shin-1さんの日記

○結婚式披露宴の祝辞

 私には結婚式に出る場合、おおよそ三つのタイプに分けられます。一つは親族の結婚式です。親類縁者の多い私は自分の息子や兄弟にいたる結婚式に親族として出席しました。その場合は親族代表などのあいさつがあるのですが、まあ短く話し酒をついで会場を盛り上げる役に徹します。2つ目は知人友人につながる結婚式です。その場合は上司や友人としてあいさつを頼まれますが、酒を飲んでいない早い時間なので自分の思いを言葉に託ししんみりと厳格にお話します。三つ目は司会として結婚式に臨みました。披露宴の司会は田舎の公民館結婚式の普及を目指した公民館に勤めていたこともあって、何と537組もの司会をやりました。

 今日はその分類からすると2番目の友人の息子さんの結婚式に招かれ全日空のホテルへ昼前に行く予定です。先日新郎のお父さんから祝辞を頼まれました。断る理由もないのであっさり引き受けたら先日、お父さんと若い二人があいさつに見えられました。内気で口下手で無口な私としましては、普通はそんなに深く考えず、書きもせず出たとこ勝負で祝辞を喋るのですがさてどんな話しの組み立てにしようか考えてみました。新郎の父親のリクエストは、私の息子の結婚式に父親のあいさつ代わりにハーモニカを吹いたのが気に入って、是非ともハーモニカをというのです。でもいくらリクエストと言われても余興ならいざ知らず主賓のあいさつにハーモニカとは?と思いましたが、仕方がないのでやりたいと思ってます。

 全日空の披露宴会場をイメージしてみました。

 「春や昔十五万石の城下かな」松山出身の正岡子規も詠んでいる松山城は、満開の桜に埋まる大安吉日の本日ここに、ご両家の結婚披露宴が目出度くも厳かに催されるに当り、お許しをいただき一言お祝いのお祝辞を申し上げます。私は新郎のお父様と実懇にさせていただいております若松と申します。新郎新婦ならびにご両家の皆様本日はお日柄もよく誠におめでとうございます。

 聞き及べばお二人の出会いは松山南高校デザイン科での学びに遡るそうですが、日本列島には一億人を超えて住んでいるその中からお互いがお互いを知り合ったことはまさに軌跡としか言いようがありません。そんな一億の星と生まれたお二人が深い縁で結ばれたことは、先日のオリンピックで金メダルを取った荒川静香さん以来の快挙であります。荒川さんはイナバウウアーで観客を魅了しましたが、実はイナバウアーのご本家は荒川さんではなく、新郎の稲葉家が長年営んでいる自動車塗装の技術の一つであり、新郎の技術を今日からイナバウアーと呼ばせていただきます。

 新郎は今日新車として新婦を購入しました。普通これほどの新車だと軽く一千万円はくだらないだろうと思うのに新郎は結納金という砥部町の相場で買えたのですからこれは相当得をした買い物と言わざるを得ません。ディーラーから買ったぴかぴかの新婦という新車は車と同じで長い年月には色あせ時には人生の凹みも出来るでしょうが、新郎の技術で磨きや塗装を怠らずしっかりと手入れをして何時までも人生の長い道程を二人で助け合い走って欲しいと思います。

 人生のはなむけに私は使い古しのハーモニカを用意しました。私は小学校中学校を通じて音楽の通知表は2でした。でも練習すると何とか吹けるようになりました。これは先生が私の潜在能力を見抜けなかったからです。今ではどうにか吹けるようになって160曲も吹け、先日は下灘駅で関口宏さんの息子さんと列島12千キロ鉄道の旅で全国放送されるほどに下手糞ながら楽しんでおります。今日はご両家のお母さんに「母さんのうた」と、嫁ぐ娘を気遣う芦屋雁ノ助の「娘よ」を吹きます「。母さんの歌」に込められた子どもが思う子育てへの感謝の気持ちも、嫁ぐ娘に対する親の気持ちも汲み取りながらしっかりといいご家庭を築いて下さい。

 「♪母さんの歌♪」「♪娘よ♪」

 新郎新婦の幸せとご両家の益々のご発展を頃からお祈りいたします。本日は誠におめでとうございます。

いかがかな、こんな祝辞は・・・・・・・・・。

  「いいことを 言おうとすると 恥をかく ありのままなる 普段の話を」

  「結婚は 楽しいことが 半分で 後の半分 苦しいことも」

  「祝福の 拍手忘れず 頑張ろう そうすりゃ楽し 二人の未来」

  「祝辞いう 私はそんな 歳になり 分ったような 分らぬ話を」

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shin-1さんの日記

○ジャガイモの芽が出かけました

 私の予定表の記録によると2月18日でした。約8キロものジャガイモを小切りして開墾した人間牧場の畑に植えたのは・・・・。あれからもう2ヶ月近くが経とうというのに、少し離れた五右衛門風呂の高台から見るのにジャガイモの芽は一向に芽吹こうとしません。親父が私より後にわが家の畑に植えたジャガイモは順調に芽を出し早くも5センチくらい芽が伸びています。標高差100メートルの気温差はこうも遅いのか、それとも畑のあちこちに発見された足跡のような痕跡がいのししならば、種芋は被害にあっているかもしれないと要らぬ詮索をしながら畑へ降りてみました。綺麗に除草したはずの畑には草の芽が沢山出て、ジャガイモの芽などはどこにも見つかりません。でも目を凝らしてじっと大地を見てみると、かすかにジャガイモの芽吹きがあちこちに発見されました。多分全ての種芋が芽吹くとは思いませんが、この中の幾つかが育てば種芋代くらいの収穫はあるものと期待をしました。それにしても草の勢いは凄いです。3日前に行った時はそんなに目立たなかったのに一雨で青々と茂って春の力強さを感じさせてくれました。周りの山々からは早くもお百姓さんの草刈機の音が響いています。見渡すと除草剤の影響でしょうかみかん畑の草が黄色くなった所もあるようです。農家では環境に悪いと分っていても足りない労働力に対応する省力化の一貫として除草剤を使っているようです。わが人間牧場では環境は大きなテーマですから除草剤は使わない方針で進んでいますが、10年も草の実を落とし続けているつけは必ず返って来るものと覚悟しています。

 今日は絶好の天気なのですが北西の風が強くて少し肌寒い感じがしましたが、先日次男と下塗りした五右衛門風呂の外壁の上塗り防腐剤を塗りました。先日は大工さん専用の梯子を借りていたのですが工事が終わったためその梯子も既になくスチール製の脚立を代用です。二階建ての家くらいの高さの場所に水平線の家の外壁に塗った残りの色付き防腐剤を塗るのですが、これが難工事で高い脚立の上は足場が悪く、次男と私が交代で脚立を支え持ちながら慎重に作業を進めました。9時半から始めた作業は休むことなく12時30分ころまでかかりましたが、何とか綺麗に塗れて一件落着デジカメに完成写真を収めました。五右衛門風呂には天窓のガラスや入り口の板戸も入って、後は土止めのためブロックで囲って小さな倉庫の屋根さえ付ければ全ての作業が終わります。今回の第二期工事も予想以上の成果はありましたが予想以上の経費がかかって予算は益々ピンチになっています。運営や第三期工事のツr-ハウスのことを思うと何か予算確保の道を考えなければならないようです。

 先日奈半利町で知り合った高知大の堀川奈津さんが春休みの帰省中に人間牧場へやって来ました。雨の中を単車でやって来ましたが、水平線の家や水平線の家の中に置いてある坂本年男さんから貰って作った魚梁瀬杉のテーブルを感慨深げに見ていました。奈津さんも今年は3年生だそうです。今晩奈津さんのお父さんから電話があって色々と増すメサの将来について話をしましたが、春祭りの準備とかで少々酒

に酔ってのお話でした。いずれの親も子どもの将来は気になるものですね。

  「ジャガイモが やっと芽を出し 春が来た 人間牧場 四季の巡りが」

  「三人の 息子協力 やっとにて 牧場らしく あれこれ整い」

  「上塗りを かけて綺麗な 風呂が出来 間もなく風情 楽しみながらも」

  「あれこれと やればやるほど 金が要る 懐さみし 春風身にしむ」

 

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shin-1さんの日記

○産直市が増えました

 商店街の衰退と何か因果関係があるのか分りませんが、最近田舎の各地にやたらと産直市が生まれています。いかにも手作り、いかにも田舎という雰囲気をもろに出して、新鮮市、ぴちぴち市などの手作りのぼりがその雰囲気を盛り上げています。自分で作ったものに値段をつけて売るため商品には中間マージンがかからなにのですから市価より安く、しかも新鮮というのが売りでしょうが、最近はバーコードなどをつけて商品管理するなどかなり苦労や投資の後が見えるのですが、開店後一年が過ぎて行って見ると、かなり様変わりしている事に気付きます。運営が上手く行かず客足が遠のき止めてしまって安普請のプレハブ小屋だけが残っている所、客が付いて繁盛はしているものの明らかに産直とは違う外から仕入れたものが品よく並んでいる所、相変わらずみかん類が主流を占めている所など様々です。

 産直市を始めるに当って行政が補助金や助成金を出して建物を立て、農協や漁協が運営をバックアップしている所は上手く行かない場合はいつでも止めれますが、みんなが共同出資で始めた産直市は出資金を融資に頼っている場合も多く、止めるに止めれぬ事情があるものですから、色々な知恵を出して加工品を作ったりそれは大変な努力です。そうした本物の産直市は補助金や団体に頼らず「本物と真心」を売っているからお客さんも満足するのです。

 産直市の主役は田舎のおばちゃんが殆どです。これまで農家は親父が主役でおばちゃんは親父の言うとおりにすれば飯が食えたのです。ところが作れば農協が売ってくれ、作り方まで丁寧に農協が教えてくれていましたが、農協が広域合併して営農より共済や物売りに熱中し、米もみかんも脳居に任せていたら飯が喰えない時代がやってきたのです。当然生活を守る運動がおばちゃんを主役として農村に生まれました。これが産直市なのです。中にはパソコンを使って産直市を大々的にやってマスコミに取り上げられているものもありますが、おばちゃんが田舎の言葉で自分の作ったものを自信を持って手渡しする信用商売こそ小さくても本物だと思うのです。そんな産直市に行くとなんとなく気が休まるし、また来ようという気持ちになります。私はあまのじゃくでしょうか、そんなおばちゃんの店を応援したくて、大きなお店には殆ど寄りません。先日も南予のそんな店に顔を出したら「あっ、こないだテレビに出とった夕日の・・・・」なんて会話が飛び出して、買わんでもええものまで買ってしまいました。私しゃああまのじゃくです。はい。

  「これ上手い 言うから買って 食ってみた 本当に美味い 今度また買おう」

  「小の店 訪ねる俺は あまのじゃく 世間話が ほのぼのしてて」

  「産直と 言ってる割には 地のものが 揃っていない 看板偽り」

  「親父など 当てにしてたら 飯喰えぬ おばちゃんも一つ 踏ん張り生きて」

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shin-1さんの日記

○花見の乱れ

 今年の桜は実に長持ちです。普通の年だと一雨一風で散ってしまうのに、朝晩の冷え込みか満開宣言が出てしばらく経つというのにまだ見ごろで、あちこちでは花見を楽しむ人の群れが出来ているようです。昨日私たちの町の桜の名所八景山に登ってみましたが、田舎でもそこここにブル-シートを敷いて小さな酒盛りが開かれていました。そんな中見かけぬ集団が花見をしていました。明らかにルール違反の様子です。何とさくらの樹の下にこともあろうにコンクリートブロックを組んで焚き火をし、その上に金網を乗せ焼肉を焼いているではありませんか。満開の桜の樹は焼肉の煙で燻されているようでした。さらに自家発電機を持ち込みカラオケとボンボリまで付ける周到な準備です。察するに夜まで続けるつもりなのでしょう。

 こんな花見を見たらあなただったらどうするでしょう。多勢に無勢、多分見て見ぬふりをしながらすごすごと去ってゆくことでしょう。私は意を決して酒で盛り上がっている集団に分け入って行きました。「すみませんが、皆さんの責任者はどなたですか」と尋ねると、「おおわしじゃが、何か用か」と顔を赤くして立ち上がりました。「ちょっといいですか」と少し離れた場所へ連れ出して、「お楽しみのところ恐縮ですが、この公園では火を焚くことは禁じられております。また自家発電でカラオケなど他の花見客の迷惑になるので止めてください」と言うと、「あんた誰ぞな。何の権利があってそんなこと言うんぞ」と不快をあらわにして言うのです。「私は先日までここの管理をしていた元役場の職員ですが、公園はみんなのものです。ルールを守ってもらわないと困ります」とまくし立てました。側で見ていたグループの物分りのよさそうな中年女性がやってきて、「まことに済みません」と代表の人の手を引っ張るのです。そして、彼女は賑やかな席に割って入り「みなさんにお知らせします。この公園は焚き火は禁止だそうです。自家発電のカラオケも樹に取り付けたボンボリも除けてください。これからはマナーを守って桜の花見をします。いいですね」と仕切ってしまいました。

 花見に水を差した私、最初は息巻いたのに彼女の一言でしゅんとなった代表、私のはなしを理解してくれた物分りのいい中年女性、花見に水を射された烏合の衆など、それぞれの思いが交錯する結果となった花見を思い出しながら、日本人の花見のあり方に疑問を感じた一日でした。

 花を見てお茶をたしなむもよし、花を愛でながら酒を飲むもよし、はたまた花を季題や季語に一句詠むもよし、花の楽しみ方は人それぞれですが、せめて花の気持ちになることや他人のことを思いやるそんな日本人でありたいと思いました。先日原爆の後遺症を生き抜いた桜を増やそうと植えた広島の桜が何ものかによって折られる被害が出たそうです。常識では考えられない目に余る行動に心を痛めました。桜の花は長くても20日間、せめて散り行く桜の花に思いを寄せるような優しい日本人でありたいものです。

  「花見より 酒や焼肉 目当てでは せっかく咲いた 桜かわいそう」

  「悪いこと 悪いと諭す 勇気あり 何事もなく 済んでよかった」

  「あのおばさん 機を見て敏なり さすがだな 何処の誰だか 知る由もなし」

  「六十年 生きてて桜 これ程に 見たの初めて 少し余裕が」

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shin-1さんの日記

○何故・どうして

 孫の成長は私たちのような歳をとった者に比べ著しく、日々が進化でまるで雨後のタケノコのようです。この1週間、「何故・どうして?」の質問攻めに会いタジタジの毎日でした。「どうしてお空は青いの」とか、どうして花は咲くの」なんて言われても、「空は青いから青いの」、「花は春になうと咲くの」としか答えられないのです。ところがそんな訳の分らぬいい加減な答え方をしると、「何故」と二の矢三の矢が飛んできて丸でお手上げ、挙句の果ては「空は青いから青いんじゃあ」なんて開き直らざるを得ないのです。

 孫への答えは大人の言葉が通じませんから、3歳の言葉で分りやすく答えてやらなければなりません。この「分りやすい幼児語」がまたまた難しいのです。それでも納得したら何時までも覚えていて「人間は暗くなったら寝て、明るくなったら起きるのよねえ」なんて説明を、起きる前や寝る前に言って自分を納得させている姿を見ると、こちらも余程真剣に答えてやらないといけないと思うのです。この一週間昼寝をさせるのにこの説明が孫にはまた納得できない新たな問題なのです。「どうして明るいのに寝なければならないの?」、うんそれはね「・・・・・・・・?」です。

 昨日お絵かきをしていて、孫のリクエストに答えて私が得意顔で鯨の絵を書いてやりました。普通鯨は潮を噴水のように吹き上げる姿を書きます。案の定孫が「おじいいちゃん、鯨はどうして潮を吹くの」と質問しました。私は「鯨はね、人間と同じように昔は陸の上で暮らしとったんよ。ある日海に泳ぎに行って海が気に入って海で暮らすようになったんと。海の中ではイキをすることが出来ないから、時々海の上に浮かんでイキをするんよ。朋樹君もイキを止めてごらん。しんどいじゃろう」、イキを止めた孫は「うんしんどいね」、「おじいちゃん鯨はイキをするのにどうして水を出すの」、「・・・・・・?」です。普通だとここから大人のごまかしが始まるのですが、私は水産学校出身なので鯨の話は詳しく、鯨の潮吹きを何度も見ているのでそのことを詳しく話してやりました。

 鯨は哺乳類ですから肺で呼吸します。ですから定期的に海面に出て息継ぎをしなければならないのです。鯨の鼻孔は背中にあり海中に潜るとそのくぼみに海水がたまり息をするときその塩水を吹き上げるのです。でも鼻孔はそんなに大きくはないので貯まる塩水はそんなに多くありません。ですから勢いよく吹き上げたのは吐く息なのです。鯨の体温は常に38度くらいで人間とほぼ同じです。そのため吐く息は温かく、海水や海上の空気が冷たいと吐いた息が白く見えるのです。人間の息が冬白く鼻から出るのと同じ現象なのです。息継ぎの名人はマッコウクジラで時には水深300メートルまで潜り、1時間くらい息継ぎせずとも海中にいることがあります。しかし子どもの鯨はそんなに息がながくないので海面に漂うように泳いで、潮吹きもへたくそなのです。

 私の書いた噴水のような絵と説明に満足したのか、孫の鯨の絵には必ず噴水が出てきます。「何故・どうして」を繰り返しながら孫はこうして成長するのでしょうね。私ももっと勉強しておじいちゃんとしての説明責任を果たしたいと思っています。

  「どうしてと 言われてみても 言葉出ず ついつい首を かしげる私」

  「孫の書く 鯨の絵には 噴水が 爺の説明 納得したのか」

  「空は何故 青いのかしら 宿題を 貰った私 インターネットで」

  「俺だって どうして何故と 思いつつ 途中諦め 分らず終い」

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shin-1さんの日記

○孫のもりで疲れました

 今日は孫の幼稚園の体験入園とかで、娘の実家であるわが家から、私が孫を幼稚園に連れてゆくことになりました。母親の仕事の都合でどうしてもみんな手が離せないらしく、カーナビに幼稚園の電話番号を打ち込んで指示道理のルートで予定の10時に幼稚園へたどり着きました。孫はこれまで娘が勤める病院の託児所的な保育園で2年間預かってもらっていましたが、年齢が三歳までなので卒園し、新しい市街地にある保育園に移る事になったのです。既に入園も許可され12日から通う事になってるのですが、その準備としての体験入園とかだそうです。入り口の門扉は世相を反映して中からしか開けれないようになっていて、予め連絡しておいたので、11時30分になったら向かいに来て欲しい旨の引継ぎで無罪放免になりました。

 時間が勿体ないので近くにある政策研究センターに新年度のごあいさつ方々立ち寄り時間が来たので迎えに行くと、年配の幼稚園の先生が「何処かでお会いしたですよね」とおっしゃりました。多分市の保育所や幼稚園の先生に講演したことがあるので」と答えたら、あの時の若松さんですか。その節は」と会話が通じました。「僕は00です」なんて自己紹介も出来たので、「しっかりしてますね」と美辞麗句のごあいさつを受け引き取り、午後1時の東京から雑誌社の取材を受けるため一旦わが家へ引き返しました。

 祖rからが大変です。食事は昼休みの妻が作って食べさせましたが、取材の二人が見えてからは孫同伴での取材と相成りました。やはりひとりっ子の寂しさでしょうかおじいちゃんの私にまとわりついて離れようとしないのです。結局はお客の対応で気付かなかったためオシッコを漏らしてしまいました。このところ大も小も漏らすことがなかっただけに、来客に緊張したのかもしれません。

 取材陣が帰った後着せ替えをして、一路松山へ、家を出るとチャイルドシートで夢の世界へと旅立ちました。結局約40分も車内で熟睡です。陽気に誘われて松山上へロープウェーで登り、そこからは二人で手をつなぎ歩いて城山の山頂まで行きましたが、お目当ては歩いたご褒美のソフトクリームで、300円のバニラをさもおいしそうに食べました。桜は満開で大勢の観光客が訪れ、中にはビニールのブルーシートを広げて陽気な花見をやっているグループもありました。早めにオシッコに連れて行きましたが、少し遠目の北の端まで歩いた所で今度はウンチです。慌てて背中におんぶしトイレへ汗だくだくで一目散。事なきを得ました。

オシッコとウンチは孫のもりにはつき物ですが、これには随分骨が折れました。ウンちをしてからははすっきりしたのかすこぶる元気で、「♪海は広いな大きいな♪」を大きな声で歌いながら桜満開の城山の道を手をつないで下山し、車を娘の家の駐車場に止めて孫のリクエストである椿の湯という道後温泉に入浴のため出かけました。温泉にはかなりの人が入浴していましたが孫の年齢の子どもは殆どなく、それから楽しい湯遊びをして約1時間過ごし、やっと孫の家へ入り、娘の帰りを積み木や飛行機遊びをしながら待ちました

 それにしても今日は何て長い一日だったことでしょう。孫もヘトヘトでしょうが、私もヘトヘトです。現金なもので父母が帰ると「おじいちゃん何時帰るの」ですって。でも帰り際握手をして分かれるときは、やはり少し寂しく感じました。また日曜日にやって来るそうです。孫のもりで翻弄されたこの一週間はやっと終わりを告げそうです

  「孫のもり 簡単楽勝 楽しみと 思っていたが ほとほと疲れる」

  「何事も なしに終わった 一週間 役目果たして ほっと一息」

  「満開の 桜バックに はいポーズ 指でサインも 慣れた手つきで」

  「オシッコと ウンチに気配り 城登山 お漏らしせずの 孫と湯船に」

 

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shin-1さんの日記

○shin-1さんも歩けば花に当る

 孫を連れて「くもん」に行きました。驚きました。都会の子どもは三歳になるともう習い事をしているのです。私はそこへ連れてゆくように娘から頼まれただけなので約30分そこへ孫を預けて周辺を散歩しました。道後界隈はあちこちに桜が満開で桜の木に出会う度に足を止め桜の花を見上げては歩きました。松山神社の長い参道を登ると徳川家ゆかりの葵のご紋の入った立派な社がありました。神社の規模としては今まで見たこともないような立派なもので、予期せぬ建築物だったので驚きながら周りを眺めていると、近所の人でしょうか境内に植えているツワブキを獲っていました。誰もいないと思って勝手に取っていて見つかったという感じで隠すように「ツワブキを貰っています」と咎めるように思われた私に言うのです。私も咎めるように「そのツワブキは植えているので獲らないで下さい」と思わず言ってしまいました。二人のおばさんはバツが悪そうにすごすごと下山しました。

 山門あたりには竹の箒がやたらと置いていたので、私は一本を使って無断でそこら辺の落ち葉を集めました。すると登ってきた何人かの人が「ご苦労さんです」と声を掛けて通り過ぎました。風貌から私をてっきり坊さんか寺男に間違ったのだと思いました。

 神社の上から見ると桜のいっぱい咲いてる文教会館の裏あたりが見えました。文教会館も表からだけしか見たことがないので不思議な位置にあると思いつつ歩いてゆくと、立派なお寺にたどり着きました。山門には常信寺と書いてありました。入り口には教育委員会が立てた松山城主松平家ゆかりの寺の来歴が書かれてあり二度びっくりでした。寺の中は歴史の重みというのでしょうか整然とした手入れの行き届いた庭や建物があり、今を盛りと咲く桜の花が一層情緒を引き出させていました。カメラを持った人も数人おり、ここを目当てにきた訳でもない私とは大違いの楽しみ方をしていました。

 目的を持って歩くのもいいですが、私のように無目的な歩きの途中に発見した驚きは言いようのない喜びです。明日は早速カメラを持ってと天候のいいことを祈って先に進みました。歩いたこともない狭い路地を抜け、道後の下り坂に入ると光景は一変します。真昼間だというのに怪しげなネオンが輝いて、入り口には客を呼び込むお兄ちゃんが何人もたむろして行く人に声を掛けていました。昔はトルコ、今はソープランドというそうですが、道後の表と裏を一遍に見たような感じでした。多分観光客は裏通りの文化にはめぐり合うこともなくソープランド街の印象を土産に帰ってゆくに違いありません。悲しいかなです。

 「shin-1さんも歩けば花に当る」の一席でした。

  「知らぬ土地 思いつくまま 歩いたら 凄い発見 目から鱗が」

  「道後には 裏と表の 落差あり 裏を知る人 意外と少なく」

  「桜見る 僅か十日の 命にて 早くしないと 次の年にか」

  「早咲きも 遅咲きもいい 桜花 今が適期と 思えばそれで」

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shin-1さんの日記

○ただいま私は子育て実習

 夕食が終わった頃になると仕事を終えた娘が我が家に帰ってきます。その様子を見ていた隣のおじさんが、「娘さんが帰りよるが何かあったんかい」と朝顔をあわせたときあいさつ代わりに聞くのです。多分このおじさんはわが娘が「離婚でもして帰って来たのでは」と思ったに違いありません。このおじさんの孫も離婚して曾孫を一人連れて帰って来ているのでそう思ったのでしょう。事情を説明しましたが、ふと「そうなったらどうしよう」と一瞬不安が頭をよぎりました。

 夕食が終わるとしばらく遊んだ孫は私と風呂に入ります。こんな風呂では温まらないと思うような温めの湯でないと「熱い熱い」と大騒ぎするので、私が先に入って体を洗い、適当な温度になれば孫を呼んで一緒に入るのです。頭をシャンプーで洗うのも自分の子どもで練習をしているのでなれた手つきでこなします。体を洗って湯船に入れ20の数を2回数えるのですが、15まではすらすら、でもその後がまるで落語のように15、17、19と飛ぶのです。でも「もう一回」といって首までつからせます。

 4・5日前、妻が何処かで貰ってきたのか風呂の化粧台にシャボン玉の容器が置いていました。孫はシャボン玉をしようとせがむのです。石鹸水を容器に溶いて口で加えると大小さまざまなシャボン玉がお風呂の湯気の中に生まれては消えてゆくのです。私は忘れかけていた「シャボン玉」の歌を歌いながら孫のシャボン玉製造にお付き合いです。でも何年ぶりかで童心に帰っておおはしゃぎしました。孫も大喜びで、出る時には「おじいちゃん、また明日もしようね」「うんうん」でした。

 子どもの遊びも随分変わっています。孫は一人っ子で最初の孫ということもあって、おもちゃはおもちゃ箱に入りきれないほどあります。でも遊び方がその既製品のおもちゃを使った一人だけの遊びになって、何かしら変な感じの遊び方なのです。

 新聞の折り込み広告をハサミで切ってお面を作ったり、ままごとの真似をしたりすると、孫の目が生き生きと輝くのです。農協の置き薬屋さんが置いて帰った風船だって飛びきり喜んで遊びます。結局はおもちゃに依存して遊び方を知らないのは大人なのです。

 シャボン玉にしても風船にしても、また折り込み散らしを使った遊びにしても創作の遊びです。家は汚くなるし大人は嫌がります。でもそれを片付けることも子育てなのだと割り切れば、周りには創作の遊びが幾らでもあるようです。そしてそれらに童謡をつけて歌の世界に誘い込めば体も心もバランスよく成長するはずなのです。私は子育て講演会に時々講師として呼ばれます。その時は心理学や子育ての文献などを基に話すことも多いのですが、自分の子育て経験や無人島サバイバル経験などを交えて話します。でも子育ては妻の専権事項でしたし、無人島の生活もどちらかといえば大局的な話に終始していました。ブログに孫のことを書きながらハッと気がつきました。この一週間の孫の面倒が実は貴重な実験だと思えたからです。あと残り少なくなりましたが、積極的に孫から多くのことを学びたいと思っています。

  「ふと思う 孫が私に 教えてる 形勢逆転 子育て実習」

  「折り込みも ハサミ一つで 変身し 金の要らない 遊び道具に」

  「大声で 屋根まで飛んだと 歌歌う 湯気の向こうに シャボン玉三つ」

  「おもちゃ箱 溢れる全て 独り占め 与えて満足 今の親たち」

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shin-1さんの日記

○怒ると叱るの違い

 今日は三歳になった孫のもりも中日で、少々お疲れモードの私と孫は揃って松山の娘の家へ所用で帰りました。昨日の夕食時孫が大泣きをしました。妻が孫の大好物であるハンバーグを作ってやりました。妻でみると熱々のジューシーなハンバーグを食べさせてやりたいと思うのは大人心でしょう。ところが孫は大の猫舌で熱いものが苦手です。「さあおばあちゃんの作った特性の熱々のハンバーグを召し上がれ」と孫の前に出したまでは良かったのですが、湯気の出るハンバーグを見て孫は「湯気が出てるから熱くて食べられない。冷蔵庫に入れて」と泣き始めたのです。さあそれからが大変、「ハンバーグの熱々を冷蔵庫に入れる人はいない」、「そんな熱いの食べれない」という騒動に発展し、泣きじゃくるほどにトーンを上げました。いくらなだめても泣き止まないものですから、「そんなにわがままを言うのだったら押入れへ入れる」と脅してしまいました。孫はそのことも怖かったのか更に逆上、もう手が付けられません。仕方がないのでほおっておいたのですが、相手にしてくれない大人を見て少し気分も収まり、ついには冷えたハンバーグで夕食を終えました。

 私は私たちの子ども時代の怖い「やいと」と「押入れ」と「殴られる」という経験で、「ならぬことはならぬ」を教わりましたから、ついつい「押入れ」を叱る道具に、いわゆる奥の手として出してしまったのです。しまったと思いました。私のやった行為は好意でなく恐怖の何ものでもなく、「叱る」より「怒る」だったと深く反省しました。「叱る」と「怒る」は違います。「怒る」は無意味に恐怖心をあおって服従させようとします。昔の子どもはそれでも良かったのでしょうが、今の子育ては子どもの人権に配慮しなければなりません。「叱る」は言って聞かせて褒めてやる」納得の教育です。子育ての講師などを務める私が何たることかと深く深く反省しました。

 孫も三歳とは言いながら一夜明けた昨晩のことは良く覚えていて、恐怖のあまりか「おじいちゃんは怒ると怖い」というイメージが心に焼きついたのか、車の中で妙に私になつくのです。「おじいちゃん昨日はごめんね」とか、私の言うことは何でも聞き「分りました。もうしません」とはきはきボーイに変身していました。お昼には昨日食べ残したハンバーグを妻が温めて食べさせたのですが、少し熱くてもフーフー言いながら「少し熱いけど僕は頑張る」と言って食べました。でも食べながら下目つかいに私の顔をちらちら眺めながら、まるで水族館のイルカがショーをした後の餌を食べるような服従の面持ちでした。

 自分の子どもならいざ知らず、孫の教育は短い期間ながらあずかる私にも大きな責任があることを教えてくれたささやかな大事件だったようです。

 「誰が好き」、大人は有頂天になって自分をPRします。物を買ってやると「おじいちゃんが好き」となるのでしょうが、私は物を殆ど買いません。いつもは我慢することを覚えさせるために、「今日は買わない。お金を持ってない」と納得させます。孫もそのことを納得します。でも昨日は遊びに行ったシーサイド公園で納得させて600円の怪獣を買ってやりました。怒られた後の「飴」だったから、余計嬉しかったのでしょう。「おじいちゃんが大ー好き」なんて手で大丸を作ってくれました。でも昨日は私も孫も「深く反省」した複雑な気持ちの一日でした。

  「押入れへ 入れると恐怖 あおったが 逆切れ孫の 鳴き声更に」

  「孫のもり 叱るつもりが 怒りすぎ 反省しても 後の祭りだ」

  「昔から 三つ子の魂 百までと 知っているけど 駄目な私」

  「ほお擦りを してくる孫の 匂い好き まるで子犬が じゃれ付くように」  

 

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shin-1さんの日記

○北海道と沖縄では体重計が違う

 毎日毎日何気なく乗っては一喜一憂している体重計、どの家にも一台くらいはあるのでしょうが、最近は狂いやすいアバウトな目盛りのものよりデジタル式が多いようです。わが家の体重計も家族3人と時おりやってくる孫家族の重いと思いを乗せて計り続けているのです。

 ところでこの体重計が北の北海道用と南の沖縄用があることを知っていますか。勿論私も知りませんでした。電気も使わずただ人が乗って重さを量るだけなのに何故変えなければならないのか?、そんな疑問があるのは当然なことでしょう。実はその秘密は南北に長い日本の地形にあるのです。地球は絶えず自転していますがその影響による重力は日本列島の北と南とでは微妙に違うのです。デジタル式や目盛り式の家庭用ヘルスメーターはバネのたわみで量る仕組みになっていますが、北海道と沖縄では緯度の差20度です。それをヘルスメーターで換算すると0.1パーセント程度なのですが北海道の方が下へ引っ張る力が強いという形で表れてくるのです。その差を考慮して家庭用ヘルスメーターは北海道用、沖縄用、さらに中間をとって本州用と三種類の設定で売られているそうです。沖縄の人が北海道に人事異動した折、今まで使っていたヘルスメーターを持参して使うと、誤差があるという事実を知っておいた方がよいかも知れません。

 じゃあ正確なデーターが必要な病院などはどうするんだろうという素朴な疑問が湧いてくるのもこれまた当然なことです。ご安心下さい。病院には病院用というのがあるそうで、日本中を更に細かく16地域に分類して製造販売されているというからただただ驚くほかはありません。2百グラムや3百グラムぐらいと思うのは私たち素人の考えだし、日々の暮らしでもそんなに困ることはありません。私もかつて産業課で計量器検定という仕事に携わったことがありますが、そんなちっぽけな誤差ぐらいと思っても、商売をしている人から考えたり、消費者の監視からするとそれは大きな問題なのです。時々内容量の表示と容量が違って大問題になったことがありました。世の中には暇な人がいるなあと思ったものですが、それは私が間違いで、暇な人が正しいのです。

 さて、今朝の私の体重は本州用で量ると56キロでした。只今妻の方が少し、いえ少し軽いようです?。

さあきょうも孫と少し歩いて元気を維持しましょう。ここまで書いたところで隣の部屋から孫がやって来ました。二人で脱衣場の体重計で量りました。「おじいちゃん僕の体重は何キロ」と聞くので、只今の朋樹の体重は17.5キログラムです」と言ってやりました。

  「体重計 壊れてるのか 言う妻の 重さ微妙に 増えております」

  「いいことを 知ったとばかり 書きました 体重計に 北と南用」

  「増えるのに ヘル(減る)スメーター これいかに 漫才ネタに これ使えそう」

  「体重の 目盛りで一喜 一憂し 贅沢しないで 贅肉何故に」

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