○今年もいい夕焼けプラットホームコンサートでした
昨日も忙しい一日でした。本当は午前中鱧祭りに参加したかったのですが、以前から決まっていた大阪からの取材と広島のお客さん対応に追われ、午後は香川県高松市三谷地区の皆さんと人間牧場での研修、それに恒例の夕焼けコンサート鑑賞と、まあ目が回りました。それでも息子が家族でやってきて、人間牧場で水平線の家の掃除をしてくれたり、三谷の皆さんたちに足湯のサービスをしてくれたりしてサポートしてくれました。三谷の皆さんは一週間前にも水仙の球根堀にやってきた折、人間牧場へ来ているのですが、溝渕さんや三好さん以外は人間牧場は初めてらしく、感動の面持ちでした。私の話や足湯サービスの後はお定まりの場所でお定まりのポーズの記念写真を撮りました。このアングルでもうどれ程の人が写真に収まったことでしょう。
一行を見送り、水平線の家の簡単な掃除とロケ風呂の湯抜きを行い急いで下灘駅へ引き返しました。下灘駅は既に夕焼けコンサートの準備も整い、観客が集まり始めていました。やがて午後5時になると小林真三さんの司会でコンサートが始まりました。天気予報では晴れ時々曇りでしたが、西の空に雲がかかり、夕日の行方が心配されました。会う人たちは私が夕焼けコンサートに長くかかわってきたことを知っているのか、「若松さん、今日の夕日は出ますかねえ」などと、聞いてくるのです。「多分大丈夫でしょう」といい加減な返事を繰り返していましたが、時間が経つにつれて雲が取れ、綺麗な夕日が見え始めました。音楽もさることながら、じゃこ天やビールを片手にほろ酔い機嫌の観客の顔を、真っ赤な夕日が照らして雰囲気は最高になりました。
この日は私と交流のある香川県高松市三谷地区のバス一台のお客さんも加わり、また遠路はるばる毎回のようにやって来る、広島県大竹市の元青年会議所理事長の森本さん夫婦など、沢山の顔見知りの顔も見えました。24年前、誰にも相手にされず私一人で始めたコンサートが、4半世紀近くの24回も続くとは私自身も思っていませんでした。これまで陰で支えてくれた多くの人々に感謝しなければなりません。今では私の人脈で観客を集めるくらいしか役割はありませんが、もう少し続いてほしいと願っています。
少しだけ夕日やコンサートの雰囲気をお楽しみください。
最後に夕焼けトロッコ列車がホームに滑り込んできました。空はサーモンピンクの夕焼けです。フーテンの寅さんもやってきた日本で一番海に近かった下灘駅は、ひなびた無人の駅舎やプラットホームの屋根とベンチだけの質素なたたずまいが、夕日を余計引き立たせる道具立てとなって、郷愁をかきたててくれるのです。頬を撫でる爽やかな初秋の風も、鳴き始めた虫の声も、舞台で歌う人の音楽や歌声も全てが絵になる光景で、少しだけ感傷にふけり涙が出そうになりました。このコンサートでやっと今年も暑い夏が終わったという感じがしました。
「金もなく 何にもないのに この場所で 始めたことが 24年も」
「若かった あの頃私 無鉄砲 今ならやらぬ 多分やらない」
「イベントは 続けることの 意味ありて 多くの人の 想い集める」
「今年また 遠来の友 やって来た 感謝をしつつ 夕日見つめて」
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書くのも なかなか 見るのもなかなか
困ったものです (^^ゞ
夕焼けコンサートは一度聞きにいった事がありますよ
そのとき・・・夕日見えたかなぁ~覚えてません
そんなに ずっと以前の事です