○過去と未来のはざまに吹いた隙間風
今日の午後、何げなくシーサイド公園へ行きました。シーサイド公園は開業して今年で15周年を迎えました。当時は様々な反対意見の渦巻く中で、夢中になってこの公園を孤軍奮闘造ったものです。開業後も反対した人たちを見返してやろうと、必死になって頑張りました。その結果お墓参り以外人の来ないと言われたこの町のシーサイド公園に年間50万人を越える人が来て、それなりに営業成績をあげてきました。6年前地域振興課長を最後にこの道から足を洗い請われるまま教育長に就任たものの、特別職とはいいながら役場職員として2年間陰ながら面倒を見てきたのです。4年前合併して自由人になってからも何となく気になり、気がつけばいつの間にかシーサイド公園へ足が向いていたことが何度もありました。シーサイド公園は気心知れた人たちが沢山いて、今日もえひめ地域政策研究センターに出向している松本さんが奥さんを連れてシーサイド公園にやってきていました。シーサイド公園では恋人岬で今年3組目の結婚式が行われていて、仕掛けた松本さんとしては私と同じようにやはり気になるようでした。
(相変わらず元気なじゃこ天売場のおばさんたち)
松本さん夫婦も私も一ギャラリーとして結婚式を見守る群衆の中に入って、若いカップルに大きな拍手を送っていました。恋人岬を飾る紅白のフーセンが風になびき、糸の切れた風船が真っ青な空に吸い込まれていくように空高く飛んでゆきました。
結婚式の司会をした戸田さんのナレーションを遠くで聞きながら、現職のころ537組もの結婚披露宴の司会をした思い出が懐かしく蘇り、「ああ、あんな時代もあったなあ」と感傷にふけりながらシーサイド公園の砂浜を一人歩きました。
ふと我に返りじゃこ天のお店へ立ち寄っていました。おばさんたちも相変わらず元気です。昨年のこの頃人間牧場の畑でできたフキを収穫して持って行ったところ、大層喜こんだことをおばちゃんたちはしっかりと覚えていて、フキが欲しいとせがまれました。確かあの時はフキを松山の市場に持って行き1500円もの売り上げがあり、私は全額寄付したことを思い出しました。急いでわが家に帰り身支度をして人間牧場へ出かけてフキを採取しました。再び引き返してかなりの量をおばちゃんたちに手渡しましたが、変わらぬ笑顔で喜んでくれました。
私にとっては何気ない出来事なのに、どこか懐かしく感じられるのは何故なのか、自分の心境の変化に気づきながらやがて終わろうとしている4月を振り返り、5月からの先行きを考えました。ふと気がつくと真赤な夕日が西の空に綺麗に沈んでゆくのが見えました。夕陽を見ていた人たちは「綺麗だ」と口々に話し合い、その声さえもどこかかっての記憶の一場面のようでした。
家に帰り食事をしながら妻は、「お父さん今日はどうかしたの?」と私の心境の変化に気づいたのか聞きました。「別に」とサラリ流しましたが、自分でもまるで夢を見ているような感じがした奇妙な1日でした。
「何故だろう 過去と未来の 狭間ゆえ 何か分からぬ 予感の風が」
「シーサイド 公園辺り 歩きつつ 声なき声の 不思議な世界」
「どうしたの 妻は私の 変化見て 声をかけるが 別にと返す」
「SFの 世界のような 一日を 終えて机に 向かい記録す」
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見守って下さってありがとうございます。
これから、多くのカップルを見守って行きたいです。
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シーサイド公園の産みの苦しみ 育ての苦しみを
乗り越えて・・・りっぱに育ちましたね
昨夜は 不思議な夢を見ました