと思われます。私たちは消防団にのみおんぶにだっこするのではなく、自治会なども積極的に安心安全面での自主防災組織を作るなどして、自らの地域は自らの力で守ってゆかねばなりません。

 私もかつては消防団員として在籍し、役場に入ってからは役場消防班員として、消防活動に加わりました。これからはその経験を生かし自治会長として及ばずながらお手伝いしたいものです

 私の家に、今では文化財のようになってしまった一台の手押しポンプが保存されています。廃品回収の憂き目に会った手動のポンプです。今は自動化されたポンプになりましたが、かつてはこのポンプも最新の道具として、高い金を払って購入したに違いありません。骨董を趣味としている親父が譲り受けて磨いたものですが、さすがに年代物で防火思想の普及にはうってつけ、見学にこられた方々も珍しそうに触っています。

双海町から伊予市に変わった法被、手押しポンプから消防自動車に変わった消火道具、時代は変わっても消防の重要性は今も昔も変わってはいません。

  「父磨く手押しポンプの古めかし豊かな社会見向きもされず」

  「出初式興味あるのは後宴会綺麗どころをはべらせ飲んで」

  「新しき法被凛々しい消防団長靴ネクタイ合わぬ思うが」

  「寝たきりの叔父も昔は団長で胸に功績バッチ付けてた」 

 

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shin-1さんの日記

○今年の夢

 新しい年の始まりあたって今年の夢を考えてみました。私ぐらいの年齢になるとさすがに健康第一を考え、夢など早々見つかるものではないのですが、私の今年の目標は何といっても昨年始めた「人間牧場プロジェクト」の完成を目指しています。「人間牧場プロジェクト」には「水平線の家」などのハード面を整備することもさることながら、人間牧場を使ったソフト面の充実も図らなければなりません。私一人がやることですからそんなに大きな事業は出来ませんが、当面はミニフォーラム「宮本常一からの学び」と題する20人程度の集会を3月までにやって、「水平線の家」の使い勝手をテストする計画です。そして6月には「逆手塾」の誘致が決まっていますので、その実現に向けて全力投球をしたいと思います。既に広島の和田さんや宮崎さんからは、様々な情報発信手段で熱烈なラブコールがかかっています。

 そのために今日、第2期工事の着工に向けて息子と人間牧場で打ち合わせを行う計画です。第2期工事は念願の五右衛門風呂館の建設です。既に土台工事は完成しているので大工工事は簡単だと思われるのですが、左官工事が難工事ではと心配しています。何せ第1期工事に思わぬ出費がかさみ軍資金が底をつきそうなのです。もう一つやらなければならないのは、人間牧場に隣接する用地の購入です。地権者の方とは既に接触して売ってもいいとの了解を得ているのですが、金額面でどうなるか心配です。

 次から次へと広がってゆく私の夢は、妻に言わせれば「あなたの夢はもう限界にした方がいい」というのですが、「これ以上家庭を巻き込まないで欲しい」というのが正直なところでしょう。しかしそう言いながらも自分の友人に「人間牧場を作っている。そのうち遊びにおいで」などと盛んにPRしているのです。

 人から見れば他愛の無い私の夢ですが、それでも私にとって今年最大のプロジェクトであることは言うまでもありません。

 昨日、昨年まで上灘中学校の校長先生だった窪田久谷中学校の校長先生が人間牧場へやって来ました。窪田先生はトンボの製作で昨年度随分世話になった方です。人間牧場に赤トンボの館を建てる計画に同調していますし、これから赤トンボを特産品として売り出す算段も考えています。

  「初夢を追いかけ今年もひたすらに一本の道てくてく歩く」

  「夢があるだから今日も楽しくてせっせと道具砥石で磨く」

  「見た夢とやる夢違う落差あり見た夢やれずやる夢やろう」

  「ああでもないこうでもないと思案する夢は果てなく宇宙の彼方に」

 

 

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○シップを張る

 私の毎朝の日課は、朝起きると同じ敷地内の隠居家を訪れ親父の機嫌を伺う事からから始まります。春夏秋冬夜明けの時間は異なりますが、親父は一貫して毎朝5時には起床しています。漁師だった親父は漁に出てた頃は漁村でも早起きの部類で、誰よりも早く出漁していましたので、その頃から比べると遅くはなりましたが、5時過ぎにはテレビの音が離れた私の部屋にも伝わってくるほど早いのです。早寝早起きをモットーにしている親父の影響は、親父の早起きの姿を見ていたからかも知れません。

 「じいちゃんおはよう」と耳の遠い親父に声を掛けると、「何っ」と問い返してきます。私は「じいちゃんおはよう」と同じ言葉を二度繰り返すのです。一見面倒くさい感じもしますが、これが親父と私のコミュニケーションのとり方なのです。

 若い頃大病を患った父も最近までは元気に暮らしていましたが、さすが88歳の老域はいかんともし難く、あちらこちらが痛いと訴えるようになりました。特に腰は毎朝病院で作ってもらったコルセットを巻いて重装備の出で立ちですが、毎朝この腰に病院からもらったシップの張り薬を2枚張るのは私の役目なのです。

 昨日までのように寒い日は冷シップを調節肌に張るとまるで冷蔵庫に入ったような冷たさで、身震いしていますが、それでもこれが健康のためと我慢しています。また私が昨日までのように少々長く旅に出ると、家内に張ってもらうようですが、息子の嫁とはいいながらさすがに異性を意識するのか気がねがあるようで、「進一は何処へ行ったのか。いつ戻ってくるのか」と妻にしつこく尋ね私の帰りを待っているようです。

 歳をとっての隠居生活は時々不安になるようで、目や耳が不自由になったためか、枕元には病院、息子、娘の電話番号を大きく書いて、いつでも電話できるようにしています。面白いのはその大書した電話番号の中に鯉屋さんの番号もあります。池で飼っている鯉の救急病院とでも言うべきなのでしょうが、自分の病気と鯉の病気を同じに考えているのです。

 これからも寸暇を惜しんで親父の隠居を覗いて世話をしてやろうと思っています。

  「寒い朝シャツを上上げシップ張る思わず身震い父の背中が」

  「今朝もまた少し縮んだ父の背に手を暖めてシップ張るなり」

  「米食って八十八の米寿まで乗り越え生きた人生立派」

  「テレビ音ボリュームいっぱい賑やかにまるで劇場だのに一人で」

 

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○好きになれない携帯電話

 私は今でも携帯電話を好きになれません。この3日間長旅で家を空けていたものですからメールも見れず、連絡はもっぱら携帯電話と相成りましたが、電車の中や講演中もじゃんじゃん鳴って対応に大忙しでした。電話は相手の置かれている立場が分からないので仕方がないと思いますが、それにしても驚くほどの数の電話が携帯にかかってきたのです。丁度運悪く旅の荷物を軽くするため予定表を家に置いていったものですから、対応に苦慮しました。昔は家にあった電話が今は人間について歩く時代になって、便利にはなったけれど電話に追いまくられる生活は、何とも不自由な日々です。

 私にかかってくる電話の中で多いのは人の紹介です。「××の研修会をしたいのだが、誰か良い講師はいないか」とか、「××という先生に講演を依頼したら断られた。あなたから依頼すれば何とかなる」など、まるで「私は口入屋か」と言いたくなるほどの電話です。私の人脈の広さと深さを察知してのことでしょうから、それなりの対応をしてあげることもやぶさかではありませんが、紹介だけならまだしも「あなたから一押ししてください」は中々骨が折れるものなのです。もっと大変なのは「講師料がないので何とかして欲しい」と泣きつかれ、講演料まで私に折衝させるのですからし正直しんどいです。

 昨日の一件などはひどいもので、自分たちの都合で日程が変更になりながら、変更の通知もせず講師に叱られて「あなたから詫びて欲しい」とのことだったので、「そんな失礼があるか」と電話で担当者をしかりつけましたが、私が口をを聞いた人なので講師に詫びの電話を入れました。その講師から苦情を言われましたが、昨日ははそれで一日中振り回されてしまいました。それでも携帯電話があったから昨日の内に処理できたのですから携帯電話にお礼を言わなければなりませんね。

 講演会場で昨日司会者が、「携帯電話をお持ちの方はマナーモードに切り替えるか電源をお切りください」とアナウンスしたにもかかわらず、会場で数回携帯電話の呼び出し音が聞こえました。その都度話している私は気になって話が中断するような違和感を覚えました。また列車に乗っても同じようなアナウンスがあるのですが、相変わらず大きなな声で車内での対話となっていて、不快感を表す人もいたほどです。

 私のような古い人間は携帯電話の呼び出し音を聞くとドキッとします。携帯電話は今の社会には必要な道具かも知れませんが、せめてマナーは守りたいものです。

  「どれ程の機能があっても使えなきゃ何にもならない携帯ポッケに」

  「携帯で話しながらもお辞儀する敬服しますあなたの態度」

  「おばさんの着メロ何とアイドル歌思わずみんな振り向きええっと」

  「左手に携帯右手タバコ持ち粋な姉ちゃん信号で止まる

 

 

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shin-1さんの日記

○旅から帰りました

 11日に出発した3泊4日の旅もやっと完結し、今日の昼ごろ我が家に帰って来ました。あれ程寒かった外の気温も上昇気味で、今日は私の帰りを待ちかねたように雨が降り出し、気温も一気に3月頃の陽気だそうで、何はともあれ大雪の心配はなくなったようです。でも一気の気温上昇は雪崩の心配があるそうで、雪国の義とにとって今年は春まで気を抜けない日々のようです。

 愛媛を出発し、滋賀県米原市で一仕事してから名古屋、塩尻経由で山梨県甲府市で二仕事目、明くる日山梨学院大学で三仕事目、その後東京に出て国会議員の先生に会って愛媛へ巡回回帰したのですが、やはり日本は広いですね。菜の花や水仙の咲く愛媛、雪に埋もれた滋賀県米原市付近、中部山岳地帯の岐阜県、湖が結氷していても360度の視界が開け、南アルプスが抜けるような青さの中で輝いていた山梨県甲府盆地、喧騒著しい東京と、同じ冬でも気候風土はまるで別世界のようでした。そしてそれぞれの地域でそれぞれの人間の暮らしが営まれていることも大きな驚きでした。

 今回の度は飛行機を使わずスローな旅にこだわってみました。松山から京都までバスだと7時間、徳島周りで鳴戸大橋、明石海峡大橋を渡って京阪神に入りました。京都から米原市までは新幹線を使わず在来線快速で1時間余り、その夜は駅前のビジネスで一泊、明くる日は新幹線で名古屋へ出て、名古屋から中央本線で塩尻まで行き、甲府へとたどり着きました。

 旅に出るときは切手を貼った一日三枚×日数分ののハガキと2冊程度読みたい本を用意して行くのですが、スローな旅は車窓に目が行って結局は本を読むでもなく、ハガキを書くでもなくのんびりと過ごしてしまいました。でもこれが本当の旅の楽しみ方かもしれませんね。前に乗ったおばちゃんともつれずれなるままにおしゃべりをしていい旅でした。

 米原のルッチ大学はもう5年間も続いている生涯学習講座です。私との縁でルッチ大学の一期・二期生はわざわざ双海町まで修学旅行にまでやって来てくれました。今回も80歳を過ぎてもかくしゃくしているおじいちゃん学生や大学生学生入り乱れた多異年齢のルッチ大学から多くのことを学ばさせていただきました。

 甲府では山梨県町村議長会の招きだったのですが、県知事さんや、副知事さん。、県議会副議長さん、各部長さんにも交流会でお会いし、観光課の皆さんとは楽しい宴席を張ることが出来ました。

 昨日は急遽、友人舩木上次さんのたっての依頼で山梨学院大学の教壇に立って280人の学生の前で特別講義をやりました。普段は私語の多いといわれる学生を90分わが話術に引き込んで、笑いの中でアドリブ講義は無事終了しました。

 高速道路を120キロで飛ばし参議院議員会館に乗りつけ、林芳正参議院議員と懇談して私の本を2冊差し上げ、留守でしたが団本幸男事務所で高橋秘書さんと談笑し、次の作戦が見えてきそうな予感がし始めています。

 出会いは幸運をもたらします。3泊4日は楽しい旅となりました。正月ボケしていて、2週間ぶりに締めた首のネクタイが少々きつく感じましたが、さあ忙しい2006年の幕開けです。

  「ネクタイを久方ぶりに締めて出る旅立ちりりし正月の月」

  「スロー旅長く乗るのに何故安いそんな疑問の深夜バス乗る」

  「富士山は何処から見ても日本一俺の自慢だ寿司そば食いねえ」

  「身の程もわきまえ知らず会いに行く国会議員に自著を差し出し」

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shin-1さんの日記

○旅に出ます

 明日から3日間旅に出ます。今回の旅目的は大きく分けて2つあります。一つは旧滋賀県山東町、今は合併して米原市になりましたが、そこのルッチ大学に招かれました。伊吹山の裾野に広がる山東町は水清く天然記念物になっている蛍を通して知りあい、生涯学習の組織であるルッチ大学の方々と親しく交流を続けています。顔見知りも多く、前回は素敵な町長さんとも出あわせていただきました。

 もう一つは山梨県長村議会議長会の招きで甲府市での講演です。東京フォーラムでの全国監査委員研修会が縁であちらことらからお座敷がかかり、こうして出かけるのです。

 四国愛媛県からの行程は大阪まで飛行機で飛ぶか特急しおかぜや新幹線を乗り継ぐかで滋賀県まで行けますが、私は松山発の高速バスで京都まで行き、そこから在来線で米原までの方法を考えました。何時も同じ行程では新しい旅の発見がないからとインターネットで探しました。山東町で仕事の後は泊めてもらって、あくる朝米原から新幹線で名古屋へ行き、そこから塩尻まで山の中を特急に乗り継ぎます。そして塩尻から甲府へ入る算段です。雪深い所を通る楽しみもあってこの行程を選びました。上手く乗り継げるか心配ですがとに角やってみます。その夜は山梨県知事さんも出席するレセプションに参加する予定ですので、今回は新しく作った人間牧場主と印刷された名刺を余分にポケットへ忍ばせました。

 甲府で一泊後帰りはのんびり東京へ出て、東京の空気を吸って帰ります。

 昔はこんな長旅をすると決まって起点となる駅や飛行場まで妻が送迎してくれていましたが、今は近くに駐車場の確保が出来て自分ひとりの出発です。松山インター口7時45分の出発なので遅くとも6時30分には家を出たいと思っています。

 旅に必要なものは体と「木になるカバン」、それに今回はデジカメと切手を貼ったハガキ数枚を持参します。本当はカメラなど持ったことがないのですが、今年から旅をカメラスケッチしてみようと思っています。旅の楽しみが増えるかも知れませんね。

 旅には目的がありますが、近頃の若者は無目的な旅もするそうです。私の場合は目的のある旅に無目的な行程を選んでいます。少しワクワクしてきました。

 明日から3日間ブログは「書き込み休刊日」です。

  「その昔松尾芭蕉は旅に出た俺は旅にて何をつかむか」

  「日本地図頭に浮かばせ旅を練る明日は車窓に雪の積もるを」

  「妻今宵旅立つ準備下着入れ寒さ予測のパッチ増やしぬ」

  「携帯の充電できたとランプ消え全て整う旅立ち前夜」

  「

 

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○わが家のサウナ

 私は毎朝、昨晩の残り湯を抜かずに取って置き風呂の中で髭を剃るのが行動パターンです。我が家の風呂は只今私たち夫婦と次男しか入らないので勿体無い気持ちもあってあくる朝再利用のつもりで使っているのです。その後は小さなポンプで脱衣場の洗濯機でこれまた再利用するのですから、3度も利用すことになります。温度の冷えたこの頃はぬるま湯のようなので時にはボイラーのスイッチを入れ足し湯をしますが、普通はぬるま湯でゆっくり15分くらい物思いにふけって髭をそるのです。妻はそんなことしないようにと再三に渡って注意しますが、当の本人はいたって真面目にステンレス製の風呂を使っています。

 そして私が時々やることは、何とこの残り湯を使って家庭用サウナをやるのです。「えっ、そんなこと出来るの?」と言われそうですが、何のことはありません。浴槽のお湯を少し抜いて身体を丸くして窮屈ですが顔だけ水面に出し、風呂の蓋を中から閉めるのです。そうすると中の蒸気が充満し家庭用サウナ風呂の出来上がりです。5分もすれば汗が噴出してきます。

 先日これをやっていて、息子が麻風呂に入ろうとしてふろの蓋を開けた瞬間「母さん、お父さんが風呂の中で死んどる」と大騒ぎになりました。私は真面目に家庭用サウナを楽しんでいるのに「死んどる」とは何事かと言いたかったのですが、「お父さんドッキリカメラじゃああるまいし」と息子に怒られ、妻からは「お父さん変なことはしないで下さい」と大目玉でした。

 でも快適とは行かないまでも、私の家庭用サウナを今朝も一人楽しみました。お陰ですっきりしました。あなたも是非一度お試しください。くれぐれも「死んどる」なんて言われないような防備を忘れずに・・・・・。

 先日雑誌を見ていたら、同じようなことをしている人のことが記事に載っていました。興味深く読んだのですが、世の中には面白い人がいますよね。はい私もその面白い人の一人なのです。

 「家庭用一人サウナ」愛用者の私がつい最近凝っているのは、温泉のサウナ風呂です。今年に入ってもう2回も温泉に行きましたが、その都度サウナに入ります。サウナから出た時のむ冷たい水風呂は何とも快適です。心臓に悪いからと人は言うのですが、これもやると病みつきになります。お試しあれ。

  「父死んだ叫ぶ息子に生きとると風呂の中から顔をニョッキリ」

  「サウナ風呂水風呂交互に繰り返し減った以上にビール飲む人」

  「変なことしないで妻に注意されそれでも止めぬ俺は変人」

  「風呂入れば俺より溢れる湯の多さここでも主役妻の容量」

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shin-1さんの日記

○荒れる成人式

 昨日行われた沖縄の成人式が今年も荒れたと、今朝のテレビで報じられていました。出演したコメンターからは「今時の成人者はけしからん」「成人式を主催した行政は何をやっているのか」などと、相変わらず傍観者的発言が目立ち、本質に触れるような発言が少なかったような気がしてなりません。

 テレビを見て思ったのですが、画面に登場する茶髪にピアス、羽織袴の姿は何とも奇妙な和洋折衷の光景でした。しかもあの羽織袴に沖縄の地酒泡盛を浴びるのですから、貸し衣装とはいえ洗濯代を加えると相当な出費に違いなく、酔いがさめた頃には「しもた」と自戒の念に駆られることでしょう。

 新成人の彼らが国際通りという沖縄を代表する目抜き通りで繰り広げたパフォーマンスを、「沖縄の恥」と見るか、「沖縄の戦争という悲劇が生んだ後遺症」と取るかは議論の分かれるところでしょう。でも私たち大人が新成人たる若者の行動を見て、「新成人の自覚も足らない」と罵声を浴びせて解決するようなそんな生易しい社会ではないことに、私たち大人は気付かなければならないのかも知れません。

 私たちは若者たちの置かれている立場を理解しなければなりません。知識万能な競争社会や落ちこぼれたた子どもを切り捨てる非人間社会の中で育った若者は、こんな行動しか親や社会に反抗出来ないのです。

 言葉の暴力だって日常茶飯事、親子の対話なんて「早く、頑張って、勉強」という親と、「金、飯、うるさい」の単語しか交わせないのです。これはもう対話ではありません。あの優しかった子どもが何故中学、高校、若者と成長するにつれて悪変身して行くのか、考えなければなりません。

 成人式のありようも問題です。集まった若者に、市長や議長といったお歴々が選挙運動の延長のような

説教を式典の大半を費やし、成人者代表も勉強の良く出来た子どもを選んで、歯の浮くようなこちらが仕組んだ誓いの言葉を言わせたところで、出来ない、出来なかった若者の反感反発を招くだけなのです。

 しかし、一方では真に新成人になったことを自覚する大半の若者がいるということも見逃してはいけません。結局はどうすればいいのと解決策は暗いトンネルに入ってしまいますが、要は若者たちの「何がしたいのという要求課題」と、成人の日を意義あるものにするために「何をさせたいという必要課題」の折り合いを求め続けていかなければならないようです。

 私が成人式の頃は、なんて述懐はもう古くなりました。社会は変化しています。成人式は変化の中の流行と不易を見極める時期なのでしょう。

  「あの子たち馬鹿じゃあないのいいながら今年も続く荒れた式典」

  「金かけた衣装に酒を浴びて飲むこれしか出来ぬ今の若者」

  「若者の出すシグナルは赤信号気付いていても誰も止めれず」

  「おめでとう日本中が日の丸を掲げて祝う祝日悲し」

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○満が悪い

 私たちの町は漁村です。したがって漁村でしか分からない言葉が沢山あります。「満が悪い」という言葉も何気なく使っているのですが、「えっ、それどういう意味ですか?」と先日も町外の人に訊ね帰されました。

満とは運のようなもので満を運に置き換えるといいかも知れません。漁師さんがその日の漁が上手く行かず不漁の上網を破り機械まで故障した場合などは、「満糞が悪い」と満に糞までつける有様で少々下品な言葉になってしまいます。

 昨日人間牧場で作業をしていると顔見知りのおばちゃんに会いました。おばちゃんは88歳、私の親父と同い年です。「親父さんは元気ですか」と会話も弾みましたが、結局は「歳をとって体の衰えが目立ちつまらない」と嘆き節でした。また一人身の家が増えたことを嘆き「この集落は10年後空き家が目立つようになる」と将来の予測まで話してくれました。

 「ところで私の同級生のAさんは元気じゃろうか」と尋ねてみました。「元気なのは元気なのじゃが、あの人も満が悪いねえ」と言うのです。おばちゃんの話によるとAさんの奥さんは年末に腹がうずき病院に行ったところ膵臓が悪いと診断されどうも重い病気らしい」というのです。Aさんは農業高校を卒業後家業の農業を継いでいましたが、折からのみかん暴落のあおりを受けて農業を妻に任せてサラリーマンになりました。穏やかな物腰で地元の信望も厚く消防団や公民館活動にも協力的で消防団では幹部にまでなりました。Aさんには障害を持った妹がいます。お母さんも今は寝たきりだそうです。私より早めの55歳で退職し、農業をやっていますが、奥さんが病気となるとこれまた大変です。おばちゃんの「満が悪い」という言葉があったので人間牧場からの帰り道、少し遠回りをしてAさんの家へ立ち寄ってみました。あいにく留守で逢うことが出来なかったのですが、早く奥さんの病気が快方に向かい元気で暮らして欲しいと願っています。

 60の坂を越えると何があっても不思議ではありません。親父も一応元気、妻も元気、子供たちもそれぞれの道を進んでいます。何気ない暮らしの中に「満の良さ」を感じなければバチが当ります。「満は運」といいましたが、「満」も「運」も努力なしでは勝ち得ません。でも努力しても「満」や「運」に見放されることだってあるのです。そんな場合は襲い来る「満」や「運」を嵐だと思ってじっと嵐の過ぎるのを待つしか方法はないのです。でもあらかじめ嵐に備えることも大事でしょう。今全国では何時来るか分からぬ南海地震への対応が話題になっています。少しだけでも備えの心を持ち、少しだけ備えの行動をしたいものです。

  「満悪いそう思ってたわが人生実は努力が足りないだけだ」

  「一十百千満全て悪くないせめて一つに望み託して」

  「満求め海にお神酒を捧げたる鉢巻漁師祈りの朝に」

  「満を持し建国二百のアメリカへ旅立つあの日懐かしからん」

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