shin-1さんの日記

○玄関に花を活けるだけで家のイメージが変わる

 家に顔があるとすればそれは一体何処なのか、色々な家を訪問する度に時々思うことがあります。最近は一戸建て住まいよりマンション住まいの人がどんどん増えているため、大きなビルディングマンションの一角に住んでいるため、その人の暮らし向きを推し量ることは中々難しいのです。でもマンションに一歩足を踏み入れようとすると、最近はセキュリティ機能が働いて、見ず知らずの人は入れないようになっていて、マンション全体の管理能力に高級感が漂よい、そのマンションがたとえ自分のものでなく賃貸であっても、その人の値打ちのようなものを感じるのですから人間は不思議です。つまり人は余程のことがない限り、収入に見合った分相応のところに住んでいる訳ですから、家の値打ち=人の値打ちと感じるのは無理からぬことなのです。

 私のように田舎に住んでいると、都会の顔つき合わせるような狭い空間に住んでいる姿や、土や緑のない暮らしはさぞや息が詰まるだろうと思っていますが、都会に住んでいる人から見れば、庭木や庭の無意味と思われる手入れや、何処からでも入れる無用心さは、まったく別の角度から見れば、「よくもまああんな所に住んでいるなあ」と思うに違いないのです。

 わが家は660坪の敷地内に古民家風の本宅と隠居が並んで建ち、敷地内に家庭菜園や海の資料館、私設公民館、東屋、珍しいことにお地蔵さんを祀る祠堂まである一風変わった家です。役所を辞めてからは訪ねて来る人の殆どは我が家を目指して来るのですが、その大きさにびっくりします。「さぞやお金持ち」と思われるかも知れませんが、壊れかけたチャイムは「ピンポ~ンピンポ~ン」とは鳴らず「ビンボービンボー」と聞こえるほど貧乏暮らしなのです。

 玄関は田舎の民家ゆえかなり広くゆったりとしています。玄関先には妻が世話をしているメダカ飼育の大小の瓶が置かれ、傘立ても大谷焼きの壷なのです。時々やって来る孫の虫かごが無造作に置かれ、息子は世話もしないのに金魚まで飼っている有様です。玄関の上がりかまちの上には広い廊下があって、木の根を細工した置物の前には花が活けてあります。妻が週に一度習っている華道宜しきを得て活けるのです。投げ込み流とでもいえる無造作で、時々やって来る孫に引き抜かれたり、花が転げたりしますが、それでもこの花がわが家の美的存在感を高めてくれるのですから、華道文化とは大したものなのです。

若松進一ブログ
(妻の活けた活花が爽やかなわが家の玄関)

  「花活ける だけでイメージ 変わるもの 金はなくても どこか優雅に」

  「昨日今日 梅雨で草丈 グングンと 緑楽しむ 暇などなくて」

  「歳とれば 庭の手入れも 大変と 憂鬱心が 頭を過ぎる」

  「見せかけは 金持ち見える 内情は 火の車だな 家計簿覗く」

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