shin-1さんの日記

〇史談会の研修会

 昨晩は双海町史談会の講演会が市役所地域事務所の3階でありでかけました。史談会は2ヶ月に一回行われるのですが、二ヶ月があっという間に過ぎて時の流れの速さはまさに「光陰矢のごとし」といった感じです。私は凡人ゆえ古文書などの解読等はできませんし、強いてあげるほど興味はありませんが、それでも歴史や古いものは好きなので、昨日も興味深く講師の先生の話を拝聴しました。

 昨日の講師は元松山工業高校定時制の先生であった小池正義産という方です。私も松山工業高校のPTA会長を6年間やったことがあるので、一度お目にかかったような気がするのです。

 昨日の演題は「古文書に見る近世及び農村における土地集中」、-大洲藩郡内・高岸村の場合ーでした。先生が松山市内の古美術店で入手した資料の中に、江戸後期1769年から昭和初期1939年までの双海町内旧高岸村高岡家に伝わる古文書があり、その解読の過程で豪農の成り立ちを見つけたようでした。

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 古文書の大部分は土地に関する文書ですが、年貢に困った農民らから土地を買い進めた過程が興味深くうかがえました。中には献上金覚書に7回の献金で名字御免や名字永代使用が許された記録もあり、また「酒造は天明年間の創業にして酒名は浦島白菊と称す」とあったり、藩主の法事出席を求める御触状写しや網代株売渡証などがあり、一見古風ながら古文書の解読の過程で出てくる面白いエピソードが次々と話されました。

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 最後に言われた、林子兵の「伝えれば 我が日の本の つわものの 法(のり)の花さけ 五百年(いおとせ)ののち」という言葉はとても新鮮に感じました。記録は大切にしまっておけば500年後にでも心ある人が現れれば解読してくれます。林先生も高岸村の豪農高岡家の盛衰を古文書から解読されました。日本を揺るがすような発見的記録ではありませんが、それでも戦後GHQによって農地解放されるまで続いた日本の農地集積の顛末が鮮やかに読み取れるのです。

 梅雨の最中ながら一服の清涼剤を飲んだような爽やかな研修会でした。

  「古文書を 読み解きほぐす 作業にて 解き明かされる 田舎の歴史」

  「私には 真似のできない 地道にて 聞くことだけで 十分楽し」

  「記録とは 五百年後に 花が咲く いみじく先人 言葉を残す」

  「面白き こともなき物 面白く ロマン描いて 楽し人あり」  

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