○夕日の男だのに何故か朝日新聞
私はこれまで仕事がら、テレビやラジオ、それに新聞、雑誌等、いわゆるマスコミに取り上げられてきました。特異な存在だった夕日をテーマにしたまちづくりはその最たるもので、現職を去って4年にもなるというのに、未だに私の元へは取材の要請が随分あるのです。電話で取材の要請がある度に、「すみませんが私はもう第一線を退いていますので、市役所の観光所管の人に聞いて下さい」と電話を回すのですが、「市役所に聞いたら分からないので若松さんに聞くよう紹介されました」と答えが帰って来る有様です。仕方がないので余程のことがない限り対応するのです。
実は先週も朝日新聞大阪本社から取材の依頼がありました。夕日の似合う男だというのに何故か朝日新聞です。いつものことながら朝日新聞の取材は他の新聞や雑誌と違って時間的に長いこと、うるさいくらい何度も取材の内容の追加取材や確認があることなどなどの腹をくくり、天気も良いので取材場所はわが家の敷地内にある東屋を指定しました。自宅での待ち合わせ予定は午後2時でしたが、記者がやってきたのは10分前でした。カーナビのついたレンタカーにわが家の電話番号を入力して、一発でやってくるとはさすがです。
記者はこれまでにも一度取材をしていただいた見覚えのある人で、私の「昇る夕日でまちづくり」という自著本に付箋をいっぱいつけて、事前に私の情報をかなりインプットしていました。直感的に「この記者はできる人」と思いました。
やがて2時間余りの取材が終わり、いきなり「人間牧場は遠いのでしょうか?」というのです。私が「15分程度」と話すと「是非見たい」といい、早速同行してシーサイドで待ち合わせしているカメラマンに少し待つよう手配をしました。私はこの日保内町川ノ石公民館で公園の予定が午後7時からあるので、片道1時間かかる場所なので、取材は最終6時までと念を押していました。夕日の取材にカメラマン同行で来たのに日没午後6時30分なのにと、多少不満顔でしたが、人間牧場の壮大なスケールの眺望を見て納得しつつも、午後6時10分まで取材を延長してほしいと懇願されました。
待ち合わせ場所に帰ってカメラマンと面会しましたが、まあそれからが大変です、テレビでもないのにそのカメラマンは私をモデルに様々な角度から写真のリハーサルをするのです。それもこれも午後6時10分というタイムリミットのためと我慢しました。リハーサルの最中に近くを沢山の人が通りましたが、みんな不思議そうに通っていました。
(車の中からサーモンピンクに彩られた西の空を見ながら夕やけこやけラインを、西に向かって走りました)
無事取材を終えて6時10分にシーサイド公園を出発しましたが、この日は特に夕日が美しく、隣りの大洲市長浜町まで夕日を右手横に見ながら走ることができ、自分がかかわって命名した「夕やけこやけライン」という愛称に納得しながら走ることができました。
川ノ石公民館へは丁度19時、時間通りについてホッとしました。会場には岡村さんや安藤さん、白石さんなど顔見知りの方も私の話を聞きに見えられ汗顔でした。かくして長い長い一日は終りましたが、取材の度に「マスコミ登場はもうこれが最後」と思うのですが、視察依頼や夕日の取材はもう少しの間ホローしなければならないのかも知れません。
「こりゃ不思議 夕日の似合う 人なのに 朝日新聞 取材来るとは」
「夕日地図 そこに座れと 支持をされ まるでモデルの ように写真を」
「長いぞと 腹をくくった 取材にて それでも最後 時計イライラ」
「今日もまた 双海の夕日 落ちて行く 幸せ気分 浸りながらも」