shin-1さんの日記

○夜神楽を見に行く

 中国地方や九州地方に比べると四国愛媛には神楽はそんなに多くはありません。詳しいことは分かりませんが県指定の無形文化財は大洲柳沢藤縄神楽と、同じく大洲肱川山鳥坂の神楽だと思うのですが、先日その会長を務める富永さんから夜神楽見学のメールが届きました。愛媛県の無形文化財に指定されてから40周年だそうで、今年は記念大会だというのです。一昨年は妻を誘い清水さんと一緒に見学に出かけましたが、今年も清水さんから誘いがあり、年輪塾の井上登さんや青木晴美さんとも現地で合流し見学する予定で出かけました。

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 私はこの2日間、娘から二人の孫をあづかっているので、孫二人を乗せて山鳥坂へ向かいました。途中肱川の道の駅でトイレ休憩をして、請われるまま二人に雄のカブトムシを一匹ずつ買ってやりました。一匹150円とは安くお手ごろ価格でしたが、孫たちはおばあちゃんから貰った500円のお小遣いをポケットに偲ばせていたものの、私の財布から買ったため大喜びでした。

 この頃から夕立のような雨がポツポツと落ち出して、何となく怪しげな雰囲気になりました。二年生になる孫朋樹は親と離れて帰ってリラックスしているものの、孫尚樹はやはりホームシックなのか、夜神楽の龍の話が余程効いたのかしんみりし始めました。

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 駐車場に車を止め、富永さんに奉納のために妻が用意したブールケースを渡すと、顔見知りも何人かいるため夕食会場に誘われました。うどんと握り飯、それに野菜の天ぷら程度でしたが、孫たちも喜んで食べさせてもらいました。

 やがて元小中学校だった廃校になっている会場の座席を確保して、店開きした夜店で孫の求めに応じラムネ2本を買い求めました。かつてまちづくりセンターに出向していた沖田さんもボランティアとして売店で忙しそうに働いていました。やがて顔見知りの国会議員、市長、県議、市議などのお偉方が続々やって来て、その度にペコペコ組が右往左往していました。それもそのはずここは事業仕分けで物議を醸している山鳥坂ダムの最前線なのですから、野党与党を問わず一喜一憂するのです。

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 神楽に先立って神事や開会行事が延々と続き、6~7人の来賓がこれでもかと言わんばかりに壇上で挨拶をするのです。孫尚樹はそのころから空中に浮かんでいる龍の姿が気になって、腹に響く太鼓の音が聞こえる度に涙を流してシクシク泣き始めました。同席した清水さんが、「私たちが子どもの頃には怖いものが沢山あり、怖くてよく泣いたものです。感受性の強い子どもですね。いいことです」と持ち上げてくれましたが、青木さんが用意して持参してくれたお菓子に釣られて幾分悲しみは和みましたが、約束どおり夜神楽が始まって間もなく、後ろ髪引かれる思いで会場を後にしました。長年顔見知りの西田県議さんにプレゼントしてもらった焼きとうもろこしを一本食べ、一本はおばあちゃんのお土産にするといって持ち帰りました。帰りは肱川~内子~中山~翠小学校を経由して8時30分頃に我が家へ帰りました。


  「夜神楽を 見物行くが 泣く孫に 負けて帰りぬ 川沿いの道」

  「ダム問題 ゆえに政治家 やって来る 事業仕分けや 結果はいかに」

  「とうきびを 県会議員 プレゼント 嬉し恥ずかし 恐縮千万」

  「ああ今日も いいもの見たと 思いつつ 伝統守る 苦労敬服」

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○あせもの薬に海水浴を楽しむ

 熱さにも寒さにも滅法強いと自認していたはずなのに、今年は背中や腋の下などにあせもが出るほど汗をかいて、やはり歳には勝てぬと少々弱気になったりしている今日この頃です。妻に言わせればにきびやあせもは若い証拠だと茶化されていますが、風呂から上がる度にあせもの薬を手の届かない部分には妻に塗ってもらっていますが、今年の暑さはまるで梅雨末期のムシムシを、お盆が来たというのに引きずっている感じです。

 台風4号は日本列島をかすめてスピードを上げ、秋田県に上陸したと聞きましたが、東北北海道では床下浸水の被害が出るなど台風に翻弄されたようですが、何はともあれ四国では被害もなくホッとしています。

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  昨日はあせもの薬には最適とばかりに、近くのシーサイド公園へ孫二人を連れて海水浴に行きました。軽四トラックに浮き輪を積み出かけましたが、シーサイド公園の第一、第二駐車場は海水浴客で満車だったため引き返して灘町集会所の空き地に止めて、灘町海岸で海水浴を楽しみました。

 これほど綺麗な海の近くに住みながら、私自身が海水に浸かる海水浴は3年ぶりで、孫たちと一緒に1時間弱歓声を上げながら海水浴を楽しみました。3歳の孫尚樹は浮き輪でしか泳げませんが、小学校2年生の孫朋樹は学校の体育授業にあるため海水を怖がっていた去年までとは違い、ゴーグルをつけて海の中へ潜ったり泳いだりして、すっかり逞しくなっていました。

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 私は二人の孫の介添えですから、孫たちが喜ぶので浮き輪に二人を乗せて、足の届かない少し沖合いへ出たりして海水浴を楽しみましたが、肝心の汗も対策になったかどうかは疑問の残るところです。私などは海水パンツも用意せず、半ズボンで泳いでしまいましたが、灘町海岸には湧き海水浴客が沢山いて、焼肉ができるのはここだけとあって、テントの下で焼肉をしたりビールを飲んだりしながら楽しそうに過ごしていました。

 浜の温度は予想以上に暑く、35度を超え猛暑日になっているのではないかと思われましたが、お昼になったので早々に切り上げて家に帰り、3人で風呂に用意した小さなプールに使って塩抜きをして着替え、昼食を取った後、午睡をしました。孫たちは頭が痛いと悪ふざけしてヒエピタを額に張ってもらい、疲れたのかあっという間に夢の世界でした。


  「暑い夏 あせもの薬 潮浸かる 孫はキャーキャー 海辺で遊ぶ」

  「砂浜に 焼肉匂い 立ち込めて ビールを片手 ビキニの女性」

  「海はいい 清濁包み ゼロにする 遠い昔に 帰ったようだ」

  「あんた何処 私松山 俺地元 泳ぎながらも 挨拶交わす」 

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shin-1さんの日記

○役場に勤めたから出来たと言われても・・・。

昨日人間牧場ロケ風呂の下の畑で草刈をしていると、何やら大きな声がするのです。草刈に熱中していたのとエンジン音で聞こえなかったようで、声が聞こえ一瞬我に帰りました。見ると顔見知りの女性を含めた3人が笑顔で立っていました。聞けばお盆が近づいたので人間牧場下のお墓に姉妹でお参りに来たというのです。顔見知りの二人のうち一人は伊予市、一人は双海町でした。もう一人は大阪に住んでいるらしく始めて顔を見ました。

 人間牧場近くに実家があるので、子どもの頃からお二人の顔は覚えていますが、大汗をかいて草を刈っていた私を見て、お二人は私の痩せた姿を見て一応に驚き、「どこか具合が悪いの?」とか、「そんなに痩せて大丈夫なの?」と心配してくれました。

 お二人の知っている私は、今より15キロも太っていたのですから、そんな驚きの声も当然かも知れないのです。「実は10年前、胆のう摘出手術をしてから痩せまして」とるるそのいきさつを説明しましたが、説明すればするほど心配は深くなるようでした。「私など痩せたくても痩せない。世の中は上手く行かないねえ」と大笑いをしました。「折角なので中を見せてくれない」といわれたので、水平線の家の中に入り、縷々見学と説明をしてあげましたが、「こんな施設を作ったあなたは凄い」「あなただからできる」「何とも羨ましい」と持ち上げてくれました。「これは私の長年の夢でしたからと話しました。

 「進ちゃん、あなたは役場に勤めたからこんな夢も実現できたのよ。百姓や漁師をしていたらこんな夢みたいなことはやろうと思っても出来る訳がない」と、暗にこの地で農業を営む自分の弟に同情するような話をするのです。私は即座にやんわりと反論しました。私は安月給のしがない地方公務員でした。それでもお粗末ながら家を建て、4人の子どもを育てました。そして10年間夢を育み人間牧場構想を実現したのです。それは役場へ勤めたからでもなく、役場に勤めた義務感でもないのです。いわば若松進一という人間の生き方なのです。

 私は役場に勤めていた印象が余りにも強過ぎて、リタイア後もそのイメージはついて回っています。それは仕方がないことですが、生き方まで役場流だとは思わないのです。

 時々人間牧場を役場の一施設だと勘違いされる人がいます。ゆえに私のサービスが悪いと顔を曇らせる人もいるようですが、人間牧場に関して補助金などの女性は一切当てにせず、全て自分が長年かけて蓄えてきた資金で造ったのです。

 役所に勤めた人は往々にして役所に批判的で協力的ではないとよくお叱りや批判を受けますが、私は人間牧場はむしろ地域への恩返しだと考え、子ども教室や年輪塾などに広く開放しています。地域外の人にそのことを理解して欲しいと願っても、意思は通じるすべもありませんが、偶然の出会いで降って湧いた問いかけに考えさせられた一日でした。

  「元役場 そんな目線で 俺のこと 見ていたなんて 少しショックだ」

  「役場いた お陰でこんな 場所できた 言われるけれど そんなことない」

  「焼肉を すればどんなに 楽しかろ そんな人など 来て欲しくない」

  「近々に ウッドデッキに 寝そべって 天の川見る これは楽しい」


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shin-1さんの日記

○あなたのブログで紹介してくれませんか!

 昨日は、帰省先の大阪から1時間遅れで帰ってきた娘の都合で、孫二人を預かることになって夕方妻と二人で松山まで迎えに行きました。マンションが道後なので伊予から松山まで高速料金タダの恩恵にあずかろうと、僅か10kほどの高速に乗りました。帰省ラッシュだそうでしたが、さすが全国一の無料区間交通量とあって、松山の出口付近は混雑していましたが、ラッシュの時間帯にもかかわらずわが家から50分弱で到着しました。

 娘夫婦は1週間の長旅でさすがに疲れていたようでしたが、孫たちは車の中で居眠りをしていたらしくケロリとしていました。

 娘の家を出たところで夕食の希望を聞くと寿司が食べたいというのです。私も弁当を持たずに人間牧場で草刈をしたり、下灘の漁師さんからいただいたはも等の料理に手間取って腹が空いていたので大賛成とばかりにすし水軍という馴染みのお店へ行きました。受付8番目とかなり込んでいましたが、孫たちと冷房の奇異板車の中で順番待ちをしていました。30分もすると2年生の孫朋樹が席が空いたと呼びに戻ってきました。

 娘夫婦とは一旦別れていましたが、私たちが寿司を食べに行くことを察したのか、相談もなく偶然に同じ店で合流し、久しぶりに楽しい食事会となりました。

 食事中昨日はどういう訳かひっきりなしに電話がかかってきました。今日の河辺村の夜神楽見学会の件で清水さんから、明日の明浜町歌舞伎崩し盆踊り見学会の件で原田さんから、また大洲青少年交流の家の新山所長さんと呑み会をしていると高知県四万十市の和田さんから、さらには県外から講演依頼の二件の電話がそれぞれありました。もう一人銀岡さんという方から、「あなたのブログは読者が多いから、是非映画『GATE』という映画の紹介をして欲しい」と電話が入りました。深い付き合いではありませんが今朝早速この映画についてインターネットで調べました。

 STORYには、「今始まりの地へ、25日間、灼熱の2,500km、60年前に開いた禁断の輪を閉じる祈りの旅」というテーマが書かれていました。「この世に二度と同じ悲劇を起こさないと願ったある日本の僧侶たちの祈りの行脚。2005年7月、僧侶たちはアメリカンインディアン、宗教や宗派を超えた平和を祈る様々な人々と共に、アメリカサンフランシスコから、世界最初の核実験が行われたニューメキシコ州のトリニティサイトまで、砂漠、山、250以上の街を越え、灼熱の中2500kmを旅した。60年間、祈りと共に絶やすことなく燃やし続けた大切なものを運んで、広島の原爆投下から採取した原爆の火。すべてが始まった悲劇の原点、グラウンド・ゼロ(爆心地)にその火を戻し、負の連鎖を断ち永遠に眠らせる。60年間、一度も開かれたことのなかったトリニティサイトのゲイトは、果たして開かれたのだろうか。僧侶たちは目的地であるトリニティサイトへ、一体どのようにして辿り着けたのだろうか・・・・。」

 8月15日13時から松山総合コミュニティセンターキャメリアホールで上映会をします。

 主催はハッピーオーラプロジェクト、これはすべてがボランティア、すべてが寄付によって行われます。

 一般前売り券1000円(当日1500円)です。詳しくはhttp://www.gate-movie.JP/http://ameblo.jp/happy-aure2009/か、http://ameblo.jo.greenti/へアクセスして下さい。

 

  回る寿司 見ながら電話 相次いで 食べたいお皿 行ってしまった」

  「広島と 長崎書いた 記事読んだ 人に頼まれ 映画宣伝」

  「核のない 世界を願う 人の輪が 広がることを 願っています」

  「傍で寝る 孫の寝息を 聞きながら 布団抜け出し ブログ記事書く」

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○ネギの植え替え

 昨日の昼過ぎ、草刈最中の休憩を東屋でしていると親父が、三ツ矢サイダーの冷たいのを持ってきてくれました。そして「もうそろそろ畑のネギを植え替える時期だ」というのです。そういえばネギは古い皮を窮屈そうに被っていて、草刈りが終わったらネギの植え替える相談がまとまりました。

 硬くなった土に鍬を入れ三畝に植わっているネギを掘り起こしキャリーで東屋の木陰に持ち込み、水をかけて根を柔らかくして二人で分株し始めました。わが家のネギは薬味用のネギと深ネギの二種類を作っていますが、品種は分かりませんが九条ネギのような細いネギは葉っぱを食べるため、根っこから引かず、葉を切り取ると次々新しい芽が延びる仕組みになって重宝しているのです。

 一方深谷ネギのようなネギは冬の鍋物に欠かせないもので、根こそぎ抜いて根っこの白い部分を食べるのです。九条ネギに比べて根も葉も大きいため、活着をよくするため緑色の葉っぱの上部を切り落として植えつけるのです。

 ネギはわが家では色々なものにかなり頻繁に利用します。味噌汁も納豆も、この時期のそうめんやうどん、それに冷奴などの薬味には欠かせない添え物なのです。主役ではありませんがやはりネギがないと今一で、家庭菜園が敷地内にあるものですから、料理が仕上がりそうになってから畑へ採りに行くこともしばしばなのです。

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親子水入らずのネギ分株作業は1時間余りに渡って続きました。私は草を除けて耕運機を倉庫から引き出し、エンジンをかけて念入りに畑を耕しました。人力から比べるとやはり耕運機の力は大きく、あっという間に畑は見違えるような新地になりました。巾鍬で畝を二つ立て、少し深めの溝を掘ってネギを植え付けて行きました。

 九条ネギ2列、深谷ネギ1列を植え終わった頃には、台風接近の小雨がパラパラ降り出しましたが、濡れることなく作業を終え、親父が根元に蒔いた籾殻と牛糞の上から、ジョロで丹念にたっぷり水をやりました。夏の暑い時期なので活着するかどうか心配ですが、毎年やっている作業なので、多分大丈夫だと思っています。

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 昨日はついでにサツマイモのツル返しをしました。植えつけてからぐんぐん伸びたツルは、辺りかまわず延び放題で、マルチからはみ出たツルは地上に根を張ろうとしていました。そのツルを内側に返してやると根元のサツマイモが成長するのです。

 今朝起きて、菜園に出て畑の様子を伺いました。植え付け後の管理が大事とジョロに水を入れて、たっぷり水をやりました。親父は井戸の水をトマトやナスやキューリに散水していましたが、あと2週間もすれば大根や白菜などの秋蒔き野菜の準備もしなければなりません。既に予定地は先日耕運機をかけて草を退治していますので、種物を仕入れていい野菜を作ろうと思っています。

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  「株分けを 親子仲良く 汗かいて ネギの植え替え  一件落着」

  「ネギ風味 脇役だけど 引き立てる 俺も脇役 ネギ真似生きる」

  「土の中 水土肥料 太陽の 恵みいただき 順調育つ」

  「リタイア後 早くも五年 菜園も すっかり板に 美味い野菜が」

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 朝起きると直ぐにパソコン画面で台風情報を見ました。下の写真が5時の台風進路状況と予想図です。

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 日本民族が大移動するお盆の帰省が始まりました。その機をとらえるように台風4号が日本列島を掠めて、今朝は鳥取沖を北進中です。お盆の時期が来ても4号ですから今年は台風の発生が連年よりかなり少ないようです。「台風は大潮を狙ってやって来る」というジンクスがあるように、今は一年中で最も潮位の高い時期なので、たとえ台風の規模が小さいとはいえ高潮には注意が必要なようです。

 今度の台風は風もかなり強いようで、昨日一日は私の町でも南西のいわゆるやまぜという南の風が吹き荒れ、時折雨のぱらつく曇りにもかかわらずフェーン現象というのでしょうか、生暖かい風が気温30度を越えさせていたようです。

 昨日は久しぶりに畑仕事に汗を流しました。家の敷地の裏には山が迫っていて、100メートルを越える畦畔が続いていますが、年に何回かその草を刈らねばならないのです。草刈機にチップソーの刃をつけて刈り進んで行くのですが、この作業が夏の暑い盛りのことゆえ尋常ではないのです。若い頃は自然豊かな自宅だと思って満足していましたが、加齢のことを考えるとこの先どうするか多少不安が広がりますが、それでも田舎の勲章と思い一年に4回くらい刈ると綺麗な環境で暮らせるので、昨日も一日草刈に明け暮れました。草刈の終わった畦畔は散髪をした私の頭のようにさっぱりとして、一週間もすれば青草が生え揃うのです。

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 草刈は危険も伴います。草刈機が石ころを巻き込んで飛び跳ねるため、体に当たると生傷が出来ます。これまでにも何度か軽い打撲程度がありましたが、本当は風防メガネをかけて作業しなければならないのでしょうが、この暑さなのでそれもせず無事作業を終えました。

 昨日は暑いといっても風があって作業は順調でしたが、やはり大汗をかき熱中症にならぬよう時々エンジンを止めて、妻の作った冷蔵庫の麦茶を沢山飲みました。昨日で家の周りや家庭菜園の草刈りは全て終わりましたので、近々から人間牧場の草刈にかからなければなりません。これらの草刈作業の肉体労働が、体力回復に役立っているようで、裸になった自分の体形を見て少し筋肉ができたような感じがするのです。

 顔も日焼けして黒くなり精悍になってきました。顔見知りの会う人からは「お元気そうですね」と声を掛けられます。どうやら田舎の人は日焼けすれば元気そうだと思っているようです。


  「台風が 日本をかすめ 北上中 こちらは過ぎて あちら迎える」

  「やまぜ吹き 暑い最中に 草を刈る まるでサウナの 中にいるよう」

  「熱中症 なる暇もなく 作業する お陰で斜面 散髪したよう」

  「風呂上り 鏡に映る 体見て いい体だと 自画自賛す」



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○故障したエプソンプリンター

 今年の暑さは尋常ではないようで、各地で40度に近い気温の上昇が記録されて、いよいよ温暖化の影響だと報道されているようです。水村高校で気象学を習った私としては、気圧配置による偏西風などの風向きに加え、海水温度の影響が多分にあることを知っているので、それほど驚きはしませんが、それでも今年の私は今まで出たことも無いようなあせもに悩まされているのですから、やはり歳のせいのお肌の曲がり角なのでしょうか。

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 そんな人間のオーバーヒートと同じように、手元のパソコンに接続しているエプソンのプリンターの調子が悪くなり、印刷を支持しても、またプリンターヘッドをワイパーモードにしてもまったくプリントアウトが出来なくなってしまいました。このプリンターは2年前私の誕生日に子どもたちがお金を出し合ってプレゼントしてくれた代物だけに、故障させた私の未熟さを悔やみましたが、仕方なく長男に電話をして助け舟を出しました。息子は設計の仕事をしていて、このところは土日も無いような忙しい日々を過ごしているようで、助け舟にやって来たのは仕事を終えた12時近くでした。ヘッドクリーニングをしたりありとあらゆる手を尽くしましたが、残念ながら復旧には至りませんでした。

 息子はそのまま帰った明くる日、プリンターを新しいものにしようと相談がありました。臨時出費は年金暮らしの私には痛手ですが、仕方が無いので息子に頼みました。息子は現代人らしくインターネットで私の最低欲求であるエプソン、今のインクカートリッジが利用できる、スキャナー機能などを取り入れ、1万2千円のプリンターを探し当てました。二日後代引きで送られてきたプリンターを、一昨日息子は深夜にやって来て接続やソフトを入れてくれやっと使えるようになりました。試し印刷をしましたがこれまでのと殆ど変わらない使い勝手にひとまずホッとしました。

 しかしエプソンプリンターカラリオEP-702Aという機種に、普通電気屋さんで買うと6千円もする6色インクがついて1万2千円とは、どういう計算になるのか不思議でたまりませんでした。1万2千円からインク代6千円を差し引けば本体価格は送料込みで6千円なのです。機種が少し古いといえばそれまでですが、合点のいかぬ安さです。清野さえ確保されれば安いのに越したことはありませんが、まあ妻が言うように「安かろうボロかろう」ではないことを祈りつつ、使い始めています。

 さてさて故障したプリンターは結局電子ゴミとなって引き取られる運命になってしまいました。勿体ないと思いつつ、修理をすると2万円もいるという見積もりなので、今回は目をつむって現代ゴミ出し人間になってしまいそうです。罪の意識も多少あって嘆かわしいことです。


  「プリンター 子供がくれた ものだから 名残り惜しいが 電子ゴミなる」

  「計算が 合わぬ買い物 ネットにて 息子注文 代引き払う」

  「使い捨て これでいいのと 悶々が 頭浮かぶも どうしようもなく」

  「テキストを 読む暇さえも ない私 息子直伝 プリンター使う」


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○日土小学校見学会のカメラ散策③

 このところブログのネタが多過ぎて、書きたいことに書くスピードが追いつかないのです。やはり歳のせいなのかと納得しながら書いていて、気がついて書いた記事を読んでいると、昨日は一日に3本もの記事を書いていました。しまったと思いながら、一日朝夕2本は自分で決めた一応の目安だし、これもまたよしと思いました。ところがこの暑さでボケているのか、肝心のデジカメで撮影した写真や、清水幸一さんが撮影して、清水塾頭がメールで送ってくれた写真を記事に添付することを忘れてしまっていたので、今朝思い出して「日土小学校見学会のカメラ散策③」を付録として目次を起こし、羅列的に掲載することにしました。

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(日土小学校見学会に参加した年輪塾のメンバー)

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(喜木川にせり出したテラスは子供の冒険心をくすぐる素晴らしい発想です)

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(上の写真は清水幸一さんが窓から顔を出して望遠で撮影してくれました。写真を撮る人を写真に撮るとは面白いですね)

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(向こうが見える靴箱はまるで幾何学模様の玉手箱のようでした)

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(足洗い場とウッドデッキは裸足で運動場で遊んだり運動することの多かった当時をよく表現しています)
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(菊池さんの説明にも力が入ります。手の下の物置台や細い三角形の持ち受けがお洒落です)
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(今はホワイトボードになっている目に優しい白板、教壇もありません)
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(柱は全て面取り、入り口のドアには縦細いガラス戸が入って中の様子が光となって見えました)

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(書棚も全て一段浮かせて作っていました)

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(学校には珍しい障子窓からの優しい採光、後で取り付けたのでしょうかランプのミスマッチも楽しいものでした)
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(一段が12cm、踏み板ふみづら35cm、傾斜21度のゆるやかな階段は子供目線でした)
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2階の廊下も両名採光、しかもまるで美術館のような内出窓型飾り棚と長い廊下ベンチ)

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(西洋的な印象のある浮いたタイル張りの手洗い場)
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(喜木川に向かってせり出した二回のテラス)

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(柱が2本になって窓枠を隠していました)
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(淡い採光が何ともいえない優しさを感じさせてくれました)

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(新校舎は松村イズムを真似て作られていました。素敵ですがやはりどこか違和感を感じました)
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(環境に優しいペレットストーブは、むしろ達磨のストーブに限ります。コストが高い)

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(岡崎直司さんがメールで送ってくれた日土小学校や喜木川などが写った写真)

  「接触が 悪いカメラを 叩きつつ 撮った写真を ブログに載せる」

  「気がつけば 一日三本 書いたけど 写真忘れて 付録で載せる」

  「あちこちに これぞ松村 イズムだと 思い感心 アイデアずらり」

  「いいものを 見せてもらって また一つ 目からウロコの 落ちるの覚え」

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○日土小学校見学会に参加して思いました②

 ・家は木の癖組み

 日土小学校を訪ねて感じたことが幾つかあります。まず学校とは一体どんな意味を持っているのでしょう。宮大工で有名な西岡棟梁が「家は木の癖組み」という言葉を残しています。木が沢山あれば森、少しだと林、一本だと木と呼びますが、一本の木にも育つ生い立ちによって癖があるようです。松村さんは設計という立場で学校を造りました。ガイドブックの始めに手づくりの学校というも記事がありました。名前こそ記されていませんが地元の大工さんが自分たちの村の学校だから、自分たちの子供や孫がそこで勉強するのだから、一生懸命やろうという気概で金銭勘定を度外視して、持てる技術を出し切って取り組んだ手づくりの学校なのです。

 「金閣寺は誰が作ったか?」という問いに、足利義満というのは普通ですが、子供は「大工さん」と答えます。松村さんにスポットを当てるのもいいですが、この学校にかかわった地元の大工さんのことをもっと子供たちに教えて欲しいと思いました。大工さんは木一本一本の癖を見抜いて癖組をしているのです。人間の社会も同じで、人間は育つ環境によって様々な癖があるものです。その癖を組み合わせながらいい社会を作らねばなりません。

 ・学校は木に交わって学ぶ場所

 学校とは木が交わって学ぶとも読めます。日本は貧しかった戦後の一時期を脱して、アメリカや西洋の物真似をしてきました。建築はいい例で、高温多湿の気候風土にありながら鉄筋コンクリートの建物をどんどん造ってきました。半永久と思えた鉄筋コンクリートの建築物は海砂をたかったこともあって、50年も経たないのに殆どが老朽化し、耐震基準に合わなくなってしまったのです。高温多湿な日本にありながら東大寺五重塔などは千年を超えて現存していることを思うと、木造校舎を危険校舎という名の元に壊してしまった行政や建築家の無責任さは、説明責任も果たさないまま今に至っています。木を使っていない学校は学校と呼べません。

 そのことに気がつき、木造建築の木に交わって学ぶ学校も少しずつではありますが増えてきています。私は木と土壁の家に住んでいますが、室内の結露も無く、シックハウス症候群という病気の心配も無いのです。木造校舎の日土小学校も、翠小学校も様々な人の思いの深い運動によってかろうじて残りました。これこそ私がいつも言っている「一周遅れのトップランナー」なのです。

 ・学校は地域の中心よりどころ

 私は仕事柄、学校が少子化の影響という名の元にいやおう無く廃校や閉校した地域を見てきました。これも時代の流れで仕方がないと、何の抵抗も無く諦める人が殆どですが、運動会や学芸会など村中の人がこぞって学校に足を運んだ時代があっただけに、何とも寂しい感じがするのです。

 私の持論は「小学校は歩いて行ける距離」が基本ですが、20キロも離れた小学校へ毎日登校するような統合は最早子供たちにとっては余りにもリスクが大きいのです。効果効率の名の元に学校を統廃合するくらいなら、昔のようにたとえ人数が少なくても分校方式のような寺子屋構想を考えてはどうかと思ったりするのです。

 今の学校は門を閉ざさねばならないほど、危険だと思われています。ゆえに地域に開かれるはずの心までも閉ざそうとしています。地域が学校を地域づくりの中心に据えていくためには、地域の人ももっと大きな心を持つべきです。残念ながら地域の人は虫の目になり過ぎて、鳥の目という対極を見れなくなっていることも事実なのです。せめて地域をリードする人たちは今をテーマにするのではなく10年後20年後をテーマにして生きて欲しいのです。今だと好きか嫌いか、損か得の判断になります。未来は善悪で判断せねばなりません。建築家の手から地域づくりをする地元の人たちの手に学校を受け取る時が来たような気がしました。

  「木も人も 癖があるから 面白い 癖組みすれば 家人立派に」

  「コンクリの 学校木がなく 学校と 言えるかどうか 疑問感じる」

  「学校は やはり地域の 宝物 無くなり思う 後の祭りか」

  「校庭に 登る木ありて 学校と 言いたいけれど それさえもなし」

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○木霊の学校日土小学校を訪ねる①

 先週の日曜日、木霊の学校という愛称で呼ばれている日土小学校の見学会に出かけました。これまでにも日土小学校の見学会は何度も機会がありましたが、仕事の都合や建築学などに弱くて疎いため足が遠のいていましたが、年輪塾の仲間に加わっている菊池さんと清水さんが案内するので是非という清水和繁塾頭の口車に乗って、恥も外聞も無く妻同伴で出かけて行きました。木造校舎といえば県内双璧と思われる翠小学校の近くに住んでいて、学校を見学しようと思えばいつでも快く迎えてくれる年中開放の学校と比較すれば、見学会とは何とも仰々しく窮屈な感じのする学校ですが、住民を二分するような学校保存運動の経緯を考えたり、学校のセキュリティのことを考えると、仕方がないことだと思いつつ、この小学校の卒業生で保存運動に深くかかわった菊池さんと清水幸一さんの案内で学校を1時間半かけてゆっくりと見て回りました。

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(案内してもらった日土小学校卒業生の左清水幸一さん、真ん中清水塾頭、右端が菊池さん)

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 私は民俗学者宮本常一流なのでしょうか、まず学校の周りの風景が気になりました。日土は私たちの地域と同じように急峻な地形に民家がへばりつくように点在しています。段々畑に囲まれた学校はまるでカガスのそこのような位置にあって、学校の直ぐ横に喜木川が流れています。多分民家や畑からも学校が一望できるのです。岡崎さんからメールで送られてきた一枚の写真も学校の全景が見えるものでした。運動場の向うに見える日土の集落は夏の青い空や流れ行く雲が印象的に見えました。

 運動場に車を止め玄関先に入るとまず目に付くのは両側が吹きぬけた靴箱と台形の靴脱ぎ場です。菊池さんと清水さんの説明を聞きながら、この学校を設計した日本の建築10傑に名を連ねている松村正恒さんという人のことを思いました。


 大洲市新谷に生まれ、八幡浜市役所に勤務したことのある松村さんは無級建築士自筆年譜に、「わたしは、小学校をつくるとき、まずは子供になったつもりでプランを考え始めるのです。マルローの空想美術館というのがあるでしょ、あれにならって空想の学校を思い浮かべるのです。ふとんのなかで目をつむる、子供に変身する、童心にかえる。学校のなかを走りまわる。座ってみる、変化と感動を探りだす。決められた敷地がよみがえって学校のかたちが現れる。歓声が聞こえてきます。」と述べています。建築家ではなく建築稼、つまりのぎへんに家というのは稼ぐという意味ではなく、ものを植えつけて育てるという意味なのだと述べる松村さんの思いを強く感じることが出来ました。

 清水さんから手渡された日土小学校ガイドブックには、手作りの学校、光と色の魔術師、開放された昇降口、両面採光の教室、開かれた空間、うるおいのある生活、子供のための色々な工夫、教室と外のつながり、傾斜21度の緩やかな階段、廊下とベンチと飾り棚、風空間へ、室でなくホール、室のカドまでとっちゃいました、座る人のことを考えた椅子、本当の意味での恵まれた環境などの目次が並び、菊池さんや清水さんの説明にいちいち納得しました。いやあ素晴らしい学校でした。


  「この学校 学んだからこそ 言えること 次々飛び出し 納得しつつ」

  「いいものは 無駄と手間隙 かけている だから意味つけ 遺し伝える」

  「新校舎 松村イズム 真似てるが どこか違うと 素人私」

  「この学校 なければ日土 ただ田舎 もっとみんなで 知恵出し活気」

 

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