○限界集落勉強会で平岡地区を訪ねる
昨晩、「過疎と高齢化がすすむ集落を考える」通称「限界集落勉強会」が伊予市平岡地区で開かれ、メンバー10人とともに出かけました。限界集落という言葉が差別用語のようにも聞こえると、限界集落という言葉以外の呼び名を探していますがいまだ見つからずお茶を濁しています。
私にとっては先日犬寄地区の高市さん宅や松浦さんのゴリラハウスで行われた吊るし雛まつりの折、訳も分からず赤海(あかさこ)から平岡を通って大平へ下りた経緯があるので、大体の土地勘は分かっていましたが、緑風館で待ち合わせ車2台に分乗して急峻なつづら折りの山坂を登りながら、限界集落になる理由などを考えていました。集落の中心と思しき平岡地区は標高300メートル近い場所にあって、眼下には離山越しに瀬戸内海が一望できる素晴らしい眺望が開けていました。
16戸ながら集会所に集まっていただいた方は18人で、いずれも私たちの年齢を超えた人たちでしたが、聞けば全員車の免許を持っていて、今のところ暮らしの不便はないそうです。しかし2キロ余り遠くからパイプを引いて確保している飲料水の当番見回りや、佐礼谷の診療所へ通うこと、買い物に行くことなど、車に乗れなくなるであろう5年、10年先のことを考えれば不安が募ると心情を吐露する意見が相次ぎました。
「この地区が好き」「この地区に死ぬまで住みたい」というふるさとを愛する気持ちは他の限界集落と同じで、「何とかしなければこのままでは自然消滅をする」という焦る心もありました。私たちは限界集落勉強会といってこうして限界集落へ入り意見を聞いていますが、この日は少し方向を転換を試みてみました。
限界集落に住む人たちの願いは「道さえ良くなれば」と、道の改修をいの一番に言うのですが、道が良くなれば限界集落が解消するという保証はどこにもないのです。平岡地区までは県道が通っています。財政的に厳しくなったと言いながら県道ゆえに草刈りなどの道路維持は県がしてくれていたようですし、一部狭い道があってもかなり広い道のようでした。起点となる大平から2キロ余りですからそんなに遠い距離でもないのです。要は「あきらめ」の気風が蔓延しているようにも思える気の持ちようが問題なのです。一歩前へ踏み出す勇気を持たねば、他力本願で集落を守ることは絶対できないのです。
ふと見上げた集会所の壁に面白い「ほんに平岡来てみんきんよ」という歌が張り紙的に貼られていました。
1、朝日輝き城主山に 燃える百姓の心意気
そよぐ山々蜜柑の香り ともにほほえむ顔と顔
2、瀬戸の海風そよそよ吹いて そっと寄りそう木々の影
今日は草刈り明日は摘果 ともに励まん夫婦愛
3、今日もさえずる千人がくれ 木々の梢に百舌の声
みかん畑は黄金に光り うたう歌声楽しげに
4、うなるエンジンはさみの音も 休む間もない小春日に
いとし若妻かわいい手甲 手甲がすりの紺におう
(ほんに平岡来てみんきんよ)
もう色あせて張り紙の存在すら忘れているこの張り紙は繁栄の往時をしのぶ十分な資料ですが、こんな気概が集落づくりには必要だと痛感しました。「是非また会いましょう」と口約束して充実した勉強会を終えました。夜の帳が下りた眼下には伊予市市街の明かりが印象的に見えました。
「限界と いう集落をへ 行く度に 他力本願 どこか諦め」
「壁貼りし 歌に往時の 姿あり 気概はこれだ 遅くはないと」
「いいとこと 誰もが口々 言いつつも 人減り進む 寂し集落」
「十年後 ここは果たして 残るのか 不安払拭 はじめの一歩」
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こんばんは。活動、お疲れ様です。平岡地区が限界集落とは知りませんでした。写真に写っている方のお一人が私の教会所で役員をして下さっています。この間もお花見にうかがったところなんです。身近にそんな方がおられると、この問題も人事とは、思えません。