○コミュニティの再生は可能か
昔私の町の議員さんがコミュニティという言葉の意味について、ちょっとしたハプニングを起こしました。コミュニティだのアメニティだのと、当時流行語になった横文字言葉を、意味も知らぬまま格好いいからと思って一般質問で使ったものの、答弁に立った町長さんから「聞き慣れない言葉ですが質問の中にあったコミュニティとは何ぞや、アメニティとは何ぞや」と、逆に質問されたのです。戸惑ったその議員さんは「コミュニティやアメニティも分からないでよく町長が務まりますね」と、声を荒げ強がって見せました。そしてコミュニティはコミュニティで日本語には訳せません。アメニティは飴を食べてお茶を飲むゆとりのようなものです」と答えました。他の議員さんも町長さんはじめ理事者も、本当の意味を知らなかったので、「なるほど」と感心しその場は終わりました。
議会が終わって私の所に町長さんと議員さんから相次いで電話がかかりました。町長さん「若松君お願いがあるのだが、コミュニティとアメニティの本当の意味は何か知りたいので、助役や総務課長に聞いたが分からないという。ちょっと町長室へ来て説明してくれないか」というのです。私は物知りほどではありませんでしたが、早速町長室へ出かけて二つの意味を町長さんにレクチャーしました。
ところが町長室を出て席に帰ると、さっき一般質問した議員さんが私のところに来ているのです。その議員さんは小声で「若松君、コミュニティとアメニティの本当の意味を教えてくれないか」というのです。私は先ほど町長室で町長さんに話したと同じように話してあげました。町長さんはにやりとし、議員さんは安心していましたが、コミュニティやアメニティという言葉を聞く度に当時のふたりの姿を思い浮かべて苦笑するのです。
あれからかなりの年数がたちコミュニティやアメニティという横文字言葉はすっかり日本語になりましたが、はてさてその意味を正しく理解して話しているかといえば未だに疑問が残るのです。
コミュニティ【community】とは、「居住地域を同じくし、利害をともにする共同社会。町村、都市、地方など、生産、自治、風俗などで深い結びつきをもつ共同体。地域社会」と訳されますが、はてさてそのイメージをある人は集落だと思う人もいれば小学校区若しくは中学校区だと思っている人、ある人は合併前の旧市町村だと思っている人もいるようです。
昨日の夜、伊予市生涯学習推進委員会の研修会が開かれ「地域コミュニティの活性化」について講義を頼まれて出かけました。参加者は公民館に関係する人が殆どで、顔なじみの人ばかりでした。私はまずコミュニティには地域コミュニティとテーマコミュニティがあることをお話ししました。地域コミュニティは公民館活動そのものですが、過疎や高齢化、学校統廃合などで今公民館が危ない話をしました。テーマコミュニティはまちづくりそのものですが、合併によって地域課題を解決する糸口が埋没しつつあるのです。行政は協働と参画や住民自治を進めるために、公民館をコミュニティセンターに改組し行政直結の自治センターにしようと目論んでいて、全国各地にその嵐が吹き荒れているのです。これは行政が教育の中立性を無視した非常に危険な行動であると思うのです。しかし残念なことに予算権のない教育委員会はそのことに気づいていても反論せず、行政は「住民自治」という言葉をふりかざし、なし崩し的にコミュニティ行政は走り出しているのです。
教育行政は大きく分けて指導者養成、指導助言、条件整備という3つのことを主な任務とします。特に条件整備は施設設備を整備するハードもさることながら、地域住民の生涯教育を推進する住民組織や機関をしっかりと整備するソフト面も必要です。住民活動を導く教育行政のゆらぎが気になる今日この頃です。
「公民館 長い歴史に 培われ なのに社会の 荒波翻弄」
「コミュニティ 意味も分からず 行く先も 分からぬままに 議論ばかりで」
「一人から 始める教育 一人へと 広げて行けば 案外簡単」
「俺だって 社会教育 恩がある 恩を返さず 死ぬわけいかぬ」