shin-1さんの日記

○スーパー公務員

 世の中には色々な塾があるもので、今日ある人から頼まれて「スーパー公務員養成塾」なるものに話をしに出かけました。かつてフロンティア塾を10年で40回主宰した私としては、塾活動にいささかのこだわりを持っておりますが、行ってみると学生を含めて40人もの人が集まって真剣な学習会が行われていました。勿論公務員もいますが会社員もおり、少し驚きました。

 『「公」にたずさわる「志」ある人材を育成し、その裾野を広げネットワークを形成します。政策提言が目的ではなく自らの持ち場でリアルを変革していくことを目的としています。とある趣旨は理解できるのですが、こんな目的でよくもまあ日曜日の昼下がり集まるものだと感心しました。

 自称スーパー公務員であった私としては願ったりかなったりのボランティア出番だったため、一もにもなく引き受けたのですが、相手かまわず1時間長スピードアップで話してしまいました。何せ私はその場の雰囲気で話すタイプなので、参加者の心をつかんだかどうかは未知の世界です。でも残り10分で短い質問をお願いしましたが、5名の方から核心を付いた矢継ぎ早の質問に答えながら、この会の志の高さに驚きました。

 私が志を高くして走り抜けたからかも知れませんが、最近の公務委員には覇気がなく、指示待ち人間やイエスマンが多すぎるように思われます。やらないことをやれないという公務員も多いし、ましてや合併によって自分のよすがとなるふるさとの未来に夢を描いたりする人がめっきり減りました。

 でも今日集まった人たちは少しずつ自分のスキルを高めようとしています。見上げたものです。心から大きな拍手を送ります。頑張ってください。そして今日話した人間牧場へも学びに来てくださることを勧めます。

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○百円ショップ

 人間牧場・水平線の家の掃除をするための道具として箒と塵取を買いました。松山に行った帰り、妻とたまたま立ち寄った百円ショップの店へ入って驚きました。何と「これも百円?」と目を疑うようなものが全て百円なのです。「あなたこれを百円あげますから作ってください」と言われても絶対できっこないものが広い店内所狭しと置いてあるのです。中にはメイドインジャパンでない東南アジア系のものもたくさんあるのですが、使い捨てもここまで来たかと感心して店内を回りました。お客さんの数も相当なもので、老若男女を問わずお目当ての物を篭いっぱいに詰め込んでレジへと向かっていました。使い捨て社会もここまで来たかと感心させられました。

 さて私の買った塵取(プラスチック製)もバケツも全て百円でした。これほど安いのなら壊れても気にしないって感じがするところが浪費の始まりのような気もします。それでも塵取もバケツも立派なものでせいぜいこれらを使ってしっかりと掃除をします。

 もうひとつ買った物があります。それは封筒です。私はこれまで35年間役場に勤めていて、私的なものでない限りは役所の封筒を使って文通をしてきました。ところが役所を辞めた今では封筒ひとつも用意せねばならず、最初は届いた封筒を逆さにして張り合わせ使っていました。環境にやさしいことをしていると思っていましたが、妻が「そんな貧乏くさいことしなくても」とか「貰った人の気持ちになって」などと言うものですから、封筒を買う羽目になったのです。

 デジタル人間ではなく自称アナログ人間を自認する私としましては、封筒は大切な道具です。まとめ買いをしましたので当分の間安心です。

 人間牧場が開かれたら、人間牧場印の封筒をとも思っていますが何時になるか分かりません。そうそうパソコンの印刷用紙も買いました。コピーはコンビニでやったりしますが、コンビニのないわが町ではそれも不自由です。とにかく一事が万事役場といういい所につとめていたことに感謝する今日この頃です。

 妻の買ったものを見ましたが、私はくだらないものと思っていましたが、これが日常生活では結構便利なものばかりで、百円ショップは今や我が家の目の見えない部分で結構働いているkとに改めて気が付きました。もう一度近々に百円ショップを訪ね、水平線の家の栄かつ用品を整えたいと思っています。

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○日本は広い

 鳥取県米子市で開かれている「全国生涯学習フェスティバル」に行って来ました。インタビューダイアローグ「地域の宝再発見」という聞きなれない集会のパネラーとして登壇しました。要はパネラーと参加者がインタビュー形式で議論することなのですが、とてこ面白く充実した集会となりました。会が始まって間もなく米子市文化ホール・メインホールのマイクが故障するというハプニングに、みんな大慌てでした。あの広いホールのステージで、地声で参加者に話さなければならないのでボディランゲージもいいとこで、散々苦労しました。でもそのことがかえって参加者をひきつけ盛り上がりました。

 得意の落語でまちをPRする大分県佐伯市の矢野大和さんに20数年ぶりに会いました。すっかり有名人になって、私との掛け合いは爆笑の渦でした。

 ここでも人間牧場の話に花が咲き、いよいよ後戻りできないところへ追いやられてゆくのを感じています。鳥取や島根には講演活動で知り合った知人友人も多く、会場には何とたくさんの私の追っかけが来ておりびっくりしました。もんな人間牧場へ来ることを夢見ておるようで、もし訪れたなら私の巧みな話術?と現実の落差にきっと驚くことでしょうが、これも仕方のないことです。早く次の作戦に進まなければと決意を新たにしました。

 それにしても今はデジタルの時代ですね。私は始めて人間牧場のことを鳥取県で話すのに、心ある人はみんな人間牧場のことを知っているのには驚きました。ブログもそのひとつで、意外とと多くの人が見ているようです。私はこうして記事を書き込むだけで、ブログでの交流はまだ進んでいいません。早く一人前になりたいのですが、こう忙しくてはそれも中々思うにまかせません。

 でも、たった一日しかブログを空き家にしなかったのに、旅先でも旅の途中でも気になって仕方がありませんでした。いよいよブログ人間の誕生ですね。

 「弁当を忘れても傘を忘れるな」という山陰の言葉どおり米子は秋雨でした。でも雨の山陰も何処となく素敵な雰囲気でしたが、帰る途中前輪左のタイヤがパンクして大変な目にあいました。深夜ながら運良くガソリンスタンドの前だったため何とかタイヤ交換をして帰りましたが、一万円の思わぬ出費です。

 旅に金をかけない方針に従って、しまなみ街道経由で一般国道を走りましたが、一時間余り余分にかかっただけで到着し、再び元の道を帰りました。何年ぶりに通った国道沿線は合併によってすっかり様変わりし、「えっこんな町あったかな」と錯覚するほどでした。カーナビに助けられて走りましたが、カーナビの情報がかえって新鮮ですね。

 今は少し寝不足の感じでパソコンに向かっています。仮眠をとって松山の集会に参加します。はい今日も講演会です。慌てない慌てない。

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○孫の保育所迎え

 久しぶりの日程空きなので、昨日ホームセンターで買い込んだ木質ワックスを持って人間牧場へ行く計画で下。妻に握り飯弁当と水筒を用意させ、いざ出発という時になって娘から電話がありました。孫の朋樹が今朝早く病院へ連れて行ったところ「ようれい菌」と診断されて、保育所登園を止められ家庭待機とのこと、急なことなので職場を休むことも出来ず、お父さんへの助け舟となりました。

 止む無くではなく、少しばかり顔をほころばせて孫の保育所まで迎えに行きました。都会の、しかも病院づとめの人のために作られた保育所なのでマンションの一室のような広場もない保育所ですが、何度も迎えにいっている顔見知りの保母さんから孫を預かり9時に帰ろうとすると、孫はいたって元気で「おじいちゃん、飛行場へ行こう」と誘われました。孫は大の飛行機好きで、父親が毎週土曜日飛行場の側の公園に連れて行って飛行機の話をするものですから、飛行機の機種や航空用語を随分覚えています。先日も「マーシャラー」などと意味不明の言葉を言うものですから、「それ何」と尋ねたら」飛行機が着陸しエアポケットへ誘導する人のことだと知りました。

 公園で飛行機の飛び立つ姿を見たり、しばらく遊んだ後我が家へ連れて帰りましたが、ふれあい公園やシーサイド公園などへ、単車に乗せて行きました。いつの間にか少しだけ大きくなって、いつの間にか随分言葉も覚え、お話が出来るようになりました。オムツも既に取れているので随分助かります。

 正直孫のお守りは疲れます。お昼寝の時間になったので一緒に床に入ると私までも眠くなってウトウトしました。孫と手をつないで寝る幸せを味わいました。

 そんなことで今日は人間牧場の作業がまったくできませんでした。でもこれでいいのです。別に急ぐことはないのですから・・・・・・。あっ孫が昼寝から目が覚めたようです。襖の向こうで「おじいちゃーん」と呼んでいます。それじゃあまた・・・・・・。あっそうそう、今晩から鳥取で開かれる生涯学習全国大会に出かけますので二日ほど、shin-1さんの日記はお留守のようです。悪しからずご容赦ください。

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○文字と言葉の文明

 人間が素晴らしいと思うのは、文字と言葉の文明を持ち合わせたことだと思います。言葉は日常の暮らしを支える重要な道具です。朝「おはよう」の言葉から夜「おやすみ」の言葉まで、様々な言葉を口から耳を通して伝えます。言葉遣いのうまい人はまるで一生の宝物を得たような人生を送ることが出来ますが、逆に言葉遣いが悪いと相手を不快の念にさせてしまいます。言葉は口だけではありません、目で相手の表情を読みながら耳で聞くのです。耳と心が悪いとどんな言葉も実になりませんから、喋ること聞くことのトレーニングをしっかりとしたいものです。

 一方文字は体の中に染み込んだ知識を手というマジシャンによって書いて行きます。今はパソコンなるものが出来て便利になり、書くというよりは打つという手法によって機械が私の知識以上の能力でホローしてくれるから大助かりなのですが、今度は変換ミスなど、チェック機能が働かなければ大変なミスを犯してしまいますから注意しなければなりません。

 人間牧場の情報は主に文字と言葉によって相手に伝達します。文教月報や風おこし、それにブログなどへの投稿で、不特定多数の人に文字によって知らせているし、ハガキや手紙で特定の人への伝達も行っています。また講演会や電話での会話など言葉による伝達も盛んにやっています。お蔭様で随分認知されるようになりました。しかし肝心の内容については、文字も言葉もまだまだ伝え切れておりません。後は人間牧場で直接話をすることでしょう。

 私はこれまで、「今やれる青春」「昇る夕日でまちづくり」「ミレミアム2000年その日私は」「町に吹く風」などの自著本を出してきましたが、これらの文字は全て私の体内に蓄えられた知的エネルギーの表現だと思うのです。これからも少しずつ文字と言葉のコンテンツを広げ高めたいと思います。特に当面の目標は人間牧場の文字と言葉です。

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○愛媛大学法文学部フィールドワーク

 私は3年前から愛媛大学の非常勤講師として、「地域振興とまちづくり」というテーマで学生に教えています。教えているというより共に学ぶといった表現がぴったりするかもしれません。夜間主ですから毎週一回午後6時からお話しするのですが、他の先生と違って知識を教える野ではなく、自分の経験を語ることに重きを置いています。

 ある先生から、近頃の大学生は人の話を聞かないし、私語や携帯遊び、それに眠ったり休んだりして、学ぶ意欲が感じられなくてうんざりすると聞かされていました。所が私の教室の26名の学生は私の話を良く聞くし、私語もなく携帯電話を授業中には決して使いません。ましてや眠る人もなくちゃんと授業には出てきます。「えっ。どちらが正しいの?」と尋ねられそうですが、そうです。どちらも正しいのです。私の教室はみんな真面目です。多分私の「教える」という意識ではなく「共に学ぶ」という感覚が支持されているのかもしれません。

 今日その26名の学生がマッチ箱のような列車に乗って双海町へやってきました。勿論双海町のまちづくりについて学ぶためです。車を使わないフィールドワークの調査研究であるため、シーサイド公園を見学し、役場の会議室で講義を受け、私の家で遅い昼飯を兼ねた交流会を行いました。

 食事の準備は3年目になりますが私の妻が一人で手間暇かけて作りました。なにせ食べごろの若い学生ですから食材や料理の量も半端ではありません。出すもの全てがまるで猫が皿をなめるように綺麗に平らげてくれました。「こいつらいつも何を食ってんだろう(乱暴な言葉で失礼)」と思うほどに食が進みました。それにしてもいつも感心するのは妻の力強さです。頼む私も私、頼まれる妻も妻、まあよく私の頼みを聞いてくれるものだと感心するばかりです。

 最後は綺麗に片付けて、何度もお礼を言いながらまた列車に乗って帰って行きました。先生と私の違いはどうやらこのあたりに秘密があるようです。今日は親父の池が工事中なので、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館は案内しませんでしたが、彼らはまたやって来ることでしょう。

 今日は疲れたけれど充実した一日でした。本当は山の上の人間牧場でやりたかったのですが、学生にとって人間牧場は余りにも遠いため実現しませんでしたが、来年は下灘駅から歩いて人間牧場へ登らせるのも一考だと思っています。

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○ヨーロッパから電話

 「お父さん。人間牧場の書棚は付いた」。いきなり電話の向こうで長男お声。只今長男は新妻と二人で新婚旅行の真最中、なのに地球の裏側ヨーロッパから、人間牧場のあれこれが気になるらしく、電話がかかってきました。私が青年お船でアメリカに渡ったのは今から30年前、約2ヶ月半もの船旅だったため、その頃は相当の決意で旅立ったものですが、今は飛行機でひとっ飛び、便利になったものです。

 電話の声も国内と何ら変わらず話せるのですから、私のような凡人には、声が聞こえることすら不思議に思えます。それでも二人仲良く旅を続けていると聞いてホッとしています。やはりこれが親心なのでしょうか、息子のゴマすりと分かっていてもやはり嬉しいものです。

 息子は出かけるとき飛行場で、人間牧場のことについて色々支持して旅立ちました。水平線の家の設計者ということもあって気持ちは分かるのですが、どうやら私が息子の意に沿わないことをしでかすのではないかと心配しているようです。

 水平線の家の構想から建築まで、息子との接触で私の考えも随分変わったように思います。安ければよいと思って始めたことさえ、満足行くものを作るに変わったし、原風景を生かす総開きのサッシだってお金は要りましたが、終わってみると息子の主張の方が正しかったと思う今日この頃です。

 親はいつも息子を子どもだと思っています。それは私と私の父との関係も同じで、そこに衝突の原因があるのです。今でも88歳の父との反感反目はそこにあります。分かっていてもそのことが超えられないのはやはり親子だからでしょうか。

 息子は私と同じように英語が話せません。しかしようしたもので、新妻はアメリカ留学の経験があり英語が堪能です。新婚旅行といいながら、ヨーロッパの建築学を学ぶ絶好の機会、さらに知ったかぶりに磨きをかけて帰ってくるでしょう。また親子の溝は深くなるのですが、これも仕方のないことでしょう。

 来週はどんな顔をして二人で帰ってくるか楽しみです。

 家の敷地内に造っている煙会所の周辺が騒がしくなっています。その話は次回に・・・・・・・。

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○健康診断

 初夏から秋にかけて今年はことの他何かと忙しかった野で、約2ヶ月に1度の定期健康診断をうっかり忘れてしまうほどでした。前回の健康診断はお盆の最中だったため、別に気にもせず血液検査や内診を済ませていましたが、2~3日前に健康診断の予定を急に思い出し、今日の診断となりました。

 今日は半年に一度のエコー検査の日であるため朝食を取らないで来るよう言われていたので、空腹のまま9時半県立中央病院に到着しましたが、受付システムが変わっており、右往左往しました。

 エコー検査は慣れない検査技師がお腹の周りいっぱいにゼリーを塗っていじくり回すものだから気持ちが悪くなりました。結局腕利きの検査技師と交代する一幕もあり、「えっ、ひょっとしたら何処か悪い所でも見つかったのかしら」と要らぬ心配をしてしまいました。これもシステムの変更なのでしょうか、診察結果の写真などの分厚い資料を連絡袋に入れて、中が見えないようにホッチキスで止めるのです。「えっ、私が見たらまずいような結果なのかしら」とまた要らぬ不安。受付で貰った書類を渡し待たされること1時間余り、内診が始まったのは11時30分を回っていました。

 病院は患者の利便を良くし、不安を取り去るはずなのに、システムの導入は不便と不安を増幅する結果となりましたが、内診の結果は「異常ありません」「次の定期健診は12月3日です」で事なきを得ました。

 病は気から、だから病気というのでしょう。病院で過ごした僅かな時間だのに、病人だけが右往左往する異様な雰囲気の中で、あらためて健康の有難さを感じました。人間って弱い動物ですね。

 人間牧場の計画が実行に移され始めて、人間牧場にのめり込んでいたため、病気や体のことなどこれっぽっちも感じませんでしたが、これからは快食・快眠・快便をモットーに健康でありたいものです。5年前胆嚢にポリープが見つかり手術のために1週間、昨年チエンソーで足を切って2週間、それぞれ入院を余儀なくされましたが、あれ程好きだった酒を断ち、野菜や魚中心の食事にも気を使って過ごしてきました。これからも、健康第一で過ごしたいと思います。でないとせっかくの人間牧場が生かされませんから・・・・。

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○米一俵の講演料

 今年の夏、高知県奈半利町へmちづくりの講演に出かけました。双海町出身の奈津さんが、高知大学のインターンシップで奈半利町にまちづくりの助っ人として派遣されたことと、NHKラジオ深夜便心の時代で私の放送を聴かれた坂本さん(まちづくりの中心メンバー)がどうしても聞きたいということで実現しました。

 どの町もまちづくりで自立し、あるいは民間ペースで自立しようとしてる所は資金面で苦しく、講演料は米一年分でという面白いアイデアでした。野球の四国リーグで一俵入魂などユニークな支援を続けている話題も合って、面白いと引き受けました。一泊2日の講演を土佐山田町とタッグを組んで出かけました。

 講演が終わって数週間後、10名ほどの視察団が双海町の夕焼けコンサートの見学を兼ねてやってきました。何とその時律儀にも昨日モミスリしたという新米を2とう持ってきてくれました。

 私は一日に昼と夜に茶碗一杯ずつを食べます。したがって一日の米消費量は1合1勺で計算すると、一年間で約1俵となります。つまり一年間で食べる半分を持ってきた計算になります。ところが昨日坂本さんは律儀にも奥さんを連れて残りの米2とうをわざわざ高知から運んできたのです。感激しました。

 早速お二人を人間牧場に案内し、四方山話に花を咲かせました。坂本さんもこんな施設を作りたいと仲間で話し合って、営林署の施設を払い下げてもらい作っているそうですが、中々前へ進めないそうです。私もその施設を見せてもらいましたが、大き過ぎて持て余し気味のようでした。

 坂本さんは新聞の販売店を経営する傍ら、約8町歩の米を作り、6万羽のブロイラーを育てる養鶏を営んでいるスーパーおじさんです。今までに色々な人に出会いましたが、これほどの働き者には出会ったことがありません。それでもニコニコ生きてる姿は大したもので、まるで坂本龍馬のようです。奥さんの作る郷土料理も奈半利に行ったとき食べさせてもらいましたが、中々のものでした。

 アドバイスを求められても、私の上を行く彼にはアドバイス出来かねます。しかし人間牧場は、多くの仲間とやると、難しいから自分の身の丈でやるよう勧めました。人は自分の思うようには動かないものなのです。再開を約束し奥さんと二人で夕闇迫る双海町を後にした坂本さん夫婦はとても素敵な夫婦でした。

 人間牧場が温かい人間関係を結んでくれた一日でした。

 

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○木を切るべきか切らざるべきか

 人間牧場には、かつてみかんを栽培していた名残の防風垣の一部である杉の木が数本残っています。その木は明らかに防風垣だったと思わせるように、一本の根元でありながら途中から数本に枝分かれしています。多分途中で剪定して日当たりと防風垣の両得を望んだのでしょうが、残念ながらその後の手入れも行き届かず、枝分かれしたまま成長したものと思われます。

 眼下に広がる豊田漁港の眺望は残念ながらこの杉の木に隠されていますが、ある人はこの杉垣を切った方が眺望が開けるから良いといいます。またある人は木は絶対切らないようにしないと、気は育つのに時間がかかるともいいます。どちらを信じてよいのか迷いますが、気はいつでも切れると後者の意見を尊重しています。間違いでしょうかねえ。

 木は正直いってない方が見晴らしは良いです。でも冬の季節風のことを思えば残しておきたいのです。何故この地に母が杉を植えたか考えればやはりみかんを風から守ることだったと思うのです。また双海町は地すべり地帯でもあるので木や草は土砂の崩壊や流出も防ぎます。

 今年のように草の勢いが強いと、いっそのこと草枯らし(除草剤)でもと思うものですが、除草剤は草を枯らすと同時にミミズなどの動物や微生物に影響があるといいますし、目先の楽より環境を守ることを考えなければなりません。

 百年の木を育てる気概でこれからも少しずつ木を植えてゆこうと思っています。

 何年か前、レクリェーション全国大会のネイチャー部会が双海町で催されたとき(私たちが主催)、樹木に聴診器を当てて樹内を流れる水の音を聞いて驚いたことがあります。ものいわぬ樹木の中を流れる水の音の不思議なささやきを聞いて感動したものでした。

 みかんの木を風から守るため、人間に痛めつけられながらも必死に生きてきた杉の木を、今度は私が守ってやりたいと思っています。

 

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