○人間の心は天気を写す鏡かも知れない
いつも思うことなのですが、雨の日に憂鬱になるのは何故でしょう。また爽快な青空の広がる日には心まで気分爽快になるのは何故でしょう。ひょっとしたら人間の心は天気を写す鏡かも知れないと思うのです。今日も朝から小降りの雨がぱらつくあいにくの天気です。人間はこれを「天気が悪い」と表現します。国語的には「天気が悪い」と表現しても別に可笑しくはないのですが、よくよく考えてみれば雨が降ったり曇ったりするのは自然現象で、天気のせいではないのですから可笑しい表現だと思うのです。「天気が良い」という表現も同じように天気のせいではないのです。このように人間は愚かにも天気に一喜一憂し、自分の心の在りようさえも天気のせいにしてしまって日々暮らしているのです。
「店に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」とへそ曲がりな生き方をしている私は、いつも天気の悪い日は大歓迎とばかりに、雨の日の楽しみ方を考えて行動するように心がけています。お陰様にて「今日も雨、憂鬱ね」という妻の言葉を尻目に、今日のような雨模様の日でも、ワクワクしながら今日なすべきことを考えて生きているのです。
そう考えるようになったきっかけは、母校である宇和島水産高校の実習船愛媛丸で南太平洋へ遠洋航海に出かけた時、佐藤さんという機関長さんが、休めるからと雨や大時化を期待しているように見えた私たち生徒に、「マグロ延縄漁はたとえ雨が降ろうが大時化になろうが満船になるまで休まない。だったら一日も早く満船になるよう雨も大時化も大歓迎と思って働け。そうすれば日々が楽しい。気持ち一つで結果は必ず付いてくる。天に向かってブツブツ言うな。」と諭しのゲキを飛ばしてくれました。機関長のたった一言が私たち実習生の生き方を変え、数日後満船し日本を目指し帰途にこぎつけたのです。
それ以来私は自分の活動を天気のせいにすることなく生きることが出来ました。天気は宿命でありどうすることも出来ません。むしろその宿命を受け入れ運命としてどう生かすかを考えれば、人生はいかようにも生きれるのです。台風襲来の中で開いた無人島キャンプも、大野ヶ原地球人キャンプも悪天候のお陰で大きな感動を得ることが出来ました。また先日人間牧場で開いた公民館OB会も雨に対する備えや臨機応変な対応で、今までにないようないい思い出を残すことができました。
天気におののかず、天気のありのままを受け入れて知恵を使えばまたよしです。詩人灰谷健次郎は「雨が降ったら傘さして、傘がなければ濡れてゆく」と詩っています。さしあたり私は「雨が降ったら喜んで、あえて雨濡れ水遊び」てな調子で、これからも心の曇りを振り払って生きて行きたいと思っています。
そうだあの歌は私の心にぴったりだ。♭雨雨降れ降れ母さんが 蛇の目でお迎え嬉しいな ピチピチジャブジャブらんらんらん」♯・・・・・・・。
「お天気が 悪いと憂鬱 妻が言う それは間違い 自分に暗示」
「いい人に 教え請うたと 今思う 四十年も 前の出来事」
「今日は雨 仕事片付く いい日だと 朝から心 浮き浮きします」
「雨降って 地は固まらず 緩んでる あちらこちらで 土砂が崩れて」