○昭和は遠くなりにけり
昨日は「昭和の日」でした。昔といっても昭和天皇が存命中の21年前までは天皇誕生日だったはずですが、その後みどりの日となり、3年前から現在の名前に改称されました。サンデー毎日の私にとってこの改称は議論の蚊帳の外にいたため「いつの間にか」という感じが強いのです。
それにしてもいつの間にか「昭和」が「平成」に代わってからもう21年も経っているのです。つまり平成生まれの人が20歳を超えた訳ですから、昭和も随分遠くなりにけりです。昭和19年生まれの私にとって、60年余り続いた昭和という時代の中の前期19年は生まれてないので当然ながら戦争に明け暮れた悲しい時代は記憶にありません、生まれて間もなく終戦でした。日本の歴史の中でもそこから始まった戦後の復興と高度成長への20年という階段はまさに私の少年から青年に代わる大事な時期でした。その後平成までの20年は転職や公務員生活でこれまた楽しい時期でした。こうして昭和を総括しながら、大正生まれの親父がそうであったように、昭和生まれの私もまた平成という情報化社会に翻弄されながら老後を生きて行くのかと思うと、昭和の日は何か背中に重い荷物を背負っているような感じがするのです。
居間の若者たちにとって昭和の日などという日はただ単なる祝日という感覚で、勿論私でさえブログに記事でも書いていなかったら、こうして昭和という時代を振り返ることもなかったのですから、いい加減なものです。でも町内を歩くと心ある家庭は軒先に国旗を掲げ国民の祝日をしっかりと祝っているのです。
わが家でも私が若い頃は国旗を玄関先に揚げていました。いつのころかも定かでありませんが、多分私の忙しさにかまけてすっかり国旗のことを忘れてしまっていたのです。
国旗で思い出すのはにっぽん丸という青年の船で太平洋を渡り、建国200年のアメリカとメキシコ、ハワイを巡った時の思い出です。私たちの船がメキシコのアカプルコに入港した際、熱烈な歓迎ぶりに船のデッキから手持ちの小さな国旗を団員が出迎えた人に投げました。悪気があってのことではなかったのですが、そのことが大きな議論となりました。国の象徴と言われる日の丸国旗に対する認識不足を痛感する出来事でした。
帰国後私は国旗を買い求め、国民の祝日には必ず子どもたちと一緒に玄関先に国旗を掲揚していました。多分幼い息子たちもそのことは記憶に残っていると思うのですが、その後国旗掲揚をしなくなった私のいい加減さを今日改めて感じたのです。
明日から5月です。憲法記念日、みどりの日、子どもの日と国民の祝日が目白押しで続きます。ゴールデンウィークなどと浮かれることなく、もう一度国民の祝日の意味を考え、何処へ収納したかさえも記憶にない国旗を探して明日から始まる来月は何としても国旗を玄関先に掲げたいと思った次第です。
日の丸国旗に対しては戦争という惨事を経験した日本では賛否両論がありますが、一私人の私としては国旗や国家を大切にするという一心からこれからもそのような考えで臨みたいと思っています。
「平成に なって生まれた 人多く 昭和生まれは 肩身が狭い」
「昭和とは せめて祝日 その日には 国旗を立てて 記憶辿ろう」
「戦争と 平和の落差 後世に 伝える義務を われら持たねば」
「軟弱な われの心を 恥にけり 国旗掲揚 せずに祝日」