shin-1さんの日記

○自治会長になって一年が経ちました

 「本当はやりたくない」というのが本音なところでした。しかし長年不義理をしている地元に恩返しもしなければならない一念から、自治会長を引き受けて丁度一年が過ぎました。幸い副区長2名や会計、それに放送係に助けられて、曲がりなりにも総会が迎えられそうでホッとしています。私どもの所では区長と呼んでいる自治会長の仕事は、いざやってみると大変な仕事だというのが正直な感想です。田舎のことゆえ様々な集会には顔を出さなければならないし、おまけに宿泊施設としての機能を持った集会所の貸し出し管理までですからこれはもう多岐にわたっています。しかしこの集会所を宿泊に利用する人も安ければよかった時代の終焉とともに年々減少し、収益が見込めなくなりつつあります。このままでは決算期に赤字になるのではと思い悩んでいた今年、思いがけない大金が転がり込みました。市役所から今年限りという限定で100万円余りの補助金が計画書が認められて入ったのです。お陰さまで自治会長の心の曇も晴れ、今晩の監査は美味しいお酒が飲めそうなのです。

 住民の自治というけれど、実際には自治能力は決して高い方だとは思いません。何をするにしても役員が主体で物事を発案し、ある意味で大多数の人は区費と呼ばれる毎月600円の費用を払ってもらいながら暗黙の了解とみなして一方的にことを進めるのです。私のようにまちづくりに深く関わった人間にとってはそのことが心の大きな重荷になっていますが、それでもできるだけ情報公開し、住民の参画を促しながら事を運ぶよう努力しているつもりでも、まだ文句の一つや二つはでてきます。それは関心を持っているからこそだと思いながら、その都度どぶ板をはがすようにしながらこの一年努力してきました。昨年のこの頃は前の見えない不安で多少滅入っていましたが、今は少しの自信を持って新しいか企画に燃えています。

 今年の目標は防災に目を向けた自治会を作ることです。もし今日急に地震や津波が起こったら、この自治会はまったく機能もせずにパニックになることでしょう。どの家に誰がいてどんな状態か、また災害が起こったとき誰がどのような役割を果たすのかまったく手が付けられていないのです。私の残された一年の任期はこの整備にかけてみたいと思っています。29日に開かれる総会でこの点を提案しようと思っています。新しい組長さんからはまた重い荷物をとブーイングが出そうなのですが、是非その必要性を訴えてみたいと思っています。何にもしなかったら波風も立ちませんし、非難もありません。でもそれでは安心と安全を守れないのです。

  「もし地震 起これば区長 どうするの 亀じゃないから もしはあります」

  「えらいです 偉さが違う 気苦労に 悩み続けて 一年終わる」

  「今年こそ やらねばならぬ 仕事する 何と言われよ 風に流して」

  「やり過ぎて 成果出したら 再任を 言われそうです 少し控え目」

 

 

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○部下との人間関係

 私の仲間もそれぞれいい歳になって、異動の度に役職が重くなり部下が増えていくようです。これまでは中間管理職として風見鶏のような生き方をすればそれなりに生きてこられました。部下が文句を言うと「俺もあの上司のことはあんたと同じで」と同調し、上から部下の至らなさを指摘されれば「私もそう思います」といつも同調で済んでいました。ところが約束が上になって中間を通じて部下を指導しなければならない立場になると、何時もいい顔をしていることもできず、ついつい愚痴の一つも言いたくなるのです。

 先日の内示で新しい任地に赴く管理職から部下との人間関係について意見を求められました。私は前町長さんと私の関係についてお話をしました。課長になったとき私と町長さんのの間には助役や収入役がいましたが、課長になれば任された事務分掌では町長さんと直接話ができ、直接指示や決済を受けるのですから、自分の部下に対しては私の責任で仕事をしなければなりません。私は町長さんとの暗黙の取り決めを①町を愛する、②町のためにする、③町をよい方向に導くという3つと決めていました。時には私の意見が通らない時もあったり、難題を与えられたりもしましたが、結果的にはそのことが二人の人間関係を強固なものにし、様々な仕事をやらせてもらい大きな成果を勝ち取ることができました。その二人の人間関係を見て部下は私という人間の値踏みをし、私という人間についてきてくれたのだと思うのです。

 そうした上との関係が上手く行くと部下との人間関係も以外と上手く行くものです。私は部下に対して①金は出す、②口は出さない、③責任は取るの3点に極力心がけてきました。世の上司が①金は出さない、②口は出す、③責任はお前が取れ型が多いのを見るに付け、部下を信じることの大切さを思うのです。

 部下を怒鳴り散らして服従させる方法は中々上手く行きません。服従や命令だけで人が動くと思ったら大間違いで、そのうち反乱が起こったり、時には自分を迂回して上へ自分の欠点を上申されたりするものです。「人を褒めて使う」のも上司の大切な仕事です。むやみやたらと褒めるのは見え透いたお世辞にしか見えませんが、山本五十六の言葉のように「言って聞かせてさせてみて褒めてやらねば人は動かじ」だと思います。民間企業はその点シビアで成績や能力に応じて地位や報酬が与えられますが、公務員の場合はそんなことは難しいので特にその人の成果をしっかりと褒めることを心がけねばなりません。

 地位や報酬といった外発的な効果に加え、認めるといった内発的な効果は上下の深い人間関係を作って行きます。

 ピグマリオン効果という言葉があります。深い意味は分りませんがギリシャ神話が語源らしく、褒める事によって様々な所に効果が現れるということらしいのです。結局はどんな職場も結局のところ人間関係によって成り立つのですから、よりよい人間関係を持っている人が、よりよい仕事の大きな成果を手に入れれることができるのです。「私はいい部下に恵まれた」と思える上司になれるように努力してください」と激励し彼は私の元を去って行きました。

  「若いごろ 上になりたい 思ったが 今は下見て ため息交じり」

  「功名が 辻見てわかる 上と下 何時の時代も 何ら変わらず」

  「責任を 逃げたら後で 追いかけて 来るからしゃんと 辞める覚悟で」

  「辞めた後 気になる部下の 異動先 大きく育てと エール送りつ」

  

 

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○桜いよかんが届きました

 季節が巡り春の訪れを肌で感じる頃となりました。美味しく味わった蜜柑類もいよいよ終わりに近づいてきましたが、昨日講演先の島根県益田市から帰ってみると、玄関に蜜柑のダンボール箱が置いてありました。爆弾でも入っているのかと妻が開けた痕跡がありましたが、部屋に入って見ると机の上の籐篭に真赤な伊予柑が盛られ、その横に送り主の大河内結子さんからのメッセージと伊予柑の来歴が書かれたポストカードサイズの品書きが添えられておりました。「美味しそうだったのであなたが帰るまでに2個食べました。美味しかったとあなたからお便りを出してください」と妻の弁明、「食べるのは妻、お礼状は私」毎度のことですので気にもせず私も1個ご相伴にあずかりました。

 大河内さんとは先日サロンであって以来のメル友で時々メールを読んでいますが、ご存知えひめ地域政策総合センターの清水さんたちと「えひめ朝フルの会」を結成し、みかんの美味しさと健康効果について普及PRしている方です。前々からお顔は知っていたのですが顔と名前と仕事が一致せず大変失礼をしていました。妻は「伊予柑をいただく理由がない」というのですが、まあ女のやっかみくらいに聞き流して妻に、大河内さんの住処を話してやりました。「昔お世話になった大西町の岡島明夫さんの家の近くで」と言うと、直ぐに思い出してくれました。「岡島さんは元気かしら」、会話がやっと繋がり朝フルの会の話をしてやりました。「まあそんなに痩せるんだったら私もやろう」と早速1個、凄い食欲です。太るはずです。

 品書きには「桜いよかん」と書かれ自慢のみかん畑の写真が載っていました。「晩生の伊予柑を収穫する時期をできるだけ遅らせ、樹上で熟らせました。大空に枝を伸ばし、樹齢60年の樹がつくる『さわやかな風味』と『春の便り』をご笑味ください。安全・安心を第一に除草剤を使用せず、農薬もう~んと少なくして、エコ栽培にこだわりました。『桜いよかn』は桜の季節に美味しい果物です。」と書いていました。

 失礼ながら農家のおばちゃんがここまで自分の作った果物を褒める人も珍しいと深い感動を覚えました。普通の農家は「みかんじゃあ飯が食えん」とか、「みかんが安い」、とか、「今の消費者はわがままで困る」とか、「農協はわしらのことをひとつも考えてくれん」とか、「このままだったらわしらは首をつるしかない」とか、ブツブツ文句を言いながら日々を暮らしています。そんな不満を言ったところで山彦のように自分に跳ね返り、いつの間にか消えて聞こえなくなるばかりです。大河内さんの姿が神々しく思えました。

 実は昨日の島根県益田市での講演会は婦人会の主催でした。「女性の輝きが町を輝かせる」という内容テーマだったものですから、3人の実在女性の名前と活動を紹介しました。一人は大分県安心院でグリーンツーリズム宿を営む中山ミヤ子さんの五右衛門風呂とウンコ部屋の話、愛媛県双海町でじゃこ天を作り5500万円を売り上げている富岡喜久子さんの話、えひめ朝フルの会で朝食に果物を食べる運動をしている愛媛県今治市大西町の大河内結子さん話をさせてもらったのです。本人には内緒の話ですが面白おかしく話しました。大河内さんから伊予柑が届いたのはそのお礼かな?と思うほどの偶然でした。私も時々知らない人が知らない場所で私の話をしているそうですが、人に話してもらえるような人間になることは凄いことだと思っています。大河内さんの話は偶然と必然でした。勝手にあなたたちのことを話したことをお許し下さい。

  「旅帰り 玄関先に ダンボール 自慢の伊予柑 食べて食べてと」

  「百姓さん ブツブツ文句 言う前に 自慢しながら やったらどうだ」

  「さすがだね 桜いよかん ネーミング ヘルシー気分で 一個味わう」

  「結子とは ネットワークの 名前なり 何時の間にやら 深いご縁が」 

  

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○青春18キップの無くなった一枚のキャンペーンポスター

 役場のかつての町長応接室に幾つかの観光ポスターがアルミの額に入れて飾られています。実はこの観光ポスターは私が個人的に集めていたものなのですが、前町長が来客用にと依頼を受けて展示していました。しかし主のいなくなった町長室や応接室はすっかり荒れ果て今は見る影もありません。特に町長室は倉庫のようになっていて、かつてはここで重要なことが話され、時には政策決定がなされたことを思うと何かしら侘しささえ感じます。先日この応接間に所用でお邪魔しましたが、私のポスターの一枚は何処かに行ったのでしょうかなくなっていました。私は他の二枚もやがてこうした運命になるのではないかと思い、担当者に訳を話して思い切って家へ持って帰りました。この3枚はセットで下灘駅が登場している青春18キップのキャンペーンポスターなのです。

 私はこのキャンペーンポスターにはことの他思い出があります。夕日に出会ったのも、夕焼けコンサートを開いたのも、寅さんとであったのもこの下灘駅でした。私にとって下灘駅は私の人生ドラマの始発駅であり終着駅でもあるのです。

 家へ持ち帰ったポスターの一枚は女性が下灘駅プラットホームのベンチに座って列車を待ってる風景、もう一枚は下灘駅の改札口を中から写しています。無くなったもう一枚は下灘駅のプラットホームの屋根付き待合所とでも言うのでしょうか、海を見下ろす長閑な雰囲気が醸すポスターでした。今頃どこにどうしているのか定かではありませんが、是非探し当てて双海町の生き証人として私が大切に保管したいと思っています。でないと私の人生そのものが否定されたような気がして寂しいのです。

 先日双海町の商工会長の三井さん宅を訪ねたら、私の探しているポスターと同じものが酒店のバックに張られていました。心ある人はこうして手に入れ大切に保管しているのです。

 合併をして早くも1年が経とうとしています。街の中に人の姿が少なくなり、だんだん寂れていくような寂しさを感じます。と同時に私たちが熱く燃えた双海町のまちづくりも、そこから生まれた様々なドラマも次第に忘れ去られようとしています。これも時代の流れと諦めるべきなのでしょうか。

 無くなった一枚のポスターよ、あなたは何処に。

  「亡くなりし ポスター何処に あるのやら 探し残さにゃ 俺の気済まぬ」

  「人想い 消えた部屋の 隅々に 在りし思い出 甦り来し」

  「懐かしむ そんな俺たち もう古い たった一年で そんな錯覚」

  「渡辺も 塩崎もみな 合併で 散り行く定め 俺と同じに」

 

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shin-1さんの日記

○押し寿司とコンニャクの天ぷら

 今日は早朝5時に起きて広島県経由で島根県益田市へ出かけました。一年中日本全国を木になるカバンを持って旅をしている私ですが、今日訪れた益田市は交通手段からすると遠い方の地域なのです。公共交通機関だと松山から特急しおかぜに乗って岡山経由で特急やぐもに接続、日本海に出て西を目指します。一方新幹線だと高速船で広島宇品まで行き新山口経由で津和野方面から益田を目指します。いずれも途方もなく遠いので、普通私は広島宇品まで高速船で出て広島バスセンターから高速バスに乗り中国地方の山を越えて益田に入ります。

 今日は主催者のご好意で宇品までわざわざ3時間もかかるのに出迎えのタクシーを回してくれました。松山観光港を7時出発、宇品には8時10分到着、港に着くと「若松様」と書かれた名札を持って気のよさそうな運転手さんが出迎えてくれました。あいさつもそこそこに出発したまではよかったのですが、折からの小雨や私と運転手さんの会話が弾み過ぎたのか、高速道路山陽道の下り線に入ってしまいました。後の祭りとはこのことを言うのでしょうか、結局は宮島口まで西進し引き返して中国自動車道に乗り変えました。この時間のロスが尾を引いて会場へ付いたのは講演5分前というまるで綱渡りのような雰囲気でした。

 真砂公民館は前にも雪の日、別の会場へ行く途中に地元の方の熱心なお誘いを受けて立ち寄ったことがありました。その時手持ちの竹とんぼを珍しそうに見ていた人が、器用にも見よう見まねで作られ、会場を飾ってくれていました。今日の会合は婦人会と公民館が主催なので小さい地域ながら50人以上の方が集まってそれは賑やかな会場の雰囲気で、最初から最後まで私の話に爆笑の渦でした。11時から始めた講演も昼食をとることもなく延々12時40分まで話してしまいました。

 昼食は真砂地区自慢のてづくり押し寿司とコンニャク及び豆腐、山菜の天ぷらでしたが、シンプルながらこれが実に美味しく、お代わりをしてしまいました。全国を訪ねる私としてはその土地の特徴ある食べ物をいただくのですが、今日の押し寿司もコンニャクの天ぷらも始めての経験でした。帰りには押し寿司までお土産に頂きました。

 広島と島根の県境にはまだ残雪が残り、今年の厳しかった寒さを思い出させてくれました。私たちの住む四国では高知県で桜の満開宣言が出されているというのに、木々の芽吹きはまだ少し先のようでした。それでも桜は花の蕾も膨らんで桜祭りの準備でしょうかぼんぼりやちょうちんが飾られてその時を待っていました。帰りは公民館の寺戸さんの500万円以上するという外車に乗せてもらい来た道をカーナビの案内で宇品まで運んでもらい、信頼するはずのタクシーより正確に港へ到着し、4時30分発の高速船に乗って瀬戸内海を渡り無事帰って来ました。

 過疎や47パーセントを越える高齢化率、それに学校統合もささやかれる小さな田舎町真砂の温かい人情と細やかなもてなしに心洗われる気持ちでした。「あんな地域に住んでみたい」そう思いながら真砂を後にしました。真砂の皆さんまた会いましょう。グッバイシーユーアゲイン。

  「四国では 桜満開 島根では 峠に残雪 日本も広い」

  「朝早く 目指す益田は 遠からじ 復路日帰り 三月の旅」

  「間違って 高速走り 遅くなり やっとの思い 着いて直ぐション」

  「押し寿司に コンニャク天ぷら もてなされ 話し肴に お茶を濁して」 

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○酒に音楽

 酒に音楽といえば殆どの人が酒を飲みながら音楽を楽しむことを連想するでしょうが、今日は酒の発酵に音楽を聞かせると言うお話です。今晩八幡浜の梅美人という銘柄の蔵元さんの酒蔵で酒宴が催されました。酒宴といってもその目的は酒蔵で酒を楽しみながら交流するという一風変わった会合です。仕込み用の大きな樽の蓋を利用したにわか設えのテーブルを囲んで酒瓶箱の上に腰掛けるといういたってシンプルなものです。でも料理は皿鉢料理に、蔵の珍しい酒がふんだんに並ぶとあって、酒通には堪えられないしつらえで、酒宴が始まりと今日の会合の目的なんかそっちのけでメートルを上げる人もいるほどでした。

 そもそも今日の集会はえひめ地域政策研究センターの主催する地域づくりコーディネーター養成講座の修了生がセンターの肝いりで始めたパソコンネットワークの呼びかけで企画されました。その講師を務めた岡崎さんや私たちもそのパソコンネットに参加させて貰っているのでお誘いに応じたのです。

 酒蔵の魅力は何といっても時代を超えた古風な歴史です。そして蔵を時空を越えて守り育ててきた蔵人の心意気、それに人の技で作られた酒の味です。これらが3拍子揃えば言うことはないのですが、昨今の日本酒業界はワインやビール、それに焼酎に押されて右肩下がりです。私の町の屋台骨のように街の中心にでんと座ってる酒蔵でさえ斜陽化の波に押し切られ、ついに酒造りを止めようとしているのです。残念でなりませんし、この酒蔵の持つ文化性をどうやって地域が理解すればよいのか、途方にくれるのが正直な気持ちでしょう。酒を飲まなくなった。酒が売れない。酒が売れないから作らない。酒が売れないのはワインやビールのせいだ。なんて言っても何の解決にもならないのです。

 そんな不況風が吹き荒れる中でも酒が売れている蔵元もあるようです。梅美人さんの諸施設は文化庁の指定文化財に登録されています。煙突も酒蔵も、本宅もその殆どが文化財なのです。そんな酒蔵に大きなホーロータンクが幾つも置かれている大きな部屋がありますが、その酒に最近はオペラのようなバリトンの音楽を聴かせています。酒の酵母は生き物ですから、その高低音声波長が酒に反応し美味しい酒ができるというのです。「本当に酒に音楽を聞かせたら美味しい酒になりますか」と尋ねたら社長は「今のところ音楽と酒の因果関係は科学的には説明ができません。でも音楽を聴かせた酒はまろやかになる」というのですから驚きです。その酒をみんな美味しいと言って飲んでいました。多分彼らの舌では分るはずがありません。サントリーレッドの安いウイスキーをオールドパーの瓶に入れて飲ませれば、美味しいという集団ですからね。この酒蔵で音楽会、この酒蔵で人形浄瑠璃と次々にアイディアが出てきました。でもそこで終わるのが普通ですが、この会はせめて一つでも実行に移したいものです。

 私は請われるままにハーモニカで5曲吹きました。多分私のハーモニカを聞いた酒樽では美味しい酒ができることでしょう。

  「仕込み酒 音楽聴いて いい酒に 私も聴いて いい人になる」

  「この家に 住み着く酵母 目に見えず 長い年月 この蔵守る」

  「蔵人は どこか気品が 漂って 言葉一つに 歴史の重み」

  「酒の元 井戸水飲んで 酔うたふり ハーモニカ吹き 得意満面」 

  

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shin-1さんの日記

○人間牧場に五右衛門風呂ついに完成

 今朝は松山に住む長男が午前7時にやって来ました。今日は五右衛門風呂完成の日です。私は宮崎県から燃える商望団が9時にやって来る約束なので私の日程に合わせて早起きと相成りました。早朝の空気はすがすがしく、山には椿や野の花が咲きウグイスも鳴いています。

 第二期工事である五右衛門風呂も以外と難工事でした。第一期工事で土台を作っていたので楽勝かと思われましたが、屋根を竹で葺くことや土止め工事や何やかにやで結局は今月末までかかってしまいました。今日は火入れをするとあって息子は藍染の「ゆ」と書いた暖簾まで用意するこだわりようで、「お父さん火入れを」と言われましたが、「お前が入れろ」と肩をも持ちました。簡易な五右衛門風呂ですから煙が充満したりしますが、それも野趣に富んでおり「さすが息子」の感じです。湯が沸くまでに下山したのでその後のことは分りませんでしたが、丁度昼時下山した息子のデジカメには一番風呂を気持ちよさそうに入る息子の姿が写っていました。人間牧場の水平線の家も来客たちは褒めてくれますが、多分この五右衛門風呂も水平線の家に負けないくらいの話題性があるようです。私も早速風呂のご馳走にあずかりたいものです。

 この五右衛門風呂の特徴は何といってもロケーションを独り占めしながらお風呂が楽しめることです。眼下に下灘の港が見え瀬戸内海の眺望が一望できるのです。この風呂はひょっとしたら男性専用ですかと聞かれるかもしれませんがご安心下さい。まるで隠れ風呂といわれるような仕掛けが随所に施されていて、板戸を締めれば密室、少しとを開けて尾用を楽しむこともできるのです。明日はあいにく島根県益田市の真砂公民館へお話しに行かなければなりませんし、この1週間は何かと野暮な用事がありますので、本格的に人間牧場へ行くのは4月からになる予定ですが、それまでに次の第三期工事である「ツリーハウス」の夢でも見てこきましょう。

 工事を担当した大工さんや左官さん、それに設計管理を担当した息子にお礼を言いたいものです。かくして私の夢は皆さんのご協力で少しずつ形になって現れ始めました。さあこれらを使って次なる夢を手に入れる努力をしようと固く心に誓いました。

  「念願の 五右衛門風呂が 完成し 一番風呂に 息子いい湯だ」

  「少しずつ 人間牧場  整って 風に誘われ 足繁通う」

  「風呂の次 今度は何を 作ろうか ツリーハウスの 夢を見てます」

  「人は来い 啄木鳥来るな 俺の家 人は来ぬとも 鳥は毎日」

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shin-1さんの日記

○ある友人の両親の死

 「もしもし若松さん。Kですが親父が急に亡くなりましたので今日の運営委員会には出席できなくなりました。誠に勝手ですが会を進めておいて下さい」「はいそれは大変でしょうが、こちらは心配要りませんので気を落とさないように」。予想もしなかった会議が始まる直前の携帯電話によるやり取りながら、電話の向こうのKさんのことを思うと「大変だろうなあ」と気遣わずにはいられませんでした。「葬式は何時何処で」と聞いてメモを取り会議終了後、気のあった仲間にそのことを告げました。しかし私たちのまちづくりに関わる運営委員会の仲間は全県に散らばっていて、しかも重要職についているものもおりスケジュールの都合で葬式への出席もままならない人もいました。当然私も広島で開催予定の重要な会議出席があり、不義理と思いつつも香典を仲間に託さざるを得ませんでした。明くる日が酉の日とかで地方の風習なのか葬儀は一日伸びたそうですが、無事葬儀も終えたのだろうと思っていました。

 「もしもし若松さん。Kですが先日は有難うございました」「いえいえ何かと大変だったでしょう」「若松さんにだけお知らせするのですが、今度はおふくろが亡くなりまして何と言ってよいか」「えっ今度はおふくろさんですか?」「はい続いてのことなので・・・」と絶句しました。「それは大変でしょうが葬儀の日取りは」「はい明日は友引なので明後日の同じ時時間に親父と同じ場所で」「そうですか、気を落とさないように」で電話を切りました。まるで嘘のような本当の話に私は耳を疑いましたが、葬儀の疲れなのか母親も夫の後を追うように心不全で亡くなったそうです。4・5日で二つも葬儀を出す息子の気持ちは当人でないと分るはずもありませんが、こうして大変な災難が急に降りかかることも現実にあるのです。

 Kさん夫婦は私たちが若い頃仲人をしているのですが、明くる日の葬儀に出張の都合で行けないため、息子の卒業式を終えてから妻を伴って夫婦でKさんのお家に弔問に訪れました。結婚式以来訪ねたことのないKさんの家をカーナビと記憶を頼りに探しながら行きました。玄関で迎えてくれたKさん姿は寂しく心なしかやつれているようにも見えましたが、弔問を済ませ元気を出すよう激励して分かれました。

 仲のよい夫婦が仲良く冥土へ旅立つのは美談としか言いようがありません。「もし許されるなら私たち夫婦もそうありたい」と妻はしきりに帰りの車の中で涙を流しながら話していました。でもそれは適わぬ夢かも知れませんが、せめてそんな相手を思いやる夫婦をこれからは目指したいものです。

  「父親の 後を追うよに 母親も 死んだと聞いて 深い悲しみ」

  「今頃は 冥土の旅を 二人連れ 許されるなら 俺ら夫婦も」

  「こんなこと 初めて坊さん 口にする それほど珍し 二人揃って」

  「酉の日に 葬式しない この地域 よくよく聞けば 舞い込まないよう」

 

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shin-1さんの日記

○卒業式に感激しました

 自分が退職したこの歳になると子どもたちもそれぞれ成長し、もう卒業式など縁遠いのかと思っていましたが、三男で末っ子の息子が一昨年の末、いきなり「警察官になりたい」と言い出し受験、応募者多数につき無理だと思って諦めていたのに本人努力の甲斐あって採用され、昨年10月警察学校に入校しました。以来約6ヶ月間の厳しい訓練を経てやっと今日卒業式を迎えました。今日は妻と二人で親馬鹿を決め込み卒業式に出かけましたが、普段はは滅多に見られない特色ある警察学校の卒業式を見せてもらい、感涙に目頭を熱くして帰りました。

 金モールの制服に制帽の出で立ちで式に臨んだ息子は、昨年の入校時とは比べ物にならないほどの成長していました。県警本部長や県公安委員長などテレビでしか見ることのない方々の前で、29人の巡査たちは実にきびきびした態度で卒業式をこなし、教官の先生たちとの別れのシーン、任地から迎えに来た車に乗ってそれぞれの任地へ赴く姿などは、県警音楽隊のBGMの効果もあって、まるで映画のワンシーンを見ているようでした。

 今回の卒業生は社会人枠とでもいうべき若者たちです。ですから大学を出て直ぐに入る人たちとは違って、何がしかの社会経験を持っています。いわば回り道をした人間の集まりです。ですから大学を出立てのような同一年齢ではなく応募資格ぎりぎりの30歳の若者もいるのです。異年齢集団とでもいうべきこの集団は就職経験が加算されるので、入校時点から給料もまちまちです。でもちゃんと月給を貰って勉強や訓練をするのですからこのくらい有難いことはありません。それでも給料の中から武道で選んだ剣道の道具は買わなければならないし制服も自前だそうです。でも集団宿泊訓練なのでお金を使う暇もなく、貯金は増える一方とか聞きました。剣道をやったことのない息子はこの半年間で初段を取得し、6ヶ月間で数百キロのランニングノルマもクリアして目出度く卒業と相成りました。

 兵役のないわが国では、こうした国益にかなう訓練は自衛隊や警察、消防や保安庁など一部を除けばありませんが、20代のこの時期に、こうした訓練を受け、その訓練に耐えた息子に心からなる大きな拍手を送ってやりたいものです。普通だと今日は卒業式だからゆっくりとするのでしょうが、警察手帳を胸に、拳銃、警棒、手錠を腰に任地へ赴きました。多分今頃は上司から細かい指示を受け交番でお巡りさんの仕事に着くことでしょう。頑張れ息子よ。

  「警官に なりたい夢を 捨てきれず 一念発起 今日から任地」

  「末っ子と ばかり思った わが息子 凛々しくなりて 輝き見える」

  「警官に なった息子が ブレーキを 踏んだ錯覚 安全運転」

  「開花した その日に卒業 いみじくも 咲いた頃には 次の任地で」  

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shin-1さんの日記

○木の名刺入れ

 私が木になるカバンと呼んで持ち歩いている姿は、このブログの愛読者の皆さんの殆どがご承知だと思うのですが、皆さんの知らない持ち物がもう一つあります。それは木でできた名刺入れなのです。機のカバンでさえ奇妙に感じるのに木の名刺入れとはお思いでしょうが、これが中々おしゃれなのです。私は名刺入れを3個持っています。一つは従来から持っている皮の名刺入れ、これはもうすっかりくたびれてお払い箱って感じで、余程のことがないと使いません。今使っているのはコカコーラ環境教育賞とう賞を頂いた時に、全日空ホテルで祝賀会を開いて頂きました。その折に貰ったものなのですがこれが中々高価なもので、長年使っていますが気に入っています。

 さて本日公開する木になる名刺入れは木でできています。難点を言えば名刺が余り入らないので普通は木になるカバンの中に忍ばせて持ち歩いています。この名刺入れは双海町で製材業を営む私の従兄弟の西下芳雄さんから頂いたものです。西下さんにはまちづくり草創期に随分お世話になりましたし、今も私のよき理解者です。私が現在使っている木になるカバンも実は西下さんの息子、つまり共栄木材の若い社長さんから譲り受けた3代目のカバンなのです。

 先日東京で観光カリスマ百選の会合に出席したとき、木になるカバンとセットで木になる名刺入れをお披露目しましたが、全国の仕掛け人の注目を集めました。ざまあ見ろって感じで一泡吹かせたのです。ところが懇親会が終わってホテルへ帰ってポケットや木になるカバンの中を探しましたが、何処へ置き忘れたのか紛失してしまったのです。仕方なく諦めていましたら、名刺入れの裏に「若松進一」と書いた千社札を張っていましたので、主催者がわざわざ送り返してくれました。感謝感謝でした。私のパフォーマンスはふるさとを売る、この一転に凝縮されています。夕日も私もふるさとを売るための道具なのです。

 かくして私の木になるカバンと木なる名刺入れはセットでまた新しい話題を提供するでしょうが、嫌がらずとお付き合い下さい。昨日ある人から電話がありました。「あのカバンと名刺入れは何処に行ったら手に入るのか」と。私は言いました。「あんたのようなシティボーイには木になるカバンも木になる名刺入れも似合いません。あれは私のようなカントリーボーイだから似合うのです」。納得して電話を切りました。彼は本当に自分が格好よいシティボーイと思ったのでしょうか。馬鹿たれが・・・。

  「木のカバン 持って歩いて 十五年 今ではすっかり 体の一部に」

  「木でできた 名刺入れ持ち 家を出る 今日も何だか いいことありそう」

  「千社札 貼ったお陰で 持ち主に 届いた名刺入れ これから大事に」

  「十枚か 入らぬ名刺 だからこそ 大事に配る 気遣いせねば」

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