shin-1さんの日記

○ヤッホー。「人間牧場・水平線の家」やっと完成

 shin-1さんの日記をご愛読の皆さんに朗報です。やっと「人間牧場・水平線の家」が完成しました。思えば半年にも及ぶ長い出来事でした。構想から計画へ、計画から実行へ、実行から完成へ、紆余曲折ありましたが、家族や多くの人に助けられて、「人間牧場」の本丸とも言うべき施設が完成したのです。

 今日は日曜日だというので友人の稲葉さんが手伝いにやってきました。稲葉さんは自動車の工場を経営しているので、大きな掃除機やマスクまで持参で、朝早くからやってきて二人で掃除をしました。木造なので木屑がとにかく多く、特に2階などは狭いので腰をかがめたり潜り込んだりと大変でしたが、汗をかきかき二人で午後四時までかかって掃除や磨きをやりました。今日は初秋といっても室内は暑く汗だくだくでしたが、すっかり見違えるようになりました。改めて稲葉さんにお礼を言いたいと思います。

 「人間牧場」は稲葉さんのように、仕事人たちがむらづくりにかかわることを本旨としており、完成した所へ遊びにきたり、飲みにきたりするところではありません(実は私の仲間にはそのような「こっちの水は甘いぞ」的な人間が相当いる)ので申し添えたいと思います。とは言っても来る日と拒まずに違いはありません。

 草刈の途中残しておいた茅(ススキ)に穂が出て何ともいえない秋の演出です。月と団子を用意すれば名月も楽しめます。また裏山には柿の実が色づきはじめまさに秋の風情いっぱいです。

 作業中妻や息子と孫、それに一週間後結婚する彼女が差し入れにやってきました。また顔見知りのおばさんが二人、見学にやってきました。港からこの家が一望できるので随分話題になっているようだと聞かされましたが、この二人は早速帰ると見たまんまの姿を、噂話することでしょうし、その噂が噂を呼んでまた新しい来客がくること請負です。田舎の人はある意味で暇だから人のすることが余程気になるのでしょう。

 落成はいつするのか、誰を呼ぶのか、ああまた頭の痛い話です。明日は和歌山県へ出かけますので、じっくり旅の途中で考えることにします。

 

 

 

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shin-1さんの日記

 この一週間、東京や埼玉への講演活動があって忙しかったため、一週間ぶりに「人間牧場」へ行きました。季節の移ろいはすっかりもう秋で、極早生みかんが早くも色づいていました。

 今日はいよいよ「水平線の家」へ水道が引かれました。同時に下水工事も行なわれ、暮らしのできる準備が整いました。水は農家のご好意で分けてもらうことになりましたが、節水につとめ農家に迷惑をかけないようにしたいと心に誓いました。

 長男は今朝6時に起きて、姉の家で借りた軽四トラックで古民家の瓦を貰いに行き積んで帰ったようです。古い瓦は使い道が多く、この瓦は軒から落ちる雨だれが土をはねるのを防ぐため、その殆どを地中に埋め、幾何学模様を作ろうと計画しているのだそうですが、何となく面白く、再利用によって命を与えることに意味があるようです。

 明日は施設内部の掃除をしようと考えていますが、何人か助っ人がくるかも知れません。掃除や磨きは三男で末っ子が次の就職のため、この数ヶ月家にいたので手伝いをと頼みにしていたのですが、完成することを待たずに今日、旅立ってしまいました。しかし彼は外壁やウッドデッキの防腐剤塗りなど、実にこまごました手伝いをやってくれました。多分彼が休暇で帰る頃には次の計画に進んでいるものと思われますが、彼の人生にとってもよき思い出となったことでしょう。

 「人間牧場」の下見に訪れた人がすでに100人を超えました。いずれも物好きな人ですが、裏を返せば好奇心旺盛というべき人たちでしょう。皆さん一様に環境のよさに驚き帰って行きますが、これから来る人は「人間牧場」建設の手伝いを余儀なくされます。フンドシを締め直して来てください。

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shin-1さんの日記

 昨日は朝早く起きてブログを書き込んで、埼玉へ泊り込みの講演に行ったものですから、読者の皆さんにメールへの対応が遅れて済みなせんでした。

 昨日は8時30分松山発の飛行機に乗ったものですから、飛行機の窓から「人間牧場」を見てやろうと思って窓際の席をキープしました。ところが窓際も反対の位置だったため海に向かって飛び立ち「うーん残念」と思っていたら、飛行機が大きく左旋回し、伊予市の向こう(私の町も合併して双海町でした)の山肌にくっきりと「人間牧場」が見えました。感激です。だって空から「人間牧場」が見えたのですから・・・・・。

 今日再び東京発全日空機に乗って再び松山に帰ってきましたが、窓際の席をキープするも、残念ながらまた反対と思いきや、思いきやで終わってしまいました。帰るとき時間を計ったのですが、空港から「人間牧場」までは約1時間です。したがって日本の中心東京から飛行機と車を使うと、2時間30分程度で「人間牧場」へ到着することになりますから、これは凄いセールスポイントではないかと思うのです。

 それにしても、旅先へは相変わらずよく携帯電話がかかります。お陰さまでビジネス(講演が今の私のビジネスと言えるかどうか)ができて大助かりですが、正直携帯電話に縛られる生活も非人間的で楽ではありません。

 ところで、昨日行った埼玉県嵐山町で大きな発見と出会いがありました。講演会場が何と「平成」という元号を発想した「安岡正篤」の記念館隣だったのです。講演が終わってから仲間にお願いして記念館を見学しました。膨大な書物を見てただただ驚くばかりで、声も出ませんでした。安岡正篤先生は「郷学」を提唱した人で、私が目指すふるさと教育と同じ考えを書物に書いておられます。今の日本の教育に欠けている部分なので「人間牧場」でも安岡正篤先生の教えを学びたいものです。財布を車の中に置いていたので、本を買うことは出来ませんでしたが、仲間が「安岡正篤の人間学」という本を一冊プレゼントしてくれました。昨夜は大宮での交流会が終わって宿舎品川プリンスホテルへついたのは1時頃でしたが、風呂へ入るのも忘れて読みふけりまいました。お陰で今日は少々寝不足気味ですが、心地よい朝を迎えました。

 

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shin-1さんの日記

 「人間牧場」「水平線の家」のトイレと台所のタイル張りが完成したので、朝早くに「人間牧場」まで車を走らせました。ここ愛媛県伊予市双海町では朝6時は夜が明けるのが遅くなったせいかまだ薄暗い感じがします。

 長男は勤めている松山の設計事務所まで、約1時間通勤時間がかかるようですが、就職以来ずっと我が家から通い続けました。しかし来月10月8日に結婚するため、当分は松山市に彼女と二人で住むことが決まりました。我が家も広いし長男なので同居してもいいと、二人より申し出があったのですが、二人が自立できるまでの2~3年は別居もいいのではと提案し、そうすることにしました。

 その息子が仕事に行くまでの朝の数時間を割いて、現場監督のため殆ど毎日早起きをして「人間牧場」まで往復1時間余りの道を通ってくれました。朝早起きが苦手な若者にしては上出来です。やはり早起きは三文の得のようでした。

 張られた淡い水色のトイレの小紋ガラスタイルは、息子がインターネットのオークションで買ったそうですが、中々洒落て気に入りましたし、流し台周辺にも白いタイルが張られ、木造建築なのでアクセントがついて、何とも美しい感じがしました。明日水道屋さんが入ると「水平線の家」は足場が外されいよいよ完成ですが、今日から2日間埼玉へ講演で出かけるため完成の一瞬は見ることができません。お預けです。

 息子が古い民家の瓦を貰えると携帯に連絡が入りました。外構工事として軒下の雨だれ受けに古い瓦を敷き詰めたいという発想のようですが、面白いアイディアです。とラッコを借りて運び上げて・・・・とまた夢が膨らみました。

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shin-1さんの日記

 今日11時30分からのNHKテレビ「フレスタえひめ」という番組に10分あまり出演しました。高齢化社会についてのコメントでしたが、私は60歳ですから高齢者といえるかどうか分かりませんが、退職する前に退職後の人生を生活設計するように訴え、「人間牧場」について、写真入で放映されました。「人間牧場」のマスコミ登場は初めてですので、何人かからメールや電話をいただきました。

  「人間牧場」は一体何」から「何ぼお金がかかるの」まで様々でしたが、皆の関心事は「内容は何」「金はどのくらい」が圧倒的の多いようでした。最初設計を息子に頼んだときは、相当安く考えていましたが、こだわればこだわるほど金額はうなぎ上りです。この分だと第2期工事は相当向こうの話になるのではと思っています。「使ってから儲ける」息子と「儲けてから使う」私とはこれまた正反対で、まるで鉄道レールのように何処まで行っても交じりあわない考えの相違のようです。

 息子に教えてもらったデジタルカメラもどうにか使いこなすようになりつつありますが、これを編集してどう使うか、これまた大きなテーマです。

 最近は雑誌や研究論文といった類の原稿依頼も来るようになって、物書きも少しだけ忙しくなりました。物書きは期日に縛られていますが、記録として残るから手は抜けません。それでも早とちりや変換ミスが出るとうんざりです。

 今日の放送は息子に録画するように電話で予約をいれておいたのですが、10時過ぎ今治から帰って息子に聞いてみると「取れてなかった」といとも簡単に言ってくれました。仕方がないのでNHKの担当者にお願いのメールを送リマ下が、聞き入れてもらえるか心配です。

 自分でさえ頼りがないのに、人に頼るものではないとしみじみ思いました。そうです。私は只今無色(無職)透明な身ですから・・・・・・。

 それにしてもサンデー毎日の身だというのに携帯電話によく電話がかかるし、息子が驚くぐらい書類も着ます。あー忙しい忙しい。一休さんではないがひと休み、ひと休み、慌てない、慌てないです。

 

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shin-1さんの日記

 世の中便利になりました。近いと思っていた四国の須崎市へ先日行くのに、3時間かかりました。ところが遠いと思っていた東京は、自宅から松山飛行場、いや松山空港まで30分、松山空港から羽田空港まで1時間30分で、都合2時間です。

 あくる日の仕事をすっかり忘れていて、チケットの手配をしていたものですから、チケットを取り直し幸運にもキャンセル待ちでチケットが取れました。慌てて東京新宿西口から夜行バスで帰りました。東京を19時10分に出発して松山インター口で下車したのが今朝の7時ですから、これはさすがに遅く12時間もかかりました。でも少々疲れたけど飛行機、いや航空機チケットは2万7千円なのに、バスは一万2千円です。私のような稼がない貧乏人はこれに限ります。

 新宿西口高速夜行バス乗り場の前にヨドヤカメラという大きな店があり、待ち時間があったので立ち寄ってみました。

 パソコン売り場はさながら戦場のような人だかりでしたが、デモンストレーション用に置いていたパソコンを操作すると、何とブログに私の「人間牧場」の記事が検索すると出てきました。、文明の凄さに感動しました。私の日記が東京でも見えるのです。「えへん」といきたい所ですがまだまだ未熟・半熟・熟熟です。

 「人間牧場」はどこへ行っても話題騒然です。早く「人間牧場」へ行きたいのですが、今週は無理のようです。

 東京丸の内の「東京国際フォーラム・ホールA」は今まで見たこともないような大きな施設の完備したホールでした。全国から集まった2千人の前で声高らかに記念講演をやりました。最高に気持ちがよかったです。

 田舎者ですが、田舎者らしく謙虚に、それでいて挑戦的に話しましたが、午後の眠い時間帯にもかかわらず眠る人は殆どいませんでした。「人間牧場」では、人の前で堂々とものの言えるこうした人を育てたいものです。

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shin-1さんの日記

 「人間牧場」から見える夕日は、秋分の頃になると随分西の方に沈むようになりました。秋分の夕日は真西とされていますから、12月冬至まで約3ヶ月も西に向いて進むことになります。それでも秋の夕日は大きくて見応えがあります。

 日本一と自認する双海町の夕日を見にシーサイド公園には、昨日も大勢の人が集まっていましたが、よく電話がかかって問われるのは「夕日は何時何処から見るのが一番いいですか」なんて質問です。私が決まったように言うのは、「あなたの見た時間、あなたのむる場所が最高」なんて答えています。そうなんです。夕日を見るのは自分の心の鏡で見るものですから、人それぞれに違うのです。外気の澄み切った秋の夕日も、黄砂に燃える春の夕日焼き尽くした夏の夕日も、はたまた寒い厳冬の夕日も、それぞれに美しいし、日本で一番海に近い下灘駅から見る夕日も美しいのです。

 昨日は真赤に空が焼けて、台風の影響で吹いた北東の風が雲を一掃し、それは見応えのある夕日夕焼けでした。昨日の「夕日夕焼け」だと、「人間牧場・水平線の家」の夕日夕焼け」として自慢できる光景でした。

 あっ、もうそろそろ東京行きのため、飛行場へ向かわなければなりません。短いコメントですか今日の日記はこれでおしまいです。また明日、グッバイ・シーユーアゲイン。

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shinn-1さんの日記

 3月31日でそれまでつとめていた双海町教育委員会の教育長を辞しました。辞したというより市町村合併によって双海町という自治体がなくなったための失職という方か正しいのかも知れませんが、4月1日から私は無職となりました。

 最初は元教育長などを使っていましたが、元などでお茶を濁すこともできず現在は余程の事がない限り使っていません。現在は愛媛大学非常勤講師、国土交通省観光カリスマ、えひめ地域づくり研究会議代表運営委員、夕日のミュージアム名誉館長、金融広報アドバイザー、灘町区長などなどを用途に応じて使い分けているのですが、職でなく役であってこれもしっくりいかないのが実情です。

 そんな折、広島の親友和田さんから人間牧場主という肩書きとともに顔のスケッチが送られてきました。元々ラジオ向きの顔なので、このスケッチは少し男前過ぎるのではと心配していますが、この顔スケッチを使うか夕日を使うか、はたまた人間牧場の写真を使うか正直迷っています。

 只今は肩書きのない夕日の名刺を使っていますが、「人間牧場主 若松進一」だと、話題満載で差し上げた人の反応が楽しみだと思っています。

 それにしても、日本人は名刺や肩書きによって人間の値打ちを決めたがる国民だとしみじみ思います。でも人間の値打ちはそれだけではないと、学歴より学習暦を強調しています。

 私が仕事をやめた話題は口コミで全国に広がり、全国各地から講演依頼やまちづくりの相談が相次ぎ、今では前にも劣らぬ忙しさで、明日から始まる月末週は一日も空いた日がありません。

 今は仕事を選べる自由人なので、一週間まとめて空白時間を取る様に心がけています。そうすれば人間牧場へも出かけられるし、好きな本を読んだり、原稿書きに集中できます。

 しかし、明日からは東京、29日は埼玉の仕事が舞い込んで、今週は「shin-1さんの日記も跡切れがちになるかもしれません。悪しからず・・・・・・・。

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shin-1さんの日記

 昨夜、かつて青年団活動をしていた仲間が集まって、「いもたき」をしました。青年団なんて日本ではもう死語のような古い言葉になってしまいましたが、私たちは若いころ青年団活動にうつつを抜かし、青年団仲間、ふるさと、主張、感動という4つの宝物を手に入れました。その宝物があったからこそ、後の人生が楽しくも頑張ることができたと自負しています。

 昨夜集まった人たちは全部で10名ほどでした。5年前、20数年ぶりに町のシンボル本尊山の中腹に埋めたタイムカプセルを掘り出した感動を味わったのを機に、急速に出会いが始まりました。この人たちは私が教育委員会で社会教育主事をしていて指導して育てた、いわば卵から雛に孵した当時の青年です。

 はるみちゃん、只さん、健ちゃん、カッパさん、高氏さん、水本ちゃん、純子ちゃん、啓ちゃん、満宏さんなど、全てかつて愛称で呼んでいた人たちです。みんな50の坂を超え、いいおいちゃん、おばちゃんになっていましたが、ひとりひとりに懐かしい思い出が蘇りました。

 神社の秋祭りの打ち合わせ会があって遅くに参加したのですが、4月に教育長を辞したことへの感謝を込めて花束まで贈られ、思わず目頭がジーンと熱くなるのを覚えました。仲間とはいいものです。

 殆どの人が町内に住んでいるので、「人間牧場」の話は噂で聞いており、「人間牧場」について矢継ぎ早の質問が相次ぎました。「人間牧場」を話す私は生き生きと輝いているなと自己発見しました。と同時に、青年団はできなくても、青年団で育った彼らのような自立する人たちを「人間牧場」で育てなければと、自分自身の心に誓いました。

 

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shin-1さんの日記

 「人間牧場」の「水平線の家」は木造平屋建てですが、片屋根式のため海に面した部分は二階建てのようになって、下からや遠望では紛れもなく二階建ての風格です。そこで遊び心を働かせて屋根裏部分を山際に作り、狭いながらも寝部屋を作りました。はしごを架けないと上がれないのですが、それがまた好奇心をそそり、夜が明けると海と空だけの明るさが目の前に広がり、驚きの一日が始まること請け合いです。既に手摺もついて、早くここで寝てみたいものです。

 今日は「人間牧場」に通じる農道両側の草を刈り、次男・三男とコンクリート舗装の上に堆積した土をのけて掃除をしました。汗をいっぱいかいた分、除草や掃除後は何となくすっきりして、気持ちのいいものです。

 工事が始まって二ヶ月になりますが、作業のために大工さんが組んでいた足場に、鳥がたくさんやって来てウッドデッキに鳥の糞がいっぱい落ち始めました。多分カラスや野バトでしょうが、ほおって置くと鳥の糞だらけになるので糞害になりそうと憤慨しつつ、糞の掃除をしました。足場の上のペンキ塗り作業も一段落しましたので、明日は大工さんがやって来て足場をのけてくれるそうです。フンフン?納得です。

 木材を入れてくれた親戚の建材屋さんが、お祝いにと杉の一枚板をプレゼントしてくれたので、大工さんの仕事場に持ち込み、テーブルに加工してもらうことにしました。普通は足があると邪魔、使うときは足があると便利と思いつつ、結局丸太の足と一枚板を分離して両得を狙いました。

 建築士の息子は、安定計算がどうのこうのと難しい専門用語を言いますし、図面を見ても正直ピンと来ませんでしたが、八分方できた今の段階では、使ってないので何ともいえませんが素晴らしい宝物になりつつあります。

 失敗話をひとつ。水平線の家の屋敷ごしらえをする際カズラの大きい根が縦横無尽に張っていました。それを取り除くのに4~5日かかりましたが、もう数本という時に力を込めてカズラの根が抜けた瞬間、腰まで抜かしてしまいました。お陰さまでぎっくり腰で1週間えらい難儀をしました。「カズラも抜けたが腰も抜け」でした。お粗末。

 

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