○タマネギの簾も田舎のインテリア
昨日は朝から降るでもなし降らぬでもなしのジメジメした、梅雨入り間近を予感をさせる一日でした。天気予報がこのような天気を予想していたため、前日の朝タマネギを収穫するため引き抜いたまま畑に天日干しにしていましたが、前日外出先から帰ってみると、親父はそのタマネギを雨に濡れないように東屋に移動させていたようです。かなりの量のため体力の限界を感じたのか、半分ほどで作業を中断していました。私は作業着に着替え残りのタマネギを東屋に移動させました。昨日は朝から小降りの雨だったので、親父の的確な判断で雨に濡らすこともなく取り入れ、昔の人の知恵に脱帽しました。
私が原稿締め切り間近な原稿を書いていると、書斎の掃き出し窓から親父が「タマネギを吊るしてくれ」と呼びに来ました。行って見ると親父は昨日取り込んだタマネギの古い皮を剥いて10個くらいを一束にしてビニール紐で束ねていました。
脚立に乗ってそれを竿にくくりつけて行くのです。気の遠くなるようなこんな地道な作業をたった一人で毎年やってくれるのです。お陰様でこのタマネギがわが家の一年分の貯蔵食料として食卓を支えてくれるのです。タマネギは11月に植え付け、6月始めに収穫するという長い日数をかけて作る作物です。ゆえに風通しのよい軒下に吊り下げると来年の春まで持つのです。
私設公民館煙会所と海の資料館海舟館との間の風通しのよい軒先に、まるで簾のようにタマネギの吊り下げられた姿は、まるで田舎の風物詩のようです。人間牧場の軒下にうず高く積み上げられた薪も、何処となく田舎の匂いを感じさせてくれますが、こんな長閑な風景をみて田舎を感じる私も相当古い時代の人間となってしまいました。昭和は遠くなりにけりです。
今年わが家のタマネギは、昨年の不作と打って変わってかなり出来が良かったようです。殆どが大玉でラッキョウのような小さなのは数えるくらいでした。毎年の繰り返しですが来年もまた親父も私も元気でタマネギの簾ができることを祈っています。
「タマネギの 軒先吊るす 簾見て 田舎感じる 私は古い」
「親子とも 今年も元気 タマネギの 豊作嬉し 来年もまた」
「アリ仕事 親父黙々 ただ一人 俺にはできぬ 感心しきり」
「生で食べ 似て食べ油 炒め食べ タマネギ料理 毎日食卓」