人間牧場

〇忘れられない1974年2月26日という日
 年齢を重ねるとこれまで生きてきた79年の過去年齢の諸々の記憶が曖昧になり、特に数字と出来事が一致せず、体内の勘ピューターで思い出そうとしますが、かなり時間がかかるようになりました。

 それでも1974年2月26日のことは忘れることはできません。この日妻の実家である八幡浜の義母から電話が掛かってきました。妻は自分の出身地の八幡浜市立病院にお産のために入院していましたが、この日無事女の子を出産したとの知らせでした。

 教育委員会で社会教育をしていて忙しく、あいにくお産には立ち会えませんでしたが、義母の電話によると「元気な女の子の赤ちゃん」だったようです。「早速考えていた名前を、役場職員で懇意な達筆な人に頼み、墨字で奉書に「命名 若松一子 昭和47年2月26日生」と3枚書いてもらい、一枚は家の神棚に、一枚は妻の実家に、そして一枚は妻の入院している八幡浜市立病院病室の妻に渡しました。

 「もっと女の子のような可愛らしい名前が良かった」と、多少いぶかしい顔をして文句を言われましたが、「これで役場に届けて籍を入れる」とわがままを通しました。以来幾星霜、保育所、小学校、中学校、伊予高校を経て、県立医療技術短期大学、徳島大学と進み、晴れて看護師と助産婦の資格を得て県立中央病院助産師となり、働きながら結婚、2人の子の出産育児を経て現在に至っています。

 今日の朝妻が「誕生日おめでとう」と電話で祝意を伝えていましたが、長女も52歳になりました。若かった私たち夫婦も5人の孫からはおじいちゃん、おばんあちゃんと言われる年齢となりましたが、それなり、そこそこの幸せを感じながら田舎で穏やかに生きています。忘れかけていましたが、私たち夫婦にとって1972年2月26日は忘れられない思い出の日なのです。

 

[ この記事をシェアする ]